Season2 Double Justice 09
高度に発達した健康診断は、ちょっとした拷問と区別がつかない。
「……よし」
三回数えなおして、ぴったり金貨千枚あることを確認したアタシは、それを袋に入れた後、ため息をついて身体を伸ばした。
(……さて、頼まれた依頼は果たしたけど、これから何をすればいいかしらね)
普通に考えれば家事奴隷なんだから、炊事洗濯掃除辺りをすればいいんだろうけど、何しろここは高級宿の最上階だ。
炊事用の台所は流石に部屋には無いし、洗濯物はどれを洗っていいのか分からない。掃除用具だって無いから、家事は出来ない。
することがなくて、アタシはぼんやりと色々と考える。
(これ、結局なんなのかしら……)
当面の間気になったのは、アタシが仕事をしている間もふわふわと宙を漂っていた謎の黒い物体。
その正体は『防犯機能付きの照明器具』らしい。
そして分かっていることは……
(これは、魔法を使わずに機能している)
……一体何をどうやったらそんな風になるのか分からないが、どうやら魔法を使っていないことは間違いない。
どうすればそんなことが可能なのかは分からないが『現実にそれが存在する』以上、そう言う技術があるのだろう。
(となると、これを持っているあの三人……特にプロフェッサーは、謎の技術の持ち主と言うことね)
これを取り出したのは、プロフェッサーだった。つまりその技術を有しているのはプロフェッサーである可能性が高い。
無論、実家から持ち出した物を原理不明ながら使ってる可能性はあるが、それにしては扱いが雑で、慣れていた。
(確か、百年前くらいに似たようなことを考えた当主が居たはずだわ……)
遠い記憶になってしまった『自由の書』の記述を思い出し、彼ならきっと大喜びで解体に走ったんだろうな、と考える。
その当主は『魔法を使わないと出来ないことを魔法なしでやる』ことに生涯を捧げた。
なんでそんなことを始めたのかと言えば、それを『思い付いて』しまったからだ。
実際《火炎球》に匹敵する炎を生み出す薬を比較的入手が簡単なものだけで作ったり、《解毒》でしか治せないと言われていた毒の治療に成功している。
治療法の方は高額で教会に売り払ってバークスタイン家の財産の一部になったので、当主としての役割もちゃんと果たしている。
最後は空を飛ぼうと自作の飛ぶための装置を背負って崖から飛び降り、《落下減速》の魔法をしくじって地面に叩きつけられて死んだらしい。
思い付きで始まり、死んで終わる。
父はバークスタイン家の当主らしい当主であった、と次の当主が書き残していた。
その次の当主は父親の研究を継ぐ、なんて考えずに新しい魔法を作り出すのに熱心だったようだけど。
アタシは、そこまでおかしくはなれない。変人だらけのバークスタイン家の中ではとてもまともな感性を持っている。
『一体何をどうすればバレたら死ぬような秘密を抱えたまま生き残れるか』と考え続けたのはどうしても必要だったからやっただけで、決して思い付きではない。
まあ、そのお陰で生き残れたのは否定しないけど。
そんなことを考えていると、いつの間にか随分と時間が過ぎていたようだ。
「戻ったぞ」
そんな言葉と共に部屋の扉が開き、三人が入ってくる。偉そうなプロフェッサーと、お付きの二人だ。
「これはプロフェッサーの部屋に置いておくぞ」
コーイチローの方は、何か大きな本を抱えていた。プロフェッサーが買ったものらしい。
……すごく、見覚えがある本だ。
「ベリルさん、お仕事、ご苦労様でした。こちらは貴女の新しい服です」
アリシアの方は、そんなことを言いながら服をアタシに手渡してきた。
アリシアが着ているものと同じような女中の服に、下着が数着。
どうやら、奴隷としては割と上等な扱いをしてくれるつもりらしい。
「それでは、わたしはちゃんとあってるかを確認しますので。ベリルさんは初日ですし、休んでいてください。
明日はこの部屋に本を届けて頂くことになっています。それの受け取りと運搬をお願いしますね」
……そう言ってアタシが念入りに数えた金貨の数を商人かお役人の経験でもあるのか、
やたら手慣れた感じで数え始めたあたりは、まあ、そりゃそうよねと言う感じだ。
「ふむ……ベリル。早速だが、次の仕事をお前に与える。と言ってもお前は寝ているだけでよい。ついてこい」
プロフェッサーがそんなことを言いだし、スイートルームの寝室へと歩いていこうとして……
「待て。何をするつもりだプロフェッサー」
コーイチローがその肩を掴んで止められる。
ちょっと、顔が怖い。一体どうしたのか。
「健康診断を行う。商会から得られた情報では、健康状態を把握できん」
それに対するプロフェッサーの答えは、端的なものだ。
健康診断?もしかしてお医者様でも呼んでいるのだろうか?
