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ささやかな日常風景

結婚後のある日

※前半:クライブ視点/後半:アルフェンルート視点


 皇女であるアルフェンルートとの結婚後は、近衛騎士専用宿舎を退去した。今は王都にあるランス伯爵家のタウンハウスを新居としている。

 とはいえ、城内勤務の近衛騎士の大半は既婚者も宿舎の食堂を利用することが多い。休憩時間が変則なので、いつでも何かしら食べられるようになっている宿舎の食堂が都合が良いのだ。

 今日は昼をやや過ぎた辺りで休憩が回ってきたため、いつものように城内の近衛宿舎の食堂に入った。

 貴族の子弟だろうと、ここでは各自トレーを手に取ってカウンターに並ぶ。食後も自分でトレーを下げる。珍しく昼時に来られたせいか常より混雑している中で並んでいたら、食べ終わったニコラスとすれ違いかける。彼は今日は非番だったから、早々に昼食を終わらせたようだ。

 特に用もないので軽く挨拶だけして終わるかと思いきや、ニコラスは足を止めて不思議そうに首を傾げた。


「クライブ、なんでこんなところに来てるんだ?」

「見ての通り、昼食を取りに来ています」


 何を疑問に思うことがあるのか。意味がわからなくて素直に答えたものの、ニコラスの不審な表情は変わらない。


「さっきアルフェ様が図書館にいらしてたから、一緒に昼を食べるのかと思ってたよ」


 そういうことか、と得心がいく。

 今日は城内に併設されている図書館に来ると聞いていた。今頃、普段は読まない類の本に囲まれて喜んでいることだろう。

 その姿を想像すると、自分の目で直に見たい気持ちが湧いてくる。ニコラスはその姿を見たのかと思うと少々恨めしい。おかげで不満がじわりと口に滲み出す。


「さすがにそこまでの時間は取れませんよ。会える時間があるのなら僕だって会いに行っています」


 いくら皇太子の妹と結婚したと言っても、それはそれ。

 元皇女である彼女の夜間の護衛を兼ねているのもあるが、通常の夜勤が免除されているだけかなり優遇されているのだ。それ以外は今までと変わらない。

 しかし、それでもニコラスの微妙な表情は変わらない。どころか余計に口元が歪んでいく。


「惚気をねじ込んで来るのやめてくれる? 胸焼けしそう。それはともかく、いくら外に出すのが心配だからってあそこまでさせることはないだろ」

「はい?」


 身に覚えのないことを言われて、今度はこちらが首を傾げる番だった。

 護衛の数だろうか。城への往復ならば近衛騎士に在籍しているがランス伯爵邸に住んでいるラッセルと、それ以外に家の騎士が最低二名は常に付き従っている。それでも彼女の立場を考えれば少ないくらいだ。

 それに今朝のアルトの様子を思い返してみても、特にいつもと変わった様子はなかった。否、図書館に行くからか、いつもより機嫌が良かった程度。

 思い当たる節がなくて困惑する僕を見て、ニコラスは珍しく糸目を開いて思いもしなかった言葉を口にした。



   *



 城の敷地内にある図書館は、昼間は思ったよりも人がいる。

 婚姻前は城門開門前の人がいない時間に来ていたので、次から次へと人が行き交う窓口を見るのは不思議な気分。

 しかし置いてあるのは専門書が主なので、来るのは難しい顔をした大人ばかり。華やかさはない。大声で話す人はいないものの、問い合わせなどで話す声は聞こえてくる。図書室の静謐さとは比べ物にならないけれど、この独特の空気も嫌じゃない。

 くるりと室内を巡り、何冊か気になった本を手に取った。ついでになるべく人のいない場所を探す。万が一、私だと気づかれたら相手によっては面倒なことになる。

 降嫁後も父の手伝いで城の図書室通いは週ニで続いており、今の私の正式な立場は王直属特別監査顧問だったりするからだ。


(なんだか大仰な立場に置かれてしまった……)


 自分の厄介な立場は理解している。使えるならば使ってくれる分にはかまわない。仕事自体は好きだし。

 ランス伯爵家も昔から王の剣として仕える立ち位置だから、私が何を調べようとも誰も文句も言えないようだ。

 文句を言う人は後ろ暗いところがあると思われるだけだから言えない、というのも少なからずある。

 そんな立場なので、普通は当たり障りなくしか私に関わらない。けど私に近づいて、お目溢しを狙う人間もいる。そういうのに見つかると面倒。

 奥の方まで来れば人気はほぼなくなってきた。護衛のラッセルは付いてきているが、それはいつものことなので気になりはしない。

 細い窓から微かに光が差し込む位置にある長机に目を付けると、やっと腰を下ろせた。

 いそいそと持ってきた本を開く。『楽しい園芸(農作物編)初級』なんて親切すぎてワクワクしてしまう。こういう初心者向けの本もあるから楽しい。

 あわよくば庭にトウモロコシを植えて、もぎたてを茹でたり焼いたり、将来的にはポップコーンを……

 なんて考えながら夢中でページを巡っている時だった。

 ダンッ! と机を突く音が響いた。

 同時に自分を囲う形で机に置かれた、大きくて節張った両手。


「!?」


 いきなりのことに、驚き過ぎて声も出なかった。

 ぎょっとして慌てて顔を上げたところで、見慣れた顔がなんだか怖い顔をして私を覗き込んでいる!


