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すみません。
上手く削れなくて、長目です。
「今年もまた、見事な薔薇ね…」
昨年と、いやそれ以前に画面越しに見た風景と何一つ変わらない薔薇園が広がっている。
今年も、ロードリックの誕生日を祝うお茶会がこの薔薇園で開かれるため、こうしてまた足を踏み入れた。
成人するまで1年以上期間がある令嬢や令息は夜会に参加できないため、こうして毎年王妃の主催で王太子の誕生日をお祝いするお茶会が開かれる。
要するに婚約者や側近の候補を集めた顔合わせだ。
「準備らしい準備もできないまま1年過ぎた気もするけど…。まぁ全く何もしていない訳でもないから良しとするかぁ」
前世の記憶を取り戻したロードリックの誕生祝いのお茶会から1年。私はヒロインとはゲーム開始のお茶会まで会えないのだということに気づいて愕然とした。
冷静に考えればそりゃそうだ。
何しろ彼女は庶子で、お茶会直前までその存在は知られずにいた。
今はまだ城下町のどこかで平民として暮らしているはずだ。
それに気づいて唖然としたけれど、無駄に滾ったやる気をそのままにはできない。
ヒロインに会うことができないのなら、攻略対象であるロードリックと親しくしておけば、二人が出逢ったときに恋路を応援する友人ポジションが獲得しやすくなるのではないかと思い付いた私は、幼なじみの特権をフル活用してこれまで以上にロードリックとの関わりを持つようになった。
そんなわけで、今年もめでたく彼のお誕生日を祝うお茶会に招待されたのである。
「あ。噂をすれば」
庭の隅で所在無げに佇んでいるロードリックが目に入り、いつも通り私は気軽に彼に近付いていく。
「あぁ。ヴァイオレット」
「殿下、ごきげんよう」
私に気がついた彼は、腰を折って挨拶をする私に片手を上げてそれを制した。
顔を上げると、珍しく物憂げな表情を浮かべたロードリックがぼんやりと薔薇園に視線を投げている。
私は周りを見回して誰も居ないことを確認すると、すすす、とロードリックに近寄って声を潜めた。
「どうしたの?何かあったの?」
「いや。何も」
「なら、いいけど」
「……ヴァイオレットも、殿下って呼ぶんだよな」
「そりゃ人目があるところではね。ロードリックにこんな口聞いてるってわかったら不敬罪だなんだってつつき回されちゃうわ」
「……じゃあ、人目がなかったら?」
「あんな堅苦しい口調、肩が凝るわよね」
前世の記憶を取り戻してからというもの、私は前にも増して貴族令嬢の振る舞いと言うものが煩わしくてしょうがない。
もともと令嬢らしからぬものに興味を示していたから、家族をはじめとする周囲の人間には、あまり不審がられずに済んではいるけれど。
「昔からのまま接してくれるのは、アルフレッドとヴァイオレットくらいだ」
小さなため息をつくと、ロードリックは呟くようにポツリと漏らした。
その一言で、この1年の間に彼を取り巻く環境が大きく変わったのであろうことが簡単に想像が付く。
ロードリックの誕生祝いがプライベートな温室ではなく、王家の権威を示す薔薇園で行われるようになったのも、彼を成人に向けてそれなりの立場として扱うという王家の意向を表している。
そうなれば彼を取り巻く人達の態度もそれ相応のものになるだろう。
…私はこの1年、そんな彼の変化に気がつかなかっただけだけど。
「だったら私たちの前ではロードリックのままでいればいいじゃない」
気がつかなかったのは迂闊だけど、なんとなくロードリックもそれを望んでいた気もして、苦笑いを浮かべてロードリックを見ると、驚いたように私を見つめている。
「…?ロードリック?」
「あぁ、そうだな」