確かに奴隷を買ったあと、妙な病気が無いかを確認するのは分からなくも無い。
商会に債権奴隷として買われたときだって、最初は裸にされ、女中頭を始めとした商会の女たちに色々と確認された。
何故かと問うて、健康かどうかは本人にすらわかりにくいものだからこそ、奴隷を見ることに長けた熟練者が確認するのだと言われて、妙に納得した覚えがある。
「……解剖とか、怪しげな薬投与するとかは、無いんだな?」
だが、コーイチローの言った言葉はその斜め上だった。
……え?ちょっと待って。確認するのって、お医者様じゃなくてプロフェッサーなの?
ていうか、アタシ、そう言う対象として買われたの?
そう思うと同時に、アタシを見るプロフェッサーの目が、人型の魔物が冒険者を見るような、猫のような、酷く冷めた『獲物』を見る目だったことが頭をよぎる。
もしかして、さっき、誰も居なかったときにイチかバチかで逃げなかったのは失敗だったのかもしれない。そう思った。
「しない。機材も足りんし、別段人体実験したい薬品も無い。地球の医療機関で普通に行われていたものと同程度の確認しかせん。
そもそもだな。所有物の健康状態の把握は、上司として当然のことだろう。お前にも情報は共有する予定だ」
「……そうか。なら、いい」
それで納得したのかコーイチローが引き下がる。
「うむ。ベリル、来い。私がお前の健康状態を確認する」
それに対して妙に得意げな……親を言い負かした子供のような顔をして、アタシに部屋に入るように言う。
スイートルームに備え付けられた、尋ねてきた友人を泊めるための客室で、今日からアタシが住むことになる部屋だ。
「これより、人類種1872-1、魔法の使用能力あり、個体名、ベリルの健康調査を行う」
何やらぶつぶつ言いながら机の上に羊皮紙と羽ペン、インクを用意し、何やら光の板を作り出して手を動かしている。
……これからやる、健康診断の準備だろうか? 羊皮紙は記録用だろうけど、あの光の板はなんなのだろう。
「……さて、これから健康診断を開始する。まずは、服をすべて、脱げ」
……最初から、変人であることを隠そうともせずに全開なのに驚きつつも、アタシは黙って服を脱ぐ。
これが男であるコーイチローの前だったらもっと緊張したかも知れないが、同じ女でしかも子供のプロフェッサーに裸を見られるくらい、どうってことない。
「……ちなみに、健康診断って何をやるの?」
「案ずるな。地球の医療機関で行われているものと同水準のものだ。地球上では何億もの人間が定期的に受けているものと同じだ」
アタシの問いかけに、どうやらこの辺りとは違う地域か国で行われているものと同じものと言う答え……
さらっと何億とか言う人の数を数えるのに使うような言葉じゃない言葉が出てきたのは、気にしないことにする。
沢山の人がやっているということは、邪教の信徒がやる生贄の儀式や魔術師が実験と称してやるような死に直結するような代物ではないということだろう。
「おい。そこのベッドに寝ろ。その方が、やりやすい」
道理ではあるし、別段逆らう理由も無いので、アタシは主人でもあるプロフェッサーの前でベッドに寝転がる。
「ふむ。では開始する。光一郎もアリシア・ドノヴァンも何故か嫌がるので、本格的な健康診断は初めてだが、問題は無かろう」
……さらっと問題しか感じないこと言わないで欲しい。
そう思いながら、アタシはプロフェッサーの健康診断を待ち受けた……それがどんなものか知らずに。
…………それからのことは、思い出したくない。
身長や体重計られて、ものすごく色々な質問をされたのは、まあいい。
口を開けて歯の状態調べるのも、普通だ。
でも、口の中以外のあらゆる場所を触られてあらゆる穴と言う穴を覗き込まれたとか、忘れたい。
何に使うのか唐突に腕に針を刺されて血を抜かれたのも、忘れたい。
途中、休憩と言うか逃げようとしてトイレに行きたいと言ったら、ちょうど良いので排泄物をこのコップに入れて来い。どちらも。とか言われたのも、忘れたい。
……流石にそれは嫌だったので前言撤回した。今ちょっと本当に行きたくなっているのは、終わるまで我慢する。漏れそうとか言ったら、間違いなく本気でやらされる。
健康診断はもう二度と受けたくない。
……明日の朝、尿を提出しろとか言ってたのは多分聞き間違いだろうと思うことにした。
そうして嵐のような『健康診断』が終わり、アタシは今、寝そべったまま身体の上にプロフェッサーが部屋の外から持ってきた色々なものを並べられている。
「これは、一体何をやってるの?」
「簡易ながらアレルギー反応の有無を調べている」
切り分けられた食品や花、鉄など様々なものがアタシの素肌の上に並べられている……これ、本当に健康診断に必要なのかしら?
