メリッサの婚活事情(前編)
※バレンタインイベント
年が明けてひと月も過ぎれば、一年で一番冷える時期となる。
王都では片手で足りるほどの日しか雪は降らないものの、雲は厚く太陽が顔を出さない日も多い。火鉢の傍らに座っていても寒さが体の芯に染み込んで、気鬱になりがちである。
社交シーズンなので華やかな時期でもあるとはいえ、今年は後宮から母が去って初めての冬。私は成人前で社交に出ることもないので、後宮内は妙な静けさに包まれていた。大規模な人事異動が行われたせいもあって、まだ至る所にぎこちなさが残っている。
この微妙な空気を父がどうにかしてくれることは期待できない。仕方なく、私に出来る範囲でどうにかしなければ、と思っていたわけだけど。
(狙った以上に盛り上がってしまった……)
ここ二週間程で、これまでの空気が嘘のように侍女を主とする女性陣が浮足だっている。表情も華やいでおり、普段より明らかに朗らかだ。
そしてここ3日程は、男性陣からは妙な緊張感も感じられるようになった。侍女に話しかけられて顔を緩ませかけ、慌ててキリッと取り繕う姿が見られたりもする。
それも後宮だけでなく、城全体がそういう雰囲気になっている。
兄に呼ばれて執務室へと向かう道すがら、そんな城内の異様な空気を肌で感じて若干ばつが悪い。
(悪いことをしたわけではないけれど)
しかしこの全体的に甘酸っぱいピンクな空気……居た堪れない。
どうやら今年は王妃不在という状況で暇を持て余していたからか、私の発案に侍女達の食いつきが良すぎた。
そしてこの現象の諸悪の根源が私であると突き止めたからこそ、兄は私を呼び出したのだろう……逃げてしまいたい。
そんな私の気持ちも知らず、私の姿を認めた衛兵が兄の執務室の扉を開いた。回れ右をしたくなる足を叱咤して部屋に入り、ドレスの裾を抓みあげて出来るだけ優雅に一礼をする。
「お呼びと伺って参りました、兄様」
「その顔を見る限り、どうやら身に覚えがあるようだ」
強張った顔をした私と目を合わせるなり、兄は淡い青灰色の瞳に呆れを滲ませた。
「それで、何をした?」
勧められるまま、簡易に設置された応接用ソファに向かい合って腰を下ろす。早々に切り出されて、何から話すべきかと僅かに首を傾げた。
部屋の中には兄と私。兄直属の信頼がおける文官が2名。護衛であるニコラスとクライブ、それと私の護衛のラッセル。
男性ばかりの中でこの手の話をするのは居た堪れない。けれど、実はニコラスも共犯である。私の発案に乗って、面白がって男性陣に噂を広めたのはニコラス。今も面白がっているのが顔に滲み出ている。
「何、と仰られるほどのことではないのです」
事の発端は、たいしたことじゃなかった。
それは、侍女のノーラ達の発言から始まった。
*
いつも私が医務室から自室へと戻る際、クライブが護衛がてら送ってくれる。
私が使用する後宮の出入口まで来ると、護衛は後宮の騎士に引き継がれる。近頃ではその際、侍女も出迎えに控えている。大抵はノーラだけど、若手の侍女も付いている時がある。
その日は、初めて出迎えに付いてきた侍女がいた。
そして毎度のことだけど、クライブは別れ際に腰を屈めて私の手を取ると爪先に口づけを落とす。
それを初めて目撃した付き添いの侍女が、「っんん」と呻くのが微かに耳に届いた。
……うん。
私も最初にやられた時は、「うわぁ!?」って言っちゃったけど。慣れていないとびっくりする。人前でも自然にするあたり、親しい間柄ではただの挨拶なんだろう。
指先に掛かる息とか、微かに押し付けられる唇の意外な柔らかさとか。軽く触れているようにしか見えない割に、引き抜けないほど強く引き留める手の力とか。平然と取り澄ますフリをする私を見て、見透かしたように笑う目、とか。
こちらはとても落ち着けない気持ちにさせられるのだけど!
