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邂逅は突然に


 極たまに、クライブが休みの時に城下まで連れ出してくれることがある。

 とはいっても、基本的におとなしく日々を過ごしている私から強請ることはほぼない。クライブが私を気遣って誘ってくれることがほとんど。

 「アルト様が気に入っていたというお店まで、道案内してくださいませんか」という名目を掲げられることが多い。

 それがただの口実であることは勿論わかっている。でもそう言われた手前、率先して歩くのは私ということになる。要するに、好きなところに行っていいですよ、と言ってくれているのだ。

 滅多にない機会なので、こういう時はつい甘えて行きたい場所に足を運んでしまう。今日みたいにお忍び仕様の侍女姿で出てきた場合は、特に。

 そう、たとえば。


「お好きですね、マルシェ」


 隣を歩くクライブが私を見下ろし、緑の瞳を細めて笑う。それに対して大きく頷いた。


「珍しいものがたくさん見られますから」


 小振りな簡易の天幕がいくつも張られ、その下に様々な店が軒を連ねている。マルシェへの出店権は旅商人に優先的に与えられる為、いつ覗いても違う店が並ぶ。王都の塀の外には大きな川が流れていて色々なものが流通する場所なこともあり、特に珍しい物や異国の物を目にする機会も多い。

 以前、小豆を見つけたのもマルシェでだった。

 だからまた懐かしいものを発見できるかも、とつい期待してしまう。

 たとえば、米とか。味噌汁とか。カレーにラーメン……は、期待しすぎかもしれない。


(せめて、お米に会いたい。あと、日本酒も)


 しかし、米が無ければ日本酒も作られない……。

 もし発見できたとしても、まだ未成年だからすぐに飲めるわけでもないけれど。

 でもお酒が飲める年になるまで生きられるって考えるだけで、夢は膨らんでしまう。かつてのお酒好きだった血が騒ぐ。ここで呑めることはないだろうと半ば諦めていただけに、今から成人が楽しみで仕方がない。

 でもけして毎日晩酌したいと思っているわけじゃない。成人の祝杯をあげるぐらいはいいでしょう? それとたまにはちょっとぐらいほろ酔い気分を楽しめたら嬉しいな、って思ってるだけで……。

 誰にともなく胸の内で言い訳しつつ、露店を覗いていく。

 そんな私の欲望に引き寄せられたかのように、ふと鼻先を懐かしい匂いが掠めた。思わず足を止めて首を巡らせる。

 匂いの先、露店の軒に吊り下げられたものを見つけて大きく目を瞠った。


「スルメ!」

「はい?」


 声を上げた私に驚き、クライブが怪訝な顔で見つめてくる。しかし私の目はスルメと思わしきものに釘付けだ。

 だって、内陸部なので海の幸なんてまず食べられないから、干物状態でもイカに出会えるなんて奇跡に近い。目が輝いてしまう。

 スルメといえば、酒の肴の鉄板!

 しかし海産物なんてあまり目にしない地域のせいか、誰もが店の前を足早に素通りしていく。独特の匂いと奇怪な見た目のせいもあるのか、見向きもされない。立ち止まっているのは私達だけ。

 こんな宝を前にして素通り!? 意味がわからない!


(これは買うべきでしょう!)


 以前に兄から貰ったショルダー型の財布を手に取り、店主に向かって一歩踏み出す。


「アルト様」


 その時、不意に手を引かれて足が止まった。

 振り返れば、クライブが眉尻を下げていた。軒先に吊られた干からびたイカを見てから、怪訝な表情で私を窺い見る。


「あちらの干物が欲しいのですか……?」


 恐る恐るという感じに問われて、はっと気づかされた。


(スルメを欲しがる皇女って、どうなの)


 いや、皇女だって人間なのだからスルメぐらい食べる。……食べるかな。私は食べる気満々なのだけど、世間の令嬢がスルメを炙って齧る姿を想像してみたら、ちょっと絵面的に問題がありそう。

 しかも今現在、一応はデートってことになっていると思う。うっかり欲に目が眩んでしまったけど、デート中にスルメを欲しがる女ってどうなの!?


(まずい……っ)


 捕獲されたままの手に嫌な汗が滲み出してしまいそう。

 私にも一応、女としてプライドというものがある。可愛く見られたい、という気持ちが無いわけじゃない。これに関しては今更無駄な気もするけど……。しかも、もうスルメの前で足を止めてしまっている。とっくにアウトでは?

 いえ、諦めたらそこで試合終了!

 なんとか言い訳を考えなくては。奇怪な見た目の干物を好んで欲しがる女、しかも自分が食べたがっていたなんて知られるわけにはいかない!


「あれはスルメと言って、海にいるイカという生き物の干物なのです。珍味です」

「確かに珍しいです」

「炙って頂くと、酒の肴に最適なのです」

「相変わらず物知りですね」


 感心したように言われて胸が痛い。

 だって前の生で、たまに食べていたというだけだから……勿論そんなこと言えないけれど。


「ですから……兄様の、お土産に、いいかと」


 なんとか絞り出した言い訳に兄を使ってしまった。申し訳ありません、兄様。

 メル爺がいればメル爺へのお土産だと誤魔化せたのだけど、今は遠く離れている。他に私がスルメを渡してもおかしくない人が思い浮かばなくて、苦し紛れに兄の名しか出てこなかった。父は甘党だし、スルメを好みそうなのは兄の方だと思う。

 ただあの兄がスルメを炙って齧る姿は、まったく想像できない。

 しかしここまで来たら、拳を握って説き伏せるしかない。


「きっと喜んでいただけると思うのです」


 私的おすすめの一品であることに違いはない。美味しいとは言えないけど、噛めば噛むほど味が出て妙に癖になるはず。ぜひ食べていただきたい。これは買って行くべき。

 そのついでに、こっそり自分の分も買ってしまおう。そんな打算も働いていた。

 まだお酒が飲めない今、せめてスルメで気分だけでも味わいたい。


「アルト様がそこまで仰るのでしたら、僕が買っていきますよ。面白いものがあれば買ってきてほしいと言われていましたから」

「え?」


 だからクライブがそう言って、颯爽と店主に注文する姿を見て動揺してしまった。


(クライブが買うの!?)


