第四奏 夜は明けて
「それにしても災難でしたねえ、あんなの初めて見ましたよ、私も」
巨獣マトラの群れの暴走による倉庫破損の当事者として、港町ルーシェルの王立役場に出頭していたイルヤは、調停担当者から同情半分、好奇心半分にそう言われ、「まあ」と愛想笑いを返した。
「たまたまあの倉庫の中に居られたって聞きましたよ。本当にマトラの群れが?」
「ええ、まあ」
「へえ! 倉庫があんなになっちゃったのに怪我が無いなんて、イルヤさんは幸運ですよ。神の祝福ってやつですね」
6時間も倉庫に閉じ込められたことが神の祝福なのであれば、この世に救いは無いな。イルヤはそんな事を考えながら、調停担当者に見送られる形で役場を後にした。
結局の所、倉庫の一件に関してイルヤには何のお咎めも無かった。それどころか、倉庫の管理体制について上流の雇用主である運送ギルドからは謝罪を受け、慰謝料のようなものまで一方的に押し付けられた。倉庫にあった商品については、運送ギルドが加入している損害保険によって何とかなるらしい。
結局の所、向こうが気にしていたのは「6時間も倉庫の内部に人間を閉じ込めていた」という事実を言いふらさないで欲しいというようなことで、イルヤ自身にも特にそのつもりは無かった。
しかしながら、こういった事件の話はすぐに広まってしまうのが常だ。特に小さな港町では隠し事などする方が難しい。すれ違う人はみな、イルヤに好奇心混じりの視線を向けるのだった。
「なんか、落ち着かないな……」
「有名人になれてよかったじゃん」
イルヤの鞄から顔を覗かせたエーヴィアは、相変わらず気楽なご様子だ。
「私をこんな所に入れてどうするつもりなのよ~ねえねえ」
「別にどうもしませんよ……ついてきたのはそっちじゃないですか」
あんな事件があった後に、その当事者が今度は妖精を肩に乗せて歩きでもしたら、今度はルーシェルの外にまで自分の噂が広がってしまう。
そう考えて、イルヤは渋るエーヴィアを鞄の中に隠していた。そもそも一緒に行動する必要も無いのだが、本人がついてこようとするのでそうせざるを得なかった。
あの倉庫でエーヴィアと共に収められていた奏器も自分の家まで持ち帰った。本当は楽器のことも運送ギルドに報告すべきだったのかもしれないが、あまりにも向こうからの謝罪の勢いが強すぎて、こちらが発言するタイミングを逃してしまった。何よりエーヴィアが強く奏器を持ち帰るように言ってきたのも理由の一つではある。
「というか、何でそんなよそよそしい言葉遣いなの?」
「初対面の人にいきなり気安い感じで話さなくないですか?」
「ふ~ん、私はあんま気にしたこと無いけど」
「そうですか。そうでしょうね」
イルヤにとっては精一杯皮肉を込めた言葉のつもりだったのだが、エーヴィアが気付く気配はなかった。
「逆にそういう言葉遣いされると気になっちゃうからさ、もっと砕けた感じでいこうよ~ねえ~」
「はあ……まあ、善処します」
イルヤは既にエーヴィアを連れてきたことを後悔しつつあった。
ともあれ、昨夜の事件によって幾ばくかのデジベラ――流通通貨の単位だ――を得られたことは不幸中の幸いと言えなくもない。何をするにもお金が必要なのだ。とりあえず、今住んでいる処の家賃はしばらくどうにかなりそうだ。
重い足取りを引きずるようにして、イルヤは自分の住処へと辿り着いた。白い石で出来た、立方体の建物だ。自分の住処と言っても、イルヤ以外にも何人かがここに住んでいる。いわゆる共有型の貸し住居である。いくつかの部屋が中にあり、そのうちの1つの部屋にイルヤは住んでいる。
「うわ……」
家の玄関の前に両手を組みながら立っている少女の姿に気が付き、イルヤは思わず足を止めた。
「……!」
向こうもイルヤのことに気が付いたらしく、足早でイルヤの方へ近づいてきた。
「おかえり……それで?」
短い黒い髪に紫色の瞳、背丈は小柄だが、その態度は堂々としている。その少女――メイは、静かだが有無を言わさぬ雰囲気でそうイルヤに問いかけた。
「それでって……」
「あれは何?」
「メイお前、また勝手に部屋の中を見たのか。管理人の権力を濫用しすぎじゃないか?」
“あれ”とはつまり、イルヤの狭い部屋に突如現れた奏器のことだろう。メイはこの共有型住居の管理人なのである。この管理人は自身に与えられた権力を大いに行使し、住人たちの部屋を勝手に掃除したりしていくため、住人たちからは苦情が絶えない。
「うちに住んでる人が事件に巻き込まれたんだから、話を聞いておこうと思って……部屋の扉をノックしても返事が無かったから……」
「あれは別に昨夜のこととは関係無いよ」
本当の事を話すと面倒なことになると思ったイルヤはそう答えた。
「というか、関係あったとしても部屋には勝手に入らないでくれよ」
「管理人としての仕事だから……あ、ちょっと」
メイの言葉を聞き終えないうちに、イルヤは横をすり抜けて玄関の扉に手を掛けた。
「とにかく大丈夫だから!」
そう言って、イルヤは滑り込むようにして家の中へと入り、玄関の扉を閉じた。そのまま共有廊下を歩き、自室のベッドの上へと避難するように転がり込んだ。
「ふう……」
なんだか色んな事があって疲れるな。そう思いながらイルヤがため息をつくと、鞄の中からエーヴィアが出てきて頭上近くまで飛んできた。
「私にはよそよそしいくせに、あの子にはよそよそしくないんだ?」
「え? いや、まあ、ほぼ毎日顔をあわせてるから……」
「ふうん、なるほどなるほど、そういう関係な訳ですか」
「どういう関係を想像しているのか知りませんけど、あまり飛び回らないでくださいよ」
妖精が街中を飛び回りなんかしたらそれこそ大騒ぎだ。
「うーんとねえ……」
エーヴィアは一瞬だけ考えるような素振りを見せたと思うと、「やだ!」と叫んで部屋の中を飛び回り始めた。
「ちょ……」
イルヤはエーヴィアと話をする度に、自分の中にある妖精のイメージがどんどんと崩れていくのを感じていた。見た目以外は、普通の人間としか思えない振る舞いだ。いや、普通の人間はこんなわがままを言ったりしないかもしれないが。
エーヴィアはひとしきり飛び回った後、突然イルヤのベッドの上にふらふらと降り立ってこう言った。
「おなかすいた! ごはんたべる!」
どうやら妖精も普通にお腹がすくらしかった。