Season2.5 Holiday Special3
プロフェッサーさん的には、本とは情報が記された紙なので、読み終わったら用済み。
きっかけは、朝ご飯を食べながらこれからの予定を話していた時に放たれた、プロフェッサーさんの一言でした。
「昨夜、全ての書物に一通り目を通し、内容について理解する作業を完了した」
徹夜でもしたのか、いつも眠そうな目を更に眠そうにして、プロフェッサーさんがいったのです。
「全部って……500冊以上はあったわよ!?」
「全部で516冊だ。お陰でこの国や他国の法律、精神力を原動とし、一定の法則に基づいて現象を発生させる魔法なる能力の原理、奇跡を起こす神と呼ばれる精神生命体について、この世界における神話や創作、各種生物に関する情報を得られた……
観測番号1872について、私が知りたかった情報は一通り得ることが出来た。医学に関する情報には間違いも多いようだがな」
何でもないことのように言いつつも、プロフェッサーさんはそこはかとなく満足気でした。
確かに交易都市にきてからずっと本を読んでるなとは思っていましたが、500冊以上を全部読んだらしいです。
「先日入手した本は、最初の一冊を除いて、すべて解析が完了した。ついでにすべての本の文章および画像データも読み込んで保存している。
つまり、紙の書物はもはや私には必要ない。すべて処分しろ」
……この前買ってきた本って、大陸語や古代語の他に妖精人語や鍛冶人語、変わったところでは多分獣人語や蟲人語で書かれている本も交じってたように思いましたが。
とはいえ頭を使うことについては常識が通用しないのがプロフェッサーさんですから、本気で言ってるんだと思うのですが……
「……処分って、あれだけの量の本を、どうやってするんです?」
「廃棄すればよかろう?」
わたしが確認すると、むしろ不思議そうにプロフェッサーさんが言い切りました……え?捨てるんですか?
「廃棄って……捨てるの!?ちょっと、正気!?」
プロフェッサーさんの堂々とした宣言に全く同じことを考えたらしいベリルさんが驚いて確認しました。
無理もありません。本はものにもよりますが、基本的にはちょっとした財産レベルに貴重なものです。
と言うか全部買うのに普通に金貨1000枚以上かかっているのに全部捨てるとは、一体どういう神経をしているのでしょう。
「うむ、あれらの本から得られる情報はもうない。私には不要なものだ」
ですが、プロフェッサーさんは本気で捨てるつもりらしく、頷いて返してきます。
「あれだけの本、全部捨てるなんて正気の沙汰じゃないわ。処分するにしてもやり方ってもんがあるでしょ?」
「ほう。どうするのだ?」
流石にベリルさんもそれはまずいと思ったのか、プロフェッサーさんを諭します。
それに興味を示したらしいプロフェッサーさんに、ベリルさんは少しだけ考えて、言いました。
「……売却ね。交易都市には、アタシが親しくしてる仲買人がいるわ。その人に頼みましょう。急な話だし、多分、手数料で買値よりは目減りすると思うけど、いいかしら?」
ベリルさんの提案に、コーイチローさんが納得したように頷きます。
「まあ、そりゃそうか。読み終わっていらなくなった本は、とっとくか売るか捨てるかしかないわな」
……ちょっと、コーイチローさん?読み終わった本を捨てるの、おかしいと思わないんですか?
もしかして地球の常識では本は読み終わったら捨てるのが普通だったりするんでしょうか?
