03 無茶振りはやめてください
セインとそんな会話をした数日後。
日がずいぶんと暮れてから父に執務室へと呼び出された。家族はなるべく毎朝、顔を合わせて朝食を取るようにしているため、わざわざこうして呼ばれることは珍しい。説教をされる時くらいである。
だけど今回は身に覚えがない。ない、はずよ。たぶん。
「失礼します、お父様。レイチェルが参りました」
首を捻りながら執務室のドアをノックした。すぐに返事があったので躊躇うことなく足を踏み入れる。近頃は特に礼儀作法をうるさく言われているので綺麗に礼もしてみせた。
それに対して父は満足そうに頷くと、「かけなさい」と簡易応接セットのソファーを手で示した。
ちゃんと椅子をすすめてくれるあたり、説教ではなさそう。内心、胸を撫で下ろしながら父の向かいに腰掛ける。
「レイチェル。おまえにイースデイル辺境伯家の娘として、頼みたいことがある」
いつもより厳しい顔をした父が意を決して口を開いた。
あまりにも真剣な顔だったので驚いてしまう。改めてこんな風に話をされるなんて、政略結婚の嫁ぎ先でも決められたのかしら。
脳裏を過った予想にチクリと胸が痛む。
辺境伯家に生まれた娘ならば、避けては通れない道だ。だけど元婚約者の件もあり、もっと先になるかと思っていたのに。
心臓がバクバクと緊張ではやく脈打ち出す。無意識にぎゅと拳を握りしめた。
「なんでしょう、お父様」
こくりと喉を嚥下させてから、父に話の先を促す。
「我が国の第一皇女であらせられたアルフェンルート様が、ランス伯爵家に降嫁されたことは知っているだろう?」
「もちろんです」
いきなり他人の結婚話を持ち出されて、困惑しつつも頷く。
とても華やかなパレードが行われたことは噂で聞いていた。今年の春に行われたばかりの婚姻式には父と母も参列している。
その間、姉夫婦と私は領地を任されていた。現役を引退した祖父もいてくれたけど、両親兼最高責任者が不在という日々に、とても緊張したことはまだ記憶に新しい。
「今回、ご結婚されてランス子爵夫妻となられたアルフェンルート様達が、各地の視察も兼ねて婚姻旅行をしていることも知っているな?」
「当たり前です。来週末には我が領にもいらっしゃるご予定でしょう? 今お母様とお姉さま達が準備に勤しまれているではありませんか」
父は何を今更言っているのか。
いくら私が次女かつお転婆娘で中心的に準備する立場にないとはいえ、迎え入れる貴人の予定くらいは頭に入っている。
基本的には姉夫婦が対応する予定だけど、年が一番近い私がお相手することも多々あるだろうと言われていた。だから近頃は行儀作法も日頃からきっちりこなして、その日に備えているのだ。
「そのことなんだが、少々問題が起きた」
「問題ですか!?」
父が眉間に皺を寄せて言うので、思わず声を上げてしまった。
父はこめかみを揉みつつ、「いや、正確には問題が起きて困る状況になりかねない、というべきか」と言い直す。
「今回のランス子爵夫妻の視察はただの名目で、実際には観光旅行だと思われていた。これまで通って来られた領地はまともな領が多いから、特に問題にならなかったから余計にそう思われていた」
そこまで言って、深く息を吐き出す。
「だが、どうやらふたつ隣のアーチボルト領はかなり杜撰な領地管理をしていたようだ。アルフェンルート様は実際はきっちり監査をしておられたらしくてな……アーチボルト伯爵が大目玉を食らって、いま領地では上を下への大騒ぎになっていると、今日、連絡が入った」
顔を顰める父に反し、予想もしていなかった話をされて、ぽかんと間抜けな顔をしてしまった。
それは私が聞いていい話なのかしら。
(というか、アルフェンルート様って、確か……)
ここで、私が事前に聞いていたアルフェンルート様に関する情報を頭に思い返す。
我がウィンザーフィールド皇国の第一皇女、アルフェンルート様。
第一皇女であるが、成人される一年前までは第二皇子だと周囲に思われていた方である。
それというのも、大変不幸な生い立ちがあるからだ。
アルフェンルート様は、今の陛下と後妻である第二王妃殿下との間に生まれた御子である。
第二王妃殿下は、嫁がれた以上は血筋的に優秀な跡取りとなる皇子を産まなければならないという強迫観念から、生まれた子が王位継承権のない皇女であると認められなかったのだという。
産んですぐに精神的な病に侵され、「皇女であるならば不要である」と、生まれたばかりのアルフェンルート様を害そうとなされたらしい。
