Season2 Double Justice 10
サージェントウルフ処世術の基本:嫌われないこと
ベリルさんがやってきた翌日は、部屋でゆっくりと過ごしました。
麦をミルクで煮込んで味付けしただけの軽い朝食を食べたあと、コーイチローさんはベリルさんと共に旅の間に出た汚れた洗濯物を洗いに行き、
プロフェッサーさんは昨日買ったあの大きな本を読みだし、わたしはここまでの旅と買い物でかかった費用を確認してどのくらいのお金が無くなったのかを計算しました。
適材適所です……わたしが洗うとちょっと力を込めただけで簡単に破ける服が悪いのです。わたしは悪くありません。
「なるほどな。火の魔法で桶に組んだ水をお湯にするのか。言われてみると普通なんだが、そう言う使い方は思いつかなかった。確かにぬるま湯のが汚れ落ちるもんな」
「まあ、魔力使うし、冒険に出ない日じゃないと出来ない贅沢な小技だけどね。普通に宿からお湯をもらって混ぜた方が簡単なのは確かだもの。
それより、コーイチローの洗い方が丁寧でびっくりしたわ。男の冒険者ってもっと雑にしか洗わないと思ってたから、ちょっと負けた気分」
「……いや、オレの昔の上司が絹の下着とかフリルだらけのドレスとか、綺麗だけど洗うの大変な服が大好きでな。いつの間にか普通に出来るようになってた」
「なにそれ。それで洗えるようになったの?」
「ああ。普段の生活かなりだらしないし自分でやらない癖に綺麗に洗えてるかどうかにはやたら厳しかったからなあ、先輩」
……洗濯に関する話題でベリルさんとコーイチローさんがとても盛り上がっていたのが何だか乙女としてとても負けた気分になりました。
それから、奴隷商人の使いの方にお約束したベリルさんの代金を渡してベリルさんを正式にプロフェッサーさんのものにした後は、
本屋さんが運んできた、部屋がいっぱいになるほどの本を受け取りました。
「じゃあ、オレはちょっと出かけてくる。ちょっと色々気になることもあるからな。夜までには戻るから」
どうやらコーイチローさんは本には興味が無いらしく、本を運ぶのを手伝った後は、一人でどこかへ出かけていきました……多分『お仕事』でしょう。
(ああいうところ、真面目ですよね)
コーイチローさんは冒険者としては格闘家で登録されていますが、盗賊や悪漢のような技術にも長けているのは、わたしにも大分わかってきました。
そう言うお仕事は、下手にわたしがついていっては還って邪魔になるのも分かっています。
ベリルさんも熟練の冒険者なだけあって、そう言う機微を理解しているのか、特についていく素振りは見せず、ちらりと見送っただけでした。
(今日は部屋でゆっくりとしていましょう)
ベリルさんが何者かに狙われている状況なら、自衛出来るコーイチローさん以外が無暗に動くのも還って危ないと思います。
そんなわけで今日はゆっくりと休もう。そう、思っていたのですが……どんな本があるのかを見て、一人の少年が村を旅だって冒険者となり、冒険の果てに王になるまでの、子供のころ大好きだった英雄物語の全巻セットを発見してしまったのが、悪かったのです。
「……三人とも、メシにしようぜ。食い物買ってきたから」
帰ってきたコーイチローさんの言葉に我に返った時には、既に日が暮れて真っ暗になっていました。
コーイチローさんの右手には大きな袋が、左手には入れたてのお茶が満たされたポットと食器が乗ったお盆があります。
うっすらとお茶の香りが漂ってきて、お腹が鳴りました……ベリルさんも同じような様子をしています。
「そ、そうですね! 今日はここまでにしましょう!」
年頃の乙女として恥ずかしいことをしてしまったことを取り繕うようにわたしはついに主人公の青年が、積年の想い募った姫君を助け出すために城に単身乗り込み、
悪の大臣が魔神に魂を売り渡して変異した、上級魔人と最後の戦いを繰り広げるくだりまで来た本を閉じます。
部屋の明るさがプロフェッサーさんの照明器具のお陰で暗くなっても一定に保たれていたせいで暗くなっているのに全く気が付きませんでした。
「ふむ。一旦休憩するとしよう」
テーブル一杯にあの巨大な本を広げてじっと本を読んでいたプロフェッサーさんも目を上げて、本を閉じました。
