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夢の浮橋  作者: 沙波
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「昨日朝議でも話題に上がっていましたが、最近、幽鬼が出ると都で噂されておりますものね」

紫苑が運ばれていく間、沈黙を保っていた場に封を切ったのは、黒飛のその一言だった。

「幽鬼ですか」

それとなく宮様に言葉を返す。

あの屏風に見とれていたため、昨日の朝議の記憶がほとんどない。どきりとした。


幽鬼とは、亡くなった人の魂が現世に強い未練があり魂魄が成仏しきれず現世にいとどまっている状態だ。

本来であれば、三途の川を渡り彼岸へ行かなければならない。

ならないとうい言うより、その様な強制力が発生するらしい。

私は前世の記憶があるが、彼岸を渡った記憶は覚えていないため、実体験はないけれど。

幽鬼のまま現世にとどまるということは、その強制力を自身の力で打ち消している状態のため、過度エネルギーを発している。

そのエネルギーが暴走し、見境なく無関係の人間に危害を与えることがある。

現世にとどまる幽鬼を消すということは出来ない。あくまでも、憂いを晴らし、彼岸に送る必要がある。

送るためには、現世にとどまることになった原因、何等かの未練を果たしてあげるということが条件だ。

陰陽官はこの幽鬼を、彼岸へ送り届けるというのが主な任務にある。

何せ、普通の人には見えない。声も聞こえない。まあ、少し勘が鋭い人なんかは声が聞こえる場合もあるというのは聞いたことがあるけれど。陰陽官にしか出来ない仕事ともいえるが、この『送る』というのはかなり骨が折れる。

