こどもドラゴン8
逃亡先にラブホを選んだのは主に前の上司との経験から(エロ目的ではない)
わたくしを抱きかかえたまま、光一郎さんは林を走り抜け、一つの建物に入りました。
フロントに誰もおらず、どの部屋を借りるかを選ぶだけの少し安っぽいホテルです。
……恐らくは、男女の契りをかわすためのホテルでしょう。兄弟子たちがそんな話をしていたのを聞いていましたから。
光一郎さんは片足を失い歩けないわたくしを着ていた上着でくるみ、抱きかかえたままわたくしを運びます。
その姫君を守る騎士様のような姿に、わたくしは傷の痛みや怒りとは違う感情で顔が赤らむのを自覚しました。
「……傷の具合はどうだ」
部屋に一つしかない大きなベッドにわたくしを寝かせた光一郎さんが心配そうにわたくしの顔を覗き込み、尋ねてきます。
「え、ええ……足以外は大丈夫です。足も何とか動くくらいには生えてきました」
まっすぐに覗き込んでくる、澄んだ瞳に動揺しながらも、わたくしはベッドから起き上がって自分の状態を説明しました。
抱きかかえられている間は、回復に専念していたおかげで、吹き飛んだ足も一応は生えてきています。
まだ十分に血が巡っていないのか、動きが大分鈍く、いつものような動きをするには不足ですが、お師匠様との鍛錬で何度か脚や腕を失った経験によれば、わたくしの再生能力ならば朝までには完治するはずです。
「そうか。なら、良かった」
わたくしが元気な様子を見て、光一郎さんが顔を綻ばせて言います。
「朝まではここに潜伏する。奴は人間を巻き込むことを嫌うから、この中までは入ってこないはずだ」
「じゃあ、安全なんですね……」
「基本的にはな」
光一郎さんの答えに、わたくしはため息をつきました。
もう一度アレと対峙し、戦う気にはなれません。死にかけましたし、迫られた時の強烈な恐怖は、今思い出しても身震いを感じます。
あの時は人間への憎悪のお陰で言い返すことも出来ましたが、今の状態で出会ったら、わたくしは竜の子らしからぬ情けない姿を晒してしまうでしょう。
……そこまで考えて、わたくしは今の自分の姿を思い出してとても恥ずかしくなりました。
「……光一郎さん、わたくし、匂いませんか?」
思わず光一郎さんに尋ねます。その、汚い姿を部下に晒すのはどうかと思ったので。
そんなわたくしに対して光一郎さんは笑顔で言います。
「そりゃまあ、匂うな。普通に血と泥だらけだし」
きっぱりと言われてしまいました。とても恥ずかしいです……いえ、お小水の匂いに気づかれなかったのだけは安堵しましたけど。
「……お風呂、入ってきます」
「ああ」
わたくしは少し落胆しながら、部屋に備え付けのお風呂場に入ったのでした。
丹念に身体を洗い、湯船につかっていると、お湯の温かさで疲れが溶けていくように感じます。
その心地よさにわたくしは身体を湯船に沈めて目を閉じました。
(これから、どうなるのでしょうか……)
気が緩んだからでしょうか?
今まで考えないようにしていたことが思い出されます。
失敗作の抹殺のために鍛え上げられたわたくしが、失敗作に負けて、あまつさえ逃げ出してしまいました。
結社の、誇り高き怪人としては失格です。
そんなわたくしが、まだ生きている価値は残っているのか?また、ひどい目にあわされて今度こそ死ぬのではないか。
そう考えると、身体に、寒気と痛みが走ります。
(あのとき、死んでいれば、良かったのでしょうか)
誇り高き結社の怪人ならば、最悪の失敗作相手に死ぬまで奮戦し、力及ばず死したとしても恥ではなかったでしょう。
……これを恥としてしまえば、数百に及ぶ散っていった怪人たちをも恥となってしまいますから。
ですが、それで自分が死ぬことを考えたら、余計に死ぬのが恐ろしくなり、わたくしは湯船に深くつかります。
暖かなお湯の中にいるのに、何故か痛くて、寒くて、凍えそうになります。
(もっと別のこと!そう、別の……)
このままだと寒さで死んでしまうと思ったわたくしは必死に違うことを考えることにして……今度は身体が熱くなるのを感じました。
わたくしを、あの場から救い出してくれた、光一郎さんのことが思い浮かんだのです。
(……光一郎さん)
A級怪人であるわたくしですら手に負えなかった化け物に立ち向かい、わたくしを助け出してくれた光一郎さん。
あの、毛むくじゃらの黒い腕に抱きかかえられた時の感触は、今もわたくしの身体に残っています。
初めてのはずなのに、初めてな気がしない、不思議な、感覚。
その腕の中にいたとき、わたくしは確かに『助かった』そう感じたのです。
「……光一郎さんは、どのような女性が好みなのでしょうか」
そんな言葉が思わず口から漏れて、また赤面します。
怪人になってからは男性の方とのお付き合いが多かったせいか、性的な知識もずいぶんと増えました。
お師匠様や兄弟子が、女性の怪人たちとそう言う関係を結ぶことは珍しい話ではありませんでした。
