02 私とセイン
婚約解消から約半年。
婚約解消そのものは早々に片付いた。
元婚約者のダリルは私に合わせる顔がないということで、イースデイル領の別の町役場に文官として異動することとなった。
ちなみに例の彼女と一緒に、である。
新たな地で二人で生活をするのだと聞いた。ほとんどの人は生まれた街から出て暮らすことは少ないので、違う街で一から生活するのは想像以上にきっと大変だろう。
今はもう私としては、嫌いとまでは言わないけど、関わらなくて済むならそれに越したことはない。せいぜい頑張ってほしいと思うばかり。
ただ将来有望な青年を失う形となり、父はがっかり肩を落としていた。
そんな父に対し、母は容赦なかった。
『だからレイチェルにはまだ婚約なんて早いと申し上げたではありませんか』
『だが、クリステルも同じ年に婚約してうまくいっていたではないか』
『姉妹とはいえクリステルとレイチェルとではまったく性格が違いますでしょう? まったく、娘を手元に置いておきたいからって先走ってしまわれて……クリステルだって反対していたではありませんの。これからはちゃんと私たちの話も聞いてくださいな』
母と珍しく姉クリステルも怒って父を嗜めたおかげで、今の私は婚約者をもたない身だ。ダリルの有責とはいえ、王に婚約許可をいただいてから僅か三ヶ月で解消となったので、もう少し落ち着いてから考えることになったみたい。
幸い真面目で優秀な姉が海を挟んだ隣国の侯爵家の三男を婿に取って、イースデイル領で暮らしている。
隣国はかつては争っていた国だ。今は少しずつ歩み寄って、かつてのわだかまりを解こうとしている。
その象徴のように姉と義兄は仲睦まじく、次期領主として二人で頑張っているところだ。
ちょっと羨ましい……。
尚、私が隣国に嫁ぐ予定はない。両親曰く「こんなお転婆娘を外には出せない」とのことである。失礼な。
「ねえ、私ってそんなに問題あるように見える?」
いま着ている動きやすい服装は、確かに令嬢らしくはない。頭の高い位置で一つにまとめた癖のある金髪を背に払ってから、向かいに立つ青年に視線を向ける。
婚約解消の場面に運悪く遭遇することになった青年、セイン。
彼相手に鍛錬場で剣を構えながら問うてみた。
ちなみに婚約解消から半年経ったが、まだ私には縁談は持ち込まれていないようだ。辺境伯の次女ならば立場的に十分なはずなのに。警戒されているのかしら。
今年は王都では我が国の第一皇女殿下が婚姻されたばかりだから、周囲の関心がそちらにばかり向かっているせいもあるだろうけど……。
私と違ってあちらでは華やかなパレードも行われて、とても幸せそうだったと聞いている。なんて羨ましい。
対してセインは青い瞳を細めて「何を今更」と言わんばかりの表情になった。
「少なくとも、一般的な令嬢は休みを満喫していた人間を捕まえて剣の稽古相手なんてさせないだろうな」
「セインだってたまには鍛錬しないと腕が鈍るでしょ!?」
「だからといって、鍛錬相手に辺境伯令嬢は普通は選びたくない」
迷惑そうに言う割に、私が一歩踏み込んで木剣を薙ぎ払えば即座に器用にいなす。それだけでなく、薙ぎ払った直後に隙ができた箇所に視線を向けて、容赦なく木剣を叩き込もうとしてくる。
咄嗟に一歩退いて避けた。だが間髪入れずに次の一手が追ってきた。
あの婚約解消現場に遭遇事件以来、セインとはよく話すようになった。
同じ年なので堅苦しいのは嫌だと言えば、話し方もずいぶん砕けたものになった。セインは平民のはずなのに、辺境伯の娘相手にも媚び諂うことない。どころか失礼ですらあるからすごい。
態度は基本的に素っ気ない。だけど誘えば渋々ながらも、こうして真剣に相手をしてくれたりする。
歯に衣着せぬ言い方をするけど、いい人、なのだと思う。
(どんな仕事してるのか、ちょっと謎だけど)
基本は王都から異動してきた老医師の助手のようなことをしている。だけどたまに1、2週間ほどフラリと姿を消すこともある。
その間、なにをしているかは知らない。
だが歴とした役人ではあるらしい。どうやらセインの所属はイースデイル領にはなく、王都にあるらしい。父もセインに関しては深く何かを言うことがないので、私から見ると謎な立場だ。
だけどよく砦で見かけるので、手が空いてそうな時は剣の相手をしてもらったりしている。
今日も久しぶりに姿を見かけたので、捕まえて付き合ってもらっていたところだった。文句を言いつつも相手をしてくれるところが、案外親切なのだと思わせる。
改めて剣を構え直して、足裏で地面を蹴った。脇腹を狙ったけど軽くいなされた拍子に、ぐらりと足首が揺らぐ。
ちなみにわざとだ。フェイントである。
ここで普通の男ならば、多少なりとも手を緩めるか焦るかするはず。
ずるいと言われようとも、実戦においては勝つことが優先される。綺麗事だけでは守れないものもある。有事の際に戦地となる辺境育ちともなれば、生き延びるための卑怯さが必要な時もあるのだと教えられてきた。
「っい……!」
しかし、私の戦略はセインの非情さにあっさり負けた。
フェイントをしかけたつもりだったのに、よろけたフリをしただけだった足元を狙われて本当に転倒した。地面に強かに尻を打ちつけてしまう。即座に顔を上げた時には、木剣の先が喉元に突きつけられていた。
見下ろしてくる深い青い瞳に、ひやり、と心臓が竦んだ。
「勝負あったな。フェイントをしかけるつもりなら、その前に足元に目をやる癖は直したほうがいい」
勝敗は決したのでセインはあっさりと剣を引いた。
尻を突いたままの私に手を差し伸べてくれたけど、気遣う言葉はなくて苦言が降ってくる。
指摘はありがたいけど、もうちょっと優しさがあってもよくない?
