1話 2年後
超暑い。
真夏だというのにも関わらず、オフィスは節電の為夕方4時以降はエアコンの使用が禁止されている。
もしこの先、転職する機会があるなら「エアコン使い放題」と書いてある企業に応募しなくては。と、心底どうでもいい事を考えながら、特にする事もなくボーッとしている。
実際のところ今オフィスにいるのは僕一人だからそんなブラックルールを律儀に守ることもないんだろうけど、バレたらバレたで後が面倒くさい。
今やアイドルや芸人、声優やハーフタレントが表舞台で輝く時代にうちの事務所はニューハーフタレントと女優志望の女の子1人をマネージメントしながら細々と運営している。
2年前まではオフィスミナミという大手プロダクションだったこの会社も、経営陣の不祥事から度重なるスキャンダルにより大きな致命傷を負った。その後我が社は瞬く間に衰退していき、事務所の看板タレントは次々と移籍。多くの負債を抱えたまま、どこぞの物好き大富豪に買収された。
そのまま会社に残る事にした僕や他の社員達は少しだけこの会社の未来に期待をしていたのだが…
実際はオーナーはニューハーフと巨乳の女の子を集めただけで後は放置。その後はタレントが入っては出ていくの繰り返し。痺れを切らした社員達は次々と退社していってしまった。
今はニューハーフタレントを使って粋なバーを運営する事によってなんとか生計を立ててはいるが、このプロダクションの行く先がそんなに長くないことは僕自身、薄々どころかひしひしと感じている。
以前までアイドルグループの現場マネージャーとしていつ死んでもおかしくないようなハードスケジュールの中で働いてた僕にとって、忙しくない仕事というのは憧れそのものだったが、やり甲斐がないどころか、そもそも仕事がないというのはある意味以前よりも酷なものだ。
と、その時
プルルルル…プルルルル…
オフィスの電話が鳴り僕は2コール待ち、電話に出る。
「お電話ありがとうございます。ハムハムプロダクションの瀬尾です。」
「あぁ、ハムハムさん!?ねぇ!お宅の美和ちゃんにどうゆう教育してるの!?撮影の途中でいきなり帰っちゃったよ!」
「え!?本当ですか!?申し訳ございません!!」
「ボイコットだよ!ボイコット!ふざけんじゃねぇぞ!?」
「申ーーーーし訳ございません!!!」
「そんな甘い考えでこの業界上手くいくと思ってるの?こっちも真面目にやってるんだから君達みたいなのがいると困るんだよねぇー。」
「はい、本当に申ーーーーし訳ございません!!」
「この件は、こちらでも問題にさせて頂きますからね?こちらに落ち度ありませんよね?また改めてそちらに連絡しますので。」
「…はい。」
ブツっ。
切られてしまった。
「はぁ…困ったなぁ…。」
僕はデスクに両肘を付け頭を抱える。
彼女は今年の頭に女優を目指し、こんな廃れた事務所に自ら入ってきた。月2回程度の演技レッスンを受けさせてはいるものの、この会社にはその業界へのツテもノウハウもなく、とりあえずそのルックスを活かして何とか業界へ売り込んでいた最中だったのだ。
僕の業務は基本的に内勤で現場での彼女は詳しくは知らない。マネージャーからの報告では利口で女優業とは関係のない仕事をする事の意味もしっかりと理解しており、今回も水着を着て如何わしいポーズをとる事に文句を言わずに引く受けたと聞いている。
そんな子がいきなり逃げるというのは俄かに信じがたい。
まだ憶測の段階でしかないが、何かがあったのは間違いないんだろうけど…。
まぁ、憶測だけしててもしょうがない。
現場に付き添っている僕以外の唯一の社員、彼女のマネージャー山口さんに電話をかける。
「もしもし、山口さん?」
「はい!」
「今クレームが入ったんですけど、何があったんですか?」
「えーっと…あ、うーん…あのー…。」
「落ち着いて下さい。とりあえず美和ちゃん、そこにいます?」
「はい…。」
「どんな状態ですか?」
「泣いてます。」
「え、泣いてるんですか?」
「はい…。」
「…わかりました。一旦2人とも事務所に戻って事情を説明して下さい。」
「…承知しました。」
電話を切り、僕は冷房をつける。僕も社会人5年目だ。これくらいのルールを破っても気にならないくらいにはなった。
しかし、歳上の部下ってやりづらいんだよなぁ。
未だに慣れない。すごく一生懸命でいい人なんだけど、もう少しラフになってくれないとこっちが気を遣っちゃうよ。
1時間ほど経っただろうか、2人が戻ってきた。
美和ちゃんの目と鼻が赤らんでおり、つい先程まで泣いていたのが見てわかる。
僕は二人をソファに座らせ、事情を聞くことにした。
「美和ちゃん、何があったの?」
「…ごめんなさい。」
