Season1 Welcome to Sword World 06
病弱系ヒロイン、アリシアさん。
あまりの暑さに目が覚めて、わたしはぼんやりと考えました。
(どこでしたっけ……ここ)
見覚えのない天井に、見覚えが無いベッド。
何故こんなところにいるのでしょうか? ……思い出せません。
(ああ、これねつでてますね……)
わたしに分かるのは、いつものように自分が熱を出したことくらい。
疲れが溜まったり、ちょっと無理するといつもこうです。嫌になります。
こうなるとしばらくは動けません。だからゆっくりと寝ようとして……ドアが開く音がしました。
「こ、こういちろうひゃん!?」
「おはよう。アリシアさん」
入ってきたのは、コーイチローさんでした。
わたしは慌てて起き上がり、コーイチローさんを出迎えます。
「顔赤いな。プロフェッサーの予想通りか……喉渇いてるだろ? 飲み物持ってきたぞ」
顔が、近いです。
コーイチローさんはわたしの顔を覗き込んだ後、わたしにそっとカップを渡して言います。
「一人で飲めるか?」
「だ、だいじょうぶです……あ、これおいしい、です」
コーイチローさんから思わず目をそらして、渡された飲み物を飲みます。
それはほんのり甘酸っぱくて、冷たすぎなくて、渇いた喉にはとても美味しく感じられました。
こくこくと、少しはしたなく喉をならして一気にコップの中身を空にしてしまいました。
「そっか。そりゃ良かった。飲み終わったみたいだし、寝とけ。あとはちょっと寝れば、熱は下がるから」
わたしが飲み物を飲み終えると、優し気な笑みを浮かべたコーイチローさんがコップを受け取り、それからぽんぽんと頭を撫でます。
「……はい」
それだけで少し楽になった気がして、気持ちよくて目を閉じると、そのままわたしは眠りにつきました。
わたしが再び目を覚ましたのは、それからしばらくしてからでした。
「……あれ?」
本日2回目の目覚めは、とてもすっきりとしたものでした。
起き上がってみれば身体の調子はいつもよりいいくらいです。
(……なんだかすごく簡単に熱が下がりましたね)
いつもならば二日は寝込む感じの熱の出方だったにも拘わらず、もう完全に熱が下がっています。
熱を出して寝込むことに関しては玄人と言っても過言ではないわたしの感覚では、熱さましの苦い薬湯を飲んでもありえないくらいです。
(あ、もしかして)
そしてその原因に気づいてわたしは先ほどコーイチローさんに渡された『飲み物』が注がれたコップを確認します。
(うっわ。これ、飲んだんですか、わたし)
コップの底に残った飲み物の色がすごく毒々しい青色だったことに気づいて、わたしはちょっとげんなりしました。
ベッドから出て、持っていた荷物から下着を取り出して変え、出来るだけ汗を拭うと、わたしはプロフェッサーさんのいる部屋へと向かいました。
何やら空中に浮かんだ謎の板を見ていたプロフェッサーさんがわたしに気づき、わたしを見ました。
「ふむ、回復したようだな」
「あの、はい……あれ、プロフェッサーさんが作ったんですか?」
半ば確信を持ちながら、一応確認します。
「ああ。お前の血液分析の結果を元に合成した。効能は解熱下痢止め咳止め免疫機能強化、副作用はやや重めの眠気、ベッド上で飲むなら問題は無し。
ちなみに診断結果は心臓と肺に要外科手術レベルの欠陥がある可能性大、免疫機能がやや低く白血球が少し足りん。
観測番号1872に置いてごく一般的なものを除けば特殊な細菌、ウィルスへの感染は起こしておらずガンや生活習慣病の兆候は無し。
分かりやすく言えばそんなところだ」
……プロフェッサーさんの言っていることはさっぱりわかりませんでしたが、まあ思った通り先ほどの薬はプロフェッサーさんが作ったこと、
わたしはあんまり健康とは言い難い状態である、といういまさらなことは分かりました。
「はぁ……お薬、ありがとうございました。おかげで回復しました」
血液を寄越せと言い出した時には邪悪の輩かと思いましたが、案外いい人かもしれません。
そう思いながら、お礼を言います。
「気にするな。私にも必要があったから合成した。それだけだ」
