砂漠の海月 Last
世界は、いろんな人と怪人であふれている。
僕が先輩の理不尽な一撃で三日間意識不明で生死の境をさまよって目を覚ました日の夜。
今日の宿であるラブホテルに荷物を置いた僕らは、徒歩で数分の場所にある焼肉屋にきていた。
「さあ、じゃんじゃん食べなさい。今日は私のおごりよ」
珍しく先輩が言い切る。
いや、僕の生活費、元々全部先輩が出してるじゃないっすか、とか言わない。
変なこと言って、また意識不明になるのはごめんなのだ。
呼ばない限り店員も来ないからジャマが入らずゆっくりできる個室に、真っ赤になった炭火と、ピカピカの金網。
山のように頼まれて皿の上に積まれた高そうな肉、先輩の前にはこれまた高そうな酒もボトルで置かれている。
そう言えば、こんな高そうな焼肉屋に入るのは、僕の前世含めた人生で初めてだと思う。
前世はどう考えても貧乏暮らしだったし、ジャック・ローズはグルメだったけど、おしゃれなフレンチとかイタリアンとかを自分で作る方が好きで、おまけに肉より魚や野菜のが好きな人だった。
作って貰っておいて文句言うのはダメだし、健康的だとは思うけど……実はちょっとだけ物足りなかったのも事実だ。
そして先輩は普段、割と食生活に無頓着な人だ。僕が作った料理は何作っても食べてくれるけど。
だから、こんな分かりやすく高いごはんを食べるのは、非常に珍しい。
「いいのよ。ロクでもないあぶく銭なんだし、ぱあっと使い切りましょう」
そんな先輩が焼肉なんて珍しいと思っていたら、理由が分かった。
何か、大きな仕事を成功させたので、そのお祝いみたいだ……少なくとも30歳の誕生日祝いでは無いのは、確かだろう。
この件については、もう言うつもりは無い。今度は助からないだろうし。
「あぶく銭って、一体どんな仕事だったんですか?」
とは言え先輩が話を振ってきたのだから、僕は素直に尋ねることにした。
多分、僕がどっかの川べりでジャック・ローズに女の子の扱い方を延々と説教される謎の夢を見てた間のことだろう。
……なんだったのかな。あの夢。
「ほら、この前の攫ってきた子いるじゃない?」
僕の問いかけに、先輩は肩を竦めてそれだけ言う。
「……ええ」
誰の事なのかは僕にもすぐわかった……となると、もしかしてあの子にB級怪人の適性があったんだろうか?
持ち込んだ素体に人間ならまず適合するサージェントウルフじゃない、B級怪人の適性があったらボーナスが出る。
まあB級以上の怪人の適正がある人間って数十人に一人とかそう言うレベルだから、たまになら当たってもおかしくは無い。
「なんかあの子、結社が新しく開発したA級怪人の適性があったとかでね、A級怪人になったらしいわ」
「……マジですか」
そう思っていたら、斜め上の答えが返ってきた。
A級怪人。核でも使わないと倒せないと言われている結社における最強の代名詞だ。
ただ、適合する人間は数十万人に一人だとかいうくらい少なくて、滅多に誕生しないことでも知られている。
結社が秘密裏に行った検査でA級怪人の適性がある人間が見つかったら、結社がわざわざ怪人を動員した誘拐作戦を立てるレベルだ。
そんなA級怪人は強さがそのまま地位に直結する結社においては、将来の成功が約束されたエリート中のエリートともいえる。
……まあ、アレと戦うことになる可能性が高いという、とてつもなく重大な欠点があるのも事実だけど。
「マジよ。それも基礎能力測定の段階でA級怪人が確定したとか、実戦能力計るために呼ばれたコードネーム持ちのバクダンを追い詰めた上に、追い詰められてバーサークしたバクダンを、バーサークしてる最中に正面から殴り倒したとか、余りの強さに暴君閣下が1年くらいかけて自分の剣術を教えようとしてるとか、怖い噂しか聞こえてこないのよね」
「……うわあ」
なにそれ怖いと、素直に思った。あの子、そんなにヤバい怪人の適性持ちだったのか……
あの日、怯えていた人間の女の子の姿しか知らない僕には、想像もできない世界だ。
「ま、そんなわけでそんなとんでもない逸材見つけてきた私たちの評価も上がり、追加で報奨金も出たってわけよ」
「……なるほど」
それで、焼肉か。僕は納得しつつ、黙って皿の上の肉を網に乗せる。
じゅうじゅうと音を立てて焼け始める肉の音を聞きながら、何気なく先輩に尋ねる。
「それで、そんなに強いなんて、なんの怪人だったんですか?」
「ドラゴン」
……最初に、先輩の言葉を聞いた時、僕は冗談だと思った。だってそうだろう?