「謝らなくていいからさ。怒ってるとかじゃないから何があったのかちゃんと教えてくれませんか?」
「カメラマンさんに…。」
自分の口からは言いにくい事なのだろうか。美和ちゃんはそこまで言って口を紡いでしまった。
「もしかして、セクハラですか?」
「はい…。」
やはり、それだったか。
「そうですか。具体的な話をしたいのであれば聞きますけど、話したくないなら無理して話さなくて結構です。ただ、こういう事態って事務所としては契約不履行扱いになっちゃうんです。だから逃げ出した事自体は看過できません。」
「…はい、すみませんでした…。」
そう言って美和ちゃんはまた泣き出してしまった。
「あ、あの!訴える事は!?」
珍しく山口さんが食い気味で僕に質問をしてきた。
「出来なくもないでしょうけど…勝てる勝てないの話ではないんです。万が一勝てたとしても、"椎名美和"という名前は悪名になってしまう可能性が…。」
「何も悪いことしてないのにですか!?」
「あぁ…すみません。悪名っていうのは言葉がおかしいかもしれませんね。何か問題があると訴えてくるみたいな印象を持たれるって感じです。気持ちはわかりますが、出版社の繋がりって怖いんですよ。彼女の今後の事を考えると…。」
「で、でも!」
「いいんです!山口さん!私、大事になってなって欲しくありませんから!」
「…。」
2人はまた黙り込みを俯いてしまった。
はぁ…。
「美和ちゃん。」
「はい…。」
「僕個人としては、逃げてくれて良かったと思っています。だからもう泣かないで下さい。寧ろそういう事態を防げなくて申し訳ないです。」
「いえ…瀬尾さんが謝る事じゃ…。」
僕は視線を彼女の横へ向ける。山口さんは彼女の隣で爪をいじりながらただ相槌をうっていた。
おい。言っておくが、現場に付き添っておきながらそういう隙を与えたあなたの責任ですからね?てゆうか、マネージャーが付き添っててセクハラ起こるって奇跡的なアクシデントだぞ?どんだけ余裕ぶっこいてたんだ?
と、責めたいのは山々なのだが、この場で彼を責めても、この子がまた責任を感じてしまうかもしれない。
後日にでもしっかりと話せばいいか。
しかし…まぁ本当にどうしたものか。
このレベルの問題なら違約金が発生してもたかが知れてる。そもそも請求してくるのかも怪しい。それにあの社長の事だ。どうせ「そっかぁ。それじゃあ仕方ないよねぇ。」くらいにしか考えないだろう。だから会社としての問題なんてこの際どうでもいいのだ。
問題なのはこの子の今後だ。
超が付くほどの弱小プロダクションにまで落ちこぼれた我が社にとって、三流誌のグラビアとは言え、今回の仕事は珍しくまぁまぁ大きい。これを機に彼女の顔を売り、少しでも女優業へのチャンスを手に出来ればと思っていた矢先だ。
上に上がれば認知度も上がる。
認知度も上がれば数字を取れるようになる。
そうすればドラマ出演も見えてくる。
水着を着ることと演劇は直接的には全く関係ない仕事だが、やはりビジネスの世界だ。何かしらの実績を作らなければ使ってもらえない。恥ずかしい話だが、そんな苦肉の策しか残されていない程に僕達は非力なのだ。
決してセクハラに耐えろなんて思わない。
そんなものこの世から無くなればいい。
だが、この世界はその下衆な需要に対して、充分な供給が行われているのも事実なのだろう。耐えるどころか是が非でも上に上がる為に喜んで突っ込んで身を呈する子もいる。
そういう人間と競争しているのもまた事実だ。
これからどうしたものか。
「ところで美和ちゃん。」
「…はい?」
「美和ちゃんは女優さんになりたいんだよね?」
「はい。」
「どうしてなりたいの?」
「"夢"だからです。」
「夢ね…そうだよね…うん!わかりました!まぁ、もう今回の事は気にしないでいいよ!今後どうやって売り込んでいくか改めて考えましょう!」
「はい…ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。」
「山口さんも今日は帰っていいですよ!社長も居ないですし、大まかな報告書は僕が作っておきますので!」
「承知致しました!」
二人が帰った後、僕は自分のデスクに戻り深く腰をかける。
オフィスと呼ぶには抵抗がある程に狭く古びたこの部屋にももう慣れた。かつては自社ビルを構えていたのだが、それも過去の話。もし、あの時彼女と出会っていれば、セクハラを受ける事なく女優にチャレンジさせてあげられたのに。
力がなければチャンスもない。
チャンスがなければ理不尽な事にも耐えなければならない。
なんて虚しい世界なんだ。
どうにかならないのかと何度も自分に問いかけようとどうにもならないとしか返ってこない。
はぁ…なんだかとても遣る瀬無い。
次回予告
2話 俺だよ、俺。