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「出掛けるのか?」
ラーズから帰って数日後、お呼ばれしているお茶会に出掛けるべく支度を済ませて玄関に向かうと、兄のアルフレッドに声を掛けられた。
そう。攻略対象の1人であるアルフレッドは、ヴァイオレットの兄なのだ。
「ええ。マーガレットに誘われてるの。兄様はこれからお城に?」
「あぁ。ちょっと必要な資料があってな。取りに抜けてきたんだ。もう戻るよ」
マーガレットの名を挙げると、いつも無表情な兄の瞳の奥が優しく緩む事を私は知っている。
マーガレットは侯爵家の令嬢で、時々お互いの家を行き来するほどに親しくしている私の友人だ。
マーガレットが幾度となくガードナー家を訪れるうちに、どうやらいつの間にか二人はそういう仲になったらしい。
兄様が非番の日にマーガレットをお茶会を口実に屋敷に呼ぶと、兄が分かりやすくソワソワとするのがなんとも微笑ましい。
マーガレットなんて兄様と顔を合わせるだけで、頬は薔薇色に染まるし瞳は潤むしで同性の私もドギマギするほど可愛らしくなるので、ついその様子が見たくて兄様が非番の日を狙ってマーガレットに声をかけてしまう。
しかし今日は侯爵家で開かれるお茶会に招かれているのだ。
貴族の令嬢である以上、頻繁に開催されるお茶会に参加しないわけにはいかない。
それに同性の友人と穏やかな関係も作っておくことは、ヒロインとロードリックの恋を応援するのに役に立つだろう。
「それなら、マーガレットのところまで送ってくれない?」
ちょっとした悪戯心で兄にねだると、仕方ないなと言いつつも瞳の奥を更に緩めた兄は私と馬車に乗り込んだ。
「そう言えば、ロードリックがラーズに来たそうだな」
「ええ。本人は息抜きと言って憚らないけど。チェスター様が珍しく苦笑されていたわ」
「まぁそれはいつもの事だ」
「ラーズの開墾は殿下が随分と気に掛けてくださったお陰だったんですってね。有り難いったらないわ」
「そりゃあ、なぁ」
「それに、いつかラーズの新酒を、とまで言ってて。ふふ、ロードリックもそろそろ婚約者候補が決まるだろうし、新酒を交わすのが楽しみなのね。お相手の口に合うような葡萄酒になるといいのだけれど」
「いや、そうではなくてだな…」
「…?あ、それまでに新酒を納められるようにって発破掛けてくださったのかしら?」
それなら開墾は順調だし、また少し生産計画を練り直した方が良いかもしれない。
「や、だから…」
「?」
兄が何か言いたげに言葉を紡ごうとしたその時、馬車はことりと停まって馭者がマーガレットの屋敷に着いたことを告げた。
「ふふ…」
ガードナー家の紋章があしらわれた馬車から先に兄が降りて、私の手を取ってエスコートする。
その様子を、出迎えに玄関まで出てきていたマーガレットが顔を赤くさせて見つめていた。
「マーガレット嬢。ご無沙汰しております。本日はヴァイオレットをお招きいただきましてありがとうございます」
「ちょうどお城まで行くところだったから、送ってもらったのよ」
真っ赤になってこちらを見つめるマーガレットに、アルフレッドは優しげな笑みを浮かべて挨拶をする。
私もイタズラが成功したような気分になって思わず口を挟んでしまう。
今私は誰が見ても納得のドヤ顔をしていることだろう。
「とんでもありません…。私も、ヴァイオレット様にお会いするのを楽しみにしておりましたの」
「マーガレット嬢も、また是非ガードナー邸にもお越しくださいね。以前気になってると仰っていた詩集が手に入ったんです。ヴァイオレットに預けておきますから」
見たこともない優しい笑みを浮かべる兄に、マーガレットは頬を赤らめて頷いている。
瞳を潤ませてアルフレッドを見つめる姿は、恋する乙女そのものだ。
そして、それを愛しげに見つめる兄にも、冷徹な宰相候補の面影はない。
もし、ヒロインがアルフレッドルートを選択したとしたら。
こんな幸せな風景を見ることは出来なくなるのだろうか。
その場合は、マーガレットが悪役令嬢になってしまうのでは…。
───それは、嫌だな
やっぱり、ヒロインには王道のロードリックルートで進めて欲しい。
多少覚えてるイベントはアシストできるかもしれないし。
