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第一奏 境遇

古びた木の匂いが充満する部屋の中で、イルヤは自分の境遇について熟考していた。


――この現状をどうにかしないといけない。


「この現状」には2つの意味が込められている。


1つ目は、自身が所謂「日雇い」という身分に属しているということについてだ。


「日雇い」とは、「その一日だけ働いてお金を得る」ということを繰り返すことで生きている人たちのことである。何故古びた木の匂いがするのかと言えば、それは古い木製の大きな倉庫の中におり、その倉庫の中の品を数えたり、移動させたり、警備したりするのがイルヤに課せられた本日の仕事だからである。


警備の仕事は比較的楽な仕事だ。殆どの人々は古びた木の匂いのする大きな倉庫には近寄りたくないと考えているし、明日の朝に出荷される品は全て指示された通りの場所に動かし終えている。


しかしながら、2つ目の「現状」について、イルヤは熟考せざるを得なかった。


何故なら、本来空いているべき倉庫の鍵が施錠されており、なおかつその中に自分が取り残されているという状況が発生したからだ。


倉庫の鍵は基本的に外側からしか掛けることが出来ない。つまり、内側から鍵を開けることも出来ないということになる。こういう状況に陥った場合、外側の人間が再度解錠しなければ、内部の人間は基本的には死ぬことになる。


今の時刻を知るすべすら無いが、イルヤは自身の感覚から午前2時頃を越えた所だと考えていた。仕事の終了予定時刻が午後8時だったから、既に6時間経過していることになる。


「これは……本格的に、終わったのでは?」


倉庫の出入り口前に膝を抱えて座りながら、イルヤは小声でそう呟いた。本来は大声を出すべきなのだろうが、そういった通常の思考能力すら現在のイルヤには残されていなかった。


「というか、ここ、さむすぎでは……?」


倉庫の中には食品も保存されているため、倉庫内の温度をほどよく調整するための氷塊が備え付けられており、イルヤの生命力をより急速に奪っていくという目的においては、功を奏する形となった。


「はあ……」


この28年、思えば何をやっても上手くいかない人生であった。出来るだけ楽をして生きていきたいと初めた日雇いの仕事も、初日にしてこのような事態になってしまうのだから、もはや天才的に働くことに向いていないということなのだろう。それにしたって初日でこのような仕打ちは無いのではなかろうか。


死ぬ時は出来るだけ穏やかに死にたいと思っていた。眠りに誘われるかのように、引いていく海のように、安らかに意識を手放したかった。しかし現実は、凍死か餓死という、どちらに転んでも穏やかな死とは無縁の選択肢しか残されていない。


「おなかすいた……」


こんなことになると分かっていたら、仕事の前に軽く何か食べておけばよかった。しかし、なぜ仕事前に食事を抜いたかというと、そもそもは金欠のためなのであった。まさに貧困の悪循環である。誰がこのような社会を作ってしまったのだろうか。


「……あれ? 待てよ」


そんな、徐々に途切れつつある意識に一筋の光が走った。


――どうせ死ぬのであれば、倉庫の中にある食品を窃盗しても大丈夫なのではないか?


厳密に言うと、大丈夫では無いけれども、裁かれるのは死後なので気にしなくて良いのではいか?


どう言い直してもおかしな表現になってしまうのは、置かれている状況の異常さゆえ仕方の無いこと。とにかく餓死という恐怖からは逃れられることに一筋の希望を感じたイルヤは、しびれ始めた足をゆっくりと伸ばした。


イルヤは先ほど仕事で使用していた配置票を元に、果物が格納されているエリアへと向かった。死ぬ前くらい好きなものを食べたいものだが、この際贅沢は言えない。


自分の背丈ほどもある木製の箱の前に立ちはだかった時、イルヤはある事に気が付いた。


「これは……人間の手では破壊出来ないやつか?」


木箱を軽く叩いてみるが、返ってきたのは重い響きであった。考えてみれば当然で、大型の船などで運搬されることを想定した積荷なのだから、そうそう簡単に壊れてしまっては困るのだ。


「うわ~! もうやだ~!」


イルヤは思わず大きな声で駄々をこねて五体投地した。もはや駄々をこねるくらいしかイルヤに出来ることは残されていない。そのまま暫く両手両足をジタバタさせて地面を転がり回ったが、床の木のささくれが足に刺さった所でピタリと止まった。


大の字で倒れたまま、イルヤは動かなくなった。呼吸はしているが、もはや抵抗する気力すら失われ始めている。


「…っと!…ちょ……」


ゆえに、静かな夜風の流れる中に、何やら遠くから声のようなものが聞こえて始めた時も、自身の気が狂い始めたのか程度にしか思っていなかった。


「……い!…こえて……かー!」

「でぇ!?」


だが、再び声が聞こえた時、イルヤは素っ頓狂な声をあげながら、上半身を素早く持ち上げ周囲を見回した。


「おーい……!」


今度は間違いなく聞こえた。女の子の声だ。


イルヤは立ち上がると、すぐ横にあった倉庫の壁を両手で強く叩きながら叫んだ。


「誰かいるんですか!? 俺はここに居ます! 閉じ込められています! 助けてください!」


そして、イルヤの叫び声に呼応するかのように、再び女の子の声が聞こえてきた。


「えぇ! あなたもですか!? 私もです!」


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