捌
足取りが重くなる。
近づけば近づくほど、左大臣直轄の、鼠色の羽織を来た文官が増える。彼らは私を一目見た後、すぐに目を反らし足早に去っていく。
左大臣などの実務を担っている人間からみると、私達陰陽官は自分たちの理とは全く異なる世界で生きている人間と蔑む様な視線を送るものもいるため居心地があまり良くない。
いつもより、官の数が多い気がする。気のせいだろうか。
ふわりと、柔らかい若葉の様な香りが鼻腔をくすぐり、そちらの方へ顔を向けた。
「萌黄さんでしょうか?」
お仕着せの着物。五十代さしかかり、かみの毛は疲れを帯びたように、所々白く光る。
私が小さいころに何度か見かけたことがあった。もともとふっくらしていた頬は疲れのためか、やせ細り影が差す。
白花姫が言っていた白花姫直属の女官だった女性。この偶然の采配に、感謝した。
「はい。私に何かご用でしょうか?」
いきなり名前を呼ばれたためかこちらを見て目をぱちくりとさせる。私がいきなり呼び止めたため、通りがかりの文官たちは何事かと、私と彼女を見てそのまま通り過ぎる。
「ここでは、少し話にくので、歩きながら話しましょう」
朝廷の天元門まで送りますと、伝えた。
「ありがとうございます。今日はなんだか人が多くて、私みたいな部外者が一人でいていいものか、不安になっていたところです」
「いえ」
そう言ったものの、どうやって話を切り出そうかと思案していたところ、
「白花姫様のことでしょうか?」
と、上目遣いに私を見上げた。
「はい」
「よく、朝廷に居るとわかりましたね?」
「ええ、昔、白花姫から、御父上である左大臣の元に、届け物をされているので不在だと。その時彼女は機嫌が悪そうに言っていました。それを思い出しまして、もしかしたらと思ったのです」
まさか、幽鬼になった白花姫から聞いたとは言えない。
「なるほど」
「噂を伺って。今回のことで、なんと言葉をかけていいのか……」
白花のことは、表立っては病死となっており、大きく言われていない話だった。
そのことについて、萌黄の方から切り出してくれるということはこちらも話がしやすい。
「お気遣いいたみいります。もしや、貴女は姫様がお小さいころ、一緒に遊んでおいででした、陰陽官であらせられる朱鷺様ですよね?」
「はい」
まさか、自分のことまで覚えているなんて驚愕だった。
「良かったです。もし違ったらと思いまして。朱鷺様もご存知でしょうが、姫様のことは、お父君である、左大臣の意向もありほぼ伏せられているような状況です。ですから、私のようなものが簡単に、話をしてはいけない案件ではあるのですが……しかしながら、貴女様なら、私が知っていることでよろしければお話いたします。白花姫様も朱鷺様も事を大変好いていらっしゃいました。二人でお花を摘んで遊んでいらっしゃったころが、本当に昨日の様に思えて。こんなことになるとは、姫様が不憫でなりません」
萌黄の顔に刻まれた皺が記憶よりも濃く、深くなった様に見えた。
「その時の白花姫の状況を、教えていただけませんか? 辛いことを思い出していただくようで申し訳ないのですが……」
「かまいません。姫様の兄君である、月城様が亡くなられたすぐあとでした。姫様は非常に心を痛めていらっしゃいまして、暗く沈んでいらっしゃいました。歳の離れた、ご兄弟でしたが、月城様はとても優しい方でしたから」
「兄君の、月城様は、白花……白花姫が亡くなる前に、亡くなられたのですか?」
「はい。ただ、勤務中の事だったようで、詳しい話は聞かされておりません。亡くなって、少したってから、御遺体が九条の家に戻っていらっしゃいました」
「少し、聞きにくいのですが、表向き、白花姫は病死されたと聞いておりますが……他方で自殺されたと聞ました。彼女の様子についてわかる範囲で構いません。本当の伺うことは出来ますか?」
この点について、ずっと疑問に思っていた。
「実は、白花姫様のお慕いされていた方から一緒に心中しようと、そう言われていたようなのです」
その話については、彼女自身の口から聞いていたので、さほど驚くことはなかったものの、彼女に会って聞いたとも言えるはずもなく、口をおさえ、びっくりした様子を見せ、話を促した。
