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クライブとラッセルの話

※ラッセル視点


 アルフェンルート殿下の筆頭護衛騎士である自分、ラッセル・グレイは近衛宿舎の自室の扉を開いて固まった。

 ここ数日、雨が降り続いていたせいだろう。特に昨夜はひどい雨で、部屋の中の湿度は耐え難いものであった。そろそろどうにかしてほしいものだと溜息が漏れたのは今朝のこと。

 しかし、自分が望んでいたのは雨が止んでくれることだった。

 けして、最上階である3階の自室が雨漏りで使えなくなることなど想定していなかった。

 しかも発覚したのが、まさに今。一日の仕事を終えて帰ってきた夜である。

 今から事務室に頼んでも、新たな部屋の準備は明日になるだろう。元々使う者が少ない3階は他の部屋も空いてはいるが手入れされておらず、この調子だとまたいつ雨漏りするかわからない。

 案の定、1階の事務室に降りて聞いてみたものの、やはり1、2階の部屋はすべて埋まっていた。今夜だけ、誰かの部屋に避難するよう言われてしまった。

 とはいえ、誰を頼るべきか。

 アルフェンルート殿下付きの近衛騎士は自分と、陛下直属のフレディ。一番親しいのも彼だが、神出鬼没で捕まえるのが難しい。

 同年代でよく話しかけてくれるニコラスは、今夜は夜番のようでいなかった。

 そうなると、未だに周りからやや遠巻きにされている自分と同室で寝てもいいと言ってくれるほどの相手が思いつかない。

 せめてもう少し早い時間ならば、アルフェンルート殿下が後宮内に部屋を用意してくれただろう。だが今から戻って主人の休息を邪魔するわけにはいかない。身内には甘い方だから、そんなにひどい部屋を与えられているのかと、心配もさせてしまいかねない。

 だが今となっては周囲の態度もかなり柔らかくなっているし、使い勝手の良い2階に移るよう気遣われたこともある。ただ静かな3階の端は心地よく、そのまま居着いただけであった。今回は、それが仇になったが。古い建物とはいえ、ここまでひどい雨漏りになるとは。

 最低限の貴重品と、濡らしたらまずい書類仕事だけ手に持ち、応接間でも借りようかと思っていた時だ。


「僕の部屋で良ければ、来ますか」


 アルフェンルート殿下の許嫁であるクライブ・ランスがそう声を掛けてきたのは。

 

 雨でさえなければ自宅へ帰る手もあったが、遠慮するのも憚られた。ここは言葉に甘えて、クライブの部屋に招かれることになった。

 断りたくとも、爽やかに微笑まれたら何も言えない。

 ちなみにアルフェンルート殿下は、クライブがいつも浮かべている笑顔には警戒される。「あれは感情を隠すときの顔です」とは、アルフェンルート殿下談だ。言われてみれば、アルフェンルート殿下と二人で話すときのクライブには見ない表情だ。

 しかし、そんな顔で誘われた自分は、いったいどう思われているのか。

 最初の頃はかなり警戒されて牽制もされたが、近頃ではそんなこともなくなってきた。しかし、特別に仲が良いわけではない。


(今夜だけとはいえ……)


 いくら近衛騎士の立場は全員同列と言われているとはいえ、相手は次期伯爵。しかも主人であるアルフェンルート殿下の許嫁でもある。

 対応が悩ましい。何か、主に対することで話したいことでもあるのだろうか。

 内心、戦々恐々としながら伺った部屋は1階の端から2番目である。

 基本的に近衛騎士は全員、待遇は同じなため部屋の広さは変わらない。個人毎にベッドや机、ソファーの配置が違うぐらいだ。

 しかしそこまで広いわけでもないので、どの部屋も似た感じになる。クライブの部屋も自分の部屋とさほど変わらなかった。持ち込みの家具も随分と年季が入って見える。以前誰かが使っていた物を、そのまま使い続けているような。

 シークヴァルド殿下の乳兄弟でもあるから、もう少し特別待遇かと思っていたので意外だ。


「ソファーを使ってください」


 クライブは手早く長ソファーに掛けられていたシャツや数冊積み上がった本を片付けていく。元はシークヴァルド殿下の侍従をしていただけあり、手慣れているように見受けられた。

 思えば、クライブはアルフェンルート殿下に対しても世話を焼く素振りを見せることがある。靴紐が解けた時に傅かれて結い直されそうになり、殿下が慄かれたこともある。

 アルフェンルート殿下は世話に慣れてないせいか、皇子であると思われていた時には「距離が近い」と苦慮されていた。今となっては懐かしい。現在は、殿下は慣れたというか諦めたらしい。

 ともあれ育ち方のせいか、貴族の子弟にしてはクライブの部屋はかなり片付いている方に見えた。


「ありがとうございます。お世話になります」


 勧められたソファーに、濡れた寝具の代わりに配布された枕と毛布を置いた。今夜だけのことであるし、冬でもないので寝る場所はなんとかなりそうだ。

 クライブは頷くと、「書類仕事があるなら、テーブルの方で。机は僕も使うので」とソファーの前に設置されているローテーブルを示す。それからあっさりとこちらに背を向けて机に着いた。

 どうやら彼も書類仕事が残っていたらしい。

 まだ仕事があるのに寝場所を提供されたのかと思うと、胸の内は困惑に包まれた。

 もしや、と思っていたが……


(アルフェンルート殿下に対して、よからぬ感情を抱いていないかと探りたかったんだろうか)