色恋沙汰で弄び捨てるようなことはご法度でしたが、互いに割り切った関係ならば生活の潤いの一つであると言っていたような気がします。
わたくしは女性であるせいかそう言ったことに興味が持てませんでしたし、したいとも思えませんでした。
ですが、今は……光一郎さんならば『初めて』を上げても良い。そう思います。
「……仕方ありませんね。命を救ったのです。多少のねぎらいは必要でしょう」
命を救った献身に報いるねぎらい。そう言うことにしましょう。
そう決意してしまえば、心も軽くなります。
わたくしはざぱりとお風呂から出て、下着姿で光一郎さんの前に立ちます。
自分で言うのも何ですが、顔やスタイルには自信があります。兄弟子たちにも何度かお誘いを受けて全部断っていたくらいです。
それに光一郎さんとて若い男性。興味がないはずがありません。
「……」
それ以前でした。光一郎さんは寝てました。床に座って。
「光一郎さん!」
「……オレのことは気にしなくていい。身体はちゃんと拭いたし、床で寝るのは慣れてるからな」
思わず声を荒げると、光一郎さんは目を開いて、当然のように言います。
なんというか、わたくしの艶姿には欠片も興味が無いのでは?と思えて、とても不愉快です。
「ダメです。ちゃんとベッドで寝てください」
「……いいのか?」
わたくしの言葉に、光一郎さんが不思議そうに聞いてきます。
きっとわたくしが、そう言うことに興味を示すと思わなかったのでしょう。今まで床を同じくしたことはありませんでした。
「上司命令です。わたくしたちは怪人なんですから、同衾くらい普通のことです。
……それとも、わたくしとは、いや、ですか?」
「……もちろん、嫌じゃないさ」
少し不安な気持ちになりながら尋ねると、光一郎さんがぎゅっとわたくしを抱きしめてきます。
わたくしとは違う、かすかな汗の香りと、固い胸板が、太い腕がわたくしを包み込むのを感じて、わたくしはそっと目を閉じて呟きます。
「温かい、ですね」
「生きてるからな。オレも、お前も」
「ええ。そうですね。ちゃんと、生きてます」
生きてるから温かい。当たり前のことですが、その言葉にわたくしは安堵を覚えます。
光一郎さんと二人ならば、何も、怖くない。
「……もう一つ、命令です」
「命令?」
そのことが嬉しくて、わたくしは勢いのままに次の命令をしました。
「光一郎さんに、わたくしへの夜伽を命じます」
「……いいのか?オレが初めてで」
そのままの勢いで出した言葉に、光一郎さんが驚いたように聞き返してきたことに、密かに満足しながら、わたくしは甘い吐息と共に言葉を吐き出します。
「光一郎さんじゃないと、嫌です」
そして、わたくしの初めてはとても素晴らしいものとなったのでした。
*
あの戦いから、一週間が過ぎました。
竜造寺巴の拉致については、失敗作から無様に逃げ出したわたくしでは今の失敗作を倒すには力量不足と判断され、任務から外されました。
結社においては、失敗と死は同義……ですが、あの失敗作と交戦し、奴の新たな能力について情報を持ち帰った功績は認められました。
今はさしあたりわたくしたちは基地で待機し、結社の沙汰を待っている状態です。
その期間、わたくしは基地で割り振られた小さな部屋で光一郎さんと共に過ごし続けました。
することと言えば食事と家事。学習に、鍛錬と……光一郎さんとの男女の営み。
それは、まるで咎人のような、結社の栄えあるA級怪人としては屈辱的といっても良い暮らしですが、不思議と楽しく感じられました。
兄弟子たちから伝え聞くに、残念ながらお師匠様には失望されてしまったようですが、それはそれで気楽で、悪くはないと思います。
好きな人と共に穏やかに過ぎていく日々……そんな暮らしをしていて一週間がたったある日の夜のこと。
「あら、光一郎さん。どこかへお出かけですか?」
わたくしは、光一郎さんが出かけようとしているのを見かけました。
普段から情報収集やら食材や日用品の調達やらで出かけることも多い人ですし、数日前から何やら悩んでいた様子はありましたが、既に時刻は日が暮れた夜。
作戦中でもないのに出かけるのは、不自然な気がします。
「ん?ああ……酒でも飲みたいと思ってな。ちょっと怪人酒場に行ってくる」
そんなわたくしの視線に気づいたのか、光一郎さんは肩を竦め、どこに行くのかを白状しました。
「怪人酒場? ……あそこですか」
どこかで聞いたと考えて、前に兄弟子が言っていた場所であることを思い出します。
確かお酒やお料理を出す、怪人用の慰問施設だと。
何度か兄弟子に誘われたことはありますが、興味もわかず、下心も感じられたので行こうとも思わなかった場所です。
「……よければ、一緒に行くか?」
「ええ。お付き合いします」
光一郎さんと一緒ならば悪くないし、むしろ興味があります。
わたくしはいそいそと出かける支度をしました。
わたくしの持つ乏しい服の中で最も大人っぽく見えるスーツを着たわたくしは、光一郎さんに連れられて怪人酒場を訪れました。