微笑み合う二人を見つめて、私は決意を新たにした。
◇◇◇
そしてとうとうその日がやって来た。
今日はロードリック王太子殿下の17歳の誕生日で、それを祝うお茶会、つまり后候補を集めた后教育がスタートが宣言される。
私は、訪れた薔薇園の隅でそっと周りを伺った。
いよいよヒロインとロードリックが出会うゲームのスタートだ。
既に前侯爵に、ロードリック王太子殿下の后に見合う年頃の隠し子が居たことは発覚している。
そして今日、お茶会に出席することもリサーチ済みだ。
ゲームのスタートは、ヒロインが薔薇園に見とれていると転びそうになり、そこに通りがかったロードリックが咄嗟に支えてくれる…というものだったはず。
そして王子様の完璧な笑顔に呆けているところに水を差すように、悪役令嬢のヴァイオレットが嫌みを浴びせに登場するのだ。
でも出来れば嫌みをなんて言いたくないなぁ。
仲良くなれたらいいのに。
そう思っていても、いざその場面に遭遇したら勝手に口が動いちゃったりするのかしら。
これまで平民として平和に暮らしていたヒロインは、いきなり貴族の世界に放り込まれて戸惑っているだろう。
その手助けができるような友人関係が結べたら上々、恋バナができるほどになれば最高なんだけどな。
「───ヴァイオレット?どうした?」
ゲームのスタートに気を取られていたからだろうか、気がつくと目の前に澄んだブルーの瞳があった。
「?!」
「ヴァイオレット、ぼーっとしてどうした?具合でも悪いのか?」
心配そうに私の顔を覗きこむロードリックの顔が近い。
慌てて距離を取ろうと体を後ろに引くと、ぐらりと後ろに倒れそうになる。
「危ない!」
柔らかい芝生の上とはいえ、頭を打ち付ければそれなりに痛いだろうと目をつぶって衝撃に備えたが、いつまで経っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると、またしても明るいブルーの瞳と目があった。
「!!」
「良かった、大丈夫か?」
今度は身を後ろに引こうにも動かない。
よくよく見れば私はロードリックの腕にしっかりと抱き込まれていた。
「大丈夫、です。離して、ください…」
「顔色もよくないな。少し休むと良い」
ロードリックは言うが早いか私を抱き上げると薔薇園に背を向けて歩き出す。
「あの、大丈夫ですから。殿下はお茶会にお戻りくださいませ」
慌てて降りようと暴れると、ロードリックは私を抱き上げる腕に更に力を込める。
「そんなものはどうでもいい」
「そんなわけありません」
何を言い出すんだこの人は。
薔薇園に戻ってもらわないと、ヒロインと出会えないではないか。
「お願いです、殿下。どうかお戻りください」
ついでにもう下ろして欲しい。
恥ずかしすぎるだろ、お姫様抱っこって!
人目が!人目があるのよ!
ここに私を置いていってくれ!と念を飛ばしてロードリックを睨むと、それに気がついた彼はため息をついてその歩みを止めた。
これじゃまるで私がとんでもない我が儘を通したみたいじゃないか。
「……わかった」
ロードリックはぽつりと呟くと、くるりと踵を返して薔薇園へと足を向ける。
私を、抱き上げたまま。
「下ろして!」
「暴れるな。落ちるぞ」
下ろしてもらおうと再び暴れる私をガッチリと抱え直すと、ロードリックは足早に薔薇園へと向かう。
走るようなスピードに恐怖を覚えて、思わずロードリックの首に腕を巻き付けてしまうと、フッと彼が笑った気がした。
「待たせてすまない」
薔薇園に足を踏み入れたロードリックは、開口一番彼を待つ人々に詫びた。
「私は愛しい人をここに定める。これより1年間、彼女に王族となるための学びに入ってもらう。───以上だ」
それだけ朗々と告げると、ロードリックは再び居城へと取って返す。
薔薇園は水を打ったような静けさに包まれたかと思うと、遠くから波が押し寄せるようにざわめきが後から広がっていくのが背を向けていても分かった。
「ロードリック!?何を……」
「うん?今日は婚約者を定めるために人を集めてたからな。これで義務は果たしたろ」
「そうじゃなくて!集められていた方々も后教育を受けるんじゃ……」
