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夢の浮橋  作者: 沙波
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前世。

にわかに信じ難い。

日本という国で今から千年以上の未来に生きていたという記憶が自身の中にあった。

誰に未来に生きていた前世を持っていると、言って信じてくれるだろう。


何かの因果があるのかと、考えてみた。それに当てはまることと言えば、生まれつき持ち合わせていたこの『瞳』について、前世の記憶が関与しているのかもしれないと考えた。

けど、そうなると、私と同じような体質を持って生まれた、今生きている職場の同僚は皆、前世持ちということになる。

まさかそんなことはあるまい。と、その考えはすぐに否定した。

『瞳』については、後程。


前世で生きていた世の中で、前世持ちと公言していた人はいた。

大抵、そういった人達はスピリチュアルと呼ばれる職種に就く人が多かったと、前世の自分は認識している。

前世の私は、スピリチュアルな世界に生きている人たちを、羨望の眼差しで見ていた。

異世界に転生する小説やアニメが流行していいたことも要因の一つかもしれない。

いつか自分も体験してみたいと空想を巡らせていたこともあった。


しかし、今自分がその立場に置かれ、複雑な気持ちを感じる。

前世の私が知っている、今、生きているこの現世。

都に魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)し、平安時代と表記されるこの時代。

前世の私が知っていた平安時代の知識と、この現世は貝合わせの貝の様にぴったりと当てはまらない部分も多くあるため、前世の私が知っている平安時代とは同じようで違う。

逆に今の私から前世の私は異世界に住む不思議な住民だ。日本と言う、大陸の八方は海に囲まれ、その向こうには大陸があり、私達とは違う言語、違う文明を持つ人々が暮らしており、その全ての人々が住む星を地球と言うらしい。

今の私が知るのは、今私が生きているこの世界だけ。

だから、今と前世の自身の思考を重ね合わせると、社会構造も常識も異なることが多すぎて、生きにくさを感じることもある。


時々、眠れない夜など、前世の記憶を布団の中でひも解いてみる。

現世の私には考えられない程、温かい家族に囲まれていた。顔や造形の詳細までは思い出せない。ただ、思い出そうとすると、心が温かくなって、切ない。

友人や彼氏と呼んだ人もいた。見もしない、会ったことのない人々なのに、まるで、この刹那一緒に過ごしていたかのように、前世の私が感じた様々な感情が思い起こされ、訳もなく、むせび泣いてしまうこともあった。

記憶は断片的なため、その友人とどうなったとか、私がなぜ死んだのか、そういった事は、何度も思い出そうとしても全く思い出すことは出来なかった。


前世を思い出して良かったこともある。

前世と現世の私の共通点、絵を描く趣味があるという事。

不意に心に浮かんだ、前世の見たこともない街の風景や、複雑な感情を『絵』として書き表すことで、心の安寧を得ていた。絵筆を持っている時だけは、前世の私と、今の私の感覚が全て溶け、重なり合うことが出来た。

前世で一番好きだった画家がいた。その名は『晴楓』。前世の知識からすると、私が、今生きている時代に存在したと、推定されている。

存在するのか存在しないのか。

まだ確かめていない。もしいなかったらと思うと……。

それでもその人がいるかもしれない、同じ時代に生きて、同じ空気を吸って生きていると思うだけで、心が満たされるような気がした。

少しずつ、時間をかけて『晴楓』と言う画家の謎をひも解いていく。それも一興。


冒頭で触れた、『瞳』について。

この私の瞳の才能を最初に見つけ、手を差し伸べてくれたのは丹色の宮様だった。私は宮様と呼んでいる。

私と宮様との出会いは、忘れもしない。10歳を迎えた、ある秋の日のことだった。


私は、そこそこの貴族の家に生まれついた。

母はもともと体が強くない人で、夏の暑さに体を崩し、そのまま帰らぬ人となった。それが、10歳の時である。


父の涙は見ていない。それなりに落胆している様には見えたのは嘘ではないだろう。特に母方は高貴な血を受け継いでいたようだったので、多分、母を失うことによっての家同士のつながりを懸念してのことだと私は感じた。