ロードリックはフッと表情を和らげると、ふわりと微笑んだ。
まだ幼さが残る彼の、少年のような笑みだった。
◇◇◇
「目が…霞む…」
最後のひと刺しを終え、何とか糸の始末を済ませたところで、私はギブアップとばかりにソファの背もたれに体重を預けた。
行儀が悪いのは重々承知だが、思いがけず刺繍に神経を集中させ過ぎて目の酷使に気づかず、気が抜けた途端に疲労がどっと押し寄せてどうにもならない。
「お嬢様、根詰めすぎですよ」
クスクスと笑いながら侍女のベティがお茶を差し出してくれる。
ありがとう、と礼を言って受けとると、紅茶から立ち上る甘い花の香りが強ばった体を解してくれるかのようだった。
「だって、どうしてもバザーに間に合わせたかったのよ」
前世の記憶を取り戻したお茶会から、3年が経った。
もちろん、まだ平民として暮らしているだろうヒロインと接点を持つことはない。
しかしヒロインに会わずとも出来ることはやっておこう、悪役令嬢と言われずに済むように少しでも心証を良くしておこう、というセコイ作戦に漲るやる気を向けることにした私は、これまでは母にくっついていくだけだった孤児院の慰問にも積極的に行くようになった。
そんな中で知ったのが、孤児院の経済状況の悪さ。
貴族をはじめとする寄付のみで賄うには、色んな物が足りないことに気がついた。
貧困は更なる貧困を生む。
そのスパイラルを脱するためにも教育は不可欠、と私は暇を見つけては年頃の子供たちに読み書きや計算を教えに通った。
それ以外にも、刺繍は孤児院のバザーで売り出す小物にちょうどいい。
何しろ有名クチュリエールのお抱え刺繍図師(自称)ですからね!
限定品だと嘯いてオリジナルの刺繍図案を起こしては子供たちに教えつつ刺繍を刺し、それらをバザーで売り捌いて寄付を募り───やはり限定品というのはそそるらしい───バザーの目玉にまで育ってくれた。
「お嬢様の刺繍ものは、大人気ですからねぇ」
ベティはニコニコとお茶のおかわりを注ぐと、完成したばかりの刺繍が汚れないようにそっと片付けていく。
「こういうものでも、目当てにしてバザーに人が来てくれるなら、張り切った甲斐もあるわよね」
年に数回行われるバザーは、孤児院を運営する教会が開催する。
貴族などが主体となって施しを乞う催しだが、お祭りのような賑やかさが毎回街の人々を楽しませている。
来週も行われる予定だが、私はガードナーの領地へ赴く事になっているため参加することが出来ない。
そのせめてもの罪滅ぼしに、といつもより多めに刺繍したハンカチやポーチの作製に力を注いでいたのだった。
◇◇◇
「順調に育っているのね」
ガードナーの領地ラーズに着いた私は、早速赴いた葡萄畑に目を細めた。
ここ、ラーズの地は、長く誰も治めることのない荒野だった。
王都から馬車で数時間という場所にも関わらず、すぐ側に連なる高い山脈に阻まれて交易ルートの開拓は勿論、乾燥して痩せている土地では農地としても絶望的、勿論鉱物だとか資源が埋まっていることもないため、ずっと放置され続けてきたのだ。
しかし数年前、父であるガードナー公爵が唐突に王からこの地を治めるよう賜った。
賜った当初父は頭を抱えていたが、前世の記憶を取り戻したばかりだった私は水脈が走っていることに目をつけて、痩せた土壌の改良さえ出来れば葡萄の栽培に適しているのではと思い付き、父に葡萄畑の開墾を願い出た。
そこにはうまくいけば悪役として役割を果たした後に、都を追われたら開墾の監督としてひっそりとそこで暮らしていけるのではないかという打算があったことは言うまでもない。
私の荒唐無稽とも言える申し出に目を丸くしていたが、今のままではどのみち利益を出せる土地ではないと判断した父は、面白半分(自棄ともいう)に私の願いを聞き入れてくれたのだった。