「ぎゃ……」


 一応、悲鳴は喉の奥で止まった。

 いま、影が差したと思う間も無かった。護衛のラッセルの制止もないどころか、危険を知らせる声すらなかった。いくら夢中になっていたとはいえ、気配も感じなかったけど!?

 一瞬、控えていたラッセルに批難の目を走らせたけど『見つかってしまいましたね』と言わんばかりの苦笑い。

 確かに危険人物ではないけど、クライブが来たと気づいた時点で教えて欲しかった!


「僕の奥さんはこんなところで、そんな姿で、何をされているんでしょう?」


 思わず喉から漏れかけた悲鳴は無視されて、緑の瞳にじっと見据えられる。ちょっと怖い。声も少し低い。

 これは説教モードに入ってそう。


「どうして男装なんてされてるんですか?」


 まさか、この格好をしている状態でクライブに会ってしまうなんて……。

 会いに来るなんて想定してなかった。今朝、「今日は図書館に行きます」とは告げたけど、クライブは「図書館ですと休憩時間に会いに行けないので残念です」と言っていたのに!

 どう足掻いても、囲われて逃げられない位置にいる。詰んでる。こうなったら、仕方がない。


「これには色々事情があるのですが……」

「お聞きしましょう」


 クライブは完全に尋問の構えである。怖い。でもちゃんと私にも言い分はある。


「私だと知られて面倒な人に絡まれたら困ると思いました」

「それは護衛であるラッセルが追い払うでしょう」

「あと……頻繁に実家に帰っていては、世間体が悪いかと思いました」


 ただでさえ、仕事とはいえ週ニで登城してるからね!


「図書館に通われているのを実家に帰っているとは誰も思いません」


 クライブがここでやっと怖い顔を崩して呆れを滲ませた。


「結婚前に、クライブが図書館も私の家の一部のようなものだと言っていました」

「確かに言いましたが、図書館を実家扱いは誰もしませんよ」


 苦い表情で言った後、クライブが深く息を吐き出した。


「ニコラスに変装させないと外に出さない気かと言われて驚きました。僕はそんなに狭量に思わせてしまっていましたか?」


 脱力したのか、座ったままの私の肩にクライブの額が落ちてくる。私の存在を確かめるように擦り寄る仕草をするので、首と頬に焦茶の髪が触れて少しくすぐったい。

 なんだか変な誤解をさせてしまったみたいで、一気に申し訳なくなってきた。


「そんなことは思っていません。ただ、時々……」


 不安にさせてしまったなら、素直に白状しよう。


「今も時々、ですが。まだこの格好をして通用するか確かめて、安心したくなる……時が、あります」


 静かな室内で、更にクライブだけに聞こえるように囁いた声は我ながら情けない声音になった。

 驚いたのか弾かれたように顔を上げたクライブと目があって、どんな顔をしたらいいかわからない。笑ったつもりだけど、ちょっとうまくいかなかったかもしれない。

 別に男になりたいわけではない。

 昔の姿が恋しいのでもない。

 ただ時折無性に焦りが湧いてきて、まだ大丈夫かと確かめたくなる衝動に駆られるだけ。

 割り切ったつもりでも、今も心のどこかに引っ掛かるものがまだあるんだと思う。自分でも情けないけれど。


「我ながら馬鹿みたいだと思いますが……」

「いいえ」


 眉尻を下げて告げた言葉は、即座に否定された。本の上に置かれたままだった手の上に、肯定するみたいにクライブの手が重ねられる。

 じんわりと熱が伝わってくると心の中のわだかまりが溶かされていくみたい。

 甘やかされているな、と思う。閉じ込められた腕の中も、今は安心感が湧いてくる。

 私は今はちゃんとこの人の妻なのだと、わかるから。


「気づいてあげられなくて不甲斐ないです」

「いいえ、そんなに深刻に捉えてもらいたいことでもないのです。徐々に落ち着いてくると思いますし。あなたの隣でドレスを着てるのも、好きですよ」


 それは偽りなく本心。


「可愛いと言われるのも、恥ずかしいですが嫌ではないです」


 重ねられた掌をひっくり返して、ぎゅっと一度だけ握り返す。顔を上げて、今度はちゃんと笑えた。

 そんな私を見て、クライブも安堵を滲ませて笑う。

 そして片膝を着くとそっと手を取って、指先に口づけを落とされる。


「どんな格好をしていても、僕にとっては世界で一番可愛い奥さんですよ」


 そう言って甘やかしてくれるから。

 きっとまた私の方が、あなたを好きになってしまうのだ。




※2021-09-23 privatterより再録

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