 待って。クライブに買われてしまったら、私が買う名目がなくなってしまう!

 後で買いに来られる場所ではないし、セインがいない今、周りには侍女しかいないので気軽に頼むことも難しい。それにマルシェは明日以降も同じ店が出るとは限らない。

 うまい言い訳を考えつかない内に、スルメを買いこんだクライブが振り返った。笑顔で「行きましょう」と言われて、頷くことしか出来ない。内心、後ろ髪を引かれまくって歩き出す足取りがちょっと重い。


(ああ、私のスルメ……)


 せっかく出会えたのに。

 でも兄が気に入ってくれれば、そこから繋ぎを付けることが出来るかもしれない。だけど一体いつになることか。目の前で逃したことに、がっかり感が強い。

 ちらりとクライブが受け取った包み紙に目をやれば、隣から小さく吹き出す声が聞こえてきた。


「そんなに心配なさらなくても、アルト様の分もありますから」

「えっ」


 ぎょっとしてクライブを見上げれば、そこには苦笑いしている顔があった。


「欲しかったんですよね?」


 どうぞ、と差し出された包み紙を咄嗟に受け取る。

 デートで許嫁にスルメを買わせた女になってしまった! そんなつもりじゃなかった! 強請ったつもりはなかったのに!


「私は、そんなにわかりやすかったですか……」


 羞恥のあまり、か細い声が出た。顔だけでなく耳まで熱い。

 言い訳までしたのに本心がバレバレだっただなんて、貰った包みで顔を隠したくなってくる。澄まし顔と真面目な顔を作るのは得意だったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。


「それだけ僕の前では気を許してくださってると言うことだと思いますから、僕としては嬉しいです」


 そういうことを聞きたかったわけではないのだけど!

 恨めし気に見上げた私を覗き込み、クライブが目を細めて笑った。

 その顔が本当に嬉しそうだったから、結局私も笑ってしまった。




=========================================

※シークヴァルド視点



 前日にアルフェと出かけたクライブが、「土産です」と言って渡してきたものは、想像を超えるものだった。

 海に住むイカの干物、アルフェ曰く『スルメ』と言うらしい。一見すると、本当に口にしていいものか迷う見た目だ。

 軽く炙って食べると聞いたので、自室にアルコールランプを持ち込んでとりあえず焼いてみている。香ばしい独特の匂いが部屋に漂い、どこからともなく現れたアッシュブルーの毛並みの猫がソファに飛び乗ってきた。興味津々で手も伸ばそうとしている。


「ロシアン。おまえには極力やるなと言われている」


 あげてもいいが必ず火を通し、食べやすいサイズに切って本当に少量だけ、とアルフェからの手紙に書かれていた。消化に悪いらしい。

 柔らかい体を持ち上げて引き離し、とりあえずナイフとフォークで切ってみる。硬い。それにこういう食べ方で正しいのかどうかもわからない。脇から柔らかい毛に包まれた手が何度も伸びてくるので、小さく切った部分をロシアンに渡してやった。咥えるなり夢中になっている。そこまでなのか。

 自分の分も切ろうとしたけれど、硬くて切りにくいので半身ほど切って諦めた。どうせニコラスしか見ていない。面倒になって、切った一部を直に齧ってみる。


「お行儀悪いですよ、殿下」

「そうは言ってもな。ニコラスも食べてみればわかる」


 皿を差し出せば、遠慮なくニコラスは手を伸ばす。歪に切られたスルメを口に含み、しばらくしてから「これは齧った方がはやいですね」と苦笑いだ。

 しかし気に入ったのか、またも手が伸びてくる。一人で食べきれる気はしないので、特に咎めることもない。

 まるで干し肉を噛んでいるかのようだ。でも噛んでいる内に柔らかくなって味が出てくる。美味しいかと言われると素直に頷けないが、独特の風味が口に広がり、止められなくなる感じはする。

 アルフェがとても欲しがっていたというのが、少しわかった気がした。


(なるほどな)


 酒の肴に最適、と書かれていた文字を思い出して喉の奥で笑いが零れた。酒が欲しくなる気持ちはよくわかる。

 真面目なアルフェが酒を呑んでいるとは思えないので、茶請けでスルメを齧っているのかと思うと少し面白い。

 それにしても以前から思っていたが、アルフェはよく酒の肴になりそうなものを寄越す。

 スラットリー老が酒豪だったから、彼に喜んでほしくてその手の料理を覚えているのかと思っていたが、どうも違うような気がする。当人が、この手のものが好きなのだろうか。

 それとも、いつか酒を呑める日を夢見ているというのか。


(この分だと、無事に呑める日を迎えられそうだが)


 しかし一点だけ、アルフェは見落としていることがある。

 夢を壊しそうだから、あえて教えていないから仕方のないことだが……


(陛下も妃殿下も、どちらもかなり酒に弱い)


 二人の血を継いでいるアルフェも、酒はとても弱いんじゃないだろうか、と。



2019/09/01 活動報告投稿文再録

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