こどもドラゴン1
過去編第3弾
私は、平穏が欲しかった。
生活には困らないくらいのお金と、好きなことを好きなだけ出来るくらいの暇と時間。
そして冒されることのない縄張りに、代わり映えしないけれど大きな事件も無い、安定した日常。
それさえあれば怪人による人間社会の支配とか世界征服なんてどうでもよかった。
結社と言う組織は、偉大なる大首領様と一介のアサシン・ジェリーなんて歯牙にもかけないくらい強いS級怪人やA級怪人たちの手で動く。
私みたいなB級怪人は、時分から動かなければただ命令に従って、何も教えられず、知ることも出来ずに言われたとおりに任務をこなし、そのうち死ぬ。
それが18歳の頃からこの結社でB級怪人として生きてきた私が知ることが出来た数少ないことだ。
私は居てもいなくても大して変わらないB級怪人の一人にしか過ぎなかったし、アサシン・ジェリーと言う怪人は例え人間相手でも少し間違えばあっさり死ぬくらいには弱い。
そのことを10年を越える怪人としての暮らしで嫌というほど思い知り、そうならないようあがくうちに私は、いつしか強く平穏を求めるようになった。
そのためには努力は惜しまなかったし、その平穏を手に入れようとする私を邪魔をする奴らは誰であれ全部、叩き潰してきた。
一歩踏み外せば死ぬような危ない橋をいくつも渡り切って、私は必要なものを手に入れたのだ。
生活には困らないお金に、好きなことを好きなだけ出来るくらいの自由。冒されることのない縄張りに……気を許せる大切な人。
私は何年もかけて欲しかったものをすべて手に入れ、そして今、失いそうになっている。
結社の原理は弱肉強食。すべてを手に入れたなら、次は奪われることを恐れ、あるいは覚悟しなければならない。
手に入れた平穏はたった一枚の通達で手に入れたことを奪われることもあるのだ。
アサシン・ジェリー6号、コードネーム樹里へ通達
サージェントウルフ5126号に対し、XX/X/X 12:00よりリュウグウゴゼン1号、コードネーム乙姫の任務遂行の補佐役への転属を命じる。
サージェントウルフ5126号は現在貴殿指揮下にあることを鑑みて、本辞令については貴殿より通達されたし。
「……はぁ」
ウィークリーマンションのトイレの中で何度見ても変わらないその文面を見て、私は何度目になるか分からないため息を吐き出した。
三日前、唐突にやってきた。結社の命令。光一郎にはもちろん、私にだって拒否権が無い、絶対的な命令。
光一郎が戦闘訓練に落ちた雑魚サージェントウルフを率いてナウマンヴァイキング1号を倒してから、有能な部下を欲しているA級怪人どもに奪われないために色々と頑張ってきたのだが、どうやらここまでらしい。
(あの暴君閣下が動くなんて、流石にどうしろってのよ……)
他の怪人ならば、私のコネやお金で何とか出来たと思う。強さにふんぞり返ったアイツらとは生き方が、積んできたものが違う。
だが、何事にも例外というものはある。
「初めまして。アサシン・ジェリー6号、樹里様ですね。わたくし、閣下の元で秘書を務めております、サージェントウルフ6245号、タカコと申します。
本日は、サージェントウルフ5126号、光一郎様に結社からの辞令を持って参りました」
光一郎が出かけているわずかな時間を縫うように、この指令をわざわざ手渡しするためにやってきたのは、あの暴君閣下の秘書だった。
勿論、私は知っている。二重の意味で警戒対象に数えられている女なのだから。
サージェントウルフ6245号、コードネーム、タカコ。
怪人としては最下級のC級怪人サージェントウルフ……だが、光一郎と共にナウマンヴァイキングを倒し、今では構想段階とは言えサージェントウルフの中でも特に優良な個体を選りすぐって作るという特殊部隊候補の一人。
戦闘用と認められ、結社の怪人の副官として配置されてからはその美貌と気配り、そして事務処理能力でもって数多の男怪人を誑し込むことで見る見るうちに頭角を現し、暴君閣下の美人秘書に上り詰めた女。
一人のサージェントウルフでありながら、その影響力は、私にも匹敵する。
そのことだけでも、誰が背後にいる命令か察せるし、逆らったら地獄行きなのは間違いなしだ。
「不安だわ……」
そしてリュウグウゴゼン1号、コードネーム乙姫についても、調べた……全くの無関係というわけでも無かったから。