そんなわたしには、あまり興味が無いのか、プロフェッサーさんはわたしに背を向けて板を覗き込む作業に戻りました。
「もう少し起きてくるのが遅かったら、たたき起こす予定だった。ちょうど光一郎も街に到着したところだしな」
「……辺境の町の入り口? 何か描かれている人が動いているのですが」
つられてわたしもその板を覗き込み、その板に描かれた絵が辺境の町の入り口付近を精巧に描いてるのに気づきました。
……きっとこれも、プロフェッサーさんの何かすごい魔法かなにかでしょう。驚きは、もうあまり感じません。
「小型カメラと連動させたホログラムモニターだ。光一郎の見ている光景をそのまま映している」
「……プロフェッサー。街に到着した」
うわ!? 今どこからともなくコーイチローさんの声が聞こえました。
それも明らかに会話するような感じです。
「ああ、確認した。これより、情報収集に入れ」
「了解」
突然聞こえたコーイチローさんの声にも動じずに答え、まるで目の前にコーイチローさんがいるかのように会話をかわしたプロフェッサーさんがわたしに向き直りました。
「さて、アリシア・ドノヴァン。ここからはお前にも協力してもらう。そのために私自ら解熱剤を合成してやったのだからな」
「……はぁ。わかりました。それで、何をすればいいですか? わたしにも出来ることと出来ないことというのはありますよ」
少し考えて、同意します。実際あのお薬は噂に聞く《霊薬》かと思うほど強力で助かったのは事実ですし、ここでアジトから追い出されるわけにもいきません。
なんでも、は無理ですが協力出来ることなら協力した方が良いでしょう。
「なに、そう難しいことではない。お前の知識が欲しいのだ」
「知識ですか?」
プロフェッサーさんの提案に、わたしは首をかしげます。
プロフェッサーさんは、人狼を使い魔に出来るくらい高位の魔術師のはず。
そんな人が、わたしより知識が無い、そんなことがあるのでしょうか?
「ああ、昨日の様子を見るにお前はこの世界においてはかなり知識がある知識階級に属している」
「まあ、そうですね。本職の賢者様や魔術師ほどではないですけど、結構色々知ってるつもりです」
とは言え、プロフェッサーさんがわたしの知識を欲しがっているのは、間違いなさそうです。
そしてそれは、今のところ渡して何か差しさわりがあるものではありませんし、素直に従っておく方がよさそうです。
「我々は、この世界の事象について、あまり詳しくない。故に、これから光一郎が行う情報収集について、見落としが出るかも知れん。
それに気づいたときに指摘して欲しい。可能ならばその事象についての説明も依頼する」
「……分かりました。それでしたら、お手伝いできると思います」
……それにしても、先ほどから言っている『観測番号1872』とか『この世界』というのはなんなのでしょう?
という疑問が頭をよぎりますが、とりあえず気にしないことにして、取りあえずプロフェッサーさんに協力することを伝えます。
わたしだって、これでも20年以上生きているのです。
世の中には知らないままにしておいた方が良いことがあることくらい、分かっているつもりです。
「よし。交渉は成立だ」
私が協力を約束すると、プロフェッサーさんは魔法の板に向かって話しかけました。
「聞いていたな。光一郎。これから情報収集を行え」
「了解。アリシアさん、回復したんだな。よかった……情報の集め方は、任せてもらってもいいか」
「かまわん」
驚いたことに、どういう原理なのかあの板に映し出されているコーイチローさんとプロフェッサーさんは話しが出来る上に、
コーイチローさんにはわたしの声も聞こえていたみたいです。
それから、コーイチローさんは、あちこちを回りだしました。
まず、コーイチローさんが尋ねたのは、市中を警邏する衛視さんでした。
「よぅ、コーイチローじゃねえか。ギルドの職員の娘の護衛は終わったのか?」
どうやらコーイチローさんは衛視さんと顔見知りらしく、気軽に挨拶をしてきます。
「いや、まだです。移動の道中で魔犬に襲われたので、護衛対象を危険にさらしちゃまずいと思って引き返してきました。
