伍
五芒庵で宮様から命じられてから数日。
調査は進めているけれど、成果が一向に上がらない。
何よりもまだ幽鬼に遭遇出来ていない。
ため息をつきながら階段を上った。
都の中には陰陽官だけが知りうる場所がある。
この、二ノ谷不動院もその一つである。基本的に、一人で黙々と作業を好む陰陽官は、この不動院で、人目に触れず、仕事を行うことが多い。朝廷はあまりにも人が多すぎる。
と言うのは、建前で、政治の権力争いに極力巻き込まれないように、朝廷から離れた場所に仕事場所を持っているのだ。
階段の両脇には、ところどころに草花が植えられている。
今まで、気が付かなかった。
はあ、とまたため息がでる。
「大丈夫か?」
声の方を見ると、見覚えのある顔。
この間、薬司である、紫苑が殺された際の現場を取り仕切っていた、東隊の一人だ。
「お気遣いなく、あなたは、えっと」
「銀だ。この前、あの現場にいた、陰陽官だな?」
「そうですが……こちらへは、何か御用で?」
この場所は陰陽官以外は知らないはずだ。
「ここへは、上司の付き添いってところかな……」
そう言って、後ろを振り返ったので、私もその方へ視線を向けた。
訝しく思うも、後に続く人物を見て納得した。
「浅葱卿、用事は終わりましたか?」
四隊長である、浅葱卿であれば、この場所を知っていても不思議ではない。
難しい表情をして、こちらへ降りてくる。
かすかな衣擦れの音。
「ああ、担当官は留守だと言われ、特に収穫はなかった。君は」
私の方に視線が向けられたので、礼の形を取った。
「浅葱卿、彼女が、例の件を取り仕切っている、陰陽官です」
銀の言葉に、浅葱卿は歩を止め、鋭い視線を向けた。
「君だったのか。少し、話がしたかった。時間はあるか?」
「はい」
「立ち話は何だから……と、言いたい所だが、もう一度、奥の院まで階段を上る時間もない。ここでいいか?」
奥の院というのが、所謂、陰陽官がたむろしている、建物のことだ。
表向きは、都の外れに建つ、仏閣とされている。
奥の院まで、千段続く階段を上ると、入母屋造の建物があり、不動明王が祀られている。
不動明王の横を抜け、奥に進むと、陰陽官の事務室になっている。
何故そんな辺鄙な場所に、作られたかというと、ここをお作りになった初代長官様が、運動も必要だ言われ、必然的に運動できるように、階段長くなる場所を選ばれたからとかなんとか。
「かしこまりました。どのような?」
「そなた、何故、亡くなった薬司と会っていたこと言わないのだ」
私は、ぴくりと体を縮こませた。
この人の権力があれば、私が薬殿を訪れたことについて、調べ上げていても問題はないのだ。
もう、下手に、誤魔化すのは良くないと判断した。
「はい。申し訳ございません。私は朝儀の後、体調が思わしくなかったため、薬をいただきたく、薬殿を訪れました。その時、いらっしゃったのは、あの亡くなった女性の方だったと、あの時、死体を見て気がつきました」
しれっと、私が答えるものだから、浅葱卿はぎりっと歯の音を立てた。
「だから、何故をそれを言わないのだと聞いている。しかも、其方と顔見知りだったと聞いた」
私は、少し動揺した。
「そうですね、時々、体調が不安定になる事があるので、薬殿に行くと、あの方がいらっしゃる時がありました。本当に顔見知りという程度で、その際に少々世間話をするぐらいです。それ以外には、会ったことはありません」
「何度も言うが、あの時、朝儀の後、彼女に会ったのを言わなかったのは」
ちらりと、銀の顔を見て、話しを続けた。
「死亡数定時間が、朝儀の頃だと聞きました。朝議には、私も出席していました。しかし、その後、彼女に会っています。これが意味するのは、彼女を殺した人物は、亡くなったのが朝儀の時間帯だと、思わせようと細工をしたということ。朝儀という絶対的なアリバイを必要としていたということです。だから、それを早く明かしてしまうよりは、犯人を意図に沿って、事態が進行していると思わせたかったので、それ以上、言いませんでした。申し訳ございません」
この言葉に嘘偽りはない。丁子と浅葱卿は互いに目を見合わせ考え込むような素振りを見せた。
「まあ、君にも考えあってのことだったとしても、実際に現場を取り仕切っているのはこっちなんだ。それに、下手をしたなら君が疑われることになる」