母が亡くなった時、祖父は父が母に十分な治療の機会を与えずに死に追いやったのではないかとしきりに言った。

父はそんなことは一切なく、毎日体調確認を行い、財産を切り崩し、わざわざ朝廷から薬師を呼んで薬湯を調合し、飲ませていたと説明を付け加え、祖父に強い口調で反論した。


私から見ると、祖父だって、母が亡くなってからようやく口を出してきた様なものだ。ただの見栄の張り合い。その話をいちいち聞くのは全くの徒労だった。


母の葬儀でも言い争いは続き、周囲は白けた目で二人を見ていた。

空気を読むということが出来ないのだろうか? 父も祖父もそれなりの貴族の生まれなのに、と何度も思う。

自分の意見が通らずに生きて来たことがあまり無いのかもしれない。


参列者がいるなかで、自分の主張をお互いに何度も何度も繰り返す様は見ていられない。

私はこっそり人の輪を抜け、廊下を小走りし、離れまで。庭に面した縁側に座り、ぼうっと庭眺めていた。

手前に池があり、奥には紅葉、松、そして白梅、紅梅が対にある。

花が咲くころ、母は目を細めてうっとりと香りの感じながら、この場所に座っていた。

今でもそんな母の姿があるような気がしてならなかった。

症状が悪化し、起きることもままならなくなった時も、この離れの書院造りの間に布団を敷き休んでいた。

また、体調の良い時などは、襖を細く開け、こけた顔から妙に浮き出た目を細め、短い時間だけ庭を眺めているようだった。


「良く手入れされた、綺麗な庭だね」

テノールの落ち着いた声に顔を上げると、見たこともないほど美しい造形の殿方が私を見下ろしている。

召し物の色から葬儀の参列者だと知った。

驚いたのは、目の部分を黒い布で覆い隠している。

目が見えない人なのか。しかし、歩く様子を見る限り、ふら付きなどは見られない。

「見えていないのに何でわかるのか。それは私を初めて見る人が皆、一様に抱く疑問だ。確かに、生まれつき普通の人間が持ち合わせている、対象物をこの瞳で理解するという能力は欠如している。しかし、それを補うために、私は周囲の景色を正確に想像するという能力を私は持っている。だから、目の前に広がるのがどんな庭なのかもちゃんとわかる。私が想像している庭の景色を伝えよう。縁側の近くには蓮の池がある。もう花の時期は終わってしまったようだけど。池の奥には松などの木々、それから紅梅と白梅が対になっているね。なぜ、想像できるのかと、言われても、その仕組みばっかりは言葉では言い現わすことが出来ないのだけど」

私は驚嘆の目で殿方を見つめた。

それを察したのか、私の頭をぽんぽんと撫で、隣に座った。焚き染められた香がふわりと包み込む。母や父とは違う。スパイシーだけど重厚。一度この香りを聞くと、忘れない。そんな香りだ。

「君は母君の忘れ形見だね。君の母君とは少し縁あってね。数年前、何度かお会いしたことがある。高貴な方であらせられるのに、優しい、たおやかな人だった。女性でありながら、なよなよしているのではなく、凛とした強さを胸に秘められていた。なかなか、もう出会うことの出来ない方であろう」

その人は笑顔なのに、今にも泣き出しそうな表情をして、そう言うものだから、私は殿方の代わりにその声につられ涙が止まらなくなった。

「母上、母上……」うわごとの様に同じ言葉を繰り返す。

殿方は何も言わず、私の方を引き寄せ、泣ける場所を与えてくれた。


私が疲れ、泣き止んだところ、殿方は庭に向こうの方を指さし、

「もしかしたらあの梅の木の下に母上がいらっしゃるかもしれない。よくごらん」

と言うので、私は顔を上げ、奥の紅梅、白梅を交互に見た。けれど、ただ、それだけだった。

恨めしい表情をして殿方を見上げると、

「そんな顔をしないでおくれ。見るには少しばかりコツが必要なんだ。

瞳に神経を集中させ『見たい』と、心の中で念じる。それからもう一度見てごらん」

がからかっているとか嘘をついている様には、見えない。

殿方の言葉を信じ、言われた通りに、目を閉じて神経を集中させ、心の中で『母上に会いたい』と強く念じ、目を開けてもう一度、梅の木の下を見た。


何一つ変わらないじゃないか。

と、思ってすぐに、チャンネルが切り替わるように視界の景色が歪んだ。

それが解消された時、翡翠の色をした着物を着た母上が見えた。

カワセミの羽根の様に軽やかにはらりと着物が風に靡く。

花が終わっている時期なのに、池には蓮の花が咲き誇り、匂い立つように白梅と紅梅も満開を迎えている。

見えたのは母上の姿だけでなく、漆に金の装飾がされた、御車も一緒だった。

母上はその車に乗り込む所で、私が声を上げて駆け出すのと同時に、殿方に手を引いて止められたので、せめて反対の手を母上の方に伸ばした。

その声に、行動に気が付いた母上は、私の方を振り向いて微笑んだ。

それから車に乗り込み、御簾が下ろされると、音もなく御車はスッと動き出し、天を翔ける。

最後の本当に最後の、姿が見えなくなるまで。見えなくなっても、しばしの間、ずっと見上げていた。

頬に、ぬくもりを感じ意識が戻る。


「私と一緒においで。僕は丹色。皆、丹色の宮と呼んでいる」

私はこの時、『宮』と継承がつくのは近くとも遠くとも、帝の血縁に当たる方だとか、じゃあ、母上とはどんな関係だった、とかそんな疑問は湧かず、素直にうなずいて差し伸べられた温かい宮様の手を選んだ。


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