そして数年かけ、少しずつ広げた葡萄畑はまだ小さいながらも山脈の中腹に広がるまでに至ったのだ。
まだ決して広大とは言えない小さな農地だけれど、堆肥のお陰か開墾して短期間だというのに随分と質の良い葡萄が採れるようになっており、少しずつとは言え着実に畑は年々広がっている。
農地として機能しそうなことが評判になったのか、ガードナー家が後ろ楯となっているためか、最近では他の貴族からも出資が得られるようになってますます開墾のスピードは上がっている。
いずれはここは葡萄酒の産地と呼ばれることになるだろう。そう期待できるだけの手応えを感じて胸がワクワクする。
それにこの地はずっと私が采配を振るうことができる。この地の開墾を提案したのはヴァイオレットだから、と父は開墾の見通しが立つと同時に、私が嫁ぐ際の持参金の一部にラーズの地を加えてくれたのだ。
まさに願ったり叶ったり。
安心してヒロインにロードリックルートを薦められる。
そんな景色に見とれていると、この葡萄畑を管理してくれている支配人だろうか、スッと隣に人影が立った。
「素晴らしい風景だな。あの痩せこけた荒れ野だったとは思えない」
「ええ。労力を惜しまずに従事してくれた民のお陰で───ってええぇ?!なんでここに居るの!」
笑みを湛えて隣に立つその人に答えて見上げると、イタズラが成功した子供のような笑顔を浮かべているのはロードリック王太子その人だった。
「何でとはひでえな。ヴァイオレットが視察に行くと聞いて来たんだよ」
「何それ王太子って暇なの?」
「暇じゃねーわ。ここなら馬を飛ばせばすぐだしな」
「はい?!まさか単騎で来たの?!」
「はは、問題ない。チェスターも居るさ」
くつくつと嬉しそうに笑うロードリックの後ろには、影のように近衛隊長が控えていた。
岩のような大男が全くと言って良いほど気配を消して控えているのは流石としか言いようがない。
「それにしても急過ぎるでしょう…」
「たまには息抜きも必要だろ」
「付き合わされる方はたまったもんじゃないわよ…。チェスター様、お疲れ様です」
気まぐれのような息抜きで数時間の単騎での走り込みに付き合わされる近衛隊長に若干の哀れみを感じてチェスターを労るように見つめれば、いつも表情を崩さない近衛隊長は珍しく苦笑している。
彼は私の視線に気がつくと、大丈夫だと言うように更に目元を緩ませて微笑んだ。
その様子に私もつられて思わず笑みを返すと、チェスターは一瞬驚いたように目線をロードリックに向けてその微笑みを消した。
しかし当のロードリックは気にする様子もなく楽しげに葡萄畑を眺めている。
「それにここは俺の始まりの場所だから」
「始まり?」
「覚えてないか?ヴァイオレットが俺に教えてくれたことなのに」
「私が?」
全く心当たりのない問いかけに首を傾げる。
ロードリックとラーズの話をしたことなんてあっただろうか。
「俺が王太子なんて祭り上げられた虚像だって言った時に、必要とされてる役割だって」
優しく目を細めて告げるロードリックを見上げて、私は記憶を手繰る。
そう言えばそんな事を言ったことがある。私はまだ、13歳になったばかりの頃…。
そうだ、ロードリックの13歳の誕生日を祝うお茶会の日に、庭の隅でいつになくぼんやりとするロードリックに気がついて声を掛けたのだ。
「俺は民から徴収したもので贅沢に生かされている。ただ王家に生まれたというだけで。使用人に囲まれて、不自由のない生活を」
「ええ」
「でもそれに何の意味があるんだろうと、たまに虚しくなるんだ。でも君は、俺だから意味があると。たとえ貧しい荒野でも、俺の気を引いていると判ればそこに多くの人間の興味を集め、富が集まるのだと、そうして経済を動かす力があるのだと教えてくれたんだ」