 勿論、アルフェンルート殿下に対しては主としての敬愛しかない。

 アルフェンルート殿下も、自分を筆頭護衛騎士としてしか見ていない。

 おやつの時間にこっそりお裾分けを渡してくださったりはするが、侍女のメリッサや以前いた侍従のセインにも同じことをされていた。身内扱いではあるが、あくまで『自分の騎士』に対しての距離感だ。

 しかしクライブの立場で私にそんなことを訊くのは失礼であるし、言い出せないのだろうか。

 アルフェンルート殿下に付いていくつもりの自分からすれば、これから彼とは長い付き合いになる。

 はっきりと宣言して、憂いは立つべきだろう。


「クライブ。少し、良いですか」


 意を決して、クライブに声を掛けた。

 椅子に座ったまま振り向いたクライブは、なぜか少しだけ笑う。いつもの貼り付けた笑顔ではなく、思わず溢れたという感じだ。

 自分でもすぐにそれに気づいたのか、「失礼」と口元を引き締める。


「今の話し方がアルト様に似ていたので、主従はそんなところまで似るのかと、つい」

「そんなに似ていましたか?」

「声が硬くなるところまでそっくりでした。何を言い出されるのかと、つい身構えてしまいそうです」


 クライブは笑った理由を言い訳しながら、改めて椅子ごと振り返る。微かに首を傾げて「何でしたか?」と問われた。

 自分こそ、そうやって小首を傾げるのがアルフェンルート殿下の癖に似てきたと気づいているだろうか。

 指摘する程でもないので、ここは肝心な本題に入ろう。


「念の為に、あなたに言っておきたいことがあります。私にとってアルフェンルート殿下は、唯一無二の敬愛する主です。生涯、あの方にお仕えします」

「ラッセルの立場なら当然のことですね」


 はっきりと宣言すれば、クライブは少し目を瞠った。しかし口から出てきた言葉は、何を今更、と言わんばかりだった。

 おかしい……。想像ではすぐに信じてもらえず、警戒を見せるかと思っていたのに。

 出鼻を挫かれた感じがするが、念には念を入れたい。一番伝えたかったことを伝えるべく、口を開く。


「それはそれとして。私の個人的な異性の好みは、年上の、包容力のある女性です」


 無意識に拳を握り、アルフェンルート殿下とは正反対だと告げる。

 いや、けしてアルフェンルート殿下の心が狭いと言っているわけじゃない。むしろあの方は、清濁併せ呑む方だ。醜い人の闇すら、飲み込んで胃の腑の底に抱え込む。それはきっと自分などより途方もない深さだ。

 そうではなく、単純に見た目的な話だ。

 ほっそりとした見た目の、よく言えば繊細、悪く言えば慣れていない相手には神経質にも見えるアルフェンルート殿下は、断じて恋愛対象ではない。だいたい年下すぎる。

 主としてお守りしたいと思ってはいるが、男としてあの方をお守りするわけではない。

 だから安心してほしい。

 クライブの緑の瞳が瞠られる様を見て、何秒経っただろう。一秒にも、一分にも思える時間に思えた。

 実際には三十秒はたっぷり呆けた後、クライブは困惑を顔に乗せた。


「それを僕に言ってどうするんですか。そういう女性を紹介してほしいということですか?」

「えっ。いや、そういうわけでは……なかったんですが」


 クライブは言われたことが理解できないと言いたげに聞き返してきた。


「確かにアルト様に仕えるなら、将来的に我が家にも関係してくる話ではあります。ただその場合、僕から紹介したら、それは婚姻をほぼ命令する形になってしまいます。それで良いというのですか? ちゃんと想う相手と結婚された方が幸せだと思いますよ」


 そして見当違いなことを言い出す。更に、真剣に将来の心配までされてしまった。

 なぜか、話が全く予想していなかった方向に転がり出している。

 私はただ、アルフェンルート殿下とは心配するようなことは一切起こりえない、と言いたかっただけだというのに。

 困惑する自分を置いて、クライブは真剣な表情でこちらを見つめる。


「アルト様もそんなことは望まれないと思います。今の話は聞かなかったことにします。ただもし本当に相手がいなくて困った時は、改めて相談してください」


 紹介できる令嬢を探しましょう、とまで真摯に言われてしまった。

 違う……そうではなくて。いや、元々疑われていなかったのなら、ここは余計なことは言わない方がいいのか。話を合わせて「そうなった時はよろしくお願いします」と言うことしかできなかった。

 最初の頃に牽制されたせいか、変に疑ってしまっていた。自分こそ彼に対して失礼だった。

 そう気づいて深く反省する。

 もしこの先、クライブが困った事態になったら極力助けよう。たとえば殿下と拗れた時とか。殿下優先ではあるが、見るに見かねた時は出来るだけフォローしようと心に決める。


(それにしても、殿下が絆された理由がわかった気がする)


 皇子のふりをされていた当時。あれほど辟易されていたアルフェンルート殿下が、なんだかんだと心を許していたのは今のように相手の立場に立った心遣いをされたからだろうか。

 これは絆されていくのもわからなくはない。

 そう思って、密かに笑みが溢れた。



   *


 そういえば。

 結局クライブが声を掛けてくれた理由が、


「明日もアルト様の護衛があるのに、差し障りが出たらアルト様が困るでしょう」


 と言われた辺り、やはりクライブはクライブだと思わされたことは、胸にしまっておこう。





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