そりゃ強いのも納得できるけどさ。
「え?」
「だから、ドラゴンよ」
が、どうやら先輩は大真面目らしい。もう一度同じ言葉を繰り返した。
いや、ファンタジーとかそんなに詳しくないけど、ドラゴンは流石に知ってる。実在するとは思ってなかっただけだ。
「……結社の怪人のベースって、地球上にいる生物限定だったんじゃ?」
僕は思わず、それだけ聞き返した。
怪人のベースに使われる遺伝子は、地球上にいる、あるいはかつていた生物だけ。
少なくとも僕はそう教わった……もしかして僕が知らないだけで昔絶滅した古代生物には本当にドラゴンがいたんだろうか?
暴君閣下はとっくに絶滅したティラノサウルスの怪人らしいし、ナウマンヴァイキングだって絶滅した動物であるマンモスの怪人だ。
「それがね、現在の地球上にいるのよね。ドラゴン」
そう言いながら、先輩はスマホを操作して、その画面を見せてくる。
「……コモドドラゴン?」
画面に映ってるのは、巨大なトカゲだった。なんでも世界最大の爬虫類でどっかの島にだけ生息してるらしい。
なんでそんなのを怪人に、とは思わなくもないが実際に強いみたいだから、結社としては大当たりなんだろう。
「そうよ。リュウグウゴゼン1号。なんか自分は選ばれし存在だとか言ってる、ちょっと痛い子らしいけどね。
……さしずめ、こどもドラゴンってところかしら」
先輩が本人に聞かれたらそのまま殴り殺されそうな怖いことを言う。
……うん、まあA級怪人になったんなら、僕の人生にもう関わってくることも無いだろう。
人間だった頃にあんだけ酷い目にあったんだから怪人になってから幸せになれるなら、それに越したことはない。
それよりも今は、ご馳走の方が重要だ。
僕はそんな結論を出し、焼け始めた肉を裏返した。
*
焼肉屋でお腹いっぱいに焼肉とご飯を詰め込んだ僕は、先輩をおぶってホテルの通路を歩いていた。
「ひょっとお、わたしぃ、よってないわぁ。あるけるわよぉ?」
後ろで先輩がなんか喚いているが、無視。焼肉屋で焼酎のボトル5本も開けた人が何を言ってるのかって感じだ。
「ほら、先輩。もうすぐ着きますから、しっかりおぶさって」
「あんたならさあ、ちゃんとにげきるとおもったのよ。なうまんヴぁいきんぐだかなんだかしらないけどさあ」
先輩がなけなしの判断力なのかギュッと落ちないように抱き着いてくる……意外と胸あるんだよな、この人。
とかちょっと考えてしまった。
「なんで死にかけてんのよ?ほかのやつらなんて、みすてりゃよかったじゃない。ひかも、たおしちゃうしさあ」
が、態度で台無しだ。普通に呂律も回ってないし、息だって強烈な酒の匂いがする。鼻が馬鹿になりそうだ。
……うん?これ完全に僕が女を酒に酔わせて持ち帰ったクズに見えるんじゃ?
「ほら、着きましたよ。鍵貸してください」
「そのせいであんたよこせぇっていうえーきゅうおおくてこまってんのよ?わらひががんばらかったらここにいなかったのよ?かんしゃなさい」
そんな懸念を振り払いつつ、先輩からカードキーを受け取って、部屋のドアを開ける。もうさっさとこの酒臭い人放りだしたい。
「ほんとうに、あんたぁむちゃばっかりすんじゃないわよ……帰ってきてくれて、ありがとう」
……うん、やっぱり酔ってるんだな。言ってること無茶苦茶で、先輩らしくないし。
僕はため息をつきながら、今夜の宿である部屋に先輩と一緒に入る。
……部屋に入った時、僕は少しだけ、違和感を覚えた。
なんだか、甘い匂いがする。なんだろう?ラブホテルだし、なんかのサービスか?
