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夢の浮橋  作者: 沙波
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ニクイ……ニクイ……アノ男がニクイ……


薄汚れた着物。

豊かで美しかっただろう髪の毛は汗と埃にまみれ今や見る影もない。


ざく。ざく。

と、砂地の道を引きずる足音が響き渡る。


その女の目は赤く血走り、爪は獣のように鋭い。


人々は目に見えない恐怖に、皆声を押し殺し、一目散に走る。

見つからないように。


-----------------------------------------------------------------------------------------------



朝議を終え、私は薬殿へ向かった。

季節は暑いさかりから、夜風が涼しい秋へ移り変わろうとするころ。

そんな時期だからなのか、ここ数日、体の調子が思わしくない。

朝廷専属の薬司は腕が良く、多少の体調不良であれば、調合された薬を数日飲むと回復することがほとんど。無理せず、薬に頼るのが一番だ。


『薬』と大きくかかれた暖簾をくぐり、格子扉を開ける。

生薬など、独特の匂いがたちこめる。

こじんまりとした空間、入って右側に一段高く畳の間があり、その壁一面に薬棚が並び、引きだしの一つ一つに文字や数字が書かれている。


「こんにちは」

畳に座る、白い着物と布に全身を包まれた女性に向かって声をかける。

振り返る彼女の顔を見て、ほっとする。

「朱鷺さん。お久しぶりです。朝議は滞りなく終わったのでしょうか……と、もうそんな時間なのですね」

「ええ、無事終わりました。今、午の刻を迎えていたかと」

現代で言うと、午の刻とはお昼の正午前後の時間を指す。

一見、はかなげ美人。

折れてしまいそうな華奢な体と、憂いを帯びる瞳は、世の男性から、好意を持たれる典型的なタイプだろう。

「最近体調が良くないので薬をいただきたいのですが」

努めて、声が裏返らないように、慎重に言葉を選ぶ。

「わかりました。どのような状態ですか?」

紫苑はいくつか質問を投げかけ、的確に症状を把握すると、棚の引き出しから手際よく、調合する材料を計り、乳鉢に入れた、薬剤を手際よく、乳棒でかき混ぜる。

彼女の後ろ姿を眺めていた。

見た目とは裏腹に、頭の回転は速く、もちろん仕事もそつがない。

前世の私の知識から言葉を拝借すると、『バリキャリ』というのだろう。

ゆくゆくは、薬司長に? と冗談交じりで聞くと、彼女は平民の出自のため、無理ですと、言っていた。

恐らく、街で一般市民相手に薬司としての実力を認められ、もしくは私のように有力者から声がかかり、朝廷に召されたのだろう。

『恐らく』と、したのは、彼女の口からその類の話は聞いたことが無いから。聞いてもはぐらかされてしまう。


「妙な噂をご存知ですか? 代々帝を祀る古刹の辺りで、妙な音などが聞こえるという」

確か、朝議の時にその話が出たことをうろ覚えていた。

屏風に夢中になっていたので、ちゃんとは覚えていない。

何気なく、発したその言葉に面白い様に紫苑の挙動がびしりと固まる。

まずいことを言ってしまっただろうかと不安になった。


近頃、都の一般市民の間でささやかれる噂の中で、よく出てくるのが、都の外れ、北東の一角に建つ、創建年代不詳の、古刹についてのものだった。

代々の帝の菩提寺、幻月寺と云われる。


変な匂いがする。

妙な声や音がする。


という話から始まり、それが尾を引いて、


大蛇が夜な夜な押し寄せている。

怪しげな儀式を行っている。


とか、嘘か真か、わからないあやふやな話に達し、今では近寄るものは誰一人いない。

ただ、その近くに花織峠という、交通の要所があり、商人はこの道を通らないと都に入ることが出来ないので、往来する場合は、昼間になおかつ、往来する人数を増やす、もしくは護衛を伴っているようだった。

そのおかげで、都に流通する物価が日に日に上昇している。

四隊の西と北隊ないし、東隊などもそれとなく、動向を探っているらしいが、なんせ場所が場所なだけに、大きくは動けないと聞いた。


「そうですか、私そういった話に疎いものですから……、それよりも、最近は何かお描きになった絵などはございませんか? ぜひまた、見せていただきたいと存じます」

明らかに、挙動不審の様子だった。

単純にあまり、好ましい話題ではないのだと思い、それ以上話を深める必要もないとその時は思った。

「最近スランプで、描いては、なんだか違う気がして辞めて、描いては辞めて……、その繰り返しです」

「そうでしたか。あまり気に病まないでください。私もせっついた言い方をしてしまい。すみません」

「いえまた、調子が出てきたら、お持ちします。ぜひ作品の感想を教えてください」

そう言ってニコリとほほ笑んだ。

私はあくまでも趣味の範囲で、風景、生き物や静物画などを描いている。

職業柄、陰陽官が描く絵は護符になるのではないかと言う話が広まり、良くできた作品がたまに売れることもある。

気の知れた知り合い、例えば紫苑にはいつも薬を貰うお礼と称して、いくつかの作品を渡したことがあった。

どれも、彼女は喜んでくれた。

彼女は濡れた様な眼差しで私を見上げていた。


気付かないフリをしていた。時々、熱を帯びた視線を感じるはしていた。

それは、私に対してのそう言った、信頼とか崇拝は言い過ぎかもしれないが、そういった感情が混ざっているからではないかと、勝手に結論していた。


それとなく視線を逸らす。

紫苑は、何事もなかったように作業に戻り、調合した薬を半紙の様な薄い紙に分けて詰めていた。

「朱鷺さん、折り入って、聞いてもらってもいいですか?」

彼女は背を向けたまま、かしこまった声でそう言った。

「何でしょう?」


私はそう答えたものの、返事は返ってこなかった。

沈黙の中、彼女は立ち上がり、奥の方へ消えた。

それから少しして戻ってきた。掛け軸をかかえて。

その掛け軸と、調合した薬を私に押し付けるようにして、「これ預かってもらえませんか? 私、この朝廷で話が出来るの、朱鷺さんしかいなくて」

見たこともない程、余裕のない表情だった。

「これは?」

「もし、……。ううん。預かっていただければ結構です。今度またいらっしゃる時にお持ちいただけますか?」

期間は特にありませんと、彼女は付け加え、「よろしくお願い致します」と、薬と掛け軸を抱えた、私を見て紫苑は深々と頭を下げた。

「預かるだけでしたら」

詳しいことはそれ以上何も聞くことが出来なにまま、薬殿を出た。


しかし、彼女との約束は果たされることはなかった。


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