なんとかその場の凶行は止められたものの、このまま皇女であると言い続ければ、再び母である妃殿下に弑されかねない状況であったようだ。
事態を重く見られた陛下は、生まれてすぐの混乱に乗じてアルフェンルート様を第二皇子として育てられることに決められた。
妃殿下を騙すために、周囲にも皇女であることは隠して、第二皇子であると通達するほど徹底されたものだった。
幸いにも妃殿下は出産の混乱と一時的な錯乱により、その嘘を受け入れられた。
(そんな嘘を受け入れてしまったあたり、妃殿下はその時点でとうに狂っておられたのでしょうね……)
本来ならばアルフェンルート様の成人までは第二王妃殿下には隠し通し、十五歳を迎えたらすぐに王家の剣と謳われるランス伯爵家に降嫁されて、保護されるご予定だった。
しかしご成長されたアルフェンルート様の性別は、いつまでも隠し通せるものではなかったのだろう。
第二王妃殿下のご生家で身内の方が立て続けに亡くなられる不幸が起こった際、精神的に弱られていた妃殿下に追い打ちをかけるように、アルフェンルート様が皇女であると知られてしまったらしい。不運は重なるものだ。
真実を受け入れられなかった第二王妃殿下は狂気に囚われ、その場で皇女を弑そうとなされた。
慌てて引き離されてその場は事なきを得たが、それ以上はもう隠し通せる話ではなかった。
結局、陛下の命令で第二王妃殿下は表舞台から去った。今はご生家のあった領地で療養されていると聞く。
アルフェンルート様は改めて、本来の第一皇女という身分に戻られた。
しかしご自身のことで周囲を混乱させた責任を感じておられるのか、当初のご予定通り成人を迎えられた年の春にランス伯爵家へ降嫁なされた。
――これが、私が事前に両親から聞かされていた話だ。
尚、そんな悲劇的な立場のアルフェンルート様だが、民の間では違う噂でも話題である。
嫁入り先のランス家は伯爵位だが、古くからある名家だ。これまでにも幾度か侯爵位を打診されてきたが、王家の剣であり続けることを望んで、伯爵位に留まっているだけの忠義の厚い一族である。
アルフェンルート様が嫁がれたランス伯爵家の嫡子は、第一皇子の乳兄弟でもある近衛騎士だという。
そのような方ならば、幼い頃から不遇の身に立たされてきたアルフェンルート様をこれまで密かに支え、守り続けてきたことは想像に難くない。
成人後すぐに、待ちきれないというようにアルフェンルート様を迎え入れた深い愛情に、巷の女性達はうっとりと感嘆の息を漏らしている。
誰にも気づかれぬよう、密かに紡がれてきた純愛。誰もが憧れるでしょう。
私もそんな大恋愛をしていた二人を拝見するのを、実は楽しみにしていたりした。
ただ今聞いた話だと、私の中のアルフェンルート様像がやや崩れていく。
元々、体の弱い方だとは聞いている。
最初は儚げな美少年を想像して、ランス伯爵子息がそこまで思い入れるならば、さぞかし可憐な美少女なのだろうと考えていた。
だけど第二皇子として教育を受けられたからか、アルフェンルート様は降嫁後も陛下や異母兄であらせられる第一皇子のお手伝いとして、しっかり公務をこなされているみたい。
それを聞くと、知的で頭の堅そうな女性の姿に想像が塗り替えられる。眼鏡とか似合いそうな感じだ。
そういえば父からも、とても真面目な方だとは聞いていた。
実際に会ってみれば、また印象は変わるかもしれないけど……。
「お父様。そのアーチボルト領の不祥事が、私となんの関係があるのでしょう? うちの領は悪いことなんてしていませんし、なんの問題もありませんよね?」
ともかく今は、父が私に何を求めているかわからない。
首を傾げれば父の表情が苦々しいものに変わる。
「もちろん、我が領はなんの問題はない。問題は、次にアルフェンルート様が寄られるご予定のハミルトン領だ」
「ハミルトン領ですか? ハミルトン子爵が管理されている、特に特出したものもない領地でしたよね」
失礼ながら、寄る価値があるのかと思えるほど小さな領地だ。観光名所でもない。
「元々、ハミルトン子爵家は我がイースデイルから分かれた家だ。曽祖父が従兄弟同士だったこともあり、あの地で問題が出るのは困る」
「そういえば、そうでした」
「アルフェンルート様が最初からわざわざ寄られる予定にされていたのなら、元から目をつけられている可能性もある。二年近く前から、ハミルトン家の動きが少々おかしいのも気になるしな」
今はかなり血が離れたので分家とまではいかない。けど隣の領ということもあり、付き合いはある。