首の裏がちりちりする。なにかこう、ここに踏み入ると引き返せなくなる。
何故かそんな気持ちになる。
「こーいひりょー?どしたのー?」
「……何でもありません。ほら、先輩、行きますよ」
が、後ろからギュッと抱き着いて、甘い匂いをかき消すほどの酒臭い息を浴びせてくる先輩に、僕は気のせいだったと結論付けて、先輩を奥のベッドに寝かせた。
「うひぃ……ひっく」
「ほら、先輩、せめて脱いでから寝てください。皺になりますよ」
完全に酔っ払らった先輩の服のあちこちを緩めながら、僕は汗を拭った。
……なんだか暑いな、この部屋。エアコン壊れてるのかな。
そんなことを考えながら、僕はまた汗を拭う。
……酒と、焼けた肉の匂いに混じって甘い匂いがする。先輩、なんか香水でもつけてたのかな?
僕は身だしなみを整えるのと、匂いを落とすためにシャワーを浴びることにした。
汗が出る。べたついて気持ち悪い……あれ?怪人って暑さにも強いはずじゃ?
真夏の街中歩いてた時でもこんなに汗出なかったはずだけど……
そんなことを思いながらシャワーを浴びるために立ち上がり、先輩に背を向けた、そのときだった。
「捕まえた。もう、逃げられないわよ」
先輩の声に僕はビクリと背筋を振るわせて、後ろを向いた。
そこには、はちこちがはだけたドレスを着た先輩がベッドに腰かけていた……それが、妙にエロく見える。
先輩なのに、だ……なんだ、何かがおかしい。
「一つ、いいこと教えてあげるわ。怪人ってね、人間に有効な毒くらいならナノマシンでほとんど無効化できるの。
お酒なんて、何リットル飲んでも、まず酔わないわ。覚えておきなさい」
さっきまでとは違う、いつも通りの喋り方で喋りながら、自称酒に酔ってないらしい顔が赤いままの先輩が立ち上がり、はらりと、ドレスを脱いだ。
その下に着ていたのは、この前、僕が誕生日プレゼントに送った、デパートの店員さんに選んで貰ったムーンストーンとか言う宝石が付いたネックレスに、僕は見たことが無い、真新しい下着……艶々した絹製で、なんだかスケスケの、とてもエロい感じの下着だ。
普通に性欲がある男である僕は思わず先輩に見惚れてしまった……何故だろうか、身体が熱い。なんだか、頭が回らない。
そして、エロい下着に頬が赤い先輩がとても綺麗で……どきどきする。
「怪人にも効く毒って、割と限られるの。普通なら怪人が精製した毒なら通じるのがたまにある、くらいかしら。
アサシン・ジェリーの麻痺毒とか……チュベローズ・ナイトメアのフェロモン花粉とかが、有名どころね。
乾燥させて、密閉した部屋でお香にして焚くと、かなり効力が落ちるけど媚薬として使えるから、覚えておくといいわ」
チュベローズ・なんとか。ええとそれ、たしか花粉を吸い込んだ人間の性欲を暴走させてどうこう……ダメだ。よく、分からない。
この甘い匂いのせいだ……しまった、部屋中に広がってるから、逃げようが、無い。
「ただ、アサシン・ジェリーにも普通に効果があるのが、ちょっと困るところね……
さあ、いらっしゃい。光一郎……あなたの初めて、この私が特別に貰ってあげるわ」
するりと……先輩が下着を脱いだ。それが我慢の限界だった。
(……僕は多分、一生この人には勝てないんだろうな)
そう思いながら、僕は甘い匂いに押されるように染み一つない、ネックレスだけをつけた綺麗な裸の先輩をベッドに押し倒す。
それが、僕らの新しい関係の始まりだった。
だから怪人のくせに、一線越えるのに大変な勇気と勢いと策が必要な面倒くさい人だっているのである。
 