「ええ。私どもはそのお方を『赤土の君』と言っていました。なんでも、赤土色の房が付いた珠数をお持ちだったため、そう呼ばれたと白花姫様は仰せられました。私は実際にお話ししたことはありません。遠目に拝見したことはあります。ただ、後ろ姿のため、御顔を拝見するには至りませんでしたが、黒い装束を着こまれておりまして、さながら出家した僧侶の様でした。あまりにも、身分が違う方のため、ずいぶん悩まれていたようですが、現世ではご一緒になれないとお思いになられ、来世で一緒になろうという話をされていたようです。赤土の君が、文箱の中に、薬袋を忍ばせ、中に薬が入っている。これで一緒に心中をしようとお渡しになられたようで。なおかつ、薬袋を預かってほしいと、仰られ、次に会う時には必ず持ってくるようにとお約束をされて。実際に姫様がお約束の場所へ行くと赤土の君は現れませんでした。悲観されそのまま薬を飲んでしまったのです」
「薬を飲んで亡くなったのですか?」
白花姫自身もそう言っていた。萌黄から聞きより明確になったその事実に私は驚いていた。
今私が生きているこの時代にはかなり珍しいことなのだ。《薬》というのは、基本的に傷を治す、痛みなどを軽減するものであって、死ぬためのものではない。
前世の私の知識から行くと、薬は毒にもなる。つまり人を殺すような毒薬というものが存在したのは知っているが。
赤土の君がなぜ、持っていたのか。
更に薬で人を殺めることが出来ると知っていたのか。
薬という単語が出ると、無意識に紫苑の顔がちらつく。
「赤土の君が来なかったと言うのはなぜ、お分かりになるのですか?」
「実は私こっそりと姫様の様子を伺っておりました。姫様はお出かけになられる時、誰にも知られないように隙をつき、もう屋敷には戻られないという置き文をされておりましたが、私はわかった上で姫様の行動を尊重し、気が付かれない様に、後を追いました。あそこで、無理に止めましても、なかなか真直ぐな方ですから、簡単には首を縦に振らないと思っていましたので。それに、こう申し上げるのもなんですが、左大臣でおります父君様とはあまり折り合いが良くありませんでした。ですから、それが姫様の進む道なのであれば、私はそれに従うべきなのかもしれないと思っていたのです。もちろんお一人で外に出られて意にそわない何かに巻き込まれては大変ですから、私も姫様の後に続き屋敷を出ました。なので、その時の様子を遠くから見ておりましたので、間違いございません」
少しずつ、声のトーンが下がっていく。
「その薬袋は今どこにあるかご存知ですか?」
「それは……そう言われてみたら、あの後、薬袋は気が付きませんでした。それよりも、姫様が薬を飲んで倒れられたので急いで駆け寄りましたが、その時にはもう……。私が着ておりました、羽織をかけて屋敷に戻って左大臣様に報告いたしました。大事にしては醜聞になると仰せられ、内密にと。それからもう一度、姫様の元に人を連れて戻り、丁重に屋敷まで。でも、その時にそう言われてみましたら、薬袋は見当たらなかった様な気も致します」
もしかしたら、有耶無耶になって、紛失してしまった可能性と、白花姫が一人になる時間があった。としたなら、萌黄がちょうど屋敷に戻っている間に、その赤土の君がその場にやっと訪れて彼女の様子を見たという可能性もあるということ。その時に薬袋を回収したということも考えられるだろうと思った。しかし、後者だった場合、彼女を見た赤土の君は、なんのためらいもなくその場を立ち去ることが出来たのだろうか。
「そうですか、しかし、その薬袋の中にどんな薬が入っていたかはご存知でしょうか? 事前に中をご覧になったりなどは?」
「ええ、一度、白花姫立っての願いとのことでしたので、一緒に薬袋の中見を確認致しました。色は確か白です。粉ではなく丸薬が、四っつほど入っていたように記憶しています」
「丸薬ですか?」
「ええ。初めて見る薬でございました」
白い丸薬の薬だなんてあっただろうか? そもそも、丸薬をつくるには、製丸機と呼ばれる、特殊な器具が必要なはずである。
もちろん、朝廷にある薬殿にはあるだろうが、都や地方となると持っている薬司は聞いたことが無い。それなりのお金のある貴族のおかかえ薬司であれば、もちろんあるかもしれないが。
「ありがとうございます。もし他に思い出したことがあれば教えてください」
「ええ、それと差し出がましいことですが、白花姫様は、噂通り幽鬼に?」
そこまで言って、萌黄は、はっと禁忌を発した自身を呪うように言葉を止めた。
「本当です。私は彼女に会いました。今は静かに眠っています」
「眠っている?」
「幽鬼を成仏させるのは並大抵のことではないのです。私も出来れば安らかに成仏して欲しいと思っています。根本的に、成仏させるには、彼女の心残り、憂いを払うことが一番なのです。彼女の一番の望みは最後にその『赤土の君』に会うことなのです。赤土の君と文のやり取りをしていたと聞いています。赤土の君の文はどちらに届けていたのか教えていただけませんか?」
