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初めての夜

※R15


 結婚して迎える、初めての夜。


 婚姻式を終えた後、王城近くにあるランス伯爵家のタウンハウスである新居に迎え入れられたのは数時間前。

 あれよあれよと言う間に気心の知れた侍女に湯浴みを施され、髪の手入れをされ、指先まで良い香りのするものを色々塗りたくられて……気づいたときには、白い寝巻きに着替えて自分の部屋のベッドに腰を下ろす格好になっていた。

 ここまでは、新しく用意された自分の部屋に落ち着く間もなかった。

 今はすっかり日も落ちてカーテンも閉まっているため、部屋の中は蓄光石の柔らかい光だけが灯る。内装は元いた城の自室に似せたシックな色調でまとめてもらったので、違和感はさほど感じないのが幸い。

 寝巻きも、レースとリボンだらけにされそうだったのを、極力省いて今まで通りにするよう懇願した甲斐もあった。

 部屋も若い娘が好みそうな、可憐な白い家具に統一されなくて本当によかった。おかげで、初夜を迎える緊張も多少はマシに感じる。


(なんてこと、あるわけがない!)


 前の記憶があるから大丈夫?

 そんなわけがない。この世界で、この私として迎えるのは初めてなのだから!

 体は石と化しているのに、心臓だけは皮膚の下でバックンバックンとうるさい。口を開いたら飛び出してきそう。おかげで呼吸すら最低限になっている。

 いつまでこうして待てばいいの?

 それもこれも、この部屋とクライブの寝室は扉ひとつで繋がっているが、なかなか向こうから開かれないせいもある。

 緊張のせいでどれだけ時間が経っているのか掴めない。もうかなり経っている気がする。花嫁より花婿の準備に時間がかかるなんて、そんなことってありえる?

 ここで、無性に不安が湧いてきた。


(もしかして、私が何か間違えている……?)


 実のところ、私は初夜の手順を習っていない。

 いや、何をするかはわかっている。これも実は誰にも教わらずにきてしまったけど、幸い前の生の知識はある。心の準備はできている。


 そうではなく、この国の初夜の作法を習いそびれてしまったのだ。


 そんな馬鹿な、と自分でも思うけれど。しかし本当に誰にも聞けずにここまできてしまった。

 本来なら、閨の話は乳母から伝えられる。

 しかし私は男として育てられ、こういう事は私には触れてはいけない禁忌とされていて語られなかった。

 実母に関しては更に遠い存在だから、そんな話を聞く機会など皆無。

 また、メル爺は男性なので女性側の手順を教える立場にない。

 ならば気心の知れた侍女から聞ければよかったけど、メリッサは同じ歳で未婚だからわからない。ラッセルの妹のノーラは年上だけど未婚だし、男爵令嬢の立場で皇女に教えるには荷が重すぎた。

 他の侍女はこれまでの事情を詳しく知らない為、私が習っていないとは考えもしない。新たに知り合った令嬢にこんなことを聞くのも、立場的に難しい。

 残りの頼みの綱は兄の乳母だけれど、セリーヌ・ランス伯爵夫人はクライブの母でもある。

 つまり、私の義母になる方。

 簡潔に言えば、姑。

 ……。

 聞ける? 聞けるわけないでしょう!

『貴方の息子さんとの初夜はどのように迎えたら良いですか?』

 なんて聞けるほど心臓は鋼じゃない。無理。一番、無理。嫁姑戦争の火種になりかねない。私は穏便に仲良くやっていきたい。

 やはり自分の乳母のメアリーを頼るべきだったけど、メアリーは今の私の周りにいる人を尊重して深く踏み込んではこない。立場を弁えているせいで、聞くタイミングを逃してしまった。そうでなくとも、メアリーも私が他の人から既に習っていると考えていたのだと思う。

 いや、誰から聞けというの。

 父か兄が性教育の講師を派遣してくれるかと思っていたけど、男である彼らはそこまで気が回らなかったらしい。

 というより、すでに乳母から習っていると判断していたみたい。そんな彼らの気持ちはわからなくもない。普通はそうなのだから。

 そうなると、私から父や兄に講師を依頼するのも居た堪れない。家族のそんな事情には触れたくないでしょう。お互い、気まずさしかない。

 私自身が講師を頼むには適任者がわからないし、その手の本で学ぶには侍女の目がある手前、読めなかった。

 そんなわけで。


 なにをするかはわかってるから、なんとかなる! よし! ぶっつけ本番だ!


 という気持ちで、ここまで来てしまった……。

 そして、今に至る。

 私もクライブも、なぜか動かないという謎な状況に!

 頭痛がしそうな現状に頭を抱えたい気持ちの今、隣室の扉は未だに開かれない。一体なぜ。クライブはこちらの出方を窺っているの?


(勇気を出して作法を聞いておくべきだった……っ)


 なんとなく、相手に任せておけば大丈夫だと思い込んでいた。

 扉一枚隔てられた向こう側は、不気味なほど静まり返っている。

 まさか、……寝てる!?

 いやいやいや、さすがにそんな馬鹿な。いくらなんでも、それはないはず。

 ならば、もしかして……


(私から、乗り込んで行くべき?)


 思い至った行動に、焦りで急激に喉が渇きを訴えた。こくり、と喉を嚥下させてじっと扉を見つめる。

 もしかして、この国では新婦から突撃していくのが礼儀なのでは?

