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付かず離れず

作者: Coke!

 吐息が漏れる。私は400mトラックを走り抜けた。過去に過ぎ去った汗は、真夏の太陽を浴びて、トラックに滲んでいた。

 天を仰げば、眩暈が襲ってくる。でもそれより気になることがある。

「タイムはどうだった? アオちゃん」

 私が走り抜けた滑走路は400m走。私はショートパンツをいじりながら、同じ陸上部の青田隆、通称アオちゃんに聞いてみる。アオちゃんは夕暮れの中じっと動かず、ジッとストップウォッチを眺めている。

「56秒47」

 私は膝に手をついて、子泣き爺に負ぶされたように重りを感じる。また自己記録を越えられなかった。そんな自分が歯がゆい。どうしても最後の100m辺りで苦しくなって、無酸素運動の限界に打ち負けていた。ちなみに、女子の世界最高記録は、東ドイツのマリタ・コッホの47秒60だ。この記録が1985年以来から更新されていないというのだから全くもっての化け物だ。まあ、いち普通高校生の女子高校生とプロアスリートを比べても仕方ないけどね。

「……アオちゃんの感想は?」

「頑張ってもっと練習したほうがいいんじゃない。スタートの伸び率も悪かったし」

 アオちゃんの矢じりが私の心臓を軽々しく射抜いた。同級生というのもあって、昔から一緒だけど、随分と昔より変わった。元々はお互い片親でアオちゃんは父、私は母一人の身だった。だからかお互いに単なるご近所様というシンパシーを越えて家族ぐるみで付き合っていた。

 それにしても、小さい頃はよく一緒に遊んだ。アオちゃんもこんな不愛想じゃなかった。いつも私のままごとの付き合いをしてくれて、いつもアオちゃんが夫役をしてくれた。行ってらっしゃいと言って、私がアオちゃんの唇を重ねる。ファーストキスからそれは、二人の年中行事みたいな関係にすらなっていた。

 いつか、私を本当のお嫁さんにするよ、とアオちゃんは私に誓った。

 でも、年を重ねるに連れて、二人の距離はだいぶ遠ざかったみたいだ。あんなに無邪気な笑顔を咲かせたアオちゃんは永久凍土のように固く冷たい。そんなクールな態度がカッコイイと隠れ女子ファンもいるけど。

 私は……現実の距離はいつも同じなのに。

「もう、そろそろ帰らないと。夏でも日が暮れる時間だ」

 アオちゃんはタオルで自分の汗を拭って、シャワー室に向かっている。いつも私は置いてけぼりだ。

「ちょっと待ってよ。私もシャワー浴びて帰るから」

「五分待たせたら、ジュース、お前の奢りな」

 アオちゃんはそう言って何事にも動じない様子だった。

 私は駆け足でシャワー室を目指す。男の子より女の子のほうが身支度は手間がかかるからだ。

 シャワー室で、短い金属の開閉を鳴らすと、ほんのり湯気が少し立ち込める。今までの自分との闘いを労ってくれるようなスコールだった。ふわふわと泡立てたシャンプーと、ねっとりとしたボディソープを全身にまとい、体を染みまとわせる。極楽極楽と快楽を味わせる時間もない。アオちゃんならもう出てきてもいい頃合いだったからだ。部室に戻って、ジャージに着替えるついでにフレグランスを体にかける。そうやって急いで出てきたのに、アオちゃんは自転車置き場の柱に寄り掛かって、目を閉じていた。手には二本のペットボトルのスポーツドリンクジュース。嫌だな。本当に、言葉とは裏腹で優しい。

「ごめん。まった?」

 私が片手で合図を送ると、アオちゃんは目を開いて、小さく首を振る。そして私にスポーツドリンクを手渡す。

「日が暮れても夏場は脱水症状起こすから」

 私はそんな隠れたアオちゃんの優しさに溶けていた。こういう気遣いは、いつまでも変わらない。本当に不器用だけど、心底お人よしなんだ。キャップを外して、私は一口分だけ喉を潤す。

「飲んだら、さっさと自転車の後ろ乗れよ」

 私は言われるがままに横を向いて、お尻を乗せる。両手はアオちゃんの腰にまわして、青春の一ページを刻んでいた。アオちゃんは私の体重なんて関係ないなんて顔して、ペダルをこいだ。家から自転車で15分までの距離。途中、河川敷きを通る。私は肩にアオちゃんの体温を感じて、いつまでもこんな時間が続いてくれたらいいなぁと思う。でも、そうは思ってみても、想像通りにいかないのが世の常だけど。

 夕日が半分以上になって、明るさを費やした時、街の影がよく映り、そして最後には消えていきそうになる。

「ねえ、あのさ、アオちゃんさ」

 アオちゃんは無言だった。その最後の言葉も予期しているようだった。

「わかってるんでしょ、私の気持ち」

 そこまで言って、鈍感な人はいない。きっとお互いに、痛いほどに、夏場の蒸気染みた暑さにやられているとは思っていない。アオちゃんのペダルを漕いでいた足が止まり、片足に地面が付く。アオちゃんがあまりにも声をかけてこないから、私の耳はコオロギの鳴き声が耳に残る。

「しょうがないだろ」

 アオちゃんは初めて私の言葉に乗った。悔恨が残る響きだった。聞きたくもないフレーズがもうすぐそこに迫っている。

「もう、俺たち義兄妹なんだから」

 私も分かっているよ。やっぱり、そうだよね。

「そうだね。変なこと言ってごめん。お父さんとお母さん待ってるからね。早く皆でご飯食べようね」

 涙が堪えそうなのを我慢して私は謝った。そうだ、こんな恋心なんて誤った感情なのだ。

 さようなら、私の初恋。

「でも、大人になったら近所とか学校の連中から白い目で見られることも少なくなるし、そのとき二人で暮らせたらいいんじゃないか」

 アオちゃんの最後の言葉を聞いて、私はアオちゃんのお腹周りをギュッと抱きしめる。もし、大人になれば、私はまたアオちゃんの笑顔が見れるのかな。私は堪え切れなかった涙をこぼす









 














 

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