「わかりました。お任せください。屋敷に文の送り先の仔細を示したものがありますので、写しをお送り致します。貴女様がそこまで心を砕いてくださるのなら、白花姫様も本望でしょう」
萌黄に礼を伝え、門のところまで送り別れた。
考えながら、歩いていると白装束の女性に肩がぶつかり、そのはずみで彼女が持っていた、荷物が崩れてしまった。
バラバラと、籠に入っていたずっしりと重い木の根、太い枝の様なものがばらばらと落ちた。
落としてしまった、ソレを一緒になって拾う。
「すみません。しかし、コレ重たいですね?」
「いえ、私もよそ見をしていてすみません。コレですか? そう、重たいんですよ。葛根と言うものですがご存知です? 葛の根の部分です」
「くずのね?」
《くず》と《かっこん》という脳内で繰り返す。
葛根湯? それなら。記憶が正しければ、引き始めの風邪にというアレか。
「漢方……、生薬、薬殿の方ですか?」
「そうです。お詳しいですね。ちょうど今時期に、花も咲いてきまして、花も根も生薬として利用できるので、採取してきたころなんです」
そう言って、下げていた腰の袋の中に納まっていた紫色の花を見せてくれた。
小さなルピナスのような色鮮やかな花だ。
「葛の花って初めて見たかもしれません。葛は裏見草のことですよね?」
私の中で《葛》と聞くと、《裏見草》という言葉が思い浮かぶ。裏見草は葛の別名、《うらみ》という言葉は悲しみを表現する語彙でもあり、うらみと葛葉という言葉は和歌などの掛詞になっていて、確か、妖狐と人間の物語もあったような。
花は悲しみなど素知らぬ顔で、しなやかに咲いているのだろうと思った。
「葛の葉の裏が白く見えることから、そう言われますね。あ、これで落ちてしまった葛根は最後ですね。もう、大丈夫です。あとは、出来ますから」
「もし、良かったら、薬殿まで一緒に運びましょうか?」
残り拾い上げた、葛根を抱きしめてそう言った。彼女は意外そうに目を見開いたあとすぐに頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございます。もしお時間があるのならお願いします。なにせ人手不足で、本当に大変。なんだって……あっ」
手を口元に当て、喋りすぎた感を醸し出して私の方を見た。
「大丈夫です。亡くなった彼女のことは存じております。お悔み申し上げます」
「そんな、かしこまらずに」
明らかに女性一人の手で持つには多すぎるのだ。
立ち上がり、歩きだすと、無言になる。前を歩く女性の後ろ姿を見ながら、「亡くなった彼女はどんな方だったんですか? その、答えにくいのでしたら、すみません」と、聞いた。
薬司から見る、紫苑はどんな人物だったのだろう。
「とんでもありません。私自身もとても親しかったという訳ではないので……うーん。率直に申し上げると、無口であまり何考えているかわからない感じですかね。美人だし仕事は出来るみたいだったけど、後ろ暗い噂もあったから。男がいたとかで、平民でこの薬司に入ったのも、その男がいたからとかなんとか」
「男ですか?」
意表を突かれた。男の影なんて私が知る限りは聞いたことがない。それに白花姫に続き、また男か。
でも、確かに彼女の言っている意味は正しい。平民は仕事を得られたとしても、掃除とか食事を作るようなどちらかというと肉体労働の部署へ回されることが多い。
薬司となると、本人の知識と器量が最大限に問われる。もともと教養がどこまであるかという問題もある。
「でも、仕事が出来たということは、もともとの知識など、それなりに有していた。ということになりますよね」
「それすらも、男に教えてもらったって。これはやっかみもありますね。表立って言う人はいなかったけど、そんな話もありました。それに最近は」
「最近は?」
「一人で遅くまで残って仕事をしている姿を良く見かけました。真面目だったと言えばそれまでなんでしょうけど、彼女、優秀だから、どちらかというと、さっさと仕事を終わらせて我先に帰る姿を見ることが多かった気がするんですけど、最近はそうじゃなかったみたいで。まあ、彼女だけじゃなくて、薬司は女性で割と貴族の子女も多いですから、家の事情、主に婚姻なので入れ替わりも多いですし、特に今は彼女だけじゃなくて、他の方の事情も重なって人が足りてない時期経ったので、彼女も仕事が増えていたのかもしれません。あ、すみません。ここまでで、大丈夫です。ありがとうございます」
気が付くと、薬殿の裏側に到着していた。
彼女は、裏口の板戸を開けて、自身が持っていた荷物を下ろすと、私が持っていた荷物を持ち上げペコリと頭を下げた。