 良く言えば、『嫁になる覚悟ができてから、どうぞ入ってきてください』的な。

 悪く言えば、『この家の人間として認められたいなら、自分の足で乗り越えてこい』と?

 緊張しすぎて頭が混乱してきた。

 しかし、私から行くのが礼儀ならばクライブも今頃やきもきしているかもしれない。

 でももし、単にまだクライブの準備ができていないだけだったら?

 いきなり花嫁が乗り込んできたら、ドン引きされてしまう。乗り気だと思われたら恥ずかしすぎて全身の血が沸騰する。

 でも私から行くのが普通なら、いつまでもこうしているわけにもいかない。


(とりあえず、様子を窺いにいこう)


 無意識に拳を握りしめ、ゆっくりと音を立てないようにベッドから立ち上がった。

 もし私が待っていればいいだけだとしたら、様子を伺いに行くなんてはしたないと思われてしまう。バレてはいけない。

 息を潜め、足音を忍ばせながらクライブの部屋へと続く扉に近づいていく。気配を殺して移動する技は図書室で培ったので完璧。きっと私はいつでも忍者になれる。なる予定はないけど。

 そう、私は念願の花嫁になったのだから!


(音は、しない……?)


 息を潜めて耳をそばだてたけど、扉の向こうは無音。つまり、クライブの準備も既に済んでいるということ。

 ということは、やはり私から行くべきなのでは!?

 しかも全く物音もしないから、もしかせて待たせすぎて寝てしまったのでは!

 緊張より急激に込み上げてきた焦りで心音がバクバクと鳴り響く。


(こうなったら、覚悟を決めて)


 きっとこの国の作法は、女も度胸!

 勢いに背を押される形で、手を伸ばしてドアノブを掴んだ。ガチャリ、と簡単に開いた扉を力いっぱい開け放つ。


「クライ、ブ……っ?」

「っ!」


 しかし開き切る前に、ゴンッ、という鈍い衝撃が呼びかける声に重なった。

 同時に息を呑む音と、ノブを握りしめた手に伝わる確かな手応え……

 手応え!?

 ぎょっとして音のした扉の向こうを覗きこめば、引き攣った顔のクライブが手で扉を押さえているところだった。


「アルト様。扉は好きな時に開いていただいてかまいませんが、勢いよく開かれるときにはノックをしてください」

「すみません……自分の手で扉を開ける習慣がなくて、失念していました」


 そうだった! 普通はノックがいるのだった。

 今まで自室の寝室の扉と、各部屋から出る時にしか自分の手で開けることがなかったから、完全に忘れていた。

 たぶん、クライブはいきなり開かれたから咄嗟に押さえたのだと思う。無防備なままだったら、たぶん扉はクライブの顔に直撃していた。

 クライブの反射神経が良くて助かった! 結婚初日に夫を倒した妻になるところだった!

 胸を撫で下ろしたところで、ふと疑問が湧く。


「クライブはそんなところで何をしていたのですか」


 そもそも、どうして扉の前に立っていたのか。物音ひとつしなかったから、もっとずっと前から立っていたのではないだろうか。

 なぜそんな不可解な行動をしてるの。

 首を傾げて訊ねれば、クライブがばつが悪そうな顔になった。その顔がじわじわと赤みを帯びていく。


「その……アルト様は特に心の準備が必要でしょうから、いつ入ったらいいのかと迷ってしまって」


 それを隠すように、片手で口元を覆いながらクライブが躊躇いがちに語る。


「その内、物音がしなくなったので、今日はかなりお疲れになられたでしょうからお休みになったのかと思いまして。せめて寝顔だけでも、と、思ったのですが……」


 決まり悪く目を逸らしながら言われて、ぽかんとしてしまった。いくら疲れていても寝るわけないでしょう。

 待って。ということは、やはり新郎側から乗り込むのが普通だった!?

 今度は私の顔が一気に熱を帯びる。恥ずかしすぎて喚き散らして駆け出したい。


「それなら、入って来られればよかったでしょう」


 逃げたい衝動を押し殺して、八つ当たり気味に見上げる。恨みがましく見たところで、赤くなっている目元では迫力がないに違いない。


「いえ、見たら色々と、我慢が効かなそうでしたから……」


 対するクライブも、珍しく耳まで赤い。

 ここでやっと視線が合って、ふとクライブが緑の瞳を笑ませた。それはひどく愛おしげに見えたせいで、胸が落ち着きなく騒ぎだす。


「まさかアルト様から来ていただけるとは思っていませんでしたが」


 ちょっと弾む声まで嬉しくて照れているように見えて、思わず心臓まで不規則に跳ねた。


「どうか、僕の妻になっていただけますか」


 引かれた指先に落とされる唇に、今にも心臓が壊れそう。

 あの、これは、私の勉強不足だっただけで。別に待ちきれなくて来ちゃったわけでは、ない……わけでも、たぶんなくて。


(ああ、もうっ。どうしてこんなに振り回されてしまうかな!?)


 相手の些細な言動に迷って、躊躇って、空回ってばかりで。それでも。

 そのすべてがなんだかくすぐったくて、こんな風に手を取られただけで満たされたように感じることを、幸せと呼ぶのだろう。

 ちょっと悔しいけど、実は私の方がずっとあなたを好きなんじゃないかと思えてくる。

 でもクライブはまだわかってくれていないようなので。

 ここから、新たに夫婦として始めていきましょう。


 頷いて引き寄せられた私の後ろで、静かに扉が閉まる音がした。




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