幽鬼の恨み、つらみに向き合うというのは、人の心の闇に触れるのも等しい。

そのため心を病み辞めていく陰陽官も多い。

私が、ここまで勤めていられるのは。多分、前世の記憶があったから。

前世の私を主軸にして、幽鬼の話を聞いていると、かなり第三者的に(前世から見ると異世界の住民に感じられるため)対応ができるので、そういった意味でも助かっている。


「そうだな。話だけ聞くと、かなり厄介そうだ。まだ、詳しい確認は出来ていないみたいだけれど、正体は貴族の子女だと言うじゃないか」

黒飛がさも、何でもないかのように言った、その言葉に眉間に皺を寄せる。

貴族にはそれなりのプライドがある。

自身の家から幽鬼が出たとなると、醜聞になる。

そうならない様に、穏便に手早くことを終わらせなければならないと言う話だ。

今までの経験から言ってもかなりやっかいだ。しかも、陰陽官の先輩方は、確か他の大きな仕事で手が離せない状況と言っていなかっただろうか……。

もしかしたら、この後、宮様から……私は覚悟を決めた。


浅葱卿は黒飛との話を切り上げると、いくつか指示を出して、私を見た。

「君、朱鷺と言ったか? わざわざ来てもらって助かった」

「とんでもありません。あの、なぜ浅葱卿は私の名前を、なぜ?」

「ああ、丹色から聞いている。あと、色々とね。むしろ、アイツも知っていて当然だと思うが……まあ、頓着しないやつだから」

そう言って銀に一瞬視線を向け、そのまま行ってしまった。

私はそれに続く様にお辞儀をし、五芒庵へ向かった。



朝廷の北東の端にあり、歴代の、陰陽長官の趣味で作られた、建物で『五芒庵』と呼ばれている。

要するに陰陽官の詰所だ。

中の造りは茶室に近いが、大人数が入ることが出来るよう、割合広く作られている。

細い小道を走り、躙り口を潜り抜ける。

「すみません、宮様いらっしゃいますか?」

宮様は既にいらっしゃり、近くから白い湯気が立ちのぼる。

ほっとするような温かさが部屋の中にあった。


宮様はこちらへ顔を向け、また手元に視線を戻した。

この仕草をされる時はそこに座るように促している時に見せる物だった。

以前も同じような事があり、その時はどうしたらいいのかわからず、その場に立ち尽くしていると、十分ほどして、「何故、座らないのか」と、言われた。

目が見えていないはずなのに、時々、私達と変わらなく見えているのではないかと感じる時がある。

「来ると思った。まず、文殿での一件、聞かせてもらおう」

私はかいつまんで経緯を説明した。

宮様は口を挟まずに、時折少し考え込む素振りを見せながら、聞いていた。

「……以上ですが」

そこまで話したところで一向に反応がない宮様に伺いを立てる。

憂いを帯びた表情を見せ、髪をかきあげる、その仕草に思わず見とれてしまう。

ただ、底無しに軽いだけの人ならいいのだ。逆に時折こんな表情を見せるのだから、どうしたらいいのかわからなくなる。

宮様は気がついたように、私に告げた。

「了解。それに……と、昨日の朝議の内容から気がついていると思うが、都に幽鬼が出ている。貴族の令嬢だという話もあるため、穏便にすませたい。そこでだ」

丹色の宮は頬杖をつき、美しい眉をゆがめた。

「はい」

「君が、その幽鬼にしかるべき、処置をして欲しい」

「私が、ですか? 私はまだ……」

一人で仕事を任された事がない。

「正直な所、人手不足でね。人員を割り振り出来ないんだ」

そう言って、肩を竦めた。

覚悟はしていた。うなずくより他無い。

両肩に目に見えない重しがずしりとのしかかる。


「それに、私の占いでは君が適任だと出ている。まぁ、当たるも八卦当たらぬも八卦」

宮様の式占いはかなり精度が高いことで知られている。式盤に表された森羅万象の記号配置から目に見えない事象を説く。一般的な易経の占いよりも難易度が高く、私も理論はわかるが、上手く扱う事が出来ない。

それが陰陽官長官たる由縁であるとも言えるのだろう。


「拝命いたしました」

私は礼の姿勢を取る。

「もし、手に負えない何かが出てきた場合は私か、淡藤に」

「わかりました」

その言葉を、待っていたかのように、淡藤が躙口から姿を見せ、「幽鬼の、正体について九条の家の姫君ではないかと噂が出回っています」と、そう告げた。

淡藤は宮様の右腕と言われる、陰陽官だ。彼は、その名前から女性に間違われることも多々あるが、れっきとした男性だ。彼の中性的な外見も手伝っているのだろう。宮様より恐らく若いが、私よりも先輩にあたる。どこぞの未亡人との噂が流れたこともあるが、宮様に忠実に仕える本人を目の前にすると、その噂に疑問を抱かざるを得ない。

陰陽官としての素質もあり、昔はいずれかの四隊に所属していた過去もあるらしいため、実力は折り紙付きだ。ただ、私はこの人が苦手だった。

「その噂の信憑性はあるのでしょうか?」

私は声が引きつっていなかっただろうかと不安になる。目に生気がない。感情が読めない、人形めいたつくりが怖かった。

「あくまでも噂です。そのあたりはご自身で」

「ありがとうございます」

そう言って頭を下げる。何か、苦いものをゆっくりと飲み込んだ。


人は得体の知れないものに対して、恐怖を抱く。

誰もいない部屋で大きな音がした。

物がひとりでに落下した。

それに対して原因がはっきりと究明出来た場合は、人は納得する。

そのまま原因が不明な場合、人は疑心暗鬼になり、その感情はどんどん良くない方向へ転落する可能性がある。

早めに決着をつけなければならない。

人々が悪い方向へ転がり落ちる前に。


大体の話しが終わり、退室しようとすると、

「少し待って」

と、丹色の宮様は私を呼び止めた。

「参考のために、君に見て欲しいことがある」

辺りの空気が少し澱み、目を開けると白装束に身を包んだ人ならざるものが飛び込んでくる。

条件反射のごとく、身構える。

「大丈夫。これは私の式だから」

「式ですか、あの伝説の青明様が従えていたという」

見た目は人と何ら変わらない。一般の人なら見間違うかもしれない。

ただ、私たちは視る瞳を持っているから人じゃないと言うことはわかる。

「お初にお目にかかります」

式は丁寧に頭を下げた。見た印象、生気がない。瞳に色が全く感じられない。表情が読めない。しかし、この感じは……、周囲を見回しても先ほどまで居た人物が見当たらない。そうなると……