それは当時読んだばかりの経済書の受け売りだった。
力のある貴族が興味を示せば、それを取り巻くひとたちが注目し、経済効果が見込めるのだと。
「生意気な事を……」
当時を思い出せば苦笑いするしかない。
お互い幼いとはいえ、王太子に向かってエライこと言ったもんだ。
その直後、ロードリックに手を引かれて訪れたローズガーデンで前世の記憶を取り戻した衝撃で、すっかりそんな事も忘れていた。
「いや、だからここが俺の原点なんだ」
「原点」
「ここはずっとどうにもできずに放置された土地だったけど、ヴァイオレットに託したらどうなるんだろうと思ってな。俺が父にガードナー公爵領にと進言した」
「!!」
あの唐突と言える受領にそんな意図があったなんて。
「そして俺も折に触れてラーズの開墾の様子を尋ねるようにしたんだ。そうすると驚くほどに注目を集めたからな。はは、してやったりだ」
私は凄まじい速さで為し得た開墾に納得した。
これまで見向きもされない土地だったにも関わらず、開墾作業には驚くほど多くの人や出資が集まっていた。
それは、絶えず気を配ってくれたロードリックのお陰だったのだ。
「ロードリック、ありがとう」
「いや、礼には及ばない。俺の為でもあるからな」
ロードリックは更に目を細めて楽しくてたまらないといった様子で屈託なく笑う。
瞳が見えなくなるほど細められた目元には、普段は見られない笑い皺がくしゃりと現れていつもより彼を幼く見せた。
「ロードリックの?あぁ、お陰で凄いスピードで開墾が進んでいるわ。王太子に気に掛けて頂けるなんて監督のし甲斐があるわね」
「あぁ……うん、ここの葡萄酒が評判にのぼるようになったら、新酒を楽しみにしているさ」
この国には、収穫祭でその年の新酒を夫婦で楽しむという風習がある。
何でも赤葡萄酒は血を象徴とされているとかで、お互いの血を交わすという意味があるのだとか。
ちょっと猟奇的な気もしないでもないが、血を交わした夫婦は共に長く寄り添う事が出来ると信じられていて、貴族だけでなく街の人々も毎年新酒を交わすのだという。
そんなおまじないのような風習の影響か、結婚の際の嫁入り道具のなかに、その年の新酒を持たせるのも、この国ではお約束だ。
ロードリックもヒロインと結ばれた暁には、毎年新酒を交わすことになるだろう。
…ちょっと待て。
王太子夫婦のお気に入りの新酒とか付加価値がとんでもないことになるのでは?
「王太子夫婦に気に入って頂けるようになったら、貴族たちにも注目されるようになるわね」
「あぁ。そうだな。って王太子夫婦?」
「ロードリック、婚約が決まったら、是非とも彼女の好みの味を教えて頂戴。やっぱり若い女の子だと、甘めの方がいいかしら?」
ヒロインはたしか私たちよりも2歳くらい年下だったはず。
あんまりお酒に慣れてないなら、飲みやすい甘めのタイプが良いだろう。
今栽培している葡萄も、これから糖度を上げていけるだろうか。
「いや、俺は」
「そうなるとやっぱり品種改良もしたくなるわね」
「や、俺はだな。ヴァイオレットに新酒を持ってきてもらえたらと思ってるんだ…けど…」
「ロードリック、任せて!令嬢が虜になるような葡萄酒を作って献上してみせるわ」
「そう言う意味じゃねぇよ…」
「そうね。葡萄酒の名産地として名が通れば、免税の恩にも報えるしね」
「………あぁ、期待しているよ」
「任せて!」
ロードリックは鼻息も荒く答える私を見てため息をつくと、時間だ、と名残惜しそうに懐中時計をパチリと閉じた。
そして側に控えるチェスターに目配せすると葡萄畑に背を向けて、心なしか力なく歩き出した。