思わず唇を尖らせてしまう。
「普通の男なら、あそこでちょっと焦ったりするものじゃないの?」
「本気で強くなりたがってる奴相手に手を抜くのは失礼だろ」
そんな言葉を投げかけられたら、気持ちが大きく足を踏み外しそう。ドキリとさせられてしまう。
私の剣の稽古に付き合ってくれる人たちは、私が辺境伯令嬢ということもあり最後の一手には甘さが出る。だけどセインはこうやって本当に真剣に相手をしてくれるから、好きなのだ。
そして一度跳ねた心臓は、私の意思を無視してドキドキと速度を上げていくから困る。
「女の癖に剣術を極めるなんて危ないし、馬鹿らしいとは思わないの?」
「何事も備えておくに越したことはないだろ。なんであれ、努力するのは笑うようなことじゃない」
握られた手をぐっと強く引き上げられた。細身の割に力はちゃんと男の人なのだと気づかされて、更に心音が加速する。
対してセインは女の子と手を握ったというのに、いつも通りの態度。
なんだか悔しい。私ばっかりドキドキさせられている!
(まさか本当に、女として見られていなかったりして)
一瞬、脳裏を過った考えに冷や汗が滲む。
男女関係ない視点で接してもらえるのは嬉しいけど、女扱いされていないのは嫌だ。
我ながら矛盾しているけど、私もこれでも年頃の娘なのよ!
元婚約者に女らしくないと言われて引かれた身としては、セインがどう考えているか気になる。
鍛錬に付き合ってくれているし、今も努力は認めてくれていると言うくらいだから、肯定的であるとは思うのだけど。
「セインは、男らしいとか女らしいとか、あまりこだわらないの?」
セインは私を見て、僅かに小首を傾げた。
「こだわらないというか、本人がそれでいいと思っていることを赤の他人がとやかく言う必要を感じない。人に迷惑かけない範囲で好きに生きているなら、別にいい気がするな」
なんだか期待したことではない言葉が返ってきた。
つまりそれって、他人に興味がないだけ?
口を引き結んだ私を見て、セインは言葉が足らないと気づいたようだ。小さく一つ息を吐きながら口を開く。
「否定する奴もいるだろうが、そういうところがいいって言う人間だっているだろ。レイの剣術だって、ないよりあった方がいざという時に役に立つかもしれない。あの男が言ったことなら気にしなくていいんじゃないか。いつか、そのままのレイを好きだと言う奴だって現れるかもしれないんだから」
珍しく饒舌に話したセインだが、それがセインなりの優しさだとわかる。
その「いつか」の相手がセインであるとは、言ってくれる感じはなかったけど。照れた様子も全然ないし。未来に期待したらどうだ、と完全に他人事みたいに慰められているのが感じ取れてしまう。
(でも、ちゃんと今の私を認めてはくれているのよね)
今はまだ、それだけでも良しとすべきなのかしら。
今もこうして、思ったより疲労していて歩きづらいのを察しているのかエスコートしてくれているし。女性扱いしてくれてる、と思う。
セインは言葉には気遣いがあまりないけど、所作や行動は思ったより細やかだ。それがやけに女性慣れしているようにも見えて、ちょっと複雑だったりする。
(それとも、貴人に仕えていた経験でもあるのかしら)
平民のはずのセインが、貴族のそば近くに?
よく見ているとセインの所作は貴族的だったりもする。この砦の医師となった前スラットリー伯爵の助手というか後見がついていることを考えると、実は貴族の庶子だった可能性もある。
セインがどんな厄介な立場に置かれていたとしても気になる気持ちが散らせないのは、恋という沼に足を踏み入れかけているせいなのかしら。