そんな私の内情は幸いにも侍女達には漏れていないようで、部屋に戻った後で一緒に付いてきた侍女が目をキラキラと輝かせた。
「御二方を見ていると、とても羨ましいです」
「素敵ですよね! とても愛されてるのが伝わってきますもの。クライブ様が、本当に愛おしそうに殿下を見上げる時のお顔といったら!」
最初に一言発した侍女に食いつくように、ノーラが熱く語りだした。
ノーラはちょっと妄想が逞し……夢見がちなところがある。彼女の目には余計なフィルターが掛かって見えているらしい。部屋にはまだラッセルもメリッサも戻ってきていないので、窘める者がいないせいで暴走気味だ。
しかし、同意を求めてキラキラした目を向けられても返答に困る。もうやめて。私のライフはゼロよ。引き攣りそうな顔を曖昧に笑ませるだけで精一杯。
それを恥ずかしがっていると解釈してくれたのか、微笑ましげに目を細められた。
「私もお二人のように素敵な恋がしてみたいです」
「なかなかお相手に巡り合えないですものね……」
「後宮にいると、出会える男性も意外に少なくて。お声を掛けていただく機会にも恵まれず」
手際よくお茶を淹れながら、二人は急に欝々とした空気を纏い出す。
ちなみに二人とも可愛い。ノーラはラッセルと似て穏やかそうな顔立ちの、すらりとしたスタイルの美女。もう一人は頬に少しそばかすが散っているけれど、丸くて大きな目と相まってあどけなさが感じられて愛らしい。
どちらもモテそうだと思うけれど、彼女達の言う通り、後宮は出会いが少ない。
後宮という場所柄、女性が多く、男性の衛兵はほぼ既婚者。特に私の周りは私の扱いに困らないよう、子育て経験者の古株ばかり。年齢は三十代から四十代が主。
若手はこれから兄を支えていく人達なので、兄側に回されることが多いのだ。こちらにも若手はいるけれど、体力があるので後宮の外周を守ってもらっている。非常時以外は中に入れない。
あとは料理人と下男がいるとはいえ、後宮の侍女ともなれば貴族との出会いを求めている人が多いから、たぶん範囲外。
実際のところ、後宮の侍女の方が位は高いけど、本宮勤めの方が出会いはあるのだ。
だから本来は私の傍近くに仕えている者には、私の後ろ盾となっている家から相手を紹介してあげたりするのが筋。けれどエインズワース公爵家が無い今、伝手が無い。降嫁予定のランス伯爵家を頼るのは、過剰に依存していると周囲に思われかねないから悪手。
そして王家として動くと、勢力図に過干渉しているように受け取られて反感を買いそう。だから簡単には出来ない、という四面楚歌。
現状、『皇女に仕えている』という箔を付けてあげることしか出来ず、各自で頑張っていただくしかなかったりする。
おかげで私が何も言えずに沈黙している間に、侍女二人は嘆息を漏らす。
「かといって私達からお声をかけるなんて、はしたなくて出来ないし」
「……気になるお方は、いるのですけれど」
ぽつりと淋しそうに呟かれる声が、やけに耳に残った。
(そういえば、そういう風潮だよね)
この時代、この国では、女性側からガツガツいくのは好まれることではない。慎み深さが美徳とされる。秋波を送ったりはするだろうけど、女性から率先して「好き」だとか「結婚して」とは言わない。相手に言わせるように持っていくだけ。
あくまでも、正式に申し込むのは男性側からが主。
(でも男性だって、女の子から好きと言われて悪い気はしないと思うけど)
自分の財力と権力狙いだと嫌かもしれないけど、一般的には人として魅力的に感じられるのは男女問わず嬉しいのでは?
(とはいっても、何かきっかけがないと女性からは言いにくい話ではあるかな)
そういう常識がまかり通ってしまっているわけだから。この手の意識を覆すのはなかなか難しい。
それでなくとも、何か理由がないと告白するのに踏み切れない、というのもわかる。
(それっぽい理由……命の危機に瀕した時は、ノリで告白しても許される気はするけど)
それはちょっと状況のハードルが高すぎる。
もう少しイージーモードで。軽い気持ちで、勢いで言っても許されるような状況。
いっそ、そういう愛の告白祭り的なものがあれば……って、そんなノリのいい祭りがあるわけが。
(あった!)
そういえば、あった。そういう祭りが。
いや、祭りじゃないけど、一種のお祭りみたいなものでしょう。
チョコレートをバラまき、義理だの本命だのと囃し立てるイベントが。そのうち友チョコとかも出てきて、最終的には私は自分の分とディスプレイ越しの二次元の推しにしか買っていなかった……。
バレンタイン!