まあ、いい。これが終わったら服を着ていいらしい。そう思えば、気が楽……
……油断したのがまずかったのだろうか。それはあまりにも突然で、予想外の出来事だった。
「あっづ!?」
突然、肩口に焼けた鉄串でも押し付けられたかと思うような激痛が走り、アタシは跳ね起きる。
身体からばらばらと、いろんなものが落ちた。
跳ね起きた途端に痛みは消えたけれど……一体何があったのか。
「ちょっと!? いきなり何!?」
何事かと思い、アタシは鋭く聞き返す。
「健康診断だが?」
それに返ってくる答えは、さっきと同じで……
「まったく、やはり健康診断を行って正解だったではないか」
そう言いながら、プロフェッサーは羊皮紙に何かを書いていく……それが予想通りだったとでも言うように。
何を書いているのかは……異国の言葉らしく、全く読めない。
それから、アタシの方を見て、プロフェッサーが言う。
「お前には『ミスリル』に対して、極めて重度の金属アレルギーがあるようだ。
観測番号1872の医療技術では判定も断定も難しい体質だ」
「……聖銀?」
え、ちょっと、待って……バレたの?
訳が分からないプロフェッサーの言葉から、アタシが理解できる単語を拾いだして……戦慄する。
明るい床に落ちた金属片は、澄んだ銀色に輝いている、冒険者の認識票だ……冒険者稼業が長くても滅多に実物お目にかかることはない、上から二番目の認識票だ。
刻まれた名前は……コーイチロー。
アタシは、奴隷になる前、夜の髪と月の瞳持つ一人の冒険者が狩人の魔人を打ち取ったとか言う、荒唐無稽な歌を吟遊詩人が歌っていたのを思い出した……まさか、それ?
そんな風に混乱するアタシを差し置いて、プロフェッサーは無表情だけど、少し嬉しそうに話を続ける。
「うむ。金属アレルギー事態はさほど珍しくないが、発煙するほどの激しい反応をするとは思わなかった。人類種1872-1だからなのか、先天的に魔力を持つからなのかは、今後の研究課題に加えておこう。
日常生活ではほぼ見掛けぬ物質ではあるが、もし、知らずにミスリルで出来たものを触れば、大変なことになっていただろう。
光一郎にも通達せねばなるまい。ミスリルの格闘武器を買うとか言っていたからな」
知ってる。と言う言葉が喉まで出かかったけど、飲み込む。
幸か、不幸か、プロフェッサーは、気づいていないらしい……多分『聖銀を触ると酷いやけどをする』以上の意味を見出していないんだろう。
多分だけど、アタシとは根本的な『常識』が違うのだと思う。パパがちょうどこんな感じだった。
「さて、健康診断はこれで終了とする。夕食としよう。今日はお前の歓迎も兼ねて奮発する、そう光一郎が言っていた」
その言葉と共に、気分良さげにプロフェッサーは出て行った。
アタシはもそもそと先ほど貰ったばかりの女中服を着て、部屋を出る。
「その、お疲れさん。大丈夫だったか?」
コウイチローは、部屋から無言で出てきたアタシに、心配そうな顔で尋ねてくる。もしも、本当に魔人殺しの勇者様なら、心根が優しいんだろう。
「その……気を落とさないでくださいね? あの人は大体いつもああですので、そのうち慣れると思います」
アリシアは気遣って入るけど、ちょっとおざなりだ。多分、そう言うのに慣れてるんだろう。
「……言わないで。余計に辛くなるから」
けれど今は心がいっぱいで、そう言うのが精いっぱいだった。
食事は豪華なものだった。新鮮なお野菜に、良く焼かれたお肉の塊。果実を絞ったジュースに、高価なお酒。焼きたてのパンに、甘いお菓子。
冒険者やってた頃だってお祭りじゃなかったら出てこないくらいの豪華な食事だ。
けれども、それより気になることがあるせいか、豪華な食事は心から楽しめなかった。
今日まで麦がゆとか黒パンとか少しばかりのチーズとかばかり食べてたせいか、急に豪華になった食事にお腹がびっくりしているのもあるし、気になることもあるからだ。
……先ほどの『健康診断』のことを考えたくないという気持ちが一番大きかったのは、否定しない。
「ねえ。プロフェッサー。お願いがあるわ……今日、買ってきた本、少しだけ、見せてくれないかしら」
食事を終えた後、アタシはダメ元でプロフェッサーに今日持ってきた本を見せてくれと頼んでみた。
正直奴隷のする頼みじゃないけど、元々無礼で不躾な奴隷と言うことは承知しているはず。