今は信頼できる知り合いにかくまって貰ってます」
「そうか。まあ最近は物騒だもんな。街中にまで魔犬が出やがる。うちにも数人被害者が出てる。
噂だが、この街の近くで獄猟犬を見たって話もある。お前さんも気をつけろよ」
それだけ言うと、衛視さんは警邏に戻るべく手を振って歩いて行ってしまいます。
「おいアリシア・ドノヴァン。ヘルハウンドとはなんだ?」
「アリシアさん、ヘルハウンドって言うのは、ポイズンフィーンドみたいに、ミスリルの武器じゃないと倒せないのか?」
「えっと……確か、魔界に住む犬の怪物ですね。子牛くらいの大きさで、炎を吐くとか……魔術で召喚されたのかもしれません。
下級悪魔と同じく聖銀の武器が特に有効ですが、下級悪魔と違って普通の武器でも普通にダメージを与えられる……はずです」
それを見送ったプロフェッサーさんとコーイチローさんの質問に、わたしはギルドの怪物図鑑に載っていた内容を必死に思い出しながら答えます。
下級悪魔を使役できるほどの魔術師なら、獄猟犬くらいは簡単に召喚可能でしょうから、獄猟犬が本当にいるなら、使い魔である可能性が高いです。
「そうか。ならまあ、襲われてもなんとかなるか」
……武闘家でもあるコーイチローさんにとっては、獄猟犬は危険かどうかより、倒せるかどうかの方が重要みたいです。
「光一郎、発見したら死体を出来る限り無傷で持ち帰れ。
バーゲストは観測番号1872の一般的な犬と同じ身体構造と遺伝子だったが、魔界とやらの犬はどうなのか確認をしたい」
プロフェッサーさんの発想は、やっぱり邪悪の輩よりな気がします。
それから、コーイチローさんは町のあちこちへ行って、話を聞いて回りました。
日用品を扱っている商店街のおばさま方や同業の冒険者さん方、ギルドの男性職員の寮の女中……様々な人たちから巧みに話を聞きだし、色々な情報を集めます。
近頃妙に街に野良犬が増えたこと、冒険者さんの一党が依頼で向かった近隣の小鬼の巣が犬か何かに襲われてつぶされていたこと、
ジョニーが魔犬に襲われて死ぬ前に何かを調べていたこと……日が暮れる夕刻までのたった一日で、ずいぶんと色々分かりました。
「……あの、コーイチローさん、なんだかすごく手慣れてませんか?」
コーイチローさんの話の聞きだし方は堂に入っていて、経験がないとは思えないものでした。
まるで、何回もこういった経験があるかのように思えます。
そんなわたしの疑問に、プロフェッサーさんが肩をすくめ、言います。
「サージェントウルフは他の怪人の補佐を主な任務とするからな。
事務仕事や情報収集、現場の下見、潜伏任務に潜入調査、家事雑用……戦闘以外に長けた奴もいる。
特に光一郎は結社のデータベースの情報が間違ってないならばサージェントウルフになってから既に7年以上生存している。
サージェントウルフの平均生存期間が1年を下回ることを考えれば驚異的な生存期間だ。大概のことは出来るだろうさ」
……なるほど、コーイチローさんは冒険者さんとしては素人でも、その前に随分と色々な経験を積んでいるようです。
「よし、次は……ジョニーとか言ったか。この前殺されたという男の部屋を調べろ」
「了解。俺もそのつもりだった……夜まで待つ。そんときにまた連絡してくれ」
「分かった。好きにしろ。それまでは自由行動で構わん。通信をいったん切るぞ」
そう言い残すと同時に、光の板が消滅しました。どうやら、少しの間お休みみたいです。
確かにギルドが関与してることを知らない衛視さんたちはただの不幸な犠牲者であるジョニーの部屋は詳しく調べてない可能性が高いです。
ここでギルド側に動きを悟られずに調べるには、忍び込むしか選択肢が無いのも事実なので、文句を言うつもりはありません。
しかし、わたしにはそれはそれとして、どうしても確認したいことがありました。
「あの、プロフェッサーさん……コーイチローさんは、一体何者なのですか?」
ここまでで何度も感じていた疑問。聞くならば、今だと思ったのです。
「意味が不明瞭だ。何を言いたい?」
「わたし、最初はコーイチローさんは人狼だと思っていました。ですが、わたしにはコーイチローさんが人狼とは思えないんです……