「ある国には、女性から男性に告白をしても許される日、というものが決められている祭りがありました」
口を突いて出た言葉に反応し、ノーラ達がこちらを食い入るように見る。
「それはいったいどのようなものなのですか!?」
「年に一度、ある贈り物を添えて女性から告白するのです。それがきっかけで愛が芽生える方も多くいらっしゃるそうですよ。素敵ですね」
実際には色々微妙に違うけど、説明が難しいから適当に買い抓む。すると、真剣そのものの顔で二人が更に距離を詰めてくる。
「ある贈り物とはいったい何なのですか? 決まっているのですか?」
「その国では簡単に手に入る食べ物でしたが……ここでは難しいですね」
言ってから気づいたけど、チョコレートは一応あるけど希少で高価。簡単には手に入らない。
がっかりと肩を落とす二人を見て、ちょっと考え込む。
(別にチョコに拘る必要はない、か)
要は、「渡したい物がある」と声を掛けるきっかけにさえなれば。
言葉で告白できずとも、それが「好き」と伝える代わりになるのならば。
チョコを贈るのは日本独自で、元々はチョコレート会社の戦略だったと言われている。当時は娯楽も少なかっただろうし、だからこそ万人受けして、あっという間に広まって常識と化したともいえる。
(つまり誰にでも簡単に手に入る物の方が、イベントとしては馴染みやすい)
贈り物はなんでもいいと言えば、きっと迷ってしまって参加しづらい。
ただでさえ女性から告白するのは敷居が高い。誰にでもわかりやすく参加できるような気軽さがほしい。そして、このイベントによって市場を荒らさない程度に安定感のある物が好ましい。
ふと、以前セインが調べてくれたアップルパイが美味しいパン屋リストを思い出した。
この国はよほど林檎好きな国民性なのか、半分以上のパン屋でアップルパイが作られていた。あれならば多少イベントに使われたところで、高騰しすぎることもなさそう。手作りする人もいるだろうから、パン屋がアップルパイ作りで過労に陥ることもないはず!
「この国で代替品にするならば、林檎でしょうか。アップルパイのような、贈る物は身近な食べ物でした」
「そんなものでよろしいのですか?」
「大事なのは、気持ちですから」
目を丸くする二人を見て、頷いて微笑む。
「そういえば時期としては、だいたい今頃です。二の月のちょうど真ん中の日だったかと。せっかくですから、私もその日はクライブに林檎を贈ってみましょう」
「!」
「あなたがたも気になる方に贈ってみられてはいかがですか? こんな日が年に一度ぐらいはあってもいいでしょう」
私自らが率先してやるから、周りも真似をしていいと許可を出す。
「皇女もしていることなのだから」を免罪符にすればいい。
こう言っておけば、侍女達はそういう行事があると周りに話すはず。指定の日付まで、あと二週間と数日。準備する期間としては悪くない。高級品ではないから、誰でも手軽に用意できるしね。
今年は社交自重の空気で暇を持て余しているだろうし、後宮内の微妙な空気も多少は払拭できそう。侍女達の気分転換にもなるでしょう。
とはいえ、いざ当日を迎えた彼女達は告白までは出来ない人が多いとも思う。
彼女達はただアップルパイを贈るだけで満足する可能性も高い。でもそれがきっかけで、男性の方から気に掛けてくれるようになれば御の字。
「告白の返事は、翌月の同じ日に男性が贈り物を返すのです」
ついでにホワイトデーも予告しておこう。イベントはたくさんある方が楽しいから。
「男性も林檎を用意するのですか?」
問われて、ちょっと考える。
確か告白にOKなら飴、ごめんなさいはマシュマロだった気がする。でも菓子は林檎に比べて高価だ。同じくらいの金額の方が男性にも負担がない。
「告白を了承されたら、花を一輪贈られたら素敵ですよね。お断りなら、二輪だと気持ちも慰められるでしょうか」
これなら花屋の流通を圧迫することもない。友人である花屋のロイの売り上げにも繋がる。
たぶん大量にお断りすることになる人は、それなりに財力もある人になるだろう。申し訳ないけど、頑張ってほしい。
*
「――という事情がありまして。後宮内の雰囲気改善を期待しての事が、このような状況を招いてしまったのだと思われます」
脳内に思い返していた出来事を振り返り、あたりさわりのない事情をかいつまんで話してみた。
兄はなんともいえない顔をして軽くこめかみを押さえていた。
無表情だけど、どこから突っ込んでいいのかわからないと言いたげ。兄だけでなく、ニコラス以外の部屋にいる人たちも複雑そうな表情をしている。