私の半分近い、17歳の若い女だ。元々の素体の時点で若かったうえに怪人になってからの期間が一年にも満たない。
改造後、先月までずっと『訓練』に明け暮れていたため、実戦経験は乏しいものの、結社にとっての大事な作戦に参加し、全部成功させてはいる。
と言っても既に一部のA級怪人の間で有名になっているのは、実績よりもその『強さ』故だろう。
圧倒的な身体能力に加えて、暴君閣下から直々に『怪人専用の剣技』を仕込まれたというその強さは凄まじく、既に彼女に単独で勝てる怪人は結社全体でも見ても大首領様や暴君閣下を始めとした一握り。
将来はS級怪人になることはまず間違いないとまで言われる、弱肉強食と言う結社の原理を体現した女。
問題は、コイツがたった1か月の期間で既に9人に及ぶサージェントウルフの『部下』を死なせていることだ。
調べた限りでは最初の奴は、殺されても文句を言えないクズだと思うが、他の8人はサージェントウルフとして見ればごく普通だったと思う。
というか2人目、6人目、8人目みたいに『こどもドラゴンと言い間違えたから』なんて理由で殺していたら、幾ら補充が効くサージェントウルフとは言え、流石に足りなくなる。あの暗黒蟻帝だって殺すのは戦闘訓練から脱落した労働用や被験体が殆どだった。
これはつまり、あれだ。
心が壊れた人間を改造した結果生まれた、心が壊れた怪人。
……私を含め、結社においては決して珍しくはないが、遠巻きにすべきである危険な存在。
それが、結社でも屈指レベルの戦闘能力を有している。普通であれば関わりあいになるべきではない疫病神だ。
(そんな奴に部下として光一郎を差し出すことになるなんて、まるで荒ぶる神を鎮める人身御供ね)
正直、身内を関わらせることになるなんて、全力で拒否したい相手。
だが、そんな代物が出来上がってしまった原因の一端は、私でもある。
あそこであの子を見つけたとき、既に心が壊れていたのは何となく察することが出来た。
多分、改造すればどこか心が壊れた怪人が出来上がることも。だが、それがあれほど強い怪人になるとは思っていなかった。
ちょっと仏心を出して助けて、今の状況がある。
(こうなったら、光一郎の機転と悪運を信じるしかない、か……)
ここに至っては、私にはどうすることも出来ない。
既にアレと2回遭遇し、いくつもの危険な状況を生き延びている光一郎の機転と悪運を信じるしかない。
こっちでも『努力』はするが、取り戻すのはきっと大変だと思う。その前にいなくなる可能性ももちろんある。
……そうなるのは、嫌だった。
「さて……とりあえず、通達、しないとね」
三日もグダグダ悩んだせいで、光一郎の任務の日はもう明後日まで迫っていた。
私は、頭の中であれこれ考えながら、トイレから出た。
*
僕と先輩の関係性という奴が変わってもうすぐ一年になる。
あれから、僕と先輩の暮らし方は、少しだけ変わった。
勿論、情報屋として先輩が情報を売り買いし、怪人から請け負った仕事を別の怪人に依頼して、金を貰う仕事はそのままだし、あちこちを放浪するという部分は変わっていない。
だが、以前はホテルやら旅館やら野宿で同じところには全くとどまらない暮らしをしていたのが、こうしてウィークリーマンションを借りて一週間くらいは同じ場所で暮らすことも増えてきたし、夜にはセックスをするようにもなった。
それに伴って僕が自炊をする機会も増え、前みたいにコンビニ飯や外食で済ませることも減ってきた。
ちゃんとご飯を炊いて、一日三食、そこそこバランスが取れた食事をするようになったのだ。
ちなみに今日のご飯は、ぶりの照り焼きに、ほうれん草のおひたしと野菜の煮物。味噌汁と炊き立てのご飯。
先輩は服の趣味がアレな割に、好物は割と家庭的な和食に偏っているのを知ったのも、関係が変わってからだった。
そんな生活が、もうすぐ一年。
思えば随分と平穏な時期だったと思う。もちろん相変わらず先輩は良く命を狙われたし、僕も巻き込まれた。
だが、何度も繰り返せばそれは日常になるし、慣れても来る。
そんなわけで、僕らは適度にスリリングだけれども、大きな危険はない、穏やかな暮らしという奴を手に入れたのだ。
最も、結社の怪人にしては、というとても大きな但し書きがつく代物だけど、それでも僕はこの生活に満足していたし、続けば良いなと思っていた。