だったら、何になるのかなって」
その問いに、コーイチローさんの上司らしいプロフェッサーさんならば答えられるのではないかと思ったのです。
「ふむ……光一郎が何者であるかと言えばあのポイズンフィーンドとか言う二足歩行の両生類に本人が言っていた通りの存在だと思うが?」
わたしの言葉に対するプロフェッサーさんの答えに、わたしはあの時のことを思い出します。
……瘴毒の悪魔にコーイチローさんはまるで騎士の名乗りのごとく啖呵を切って、その時に名乗っていたのが……
「……怪人」
聞きなれぬ、良く分からないものでした。
怪人……言葉の意味合いからすると怪物と人間が混ざり合ったもの、という意味になるのでしょうか。
世の中には、老人の顔と蝙蝠の翼、蠍の尾を持つ獅子の怪物や邪悪な魔術師が邪法を使い、複数の生物を混ぜ合わせた怪物が居るという話は聞いたことがあります。
それに、体の一部に獣の特徴を持つ獣人は、混沌の側にも秩序の側にもいる、一般的な種族です……どれも、コーイチローさんとは少し違うものです。
「そうだ。光一郎は怪人。正確に言えば怪人サージェントウルフ5126号だ」
プロフェッサーさんがわたしの言葉に頷き、肯定します。
ですが、最も根本的なところが、わたしにはわかりません。
「……その、怪人って何なんですか?」
そうです。わたしにはプロフェッサーさんの言う、怪人がどんな存在なのかが分からないのです。
「なるほど。まず怪人の定義が分からんということか」
わたしの言葉に、プロフェッサーさんは少しだけ考えて、言葉を紡ぎます。
―――劣等なる人類種に代わる優良種。人類の限界を超えて進化した新たなる地球の覇者。そして人類に代わり世界を導く偉大なる結社の一員。
朗々と歌を歌う吟遊詩人のように、プロフェッサーさんの言葉が響きます。
その物言いは、教会の神をたたえる聖句のようにも聞こえます……ごく普通の信仰心程度しか持っていないわたしには、ちょっと難しい言葉です。
「まあ人間より強く、人間には無い異能を持ち、異形の姿になれる人間のような生き物だと思っておけ」
その聖句を、秘境の方々に分かりやすく伝える宣教師様のように、プロフェッサーさんはかみ砕いて言い直します。
「な、なるほど……」
今度の言葉は大分わかりやすいです。
ちょっとざっくりしすぎている気はしますが、つまりは不思議な力があって人狼のような姿になれて、そして強い『人間』みたいです。
「まあ、光一郎に関して言えば、怪人でもあるのは確かだが、性格はそう悪くないと思うぞ。善悪で言えば善人よりだろう」
「そうですね……それはわたしもそう思います」
続いたプロフェッサーさんの言葉には素直にうなずきます。
ようやくしっくりきました。
人間の姿で人間に紛れ、人を食い殺す恐るべき魔物である人狼でも無いし、世界を破滅に導かんとする邪悪の輩でもないと分かればとりあえずは十分です。
コーイチローさんは人間じゃない怪人かもしれませんが、わたしの命の恩人で、どちらかと言えば秩序の側に属する善良な人。
それさえ分かっていれば、怖くはありません。
「……ふむ、意外と思考が柔軟なのだな。アリシア・ドノヴァン」
わたしの顔に納得が浮かんだのを見て、プロフェッサーさんがぽつりと言いました。
「そうですか?」
「ああ、怪人を善悪関係ない、個人の資質と捉えられるものは意外と少ない。
もとの世界の人類は、結社に属する怪人というだけで問答無用で殺害すべきモンスターだと考えるものが大半だった。
……怪人に脳改造を施して犯罪や破壊活動に従事させていた結社の行動を考慮すればそう考えるのも妥当ではあったがな」
褒められたことに不思議そうな顔をしてたのであろうわたしにそう言いながら、少し顔を険しくしてわたしの方を見ます……まるで、値踏みでもするように。
「……お前のこと、私は意外と信用できそうだぞ。アリシア・ドノヴァン」
そう言って笑うプロフェッサーさんの顔はまるで獲物を見つけた猫のようで……
「あ、はい。ありがとう、ございます」
わたしは少しだけ、熱がぶり返したような悪寒を感じました。
まあファンタジー世界に怪人いないしね。普通。