それにこの子なら何となく、行けそうな気がしたのだ。
「別に構わんぞ。アリシアと共に風呂に入る間ならば、読んでも良い」
案の定、プロフェッサーは当然のように許してくれた。
「だが、私の本でもある。私が読む前に汚すなよ」
それは言われなくても分かってる。そもそも強力な魔法をかけられたあの本は並の力では汚れない……ちょっと書き加えるだけだ。
そしてアタシは、プロフェッサーの部屋の読書台の上に鎮座した、懐かしいものの前に座る。
まさか、アタシたちバークスタイン家の家宝とも言うべき品だった『自由の書』に出くわすことになるとは思わなかった。
(そう言えば、家の品々は大体売り払われたのだものね。そりゃあこれも売りに出されてもおかしくない、か……)
パパと一緒にこれを読んだ懐かしい記憶を思い出しながら、ページをめくる。
(ああ、やっぱり自由の書だわ。これ……)
アタシがまだ貴族だった頃の懐かしい記憶が蘇る。
乱雑で、意味が分からなくて脈絡もない様々な文章が踊っている。これを読み解こうとした当主は、発狂したとも言われる。
まあ、元々読ませるつもりなんて欠片も無い、本人が理解できればそれで良いという歴代のバークスタイン家当主が受け継いできた、由緒と歴史ある逸品だ。
作ったのは勇者の仲間にして、魔法と交易神の加護の両方を極めたと言われる初代様。
バークスタインの始祖にして元凶。とてつもない天才で、バカだったと言われている。
竜の吐息でも燃やせないという強固な防護魔法と、バークスタイン家秘伝の『記述』の呪文を知らないと汚すことすら出来ないという魔法の品であるそれは当主なら何を書いても良いと教えられる。
―――子孫たちよ。何か後世に伝えたいことがあったらこれに書くがいい。
後世の子孫は真に必要だと思ったらそこから勝手に何かを読み取るだろう。
最初のページの最初に記された、笑ってしまうくらい適当な初代様の言葉に従い、バークスタイン家の歴代の当主は思うがままに元は全部白紙だったというこの本の余白に色々と書き込んだ。
ある当主は、己の編み出した新たな魔法を、またある当主は、法律と判例について調べた結果を几帳面に、またある当主は新しい料理のレシピを、またある当主は二十年分の日記を書いた。
あちこちを旅した記録を書く当主や、自作の下手くそな詩を何ページも書いた当主もいれば、1ページ丸々使って落書きみたいな絵を描いた当主も居た。
何を書いても良い自由の書。五百年分の諸々が歴代当主の心赴くままに書かれたそれは、一見するとひどく難解な暗号のように見えるはずだ。
(パパはあのとき、ちょっとだけ席を外した。多分、これに『研究成果』を書くために)
ページをめくっていき、歴代の当主が記した乱雑な文字を追って、アタシは見つけ出す。
懐かしい、パパの書いた文字を。
―――正義の神は、正義を司らない。
……たった一文。おまけに多分アタシ以外の子孫には意味が分からないし、正義の神の神官に見せたら異端認定すらありそうなそれを記すためにパパはあれだけのことをやらかしたのだ。
やっぱりパパもバークスタインの当主だったんだなと改めて、思う。
「……自由の書に記す、我、バークスタインの名を継ぐものなり……《記述》」
初代様の作った魔法に反応して、自由の書が書き込みを受け付けるようになる。
アタシは宿に備え付けのペンを手に取り、インクをつけながらパパの文字の下に押し当てる。
いつか、これに出くわす日が来たら、パパの娘として、絶対に書き残そうと思っていた言葉がある。
アタシは、パパとは違う。ちゃんと後世の子孫たちにも伝わるように明確に、はっきりと。
これを見られてたらバレるかも知れないけど、決定的な証拠を握られたのだ。
どうせプロフェッサー以外にはすぐバレるだろうから、もう気にしない。
……そのうえで逃げるか、協力してもらうかは、考え中だ。
―――魔人契約の儀式を逆手にとって、自分の魂と引き換えに娘を魔人にしようとか考えてはいけない!!!!!!!!
よし。これできっと伝わるだろう。
……今年でとうとう28になったアタシにそもそも子孫が出来るかと言う問題については、考えると悲しくなるので考えないことにした。
何故なら、彼女もまた、特別な存在だからです。
なお、普通に天才である。思考回路がちょっとおかしいのも、仕様。