……よくよく考えたら、普通にこの国の文字、それも学者の方が書くような難解な記述を普通に読めてる辺り、すごいと思います。
「……取りあえず、特に誰も来なかったわ。シーツを変えにここの女中が来たくらいね」
ベリルさんは、ちらりとコーイチローさんの方を見ながら言います。どうやら、お二人の間では、ベリルさんがこの部屋の守り担当と言うことになってたみたいです。
ベリルさんは魔法使いらしく、買った本に何冊か混じっていた魔導書の類を読んでいました。
傍らにはプロフェッサーさんから貰ったらしい羊皮紙に、びっしりと書き込みがあります。気になったところを抜き出して書いていたようです。
高価な羊皮紙をあんな使い方が出来る辺り、元はかなり高貴な生まれなのかもしれません。
「おう。ご苦労さん。蜂蜜漬け買ってきたぞ。これをヨーグルトと混ぜるのが好きなんだよな?」
「……なんで知ってるのよ」
何気ないコーイチローさんの言葉に、呆れたようにベリルさんが言います。
それに対して、コーイチローさんは普通に答えました。
「冒険者ギルドで聞いた。ベリルは綺麗で目立つから、何か知ってると思ってな。最近見掛けないけど元気にやってるか聞かれたから、適当に誤魔化しておいた」
「……そ、そう」
それを隠そうとはせずに言うコーイチローさんに、どう答えて良いのか困惑しているのと、率直に褒められると思っていなかったのか照れているように見えます。
冒険者同士での過去の詮索はご法度ですが、奴隷と主人ならある程度調べられるのも当然だから、どうしたものか、と言ったところでしょうか。
冒険者ギルドで何気なく聞ける程度の、軽い確認程度なのと、それでわざわざ好物らしいものを用意しているのも影響してるかもしれません。
……コーイチローさんは、やることは割と容赦ない割に普通にお気遣いも出来るのがちょっと怖いと思います。
「情報集めるついでに色々買ってきた。今後の参考にするから適当につまんで感想を聞かせてくれ。日持ちするもんばっかだから、余っても問題無いしな」
そう言いながらコーイチローさんは宿で借りてきたらしい食器をわたしたちの前に置いて、抱えてきた袋の中身を広げていきます。
干し肉、魚の油漬け、野菜の塩漬けに酢漬け、固く焼いたパンやビスケット、チーズの塊やヨーグルトの入った壺、干し果物に、ナッツ類、果物のはちみつ漬け、くっつかないようお砂糖をまぶした飴に、ジャムや焼き菓子……
「流石は交易都市だな。保存食だけでも色々あった」
どうやらこれらは全部保存食のようです。安価なものから高価なものまで色とりどりで様々なものが揃っています。
「辺境の街じゃあこんだけ色々は手に入らなかったからな。せっかくだし食べ比べてみないか」
……そう言いながらコーイチローさんは手直にあった魚の油漬けを皿に取っていきます。
脇に野菜の酢漬けを添え、魚と野菜の上に指で砕いたナッツをかけているのは、普通にお料理のようでおいしそうに見えます。
それから固く焼かれたビスケットと共に食べ始めたのを見て、喉がごくりとなりました。
「ふむ。これが夕食になるわけか」
プロフェッサーさんはそう言いながら、甘そうな焼き菓子を手に取り栗鼠のように齧りだします。
「む。コーイチローが焼くクッキーのが美味いな。滅多に作らんが」
そんなことを言いつつも、カリカリと音を立てて次々と焼き菓子をほおばる姿は、年相応の女の子に見えます。
時折口直しなのか、酸味が強い干し果物を口に放り込んで、それからお茶を飲んでいます。
「……まあ。せっかく買ってきてくれたものを断るのも、悪いものね」
ベリルさんが誰に言い訳しているのか分からない言い訳を口にしながら、果物の蜂蜜漬けをお皿に盛り付け、ヨーグルトをかけていきます。
ナイフとフォークで綺麗に切り分け、口に運ぶ動作は手慣れていて、優雅でもあります……すぐにお皿の上から消えていく辺りが大好物なのを感じさせました。
普通にお代わりしていますし。
「……じゃあ、わたしはっと……こうですかね」
その様子を見ていて、わたしはふと思いついたことをしてみます。
ナイフを手に取り、堅いパンを切り分けて、その上に切ったチーズと塩漬け野菜、干し肉を乗せて、パンを被せる。