「申し訳ございません」
「後、この事件について、君は、彼女の死体を見て、呪詛は幽鬼の痕跡はないと断言したが、別の筋から、【幽鬼】が関わっているのではないかと、言われている」
「はあ。しかしなぜでしょう? 確かに痕跡はありませんでした。これは断言できます」
「現在でも、彼女が殺されたのは朝儀が行われている真っ最中。と、思われており、重要な役回りの人物は皆朝儀に出ている。朝議に参加していないものは、大抵業務に従事していたため、不審な者は見当たらない。彼女自身の人間関係にもなんら問題見当たらない。そうすると、幽鬼ではないかと、なってくる。」
「なるほど」
人にアリバイがあるなら幽鬼にという事か。
「丹色は君に対して、並ならぬ信頼を寄せている。薬司に会っていたことも、君から直接話を聞いて、君自身に何か考えがあっての行動なのだろうとも察することはできる。今回は君の意見に乗っ取り、君が亡くなった薬司と、朝儀の後、会っている事実は今のところ伏せておこう。今更ながら公表したところで、君に非難の目が向けられるだけだ。何より、いち早く現場に駆けつけている陰陽官だ。何故、その時に発言しなかったと。ただ、そうなると、無理やりにでも、幽鬼を表舞台に無理矢理にでも引っ張り出さなきゃいけなくなる。それも面倒だ。しかし、その幽鬼が事件に関係ないということを証明しなければならない」
「その役目を私に担え、と言う事ですか?」
「そうだ」
「しかし……」
今度は私が考え込む番になった。噂されている白花姫、彼女はそれなりの貴族様だ。
彼女の身元が、はっきりして、連れ出すことになれば、まず彼女の醜聞が晒されてしまう。それに、彼女の家にも被害が及ぶ。
正直、彼女の両親については……まあ、良いとして、確か、彼女には兄がいて、『素敵なお兄様なの』と本人から聞いたような。
彼女が生前、大切に思っていた人物にまで、被害が及ぶのは避けたい事態であった。
思考を読まれたように、
「君は彼女の家族のことをどうこう考える必要はない。それが納得できないというのなら、君が朝儀の後に、彼女の会っていると証言することだ」
浅葱卿は意地悪く私を見て、そのまま、話しを続ける。
「もしくは、幽鬼ではない犯人を見つけることだな。これについては、こちらで何としても見つけ出そうとはしているが。ただ、幽鬼ではないかという、話しが出ているということから、もしかしたら今回の事件と、どこかでつながっているのかもしれない。だから、君が幽鬼を追う上で、何か気がついた事があれば、今度は私たちに、いち早く教えて欲しい」
「はい。そのように致します」
「それから、こちらで知りうる、幽鬼と思われる人物の報告書について、先ほど、届けておいた。君の机に置いてもらうように、伝えている。何かの参考にしてくれ。では、君の健闘を祈る」
話しは終わりだと言うように、浅葱卿は階段をゆっくりと降りていく。銀もそれに続く。
私は聞こえないように、ため息をつき、浅葱卿の後ろ姿に礼をした。
奥の院に到着し、私は浅葱卿から寄せられた、白花姫についての報告書を読んだ。
白花姫について詳しく書かれていた。
やはり、彼女に目星がついているのだとため息がでる。
気を取り直し、報告書を読み込む。
彼女が亡くなったのは先月。
この時期は、ちょうど、幽鬼の噂が出始めた時期とも合致している。
そして、彼女の身のまわりのことについて。
生前の白花姫は母と都の外れにある別邸で慎ましく暮らしていた。
想い人がいたが、母親から強く反対を受け、駆け落ちしようとなった時に、待ち合わせ場所に男は来なかった。
そこから精神と身体が病み病気で亡くなったとされている。
正直、この病死について、私は疑っている。
どちらにしろ白花姫は打ちひしがれ、男を怨み幽鬼になった。
ここまでは私も独自に調べ確認した。
しかし、全く情報が出てこないのが、相手の男の素性だ。
それが誰だかわかれば話が早いのだが。
かなり身分の高い、あまり公にしてはまずい人物なのだろうか。
――例えば、朝廷で噂される美丈夫、浅葱卿という可能性は?
私は頭を振ってそう考えた自分を呪った。
こうなると、九条の家の使用人。特に白花姫に近しい人物に接触するしかないが……
報告書の最後に、「花織峠で有力目撃情報あり」と書いてあった。