先代はまともなしっかりされたおじいちゃん領主だったが、亡くなられて代替わりしてからは気分屋でやたら気位の高い人になったはずである。
もし彼が、ハミルトン領の隣のアーチボルト領が手痛い指摘を受けたと知ったら。後ろ暗いところのありそうなハミルトン家が、視察に来たランス子爵夫妻に何をしでかすかわからない。
とにかく本当に、気位だけは高いのだ。
更に近頃はちょっと品物の流通もおかしいと、左遷されて隣領に面した町にいる元婚約者のダリルからの報告も上がっていた記憶がある。
ダリルはどうやら汚名を返上すべく、しっかり仕事に励んでいるらしい……。
それは今はともかく。確かに、ハミルトン家の動向に関してはちょっとどころでなく不安だ。
「アルフェンルート様は降嫁された身とはいえ、陛下の御子であることに変わりはない。この地に迎えると決めた以上、心地よくお迎えして無事に送り出すまでが私たちの責任であると思っている。万が一があってはならない」
父は私に向き直り、私と同じ海色の瞳で私を見据えた。
「だからレイチェル。イースデイル辺境伯家を代表して、事前にハミルトン子爵家までアルフェンルート様を迎えに出向いてもらいたい」
「……。えっ。私がそんな大役を!?」
「私自ら動くとハミルトン家の顔を潰すことになる。それはよろしくない。姉のクリステル達を迎えに出すには、こちらでの出迎えの準備もあるから難しい」
待って待って、無茶振りすぎない!?
焦る私を見据えたまま、父の顔が苦渋に満ちる。父も本音は私を出したくないのだと伝わってくる。
「レイチェルならばアルフェンルート様より一つ年上だから、友人感覚で気安い相手となるだろう。ハミルトン子爵には息子しかいないから、我がイースデイルの過干渉とは取るまい」
「それはそうかもしれませんが」
「なによりレイチェルならば、いざという時に頼りになる」
「頼りに……?」
私が頼りにされる状況って、何?
剣術は習ってるけど、まさかそこまで荒事を想定してるの!?
絶句した私の前で、父が必死の形相で言葉を紡ぐ。
「もちろん! 何もないことを願っている! だが万一がある。レイチェルならば……これは言いたくなかったが、レイチェル、先日も街でゴロツキを3人ぶちのめしただろう」
「ひどい! 違いますわ! 4人懲らしめただけです」
「余計に悪いわ!」
「だってお父様! あの男達ときたら、かよわい女性にしつこく言い寄って連れ去ろうとしていましたのよ!? ぶちのめすべきでしょう!」
「レイチェルの正義感自体は正しい。だがその場はひとまず護衛に託して、おまえは警邏隊を呼びに行くべきだった!」
「そんなことしていたら間に合わないではありませんか! 道は狭いから護衛の大剣を振るうには向きませんし、私、4人なら倒せます!」
拳を握りしめて力説すれば、父は頭を抱えて項垂れてしまう。
ごめんなさい、少し嘘をつきました。……本当は5、6人までなら倒せると思います。
それに父に言ったように、かつて戦禍で打撃を受けたこの街は古い建物を修復したり、空いてる場所に新しい家を建てたりして、道が細い。ただでさえ攻めにくいよう街そのものが複雑に入り組んでいて、助けを呼びに行ってからじゃ間に合わないこともあるのだ。
倒せると思ったから手を出したし、自分の行動が正しいかと言われたら頷けないが、間違っていたとも言いたくない。
「そういう問題じゃないんだが……でも今は、そんなおまえだからこそ、頼みたい。当たり前だが、レイチェルに盾になれと言っているわけじゃない」
父はちょっと疲れた顔を上げる。
「今回はあくまで万が一の備えとして、だ。我がイースデイル辺境伯家の代表という名目で出向くことこそが、本来の頼みだ」
だから出来るだけ猫を被って大人しくしておくんだ。
という、父の念押しが言外に聞こえる。私としても、好んで人をぶちのめしたいわけじゃない。
とにかく我が領の誇りもかかっているのならば、父の頼みを唇を引き結んで頷く。
そんな私を見て、安心させるように父が笑った。「それに」と続ける。
「アルフェンルート様の元には、スラットリー老からセインが貸し出されることになっている。レイチェルに求める本当の役割は、セインをアルフェンルート様の元へ送り出すための隠れ蓑だ。安心しなさい」
「はい?」
なんでここで、セインの名前が出てくるの?
目を丸くした私を見て、父は眉尻を下げると声を潜めて告げた。
「セインは、アルフェンルート様とお知り合いなんだよ」




