壱
宮様に才能を見出された私は、陰陽官として朝廷に出仕した。
『幽鬼』という、肉体のない魂だけの霊体を見ることが出来るかどうかという事が陰陽官になれるかどうかの唯一の基準である。
宮様の手助けもあり、十歳で母上の幽鬼を見たと認定され、易々とその基準をクリアした。
それからは、宮様の側仕えという名目で実家から離れて暮らした。
母が亡くなり、後ろ盾を亡くした父の家は没落した。
それもあり、私の帰る場所もなくなってしまったから。
しかし、前世の記憶を持つ私は、妙に物分かりが良かったので、それほど落ち込まなかった。
ちゃんと、自分が生きる場所を見つけていたから。
陰陽官として出仕した時から、私は“朱鷺”と名前を賜った。
朱鷺――トキは色を表す。わかりやすい表現は淡い桃色。トキという鳥の羽の色を指している。
有力貴族の家柄であれば、家のカラーがありそれに準じた色の名をもらい受けることが多い。
けれど、自分で決める、もしくは譲りうけることも出来る。
私は自分で決めた。亡くなった母が紅梅と白梅を愛でていたのでその二色を掛け合わせた色――朱鷺に決めた。
現在十七歳になり、上から徳・仁・礼・信・義・智の官位のうち、上から四番目の『義』の位も賜り、朝議への出立権を手に入れた。
本来であれば、朝議への出立権利が発生するのは、『礼』以上の位に限られる。
しかし、陰陽官は朝廷での仕事の他に、職務上、個人的な依頼を受けることも多々ある。
ある程度の力量が認められたものは、朝議に出て顔を売る方が双方に利点があるとされ、昔からの陰陽官に対しての特例、暗黙の了解になっている。
その事に、表立って、口にするものはいなくとも、影でやっかみを唱える者も少なくない。
にも関わらず、何か原因のわからない事が起こると、たいていこちらに泣きついて来る。
こんな話もある。
私が陰陽官になるもっと前のこと。
貴族から、陰陽官を呪ってほしいと、陰陽官に依頼があったらしい。
彼らにどんな、いきさつがあったのかは詳しくは知らない。
しかし、陰陽官は万年人不足。
額面通りに受け取り何かあっては一大事。
のらりくらりとかわしたなんて話も残っている。
それが、宮様だったとか。なんとか。
肩の上で切り揃えた黒髪、カラスの濡羽色の生地に陰陽官の証である、五芒星の白い紋が施された着物を着ている。
ぱっと見、どうみても女には見えない。だろうと、我ながら思う。
直属の上司である、丹色仁の宮様の後ろに付き添う。
彼は二十八歳という若さなら、実力も認められ、私達、陰陽官の現トップである。
謎が多い人で、プライベートな部分については深く知らない。
特に、陰陽官は家柄ではなく個人の資質で選ばれた者が多いため出自に様々なトラブルを持っているもの多い。
そのため、陰陽官に対して、プライベートな部分を尋ねるのも暗黙のタブーと朝廷内で認識されている。
朝議が開かれる明石の間に続く御簾を人生で初めて、くぐる。
開けた光景を見て、思わず口元から感嘆の声が漏れる。
高い天井は格子状の各窓に紋様が描かれ、広間の中央は一段高く作られた部分には御簾が半分ほどかけられ、朱色の房が均一の間隔にある。
その奥は三段の階段が続き、そこには金色の房に御簾がしっかりと掛けられる。
おそらく、帝がいらっしゃるところであろう。
この部屋全体的に薄氷が張り詰めるような空気が漂う。
「あら新しい方ね」
声の主を振り返ると、顔を扇で隠した女人。
縹と蘇芳の葡萄染襲に清潔な豊かな黒髪が揺れる。
私は少し、ためらいながらも会釈した。
一方は女性であることを全面に押し出し、着物にも薫物が絶妙に調合され、焚き染められた香りが漂ってくる。
一方の私は、女としてのかけらもない。
「これは、薬司長殿」
丹色仁の宮様が薬司長に近づこうとすると、笑顔でかわされすごすごと退散した。
人知れずため息が出る。
仕草に妖艶さがあり、人を引き付ける。
それにも関わらず、女性から敬遠され、見向きもされないのは一重にその薄っぺらい性格が影響し、軽々しい浮名がいくつも噂されるところにあると私は思っている。
ただ、わきまえているのか、同僚には決して近づかない。仕事はきっちりとこなす。尊敬できる上司だ。
しかし、女性目線で見た場合……
(黙っていればいい人なのに)
またため息が漏れた。
朝議は自身の位によって席が変わる。
義である私に対し、宮様は仁。
『仁』と『義』では雲泥の差。
宮様に一礼し、自身の席へ向かった。
ぞろぞろと、各界の重役がそろうにつれて場内は静寂と緊張感が高まっていく。
今回の朝議には帝も出席されるとのこと。
前帝が、お体を崩され亡くなったため、一年程前にその位を退いた。
新しく召し上げられた帝は、まだ年も若いと聞く。
朝廷内には、ちらほら暗い噂もある。
その中でよく聞くのが、不憫に思った今の帝が、亡くなった前帝に上皇としての地位を与えた。
継承された今の帝の政治を良く思わない上位貴族が傀儡の上皇の地位を利用し、新たな朝廷を築こう画策しているとか、していないとか。
まあ、陰陽官が政治にかかわることなんてほとんど無い。
噂なのでどこまでが真実なのか判断しかねる。
それに、朝廷内でほぼ末端の私には関係のない話だ。もっと、上の位。例えば、宮様クラスなら、陰陽官であっても関わってくる話題かもしれないけれど。
どぉん どぉん
太鼓の音が鳴り響き場内にいる全て者が一斉に首を垂れる。