「分かった。もはや私には不要なものだ。お前らの好きにすればいい。売った金はお前が使っても良いぞ」
「じゃあ、債権の返却にでも当てといて頂戴……さて、決まりね。じゃあ……コウイチローと、アリシアも、良かったらどう?」
プロフェッサーさんの許可が出たところで、ベリルさんがわたしとコーイチローさんを誘ってきます。
プロフェッサーさんは多分行きたがらないと踏んだのか、除外されています。
「ダメだ。光一郎にはやってもらいたいことがある。お前たち二人にも関係あることだ」
「……あ、そうなの……」
と、思ったらプロフェッサーさんがどうやら用事があるみたいです。
それを聞いたベリルさんが残念そうに顔をしかめました。
「ま、まあベリルさん、たまにはいいじゃないですか。わたしと二人、女同士で出かけるのも楽しいと思いますよ?」
そんなベリルさんを見て、ついわたしはフォローをしてしまいました。
まあ、交易都市の仲買人と言うのはわたしも気になりますし、たまには年頃の乙女だけで出かけるのもいいでしょう。
ついでにベリルさんの服とか、色々見繕おうと思います。ベリルさんの私服、ちょっとボロボロですし。
「……そうね」
「……じゃあ、オレは今日はプロフェッサーに付き合うわ。まあコイツ一人にしとくと何やらかすか分からん」
わたしの提案にベリルさんが頷いたのを見て、コーイチローさんがプロフェッサーさんに付き合うことが決まりました。
「だからなぜ、お前はそう一言多いのだ。私はお前の上司だぞ」
「上司と認められたきゃ、まずもうちょっとしっかりするこった」
コーイチローさんの態度に不満を持って口を尖らせるプロフェッサーさんに、コーイチローさんがちょっと楽しそうに言い返しました。
そんなわけで、わたしが主に荷物持ちとして本を運び、仲買人に会いに行くことにしたのです。
雨もすっかり止んで、晴れ渡った空の下。
わたしは、女中服を着て二人で街を歩いていました……同じく女中服を着て先導するベリルさんと一緒に。
背中の背嚢と腰につけた大喰らいの鞄の中には今、ぎっしりと本がつまっています。
その重量は多分、わたしの体重を大きく上回っています。
「こっちよ。この辺りは道を知らない旅行者じゃあ簡単には出られないくらい入り組んでるから、遅れないようにしてね」
「は、はい!」
コーイチローさんならともかく、わたしだけならば入ろうとも思わないであろう、スラムの入り口にほど近い裏路地の中を、ベリルさんが歩き慣れた庭でも歩くように進んでいきます。
(そう言えばベリルさん、冒険者さんになってから大分長いんでしたっけ?)
それを見失わないように追いかけながら、数日前、自分が魔人であり、それからずっと冒険者さんとして生きてきた、と伺ったのを思い出します。
なんでもベリルさんは16歳の頃に魔人になった時から不老不死になり、見た目が変わらなくなったそうです。
そのため、それなりに色々な人を見てきたわたしにもおいくつなのかは、全く見当がつきません。
(もう何十年も冒険を続けている、大ベテランと言う奴なのでしょうか?)
先日の戦いでも、ベリルさんの戦い方は、魔人であり魔法使いである自分のことを熟知した戦い方でした。
魔法と短剣で相手を次々と屠り、暗黒騎士が振るう、聖銀ではない鋼の剣には欠片も怯まない様子はちょっとした英雄のようにすら見えました。
……わたしの場合、多分どこまで行っても怪力と頑丈さでごり押しするだけでしょうから、ああいう華麗な戦い方が出来るようにはならないでしょう。
「ここよ。ここがアタシの知り合いの仲買人の店」
そんなことを考えつつも、一見するとただの民家に見える家の前で立ち止まりました。
「えっと、ここですか?」
どう見てもちょっと入り口の扉が豪華なくらいしか違いが無い、ただの民家なんですが。
「そうよ。家を教えてもらえるところまで信用してもらうの結構大変だったんだから。
一回信用してもらえれば楽な相手ではあるんけど……悲鳴とか、上げないでね」
そう言いつつ、明らかに何かの符丁なのであろう、特徴的な叩き方でベリルさんが扉を叩きます。
しばらくして、扉につけられたのぞき窓が開いて宝石のような透き通った何かが見え、扉が開きました。
「お久しぶりです。蒼い髪のベリルさん」
ここのご主人のお客と認められたのであろうベリルさんに頭を下げたのは、普通の服を着た……蟲人でした。
蟲人は地下深くに住まう蟻を祖先に持つという、蟲の頭と肌を持つという亜人の一種で、街で暮らしているのを見かけるのは滅多に見ない種族です。
辺境の街では遠くから来てギルドに立ち寄った冒険者さんにたまにいるくらいで、街に住んでいるのを見たことがありません。