無数の怪人たちが酒盛りをする表の先にある、有力な怪人のみが利用する場所。
そこには恐らくは怪人なのであろう男女が、静かに会話を楽しんだり、お酒を飲んでいたりしました。
男性は皆、光一郎さんのようなスーツ姿で、女性もみな華やかな恰好をしています。
一応、ドレスコードには違反していないものの夜会向けとは言えない恰好のわたくしは、少し浮いていて、ちょっとだけ恥ずかしく思いました。
初めての場所で緊張するわたくしに対し、光一郎さんは慣れた様子でわたくしと共にカウンターに座ります。
「おや珍しい……ご無事なようで何よりです。光一郎様。それと、そちらの美しいお嬢さんはどなたでしょうか」
「お久しぶりです。マスター。こちらは今の私の上司です」
「リュウグウゴゼン1号、乙姫です。どうぞ、よしなに」
丁寧な光一郎さんの紹介にあわせて名乗ると店主はにこやかな笑みを浮かべて言いました。
「なるほど、貴方が噂の乙姫様でしたか。私はここの運営を任されているものです。どうぞ、お見知りおきを」
口ぶりからすると、わたくしがA級怪人であることも知っているようですが、店主の態度は変わりません。
恐らくは、慣れているのでしょう。A級怪人の相手をするのに。
「それで、本日はどのようなものを?」
店主の確認に、光一郎さんは少し考えこみます。
……何故か、少しだけ緊張しているように見えました。
「……マスター。ジャック・ローズを一杯くれ。それと、オレの大事なこの子にピッタリのカクテルをひとつ、頼む」
そして、一つ息を吸ってから、どこかで聞き覚えがあるカクテルらしいお酒を注文しました。
「承知いたしました。では、シャーリー・テンプルなどいかがでしょう?」
「お任せします」
正直お酒のことはよく分かりませんので、わたくしは店主の確認に従うことにします。
……前に兄弟子に飲まされた時は、苦いだけで美味しいとは思いませんでした。
良かったことと言えば、リュウグウゴゼンはいくら飲んでも全く酔わないことが分かったくらいです。
わたくしたちの注文を受けて、店主がすぐに、お酒を用意します。
わたくしの方は、琥珀色をしていて、レモンの皮が浮かべられたお酒。
そして、光一郎さんには……薔薇のように赤いお酒。
「綺麗なお酒ですね?」
「ああ、綺麗だろ? オレの昔の上司が好きだった酒だ」
……その言葉で、わたくしはようやくジャック・ローズという言葉に聞き覚えがあった理由に思い当たりました。
A級怪人ジャック・ローズ。光一郎さんがかつて仕えた上司で、失敗作に敗れてお亡くなりになった方です。
(ああ、だから、悲しそうだったんですか)
ジャック・ローズはわたくしがまだ人間だった頃にお亡くなりになった怪人なので、詳しいことは知りませんが、気になってタカコさんに調べて貰った資料を見る限りでは、とても優秀で強い怪人だったそうです。
また、多くの怪人に慕われる人格者だったとも。
「前に飲んだのとは、やっぱり違うが……美味いな」
そのかつての上司と同じ名前のお酒を、光一郎さんはおいしそうに、そして少し悲しそうに味わっています。
少しずつ、ゆっくりと飲んではいますが、それでもあまり大きくないグラス1杯のお酒はあっという間になくなりました。
空になったグラスをことりと置いた後、光一郎さんがポツリと言います。
「……乙姫が、生き残ってくれて、本当に良かった」
その言葉に、わたくしは胸が締め付けられるような痛みと、愛おしさを感じました。
生涯をかけて愛する相手の言葉が、これほどまでに甘いものだと初めて知りました。
「も、勿論です。わたくしは、リュウグウゴゼンですもの。簡単にくたばるほど、弱くありません!」
その甘さにむずがゆくなりながらも、わたくしは断言します。
例え一度負けて地に落ちたとしても、わたくしは竜の子。光一郎さんと一緒ならばいくらでもやり直せるはずです。
「……そっか。もう、大丈夫そうだな」
「ええ!これからもずっと、一緒です!」
……熱に浮かされるままに言ったわたくしの言葉に、光一郎さんは静かに微笑んで返してくださいました。
それから、光一郎さんとわたくしは怪人酒場でしばし大人の付き合いをした後、部屋に戻って男女の契りをかわしました。
シャーリー・テンプルと言うマスターお勧めのお酒を何杯か頂いた後、少し酔ったふりをしてふしだらな行動をしてみたら、いつもと違った顔で戸惑った様子だったのが、とてもかわいかったです。
……そして翌日、目を覚ますと光一郎さんはどこにもいませんでした。
代わりに置かれていたのは、結社からの指令書が一つ。
―――辞令。サージェントウルフ5126号。先の作戦失敗の責により、リュウグウゴゼン1号の副官を解任する。
こうして、わたくしのささやかで、幸せな暮らしは終わりを告げたのです。
酔ったふりをする分には、飲み物にアルコールが入っているかは些細な問題である。