一瞬出遅れてしまい、急いで、下を向いた。
一歩、一歩、遠くからゆっくりとこちらへ近づいてくる衣擦れの音が聞こえる。
階段奥の御簾がふわりと靡く。
帝の姿を人目にさらさない様に、御簾の前に屏風が置かれる。
頭は上げないように、視線だけ屏風に向けた。
滝から川が流れ、松と藤、葛葉と葵の葉が金箔の屏風の上に描かれている。
頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。
前世で見たことある……。
『葵の葉屏風』だとすぐに気が付いた。
確か、戦火で焼けてしまった様で、現存せず、資料でしか前世の私も見たことがなかったと、記憶を手繰り寄せる。
昨日描かれたばかりの様な、鮮やかなグリーンの色彩、澄んだ川の色に心奪われる。
『葵の葉屏風』は晴楓の絵ではないが、晴楓が所属していた“楓派”に所属する画家が描いたものだ。
この派閥に属するものは雅号の中に《楓》の文字が入る。
前世の私はトウキョーと呼ばれる見たこともない大きな建物と色に囲まれた光の都市の中で生きていた。
前世の記憶を思い出したきっかけは……、
確か、絵を描いているときだった。絵を描くことが懐かしいと自分のどこかで感じていた。同じ感覚を以前も感じたことがある。
所謂デジャヴを感じた。というやつだ。
そこから、ああ、昔も絵を描いていたなぁ、と気が付かき、そう言えばと、昨日の出来事を思い出すような具合で、前世の事を思い出した。
前世の私は、専門的に学ぶことが出来る『ダイガク』というところにも通っていたらしい。
前世を思い出したことについて特に大きな混乱はなかった。
それは遠い昔に見た、長い夢を思い出したような感覚に似ている。
その夢の中で、【晴楓】という名前を見た。
前世の私は晴楓という画家が特にお気に入りだった。
晴楓の絵に感銘を受けたのは、彼が描いた『夢の浮橋』という作品を見たのが一番初めだった。
六曲一双の画面にゆるやかなアーチを描いた橋。月があり、枝垂れ柳、秋草が描かれる。
雲がかかり、全体的にぼんやりと目に映る。
何がある、と言う訳じゃない。
でもそれを見た前世の私は、魅入った。何て美しいのだろうと思うと同時に、誰か、もう会う事の出来ない誰かを思う悲しみを孕んで描かれたのではないかと、作品を一人咀嚼し心にストンと落ち着いた時には、涙が溢れた。
こんなに作品に取り込まれたのは後にも先にも初めてのことで、それから貪る様に、次々と晴楓の作品の出品される展覧会に足を運び、画集を買った。
現代まで伝わって残る作品にはいくつか出会うことが出来た。しかし、作者である晴楓については全く知ることが出来なかった。
男か女かも判明しないミステリアスな画家だった。
そもそも、晴楓も所属する、楓派についても雅号と作品だけが、伝わり、個々の人物像についてはどの資料にも記載がなかった。
今思い返せば、その要素すらも、前世の私が引きつけられた一つの要因だったのだろうと思う。
いつの時代に活躍したかというのは、用紙や絵の具、墨の状態からだいたいの年代が予測された。
あくまでも推測のため、ふり幅は非常に大きい。
中には、由緒ある家に代々伝えられた作品もあった。楓派の作品としては珍しい。そういった作品は書かれた由来、年代などの詳細もわかることもあった。
その推測された年代の中に、今、私が生きているこの時代も含まれていると、記憶を手繰り寄せ、何度か情報をすり合わせたので確かな情報である。
だから、この時代に生きていたら、まだ見たことの無い、晴楓、楓派の作品に出会うことが出来るかもしれないと、心の片隅で期待を抱いていたのは事実だ。
自ら積極的に探さなかったのは、もしも、そうじゃなかった場合の落胆した気持ちを味わいたくなかったから。
今、私の目の前、帝のいらっしゃるその前に立てかれた屏風を食い入るように見つめる。
なんとも言えぬ深い感慨を味わっていながら、ふっと、思いだした。前世の記憶が正しければ、作者は【霜楓】だ、と。
どぉん どぉん
再度太鼓の音が響き我に返る。
帝が退席する。滞りなく朝議が済んだようだ。
ほどなくして位の高い順から席を離れる。
私は、はっとして、その人物の方を見る。
柄にもなく胸が高鳴る。
その方は、紺碧の羽織を纏い、肩程まである髪を束ね、精悍な横顔に鋭い眼光。
涼やかな表情を浮かべる。
『浅葱卿』と呼ばれ、四隊うちの一人の隊長様でいらっしゃる。
四隊というのは、帝が直接の統帥権を持つ、東隊・西隊・北隊・南隊と呼ばれる、いわば軍のようなもの。
それぞれの管轄があり、
南軍は海・川、西軍は道・関所、北軍は山岳・遠方、そして、浅葱卿が隊長を務める東隊は帝の身辺を。
浅葱卿も宮様と同じ若さで、その極に達せられた方だ。
堂々たるオーラを放ち、他人を寄せ付けない。
孤高の貴公子は密やかに朝廷内の女性からの人気が高い。
私も噂には聞いていて、遠目から見たことあったけれど、しっかりとお目にかかったのは初めてだ。
思わず、まじまじと浅葱卿を見つめた。
【見るのはタダ】これは、前世の私がよく使っていたようだったので、私もこの理をよく利用させてもらっている。だって、浅葱卿とは身分も、生きている世界も違う。
接点など生まれるはずもなく、ただ遠くから、眺めて見惚れているぐらい、いいじゃないか。そう思った。
そう、この時は。