(さ、流石は交易都市……)
一瞬驚きますが、わたしだってこれでも獣人や蜥蜴人、それからもちろん蟲人の冒険者さんとお話することもある、ギルドの職員です。いまさら蟲人を見たくらいでは驚きません。
……思わず悲鳴を上げてギルド職員の先輩に滾々とお説教を受けたこともある六年前の王都での研修期間の頃とは違うのです。
とは言え普段『巣』と呼ばれる『女王』が支配する巨大な地下洞穴の街から生涯に渡って出ることが無い種族で、外に出るのはそういう『役目』を得た人々か、巣での暮らしに馴染めないはぐれ者だけと言われている蟲人が。普通に街の商人として暮らしていることに交易都市の広さを改めて感じます。
「……おや、そちらは? 茶色い髪の、匂いからして女性のようですが」
暗い地下で暮らす蟲人の方々はあまり目が良くないらしく、今、わたしに気づいたように良くできた仮面のような顔をわたしに向けてきます。
……初対面で匂いがどうとか言うのは、蟲人は目があまり良くない代わりに匂いで色々見分けるそうなので、仕方が無いのです。
「アタシの友達で、アリシアよ。この場で余計なことをしないのはこのアタシ、ベリルの名前で誓うわ……通してもらっても?」
「ええ。勿論です。盟約ですので」
ベリルさんの確認に、蟲人は一つだけ頷き、横にずれます。どうやらわたしが一緒に行っても問題ないみたいです。
蟲人はどんな種族相手でも一度結んだ『盟約』を自分たちから裏切ることは滅多にないと聞きますから、そのお陰でしょう。
「こっちよ。ついてきて」
「はい」
それについていきながら、わたしは本がつまった鞄を背負いなおしました。
中は本当に普通の民家……かと思ったら地下室がありました。なんでも蟲人が住むにはやはり地下が心地よいそうです。
地下には淡い光を放つ苔が植えられており、うっすらと中が見える程度の暗さです。
「ここは、他種族の方々を案内する関係上、こうして見えるようにしていますが、故郷の巣は真っ暗なんですよ」
案内人は無口で余計なことを言わない方が多い蟲人には珍しくお喋りな方で、案内の道すがら、色々と教えてくれました。
「そのため、巣に入った他種族の方々は大体明かりの無い狭い洞穴で右往左往している間に殺されて我らの骸と同じく茸の苗床になります。
暗視が出来る鍛冶人と魔力の流れを見る妖精人は厄介ですが、奴ら不意打ちには弱いですしね。
とは言え最近は色々と新しい技術の開発も盛んなので、我が巣の女王様は人間との交流も重視しています。
そんなわけで、人間のはぐれ者であるベリルさんとも親しくしています」
「へ、へえ。そうなんですか……」
……悪気はないんだと思うんですが、結構あけすけに物騒なことを言われて困惑します。
蟲人は根本的に価値観が違うから余り深入りするな、とギルドの先輩にも言われていたのを思い出し、相槌を打ちながら奥へと向かいます。
最奥にはひときわ豪華な恰好をした商人のような蟲人と、服の代わりに鉄の鎧をまとい、腰から剣を下げた騎士様のような蟲人がいました。
「やあ、ようこそベリル殿」
そのうちの一人、商人のような恰好をした蟲人がわたしたちの方を見て、一言を声をかけてきます。
女中服を着て、死の首輪をつけていることを気にする様子は無く、普通に親しい友人のような挨拶です。
「ええ。久しぶりね。会えてうれしいわ。こっちはわたしの新しい仲間で、アリシアよ」
それにベリルさんが軽く会釈しながらわたしを紹介します。
「アリシア・ドノヴァンです。よろしくお願いいたします」
「そうですか。アリシア殿ですね。貴方の匂いは覚えました。これからは友人の一人として、お互いに裏切らずに親しくいたしましょう。
私は女王シャティーア様の子、交易都市に潜む斥候のまとめ役を任されている、ポズルムです」
丁寧なのにちょっとズレた蟲人風の挨拶を受けつつ、わたしはポズルムさんを観察します。
蟲人は基本的に女王以外はみな平等に扱われて着飾らないそうですが、他種族とこうして話したり売買の対応したりする立場があると、そう言うのも必要になるのかもしれません。
表情は全く分かりませんが、声色から判断するに、普通に歓迎されているようにも思います。
それは間違いなくベリルさんの仲間だからでしょう。蟲人はよそ者には厳しいと言いますし。
「……ポズルム殿の知り合いであれば、巣に害悪をもたらすものではないだろう。挨拶を良いか?」
わたしたちの挨拶を聞いていた、ポズルムさんの話相手もまた、わたしたちの方を見て言います。
右目のあったのであろう部分に剣か何かで斬られたらしい大きな傷があるので、もしかして隻眼なのでしょうか?