この部屋にいる人たちは日頃から女性にモテて困る程の人が多いから、このイベントは迷惑でしかないと思っていそう。
ちなみにニコラスは違う。
彼は早々に城内の侍女達の浮つき具合に気づき、「何かありました?」と事前に探りを入れてきていた。ニコラスなら乗り気になってくれるのではないかと事情を説明したところ、嬉々として率先して動いてくれた。
『アルフェンルート殿下から聞いた話だけど、どうやら二の月の真ん中の日に、女の子達が好きな男にアップルパイくれる計画を立てているらしい!』
と、言いふらしてくれたようだ。
更に、翌月に花を一輪だけ贈れば告白を了承したことになることも通達済みと聞いている。
兄付きの近衛騎士、更にコーンウェル公爵家の人間が皇女から直々に聞いたとなれば信憑性は高い。その結果、娯楽が少ないせいか誰も彼もが物珍しいイベントに興味を示してしまったのだ。
そして現在、城内の人達がやけに浮ついて見える、というわけである。
私もここまで皆が浮かれるとは思ってなかった……。
おかげで兄が「アルフェ」と低い声で私を呼ぶ。事前の相談なくやらかしたことを叱られる気配を察知して、慌てて口を開いた。
「ですが、これには経済効果も見込めると思われます……!」
「今の話のどこに経済効果が見込めるのだ。林檎と花が普段より売れる程度だろう」
叱る出鼻を挫かれた形になった兄が、深く嘆息を吐きながら呆れた目を向けてくる。ここで挫けてはいけない。
「兄様。アップルパイを贈る為には、アップルパイを作る材料、それを入れる箱や装飾用のリボンも必要です。つまりそれらを作る製造者と、王都に運ぶ運送業も活発になります」
説明すれば、兄は黙って聞いているけど微々たるものだと言いたげだ。だけど甘く見ないでほしい。
「それらに加えて、男性には想像しにくいかもしれませんが、好きな相手に告白するとなれば、女性はよく見られるために着飾ることでしょう。ドレス、アクセサリー、化粧に身だしなみを整える準備……そういった物にも費用を掛けます」
一人一人は微々たるものでも、人数が集まれば馬鹿に出来ない額となる。
ドレスとアクセサリーと口にした辺りで、兄も多少は察したらしい。ニコラスが「女の子は準備が大変ですからね」と訳知り顔で合いの手を入れてくれた。
兄の後ろに控えていた文官も最初は驚いた顔をしていたけれど、恋人か姉妹がいるのかもしれない。察するものがあったらしく苦笑いに変わった。
この手の準備には男性陣には見えないところで、女性陣はお金をかけているのだ。それら自分磨きを含めてのイベントと言える。
「元々ある物を流用するのではないのか」
「万人に向けた舞踏会や茶会の装いと、好きな相手の前で着飾ることは別物です、兄様」
「そういうものか?」
「そういうものです。私でも、そうしますから」
真顔で大きく頷けば、気圧されたように兄が「……そうか」と呟く。
女心はよくわからない、と滲み出している。しかし女である妹がそこまで言うのだからそういうものなのだろう、とようやく納得することにしたらしい。
「更に今回の場合は、男性側もよく見られたいという思いから身嗜みに気を遣われるかと」
もしかして告白されるかも、かっこよく見られなければ、という意識が多少は働くでしょう。床屋や浴場や洗濯業が儲かるのではないでしょうか。市場にお金が回るのは良いことです。
男性達の気持ちも兄にはわからないかもしれないけれど、ニコラスと文官は頷いていた。
それを横目に見た兄が、諦めたのか深く息を吐き出す。
よし! これで叱責を無事回避!
「一応は理解した。だが次からこのような場合には事前に説明をしておいてほしい」
しかし兄は私を見据えて、釘を刺すことは忘れなかった。
さすがにもうこんなお祭りを提案するつもりはないけれど、ここは素直に「善処します」と背筋を正しておいた。
(よかった。イベントの中止を言い渡されなくて!)
みんな思ったより楽しみにしてるみたいだから。今更やめることになったら、がっかりさせるところだった。
ほっと安堵の息が漏れ、口元が緩んでしまう。
「嬉しそうだな」
「はい。実は楽しみです」
城に勤める人がみんな貴族なわけではない。特に侍女のノーラのように男爵令嬢ともなると、本人は平民だから嫁ぎ先が難しかったりする。他にも舞踏会や茶会に出られない子は少なからずいる。
私が準備できるのはたった一日の機会とはいえ、少しでも夢に手を届かせてあげたい。
そんな私を見て、兄は仕方ないなと言いたげに目を細める。
その目がチラリとクライブに投げられて、手でさりげなく口元を押さえているクライブを見て溜息を吐き出した。
2021/8/18-8/22 Privatterより再録