第五章 「明日、もしも、来未(きみ)が壊れても」 14
「ロボット業界の技術力は日進月歩。あなたの知識はすでに埃に塗れた骨董品になりつつあるのです。だが、まだ間に合う。俺と……」
ザコタの肉体が控え目になり、雰囲気も若干和らいでいく。
「私と、同じようになれば……。あなたも進化した存在になれるのです。もう一度、あの研究所で共に……。あそこは私にとっては理想的な職場です。失くしたものを取り戻せる楽園と言ってもいいほどの場所です」
「けれど、私にとっては、そうではありませんでした。それに、あなたがそうなってしまった以上、私たちは互いを理解することはないでしょう。自分は、この目で、この体で、自分が出した答えを受け止めるつもりです。私の背中を押し、私を理解しようとしてくれる人たちと共に……」
富田はみんなへと視線を送る。
「黙れ! あなたを、いっちばん理解しているのは私なんだ! 私以外にはいない!」
ザコタが激しく激高したかと思ったら、すぐに落ち着きを取り戻した。そして、「あなたと、私は似ているんです」と呟く。
「同じ悲しみを知る者同士。富田教授もヤモメ暮らしなので分かり合えると思っていました」
その瞳は悲しみを秘めていて、ひどく人間味を帯びていた。
「私はあなたが好きだった。技術者としても尊敬していた。大切な家族を亡くし、孤立無援になって悲しいはずなのに、それを感じさせることもなく、いつも黙って作業をしていた。その背中に憧れを抱いていました」
そうか、座古田は富田のことを……。それが執着していた理由か。
「座古田主任も奥さんを亡くされていたんですね……」
「ええ。肉体的には死んだ訳ではありませんが、心が壊れてしまったのです。もう二度と、私を私と認識することはありません。ですから、私にとって、すでに亡くなっているのと同じです」
フッと自嘲気味に笑うとザコタは一人語り始めた。
「名門座古田家の長男に生まれてしまった私は、学問、仕事で成功を収め、妻をめとり、その血を後世へと繋ぐための優秀な跡取りを作る責務がありました。
某大手電機メーカーの重役だった両親に、子供の頃から何不自由なく育てられました。最先端の機械を与えられ、それらに触れる機会が多かった私が、機械工学の道に興味を持つのは当然のことだったのでしょう。常に成績優秀。大学もトップの成績で卒業。大学院に進学し、自分の仕事については盤石の道を確保しました。
そして、もう一つの責務でもある生涯を共にするべき女性について考えました。私はその人がすぐ近くにいるのだと気付きました。高校時代から共に切磋琢磨し、同じゼミに所属している幼馴染を意識するようになりました。やがて私たちは永遠を約束し、二人の愛の証を残すべき時が来たのです。だが、それは私たち夫婦には困難な道のりでした。そのためには何でもしました。通院もサプリも、怪しげなまじないにもすがりつきました。
それでも、固き門が開くことはありませんでした。いつまで経っても結果は出ませんでした。両親、親類からは随分と責められました。それでも、座古田家の生まれである私はまだマシな方だったと思います」
そこまで話すと、ザコタは悔しそうに奥歯を噛みしめた。『私は』ということは、つまり、奥さんの方への責めは……。
「座古田家の血は代々受け継がれてきた一級品なんだ。問題はお前にあるのだと……。妻は、そんな罵声を黙って受け止めるしかありませんでした。日々憔悴していく彼女を見るのが辛く、私は次第に家には帰ることが少なくなっていました。
そんな地獄のような日々がどれくらい続いたでしょうか。ある日、次男夫婦に長男が生まれたという知らせを耳にしました。私は心の底から安堵しました。これであの呪縛からようやく解放されると。
家を捨ててでも、これからは二人で自由に暮らそう。そう決心し、久しぶりのわが家のドアを開きました。
だけど、遅かったっ……。度重なる嫌がらせ、私という唯一の味方にまで見離されたと思い込んでしまったのか、妻はすでに壊れてしまった後でした。
真っ暗な部屋に一人、妻は薄汚れた男の子の人形を大切そうに抱きかかえていました。
近づく私を、まるで知らない人でも目にするように見つめました。人形を取り上げようとすると、妻はひどく泣き喚きました。
虚ろな目で、ブツブツと独り言を言いながら、かつて私に向けていた優しい笑顔をその人形に向けました。そして、妻がその人形の名を呼んだ瞬間、そのガラクタが、ついぞ授かることの出来なかった息子の代わりなのだと知りました」
ザコタは唇を震わせてうつむいた。
ザコタが言ったように、その話は富田の人生とどこか似ているような気がした。二人とも、あるきっかけで家族から少しだけ距離を取るが、その大切さを再認識し、再びその手を取ろうとした時に、不幸に見舞われてしまった。
「私は理解しました。妻が別の世界に行ってしまったのだと、共に同じ刻をきざんでいけると思っていた人と、これから先、同じ時間を過ごすことが出来ないんだと……。私が今まで積み上げてきたもの全てが、音を立てて崩れ落ちる音を耳にしました」
顔を上げたザコタの表情は、氷水にでも浸かったように凍り付いていた。