とにかく強面……なんだと思います。わたしにはまったく同じ顔にしか見えませんが。
「こちらはシャティーア様の妹君であらせるフォルトゥナ様の子で、地上の斥候のまとめ役を任されているという、オルザム。
交易都市には御一人できたようです」
「……オルザムだ。よろしく頼む。蒼い髪のベリルと茶色い髪のアリシア、人間の子らよ」
ポズルムさんの紹介に、オルザムさんが頭を下げます……傷がある方がオルザムさんであると、一応名前を憶えておきます。
と言うか、服装が変わったら見分けるのは難しいでしょうし。
「さて、お前たち、人間の事情に詳しいか?」
「……ええと、多分」
挨拶もそこそこに、オルザムさんはわたしたちに尋ねてきました。
「そうか。では教えてほしい。フケイについて」
「……フケイ?」
ですが、聞き覚えの無い言葉にわたしは首を傾げました。
隣では、ベリルさんも同じように首を傾げています。
「うむ。一か月ほど前、我らの巣が巨大な花の怪物に巣食われて難儀した時、フケイを名乗る人間に助けられた。
茶色い髪に夜空色の衣をまとった人間の雌だ。格闘術に優れ、不思議な薬で花の怪物を枯らせ殺した。
フォルトゥナ様は次に同じことがあった時の備えに、その薬を欲している。妖精人を連れた人間なのだが、何か知らないか?」
なるほど、フケイと言うのは修行の旅をしている格闘家か、あるいはベリルさんのように身体も鍛えてる魔法使いか何かのようです。
この広い世界には、とてつもない技術や力を持つ人間が時折現れて、国や世界を救うような大冒険をすると言うのは、よく聞きますし。
「……ちょっと心当たりが無いわね。最近現れたのかしら? アリシアは?」
「えっと、わたしもあまり……フケイという方は、すみません。知りません」
ですが、あいにくと聞き覚えはありません。突然現れた格闘家と言えばコーイチローさんですが、黒髪で男なので全く当てはまりません。
「そうか……礼を渡したときに名乗った名前は、確かナナコとか言っていた。何か新たに分かったことがあったら、教えてほしい」
そう言ってオルザムさんは頭を下げてお願いをしてきます。
「は、はあ。分かりました」
そのお願いに一応同意します……多分、もうちょっとしたら辺境の街に帰るんですけど、それは言わなくてもいいでしょう。
「さて、ベリル殿。本日のご用向きは?」
「ええ。実は買って欲しいものがあって……」
それから、ベリルさんは持っていた本を売り払いました。
ちょうど、人間の情報を欲しがっていたオルザムさんと言う買い手がいたおかげで、手数料込みでも買ったのと同じくらいの値段で売れました。
そのあとはベリルさんのお仕着せ以外のお洋服を買い、女性向けの装備品が多い魔法道具のお店で、この前の戦いでわたしに足りないと分かった装備を買ったり、二人でお化粧や下着など殿方が居たらいけないような色々な女性向けのお店を見たり、お茶を楽しんだりして戻りました。
年頃の女の子らしい趣味に興味がありつつも今まではロクにそう言うものを意図して無視してきたらしいベリルさんは、見た目が若いのもあって歳の近い妹のようで、女性の姉妹がいなかったわたしには新鮮でした。
……もしかしたら、ベリルさんは意外と付き合いやすい人なのかもしれないと思ったのは、我ながら単純だなと思いました。
フケイ……一体誰子さんなんだ……