「淡藤様?」

「左様でございます」

眉一つ動かさず淡々と答える。全ての色が抜け落ちたような銀髪に、色のない瞳。瞳から下は梵字が書かれた布で全身を覆っているため、どんな表情をしているのかはわからない。宮様は式と言ったが、私が知りうる限り、これは幽鬼だ。しかし、幽鬼と決定的に異なること。彼は一般の人の目に留まる存在だということ。

これが、本来の淡藤の姿ということになるのだろう。

「式はもともと、幽鬼だったもののことを指す」

宮様は付け加えるように話す。

「幽鬼だったもの?」

「そうだ。陰陽官と言えどものそこまでの知識を有しているものは中々いない。そもそも、式なんて伝説上の存在で、有するものはほぼいない。じゃあ、幽鬼とは一体どんな存在であるのか。元幽鬼だった、本人に聞くのが一番早いと思う」

「私にわかることならお答えします」

淡藤はそう言って私と視線を合わせる。私はじっと、式と言われた淡藤をにらむように見てしまった。

「見ているだけじゃあ、何もわからないよ」宮様があきれたように笑った。

「すみません。頭が混乱してしまって……何か質問と言われても……」

宮様少し笑って、式を方に視線を投げた。

「では、参考になるかどうかわかりませんが、なぜ、式になったのかということ。私が感じたことを、覚えている範囲でお話しましょう」

抑揚のない口調でそう言った。

「すみません。お願い致します」

申し訳ないと思った。私がどう感じようと、せっかく話をしてくれると言うのだ。

と思って、もう一度、淡藤を見る。表情が全くない。それがどうしようもなく慣れない。

「私は、自殺しました。生前は……一応、貴族でした……。なぜ自殺したのかと言えば……そのあたりの事情は話すと長くなるので割愛しますが、とにかく私は自殺を図ったのです。だけど、この現世に対しての怨みといいますか、死んでも死にきれないという気持ちが多くありまして。それが、私の魂魄を引き留めた大きな理由です。この辺りは、一般的な知識で出回っていると思います。引き留められた魂魄は幽鬼に形を変えてこの現世を徘徊しました。実は、その時の記憶はほとんどありません。理性が全て抜け落ちてしまったようで、多分、人を襲った事もあったと思います。こう言っては何ですが、人を殺したこともありました。その時の感覚はあるのですが、なぜとか、どうしてという経緯は全く覚えていません。恐らく、衝動的なものだったのではないかと考えています。私が式になり、淡藤として陰陽官に所属していても、普段姿を見せないようにしているのはそのためです。もしかしたら会った誰かの家族を殺しているかもしれないのです。向こうは覚えていても、私自身は覚えていません。もしそんな人に会ってしまったらと思い……普段は姿を表さないようにしているのです。丹色の宮の意向も、表立って私の存在を知らせない方が良いとのことだったので。私はそれに従っています。まぁ、私自身のことについてはそこまでにしておきます。話が戻りますが、幽鬼がなぜ徘徊するのかということについて。怨みを晴らすために徘徊しているのです。なにせ、現世にとらわれている理由が、怨みを晴らすためなのです。私で言うと、私の父を殺すことでした。しかし、出来なかった。私は私の成すべきことをする為に式となりました」