「あぁ、婚約者が決まらない場合はな。でも予め決まってる場合はそんなまどろっこしい事をするわけないだろ。時間の無駄だ、お互いに」
「だって、今日会う方にもっと相応しい方が、「ヴァイオレット」
言い募る私をピシャリと遮るように語気強く名前を呼ばれると、私はその迫力に思わず口をつぐむ。
気がつけば、そこは温室だった。
薔薇園に招かれる前はいつもロードリックや兄と遊んでいた温室は当時と変わらず色とりどりの花が咲き乱れている。
私をゆっくりと慎重に下ろすと、ロードリックはそこに咲いていた薔薇に触れる。
古くから大切に保護されてきた古代種の薔薇は、庭園の他に温室でも繊細な温度管理をされて大切に育てられている。
その薔薇をそっと一輪手折ると丁寧に棘を取り除き、私に向き直った。
「確かに今日は婚約者候補を集めている。でもこれは決められた儀式みたいなもんだ。年頃の令嬢を集めてその中から后を選んだと宣言するだけでいい。隣国の王女だった母上との婚約が決まっていた父上も同じ事をしている」
持っていた薔薇をすっと差し出すと、ロードリックは今までに見たこともないような真面目な顔をしていた。
「ヴァイオレット。俺と結婚してくれ。大事にすると誓う。ずっと側にいて欲しい」
真っ直ぐに紡がれた言葉に、視線に、いつも軽口を叩くロードリックの気軽さは微塵も無くて。
その真剣さに射抜かれたように体が動かない。
なんと返事をすれば良いのか、言葉が全く見つからない。
そんな私の様子に焦れたのか、ロードリックは小さく一歩距離を詰める。
「ヴァイオレット。はいか、うんで答えろ」
「……何それ一択じゃん」
「はは、諦めろ。俺が后はお前と定めた時点で逃がす気はない。
………受け取ってくれ」
そっと差し出された薔薇に目を落とすと、美しい大輪の薔薇、それを持つロードリックの指先は少し震えていた。
───やっぱり、思ってたんと違う。
ゲームの中のロードリックは、完全無欠の王子様だった。
背筋が凍るような甘ったるい台詞を吐いて、絶対の自信を持ってヒロインに求婚する。
でも今目の前にいる彼は、軽口を叩きながらもその瞳の奥はごく僅かに拒絶を恐れて揺れていて、その指先にまで伝播している。
───違っていても、仕方ないのかもしれないな。
そもそも悪役令嬢の私がゲームの中のヴァイオレットと全く違っているのだ。
ロードリックが甘ったるいこと言えば寒イボが出るし、軽口を叩いている方が心地良い。
それにヒロインに辛く当たるくらいならラーズの開墾の計画を練りたいと思う。
そしてロードリックはなぜだかそんな私を選ぶのだと言う。
なら、このまま流されてみようかな。
思ってたんと違うけれど、それがまた私には心地好いものだから。
「…私、后らしいことなんて出来ないよ?」
「ヴァイオレットにできないなら、この国にできる令嬢なんていねぇよ。それに、俺が側にいて欲しいだけだ。───受けてくれるな?」
「………うん。大事に、してね?」
「あぁ。この薔薇に誓って」
私の返事にふわりと微笑んだロードリックの台詞は、微笑みを浮かべたその姿は、いつかゲームで見たエンディングのスチルそのままで。
こんな時だけ、ゲーム通りなんてズルい。
そんな事を考えながら、差し出された薔薇をそっと手に取ると、薔薇に落としていた視線をロードリックに向けた私は思わず息を飲んだ。
彼は今まで見たこともないくらい、満面の笑みを湛えていた。
「こんなに嬉しいものなのだな。…想像以上だ」
眩しい笑顔を全開にしたロードリックが、たまらずといった性急さで近づくと、あっという間に抱き締められる。
「っ!!ちょっと!薔薇が潰れちゃう…!」
「あぁ。すまん」
腕の力を緩めたロードリックは、私の手からひょいと薔薇を抜き取ると、器用に私の髪の毛に挿す。
真剣な眼差しで花の角度を調整して満足げに頷くと、再び私を抱き寄せて強く抱き締めた。
「ずっと、共にいてくれ」
───やっぱり、思ってたんと違う
ゲームのエンディングにこんなシチュエーションは無かった。
というかゲームが始まらないなんて、想像もしていなかった。
でもそれがこんなに幸せな気持ちにしてくれるのなら、違ってていい。
私はロードリックの背に腕を回すと、ぎゅうと力を込めた。
「うん。ずっとね」
どうもありがとうございました。