……冒険物語の、主人公の少年が幼馴染でもある僧侶の女の子に作ってもらっていた、お弁当のメニューです。
決して特別なものではないはずなのですが、様々な冒険の合間に何度も出てくる、定番の品でした。
「懐かしいですね、これ」
出来上がったそれを頬張りながら、わたしは実家で暮らしていたころのことを思い出します。
冒険物語で見たそれを食べて見たくて、母に無理を言って作って貰った味です。
母が作るものと違い、わたしがつくったそれは大きさが不ぞろいだったり干し肉の塩気が強かったりはしますが、とても懐かしくて『楽しい』ものでした。
それからコーイチローさんが宿の人に頼んで持ってきてもらったお茶にジャムを入れて飲み、一息つきます。
途中お茶のお代わりを持ってきた宿の人もテーブルに広げられた保存食の数々にちょっと懐かしそうにしながら、チーズを火であぶって溶かしてパンやビスケットと共に食べると美味しいと教えてくれました。
せっかくだからとベリルさんが《点火》の魔法でチーズを溶かし、みんなしてお勧めを試してみたり、他の人のおすすめを試していたりして、存分に食事を堪能しました。
「さてと、腹が膨れたところで、分かったことを伝えるな」
食後のお茶を飲みながら、コーイチローさんがそんなことを言い出しました。
「多分、アタシを追ってるのは死の教団だと思うんだけど、どうだったの?」
「ああ、その線で当たりだと思う」
どうやらベリルさんから聞き出せた情報も一緒に調べたようです。それから、集めてきた情報を話し出しました。
コーイチローさんは、先日襲ってきた盗賊団と、ベリルさんを付け回す密偵らしき男について調べていたようです。
盗賊団の男の一人が持っていた聖印が死の教団のものだったことから、冒険者ギルドに死の教団について確認しに行ったそうです。
「死の教団は今、大規模な儀式を行う準備をしているらしくてな、街道に巣食う盗賊と一緒になって旅人襲ったり、
街の中でもあちこちで若い女を攫ってるらしい。身代金の要求は無いみたいだが……」
「……それは、生贄にされているんだと思います」
コーイチローさんの情報から、わたしなりの意見を述べます。
混沌の側に属する神々は供物として人間の生贄を好むことが多いです。
新鮮な血を、肉を、魂を捧げることでより強い加護を信徒に与えるとか、強力な儀式を行うには人間の生贄が必要だと聞きます。
「それと、攫われたはずの女が隠し持ってたナイフで知り合いを殺したり、気絶させてどこかへ連れ去る事件が数件あったらしい。
目撃者の話では動きがロボット染みて……なんか機械仕掛けみたいな動きをしていたって」
「……それは、死体を屍兵として流用してるんじゃないかしら……匂いは何か言ってなかった?」
コーイチローさんの情報に少しだけ考えた後、ベリルさんがそんな質問をしました。
「そう言えば匂いについては何も言ってなかったな……ゾンビって奴は腐って臭うんじゃないのか?」
「特殊な加工をすれば腐敗しない屍兵もいるけど……からくり細工みたいな動きと、武器が使えるなら鮮肉造兵かもね。
屍兵と比べると格段に人間っぽいから、都市部で使うならあっちの方が目立たないし、造兵の一種だから神の奇跡の類にも強いわ……
作るのに魔法の素養が居るから、少なくとも一人は魔法使いが居るわね。最悪両方使える奴」
……流石に経験豊富な冒険者でもあるらしく、ちょっとの情報から追加情報を導き出していきます。
わたしも知識では負けていないつもりですが、こればかりは場数の差が大きく出るみたいです。
「なるほどな。話聞きに行った冒険者ギルドでも教会でもゾンビだろうって聞いていたが、そう言うところから見分けられるのか」
「奴らの手口には結構詳しいのよ。で、本拠地についての情報は何かつかめた?」
コーイチローさんの素直な賞賛には軽く笑みを浮かべるだけで、コーイチローさんに追加の情報を促します。
それに対して、コーイチローさんはそれが当然とでもいうように答えていきます。
「ああ、オレの知り合いに冒険者兼務の聖騎士が居てな。その人らが大体調べてくれてた。入口がスラム街のボロい家に偽装されてるが、地下に遺跡を流用した施設があるらしい。