「えっ」

不意に宮様を見ると困ったように笑っている。

「彼の言っていることは本当だよ。それで……まあ、ひと悶着あって、彼と結果的に契約を結ぶに至った」

「契約を結ぶ?」

「そう。式になるには術者と契約する必要がある。契約を交わすことで、術者は式の力を手にすることが出来る。そして式側にもメリットがある」

「それは?」

「式の望むことを何でも一つ叶えることが出来る。あと、契約の仕方だけど」

宮様の説明された、契約の方法はとても簡単だった。紙を結び、自分の血で幽鬼の名前と五芒星を描き、幽鬼に吹きかける。それだけだった。

「ただ、約束して。このことは誰にも言わないと」

宮様は小さな巻物を取り出され、私に渡した。

「これは?」

「肌身離さず持ち歩きなさい。君を守ってくれる」

そう言って少し悲しそうな顔をされる。

「なぜ、私に教えてくださったのですか?」

もちろん、一人で行わなければならない仕事を命じた、宮様本人が私を案じて、教えてくれたのだと思うけれど……話の内容からすると、他の陰陽官すら知りえない内容なのだろう。

「きっと必要になることが出てくると思ったからです。しかし、式の契約を交わすことがあっても、公にはしない方がいい。人外の力を欲しがる権力者は多い。君が利用されかねなくなるからね」と、付け加えた。


部屋から退室し、頭が痛くなる。

宮様の式――淡藤の話もそうだけれど、もう一つ。その時、言われどきりとした。表情には出ていなかったと思うけれど、その、「九条の姫……白花姫のことよね」

私は彼女を知っている。



それはまだ、母が存命のころ。私の母と白花姫の母は、もともと知り合いだったようで、母に連れられて、何度か彼女に会ったことがある。確か、あれは、私が五歳ごろのこと――


『ねえ。いつか私たちも殿方に恋をするのかしら。私のお母様はお父様に恋をして、何もかも全てを捨ててお父様と一緒になったと聞いたわ。でもね、お辛そうに見えるの。なんでかしら。一番愛する人と一緒になるという事はそんなにつらいことなのでしょうか』

そう、白花姫に聞かれたことがあった。


私は当時、子供ながら白花姫の両親の噂話を聞いていた。

何をきっかけに二人が出会ったのかまでは知らない。

彼女の母親は帝と同じ血をひく一族だ。彼女の父親は九条の家のご子息。つまり現在の左大臣にあたる人だ。家のつり合いは取れるけれども、彼女の母親は右大臣側に属する家の方だったらしく、家から猛反対を受けていた。それでも、二人は激しく惹かれあい、実家から籍を抹消することで婚姻関係を結んだ。という話は何となく聞いた。


しかし、二人の間になかなか子供が出来ず、側室を迎え入れた頃から関係が破綻したとも。


気持ちが通じ合った二人もガラスが粉々に砕け散るように、燃え上がった気持ちはあとかたもなく消え去った。

白花姫の父親、現左大臣は、色白のぷっくりとした顔立ちに柔和な瞳。私は直接話をしてことが無いので人から聞いた話になるが、人懐っこい話し方をするらしい。しかし、実際は、腹黒く自分の出世にしか興味がない狡猾な人間だと言われている。

母親も恋をして浮かれているころは正体に気付くことが出来なかった。結婚して大人になって気が付いたのだろう。

そんな中、ようやく白花姫を授かった。

実家からの籍を抹消された今、帰る場所もない。

自分には娘しかもうないのだと思っていたのだろう。

白花姫は母の手によって大切に慈しみ育てられた。幼いころの彼女は一言で言うと聡明。私と同い年のはずなのに、頭一つ分ほど大人びて見えた。

『好きだから。その人に対しても想いがあるからお辛いのだと思います』

私は前世の記憶の中の経験があったのでそう答えた。

『なぜ? 花を好きだと思って、辛いと思ったことはないわ』

『例えば、桜や梅の花は春にしか咲きません。どんなに秋や冬に見たいと願っても、思っても見ることは出来ないのです。そう考えると、お辛くないですか?』

白花姫はうーんと、考え込んだ。

『でも、それなら待てばいいのだわ。秋は紅葉。冬は霜や雪。それぞれの季節の楽しみ方があるのだから』

そう言って無邪気に笑った。

それが白花姫。


私の母の体調が悪って、亡くなってそれからすぐに陰陽官になってしまったから、もうしばらくずっと会っていなかった。彼女の姿を想像しながらも、あの無邪気な笑顔に何があったのだろうかと、思いをはせた。



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