飴とお父様と私
そういえば、ハロウィンというイベントは秋が深まり始めた頃だったっけ……と、気づいたのは昼を過ぎた頃。
特に仮装してるつもりはない姿だけど、不思議の国のアリスを思わせる水色のドレスで、繊細なレースの施されたエプロンに見えないこともない前掛け付きだった。頭には青いリボンがカチューシャ代わりにされている。
だから、ちょっとした出来心だったのだ。
もし知り合いに会ったら、お菓子をねだってみようかな、なんて。
それが、父である王になるとは思わなかっただけで。
図書室に足を踏み入れたら父の姿があって、思わず回れ右をしたくなった。
いや、別に後ろ暗いことがあるわけじゃない。単にお菓子をねだる気満々になっていたので、相手が相手だけに気後れしているだけだ。
だが別に、ねだらなければならないわけでもなかった。自分の中で決めていただけで公言していたわけじゃない。
父にはいつも通り、調べて欲しいことを頼まれただけだった。毎度の如く、基本的には必要事項メインの会話だ。後はいつものように忙しい父を見送れば良いだけとなった。
でもここでふと、心が揺らいだ。
ほんの少しだけ、子どもだった私が顔を覗かせた。
もしここで父に、私からお菓子をねだったらどうなるんだろう、って。いつも飴をくれるけど、それを自分から欲しいと告げたことはなかったから。
それは微かな、それでいて隠しきれない好奇心。
ちゃんと私はこの人に、子どもとして見てもらえていたんだろうか?という疑問。胸の奥で「振り向いてもらえない」と思っていた頃の自分が、知りたがる。
ねだったところで、怒られることはないだろう。
ぎゅっと無意識に掌を握る。意を決して口を開いた。
「お父様。飴をください」
さすがに、くれないならイタズラする、とまでは言えなかった。この一言だけでも、心が怯んでひやりと冷たくなったように思えた。
なんて言われるだろう。自分から欲しがるなんて、厚かましいと思われただろうか。単に報酬の先渡しだと思われるだけなのか。
やけに長い時間に感じられたが、実際には数秒に満たない時間だったと思う。
父は無造作に上着のポケットを弄った。あっけないほど、あっさりと。
「ほら。今はこれだけしかない」
ポケットから現れた拳が私の前に差し出される。
咄嗟に両手を出すと、その上に飴がバラバラと降ってきた。いくつ溜め込んでいたのか、冬籠前のリスが一瞬脳裏をよぎる。
掌に落ちてきた飴は6つほど。たぶん持っていた分をすべて差し出されるとは思わなかった。
「一つで十分なのですが」
驚いたのと恐縮だったのに加えて、素直に喜ぶには心の中の幼かった自分が恥ずかしがる。
じわりと胸の奥に熱いものが込み上げるのを押し隠して、そんな言葉しか言えなかった。
「あって困るものでもないだろう」
そんな私に気づいているのかいないのか、相変わらず感情の読めない顔だ。だが不意にモノクルの奥の空色の目が細められる。
「これだけ不要だな」
言いながら、掌から父はひとつだけ飴を回収していった。
それは多分、色だけ見ると以前に私が苦手だと言った飴に見えた。
それだけポケットに戻すと、父はあっさりと踵を返して立ち去ってしまった。驚き過ぎてお礼も忘れてしまうほど、あっという間の出来事だった。
一人取り残されて、しばらくしてから緊張していた体から力が抜けて椅子に座り込む。
(……なんていうか、案外、私は)
あっさり全部くれただけでなく、私が苦手な飴は回収していくなんて。
ほんの些細なことではある。
それが思っていたよりも、父は私のこともちゃんと見ていたんだと気づかされて。
なんだかほんのちょっとだけ、泣きたくなるくらい、嬉しかった……かもしれない。