「そう言えば貴方、もうすぐ20歳になるのよね」
……だから僕が作った夕飯を前にして、家の中専用のどピンクのジャージ着た先輩が口にした言葉に、僕は硬直し身構えた。
先輩の言葉には聞き覚えがある。約一年前に、ほぼほぼ同じ言葉を聞いた。そしてその数日後の19歳の誕生日に、僕はA級様と命がけの鬼ごっこをする羽目になったのだ。
簡単に言えば、嫌な予感をヒシヒシと感じている。絶対にろくでもない話だ。
「……で、今度は一体どんな無茶ぶりですか?」
慎重に息を吐き、僕は先輩にただ一言。それだけ尋ねた。
この人は、僕にはどんな無茶ぶりをしても良いと思ってる節がある。覚悟だけは、しといた方がいい。
「新しい『任務』よ」
出来れば無茶ぶりってところは否定して欲しかったなあ……
「任務ってことは、もしかして、最悪の失敗作絡みですか? 協力者を殺せ、みたいな」
とは言え、A級怪人の最終性能試験を誕生日プレゼントとかのたまう先輩をして無茶ぶりであることを否定しない話となると、内容は大分限られる。
具体的には、最悪の失敗作が絡んだ案件なんかだ。幸か不幸か、直接遭遇したのはあの雨の日が最後だが、アレは今でも普通に生きているし、日々、怪人を爆発四散させている。
最近は最悪の失敗作が何者なのかを理解した上で協力する『協力者』を名乗る人間が何人かいて、そいつらが最悪の失敗作に情報や衣食住を提供しているとも聞いている。
過去の苦い教訓から学んだのか、その協力者は常に最悪の失敗作と連絡を取り合っていて、下手に襲えばアレに殺される覚悟がいる。
この前も一人、協力者を襲って、仕留めたと言った直後に最悪の失敗作に襲われた怪人が爆発四散して死んだらしい。
「今のところは違うし、それに、任務が決まったのは貴方だけよ」
「……え?一体どういうことです?」
だが、僕の言葉に先輩は首を横に振り、一枚の辞令と、写真を取り出す。
「転属、命令?」
先輩が取り出したのは、サージェントウルフ5126号、つまり僕に当てた転属の辞令だった。
その怪人の記録らしい紙もついている。それによれば僕の次の上司になるという怪人名はリュウグウゴゼン1号、コードネーム乙姫。
どっかで聞いた記憶がうっすらあるが、詳しいことは僕も知らない。1号だというから最近作られた新しい怪人だとは思うけど。
コドモオオトカゲとか言うデカいのか小さいのか分からない生物ベースのA級怪人で、年齢は17歳らしい。
僕より2つ下だ。見た目は真面目そうな、可愛い女の子に見える。
「そうよ。結社の命令。暴君閣下絡みだから、断るとこっちの命が危ないわ」
「……そういうのも、あるんですね」
僕は先輩の話に、ため息をつく。
暴君閣下は僕だって知っている。というか結社で暴君閣下を知らない怪人は訓練中の奴だけだろう。
結社では大首領様に次ぐナンバー2で、戦うことに限って言えば大首領様よりも強いのでは無いかと言われている怪人の中の怪人だ。
大首領様直々に幹部級じゃない結社の怪人を好きに使って良いという許可を貰っていて、面識はないけど、冷徹で怖い人らしい。
「そうよ。コイツ、暴君閣下の弟子らしいのよ。実戦経験は殆どごり押しだけ。コイツに戦い方の基本を教える補佐が貴方の任務よ」
「そう、なんですか……」
その言葉に、僕は目の前の写真に写っている女の子が怖く感じる。
暴君閣下に鍛え上げられたA級怪人で、しかも実戦経験の足りない女の子。
……ジャック・ローズの言葉を借りれば『危険な香りがする』って奴だ。
「とは言え、拒否権無いんですよね……ヤバいなあ。仲良くなれると良いんですけど」
まあ、無茶ぶりされるのがサージェントウルフだ。先輩のところでイヤって程学んだ。
気を取り直して僕はどうすればいいかを考える。先輩と付き合って1年以上だけど女の子の考えって未だに良く分からないし。
「……それは、期待しない方が良いわね」
そんな、どこか楽観的な僕に、先輩が真面目な顔をして言葉を続ける。
「と、言いますと?」
不思議そうに尋ねた僕に、先輩はため息をついて、言う。
「コイツ、副官につけられたサージェントウルフを9人殺ってるわ。貴方が、記念すべき10人目ってことになるわね」
……マジっすか。
僕は、ごくりと唾を飲み、目の前の怪物の写真を眺めたのだった。
と言いつつご本人出てないというね




