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猫の日

※クライブ視点

 

 アルト様は猫が好きだ。

 城内にはネズミ捕り要員として猫が放たれていて、結構な頻度で見かけることがある。アルト様は、それらを見つけると必ず足を止める。

 思えばシークを庇った時も、怪我した猫を追いかけてきたことが発端だった。それぐらい、猫が好きな人だ。

 そしてアルト様自身も、猫っぽいところがあると思う。

 人目を避ける時の音を立てない歩き方とか。思えば、人波を器用に擦り抜けていく姿もそうだ。アーモンド形の深い青い瞳で、じっと僕を窺う様も。

 以前の自分は猫が苦手だったはずなのに、彼女の姿に重なるせいでそれほど苦手でもないと思えるようになった程には。


「あ、猫がいます」


 今日も医務室からの帰り道、後宮に送っていく途中の中庭でアルト様が足を止めた。

 猫は茶と黒が混じる長毛のせいか、よく見かける猫より二回りは大きかった。ベンチの上に悠然と寝そべっている猫はこちらに視線を向けただけで、立ち去る様子は見せない。

 アルト様がチラリと僕を窺った。「遊んでいっていいですか」と目で問うてくる。

 その甘えに逆らえるわけもない。どうぞ、と笑って手で促した。目を細めて嬉しそうに微かに頬を緩める。

 しかしすぐに猫に近寄っていくわけではない。

 こちらを見ている猫を見つめ返し、アルト様は目をゆっくりと瞬かせた。まるで何かを合図するかのよう。

 猫が半眼になるのを確認してから、足音を立てずに猫のように数歩進む。立てた人差し指をそっと差し出せば、猫は首を伸ばして鼻先を擦りつけた。指先で首筋を擽られた猫は再び寝そべる体勢だ。目を細め、随分とリラックスして見える。

 城内で猫は比較的大事にされているとはいえ、誰にでも懐くわけではない。手懐ける様はいつ見ても魔法のようだ。


「随分と慣れていますね」

「この子は仔猫の時から知っていますから。挨拶をすれば、応えてくれます」

「挨拶?」

「猫同士は鼻と鼻を触れ合わせて挨拶するのですが、私がそれをするのは難しいので指で代用しています。こうして」


 伸びてきた細い人差し指が、つん、と悪戯に僕の鼻先をつつく。


「!」


 触れた指先のくすぐったさに一瞬、心臓が飛び跳ねた。

 しかしアルト様にとっては何の気ない接触だったようだ。すぐに猫に向き直り、長毛に指を埋めて毛並みを堪能している。


(なんて心臓に悪い……っ)


 皇子として育ったせいか、時折こういう無防備さを見せてくる。誰彼構わずするわけではないことはわかっているが、だから余計に狼狽えてしまう。僕の理性が試されていると感じる。

 引き寄せそうになる手を押し留めるのに苦労しているとも知らず、アルト様は猫を撫でてご満悦だ。

 いっそ、この腕を伸ばして。その細い背を抱き締めてみたら。


(……毛を逆立てた猫みたいになりそうだ)


 ぎゃ!とか。うわぁ!?とか。色気のない悲鳴をあげられそうな気がする。

 否、間違いなく言われる。

 そう思い至り、気づかれないように籠る熱を細い息に替えて吐き出した。

 その間もアルト様は「モッフモフ……」と呑気に呟いていた。たまに猫を撫でて呟くそれは、猫を宥める呪文なのだろうか。

 近頃では、シークにもアルト様の口癖がうつってきた。猫の腹を撫でて「モフモフだな」と呟いてることがある。唱えなければならない呪文なのだろうか……。

 そこでふと、シークが飼う形となっている猫で思い出したことがあった。


「そういえば、ここ一週間ほどロシアンが帰ってこないようです」

「え!? 病気でもしていましたか?」


 猫は弱ったり、死期が近くなると姿を消す。正式に管理されて飼われているわけではないので、そういう面は野生のままだ。

 だから何かあったのかと心配を滲ませたアルト様に慌てて言い聞かせる。


「いえ、他の場所で元気に駆け回っています。ただ全然帰ってこなくなったというだけで」


 捕まえろと言われていなかったので見送ったが、僕も3日程前に見かけている。すこぶる元気だった。


「兄様のところは住みやすい環境だと思うのですが、お相手でもみつけたのでしょうか」


 アルト様は首を傾げた後、「もうそろそろ恋の季節ですね」と思い出したように口にして目を細めている。

 しかしすぐに「でも、少し心配です」と続けられた。


「一度帰ってくるように頼んでおきましょう」

「見かけたら掴まえろと言うことですか?」


 首を傾げた僕を見上げ、アルト様はきょとんと目を丸くした。すぐに「いいえ」と首を横に振る。


「言付けを頼んでおくのです。ちょうど今、目の前に頼れる相手がいます」

「……はい?」


 素っ頓狂なことを言い出したアルト様をまじまじと見つめる。

 頼れる相手と言っても、この場にはアルト様以外は僕と猫しかいない。だが、僕に捕まえろと命じられるわけではない。

 ということは、まさか猫に言付けを頼むと?