それから気が付いたように、「ちょっと待っていてください」と言って、パタパタと中へ消えると、薬袋を持って帰ってきた。
「これ、よかったら。最近私が新しく作った薬茶です。疲れた時にでも召し上がってください。一緒に運んでいただいたお礼です」
「ありがとうございます、最後にもう一つ、聞いて良いですか? 毒薬をご存知ですか?」
「毒薬? ですか? 何で作られた薬なのでしょう」
「あ、いえちょっと、噂で聞いただけなので、大丈夫です。わざわざありがとうござまいす」
私が彼女の手から包を受け取りお辞儀をすると、満足そうな笑みを浮かべ、すたすたと行ってしまった。
紫苑の話は――最初は美人へのやっかみ、なのかなと思ったけれど、彼女の裏表の無さそうな笑顔を見ると、そうでもなさそうな気がした。
あの時見た、彼女の死に顔がふと脳裏に思い浮かぶ。
単純に男とのわかれ話で、とかそんな感じで亡くなった可能性もあるということだろうか。
彼女の美しい髪の毛がきらめく。
平民でも薬司の仕事を十分、むしろ有能な活躍ぶりを見せていたというのは薬司長のお墨付きだ。
ただ、私自身の直感として、もう少し彼女自身のことを掘り下げて調べてみてもいいのではないかと思う。
もちろん、浅葱卿の『手を引くように』という言葉の意図を図ることは出来ないけれど。
家に戻り、預かった掛け軸をもう一度、ひも解き広げてみる。
一番初めに目につくのは、赤みがかる満月。そして鬱蒼とたる木立。葉は落葉している。
「あ!」
思い出した。前世で私はこの絵を見た事がある。
確か……A市の美術館で、この掛け軸を見た。
この絵の由来について、私は記憶を思い出すべく、頭をフル回転させる。
【元華族であった、A市にお住まいのS氏に代々受け継がれた掛け軸で、なんでも、とある落胤の御子息のために書かれたものである】
と、あった様な。
落胤というのは、高貴な方が密かに生ませた正式には認知されていない方を指す。
前世の記憶でも、それが誰かまでは不明だった。
考えられない事もない。
今の帝ではなく、前の帝。つまり上皇は色々と浮名を流す問題行動が多い事で知られており、それが、我が身を滅ぼしたと、言われている。
私も実際に会ったことはないので、詳細はよく知らないけれど、帝の子息令嬢は割といらっしゃるため、誰が次の東宮、つまり次の帝かと継承権争いが起きていた。
陰陽官の元にも、誰を呪え、誰を失脚させろ、そんな話が舞い込んできていた。
御病気になり、大至急、後継者の議論がなされた。
まぁ、色々とすったもんだあったらしいけれで、なんとか今の帝に決まり落ち着いた。
話しを戻すが、紫苑から預かった掛け軸は、認知されていないものの、帝の血を引くどなたかを指している。つまり、今の帝の異母兄弟にあたる方がおり、その人について私へ何か伝えようとして、殺された。
そう考えた時、背中がゾワりと、寒くなる。
もしかして、私自身、今危うい立場に立たされているのでは。
浅葱卿からの忠告はこれを意図していた。
それに対して、丹色の宮様は、止めるどころか、原因究明する様にと仰せられた。
宮様はこのことをご存じないない?
でも、それは、違う様な気がした。
陰陽官は、私怨などの依頼を受ける事もあり、割と朝廷内の派閥や人間関係には鋭い。
そんな宮様がご存知ないということはあり得ないと思う。
でも、知った上で推し進められるのは、何故なのだろう。
白花姫と紫苑の死に関係があるのか――今のところ考えられるのは、白花姫が飲んだ丸薬。
その丸薬を紫苑が調合した、となると、さらに、紫苑が赤土の君とつながっていたということになる。
紫苑に男の影があるという噂は存在した。
その男と、赤土の君は同一人物なのだろか。
しかし、彼女を薬司へ引き入れるほどの朝廷に権力持つ貴族の男性とい。一介の僧侶がそこまでの権力を有するだろうか。もちろん、貴族が出家して仏門に足を踏み入れる話は良くある。
しかし、出家するとなると俗世を捨てるということだから、朝廷との足掛かりはよっぽど高位の貴族ではない限り、難しいと思われる。
逆に、紫苑の噂された男と、赤土の君が別人だとする。そうなった場合、一介の僧侶が朝廷の薬司に薬を依頼する。しかも、毒薬。そんなことは出来るかとなると、否。あり得ない。
まず、朝廷は仏教などの宗教とは全く別のものだ。
と、言えども朝廷に僧侶が来る事はある。
でもそれは、法事とか、何かの行事のため。
僧侶が薬司に調合を依頼することはできる。
だけど、大抵は薬司長を通しての話になる。僧侶が権力を持たない様に、帝や朝廷が状況を把握する必要があるためだ。
じゃあ、如何なのってなるけど……。
現時点で答えが出ない。