今、密かに腕利きの冒険者と聖騎士を集めて、施設を襲撃して殲滅する準備を進めてるらしい……オレたちの一党もどうかって誘われた。
ま、死の教団絡みで動いてたらしい盗賊団を殲滅したって意味では、因縁が無くも無いし、テロリストなんて代物さっさと叩き潰せって意味では考えは一致してるからな」
つまりその知り合いって、恐らくはミフネさんとエリーさんですよね?……普通に仲良く出来てるんですね。コーイチローさんは。
「……そ、それはちょっと……その、奴隷に堕ちた姿なんて、あんまり知り合いに見られたくないわ……まあ『ご主人様がた』がどうしてもって言うならしょうがないとは思うけど」
ですが、ベリルさんはあまり乗り気ではない……あまり冒険者さんや聖騎士様と手を組むのは気乗りしないみたいです。
死の首輪付きの奴隷なんてひどい状態の姿を見られたくないのは分かりますが、他にも何かありそうな気がします。
「……そうですね。多分、他の方と一緒に行動するのは、少々デメリットが多い気がするので、わたしも反対です」
ある程度数が揃った状態での一斉攻撃は勝ち目と言う意味では魅力的ですが、相手方に情報が洩れているかどうかを気にしなくてはなりませんし、逃げられる可能性もあります。
なにより、普通に『全力』を出すことが出来ない可能性が高いです……上級魔人を殺すためにあそこまで徹底的にやらかしたコーイチローさんの好みからは外れてると思います。
「……え?」
ですが、それがベリルさんには意外だったらしく、驚いた声を上げました。
まさか自分の『我儘』が通るとは思って居なかった、そんな顔です。
「よし、決まりだな。聖騎士団が動き出す前に、頭だけでも叩き潰しておこう。プロフェッサー。頼みがある」
それを確認した後、コーイチローさんはプロフェッサーさんに言いました。
「なんだ?」
「この街のスラム一帯……あと、その周辺、城壁の外で正規の入り口以外に地下施設に繋がってる通路を探してくれ。そこに浮かんでる照明器具とやらを使えば行けるだろう」
その言葉と共に、コーイチローさんはふわふわと浮かんで光を放つ謎の照明器具を指さします。
「……なるほど、光学迷彩機能を追加すれば、人類種1872による発見は困難だろうな」
「話が早くて助かる。多分それとなく見張りとかつけてると思うから、それも目印になると思う」
それだけでプロフェッサーさんは理解したらしく、頷きを返します。
「よかろう。それと思しき場所をピックアップする。明日の夕刻まで待て。入り口部分のみでいいんだな」
「ああ。下手に通路の中まで調べて藪蛇になっても困るからな」
そう結論付けると共に、わたしたちに向き直り、言葉を続けます。
「アリシア、ベリル。明日は、装備を買いに行こう……情報は、とりあえずはこんなもんだと思う」
「はい!」
これから邪悪の輩の集団に殴り込みに行くというときに、ただの女中服ではあまりに心もとないのは分かりますので、わたしとしても色々準備するのは異存有りません。
「あら。アタシの分も買ってくれるの?」
ちょっとだけ冗談めかして、ベリルさんが尋ねてきました。
確かに『戦奴隷』でも装備の方はよほどの信頼できるものでなければ最低限の品を身に着けさせるのが普通ですし、『家事奴隷』ならそもそもそんなもの買い与えません。
ですが、邪教の輩が潜む『迷宮』に踏み込むというのに、魔法使いを装備無しで行かせるなどただの自殺行為です。金貨千枚分の働きは、しっかりしていただきたいです。
「勿論だ。事前の情報も、十分な装備の支給もなしで突っ込ませて案の定死なせるのは結社だけで十分だ」
「……そう。なら、色々とおねだりしちゃおうかしら」
そんな冗談が通じたのか通じてないのか、コーイチローさんが重々しく頷き、ベリルさんは少しだけ嬉しそうに答えました。
―――明日、決行する前に『正体』をばらそうと思う。ここまでの行動見るに、ベリルは怪人どうこうで騒ぐタイプじゃない、と思う。
いまさら捨てるわけにもいかん以上は、下手に隠そうとするより、知っておいた貰った方が良い。
その『声』に、わたしはちょっとだけ驚いた後……こっそり頷いて返しました。
サージェントウルフ護身術の基本:攻撃こそ最大の防御なり