(どうやって!?)


 常人が理解しえない知識を持つアルト様のことだ。

 まさか、猫語が理解出来たりするのか!?


(ということはアルト様が、猫の鳴き真似を?)


 ゴクリ、と息を呑んだ。思わず食い入るように見守ってしまう。

 そんな僕の前で、それまで大人しく撫でられてた猫にアルト様が向き直った。ゆっくりと薄い唇が開かれる。


「もし兄様のところの猫を見かけたら、帰ってくるように伝えてくれませんか」


(人語……!)


 予想に反し、アルト様は普通に人の言葉で話しかけていた。


「グレーの猫で、綺麗な緑の目をした女の子です。きっと兄様も心配なさっているので」


 探し猫の詳細も伝えているが、どう聞いても人語だ。僕にもわかる人語である。人の言葉で話しかけて、猫は理解しているのか!?

 対する猫は、それまで閉じていた目をゆっくりと開いただけだ。じっとアルト様を見て、再び半眼になる。理解しているかどうかはわからない。

 というか、してないだろう。相手は猫だ。


「頼みますね」


 しかしアルト様は猫を撫でて囁き声で言い聞かせていた。猫は一度ゆらりと尻尾を振っただけ。そこから動く気配は、ない。

 それでもアルト様はそれで満足したのか猫から離れた。「そろそろ行きましょう」と僕を促して歩き出す。


「今ので猫に伝わったと、本気で思っていますか?」


 苦い顔で問いかければ、アルト様はちょっと笑って答えた。


「猫の捜索は、猫の顔役に頼んでおくと帰ってくることがよくあるらしいのです。いま頼んだ猫は長生きな方なので、顔は利くと思いますから」


 期待しましょう、と締めくくる声は楽しげだ。駄目で元々、というつもりなのかもしれない。


「てっきりアルト様は猫の言葉を話されるのかと思っていました」

「話せるわけないでしょう。クライブは私をなんだと思っているのですか」

「猫との挨拶方法も知っていらしたので、もしかして、とは思いました」

「無茶を言わないでください。私が知っているのは挨拶だけです」


 アルト様は呆れた表情を隠しもしない。

 しかし僕としては、にゃーとか。にゃんとか。鳴いたりするのでは、とちょっと期待してしまったというのに。

 少し、アルト様を見下ろす自分の目が恨めし気になったように感じた。それを見返すアルト様が何か言いたげに目を細める。だが、結局口は開かれずに細く息を吐き出した。

 そうしている内に、いつもアルト様を送り届ける後宮の出入口まで来ていた。建物の中からは後宮の護衛騎士に引き継がれる。僕の役目は、ここまで。短い逢瀬はいつもここで終わる。

 そこでいつものように別れの挨拶を告げようと手を取ろうとして、しかしその手はするりと僕の手を避けた。

 代わりに、伸ばされた両手が僕の腕を掴む。


「!?」

 

 強く引っ張られる勢いのまま体が前に傾いだ。

 ぎょっとする僕の目前、背伸びをしたアルト様の顔が迫る。瞠った目の中、映るのはアーモンド形の深い青い瞳。

 一体、何を。動揺している間に一瞬だけ触れ合ったのは、互いの鼻先。


「にゃぁ」


 そうして驚愕に息を呑んだ僕の鼓膜を擽ったのは、擦れた声。


(な、今……っ)


 アルト様の唇から。にゃぁ、って……!

 固まっている僕からすぐに手は離されて、アルト様が猫のように身軽に身を翻した。どうやら当人もやってみて恥ずかしくなったのか耳まで赤く染めている。捕まえる間もなく後宮の扉の向こうにあっという間に滑り込んでいった。

 それこそ、猫みたいに。

 半ば呆然と見送ってしまった己の喉の奥から、あまりの可愛さに堪らず笑いが零れた。



   *


 尚、翌日の朝には何食わぬ顔をしてロシアンはシークの元に帰ってきていた。

 チラリと僕に向けられた目は、「言われたから帰ってきてあげたわ」と言わんばかりに見えた。

 まさか本当にアレで猫には伝わったというのだろうか……

 そんな、馬鹿な。



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