1話目(前編)
夏は嫌いだ。暑いし、蚊は餌を求めて飛び回るし。なんといってもこんな暑い日に学校にわざわざ行って補修を受けないといけないことだ。
外は雲一つない青空。その空の上から延々と校舎内を照らし続ける太陽。
僕は机に向き合いながらも太陽の光が及ばない、机の日陰に両腕を避難させる。
「……暑すぎ」
「もー、ダメだよ。ちゃんと勉強しないと、頭がわるくなっちゃうんだから」
目の前にいる女生徒は僕よりも二学年上の先輩である。
「そもそも夏に勉強するのが間違っているんだ。こんな日は家でアイス食べてゴロゴロするのが一番!」
「屁理屈言わないの! わたしだってあんまり時間がないんだからぁ」
そう言いつつ、先輩は僕の補習に付き合ってくれている。だから僕も早く終わらせて先輩を解放してあげないといけない。
再度シャーペンを持ち直し、教科書の問題に目を通しつつノートに回答を書き始める。
「先輩。ここの所、どう解くかわかりますか?」
前の席に座っている先輩は、体をこちらに寄せるように教科書を指さして説明をする。
「えーっと、ここだよね。ここは、こうやってこの式を使って解けばいいんだよ」
先輩が教えてくれたやり方で解いてみると、簡単に解くことができた。
「これで一問終わったー。あと九問頑張りましょうね」
「まだそんなにあるのっ!? もう、私の方が疲れてきちゃったよー。」
「先輩にあとでお昼奢りますから。あ、ここの問題の解き方も教えてください」
教科書の問題にシャーペンで適当な印をつけつつ、僕は先輩に尋ねた。
その後も僕と先輩は夏休みの朝方を補習に費やし、暑い夏を過ごしていくのである。
そんなこんなやっているけど僕と先輩は、約一か月前に知り合ったばかりだった。
◇◇◇
最近、梅雨の季節なのに晴れの日がやけに多い。天気予報を見ても毎日のように晴れマークが続いている。それなのに――、
(なんで今日に限って土砂降りの大雨なんだよ!)
急いで僕は帰り道の途中で高校の一番近くにあるコンビニに立ち寄った。それは帰宅中に急に雨が降ってきたからだ。それも土砂降りである。
「……」
なんとか制服は雨に濡れずに済んだようだ。僕はホッと胸を撫で下ろす。
(さて、目的のビニール傘はまだあるかな?)
周りを見渡してみると、入口付近の場所にビニール傘が一本だけ置いてあった。
やはり、学校帰りの生徒がほとんど買って行ったのであろう。いまもレジで傘を買っている学生がいる。
「でも、ラッキーだな。これで雨に濡れずにすむ」
とりあえず傘を手に取り、レジで店員にお会計をしてもらう。
(――ん?)
ちょうど、お金を支払ったときに一人の女生徒がコンビニへと入ってきた。ここでいつもだったら、赤の他人のことなど気にしない僕ではあるが、今回はその人のことが目から離せなかった。
その女生徒は一言で表すと、『綺麗』であったからだ。綺麗にもいろいろな種類が存在する。彼女に対しては、可愛らしく美しくもあるという綺麗だ。
なおかつ、雨に濡れていることで艶のある黒髪が妙に色っぽく見えてしまう。
しかし、女生徒も傘を買いに来たらしく、目当てのものがないとわかったらコンビニから出て行ってしまった。
「お釣りとレシートいらないです!」
僕は店員にそう告げると、先程買ってしまった傘を右手で持ちコンビニから急いで出ていく。
(さっきのあの人が、また雨に濡れてしまう!)
自分がラストの傘を買ってしまったばっかりに起きてしまった事。だから僕自身が解決しなければいけない。
さっきの女生徒への罪悪感もあるが、なにより困っている人を放っておくことができないからだ。
コンビニから出て、左右を確認して右の方向に女生徒の姿があることを捉える。
やはり雨は強く、いまも彼女を襲っている。
そんな姿が見ていられなくて、僕は走って彼女を追いかける。
「すみません! あの、ちょっといいですか?」
走ったせいで息が切れているが、思い切って声をかける。
「どうかしたの?」
後ろを振り向いた彼女はとても不思議がっていた。
突然声をかけられて不思議がるのも当然だ。しかも僕に対して警戒心を抱いているに違いない。
「これ、使ってください! さっきあなたが探しに来ていた傘です!」
僕は右手に持っている傘を、彼女の左手に握らせる。
「大丈夫だよ! 君が買ったものだし貰うのは失礼だよ」
「それ貰って! 僕、鞄の中に折りたたみ式のやつ持ってますから」
彼女がしっかり傘を持ったことを確認したら、僕は「それじゃ、気を付けて」と言って反対側の方向へと走り出す。
だいぶ走り体力的にも限界を感じたので、雨宿りできる場所を探して休憩をすることにした。
雨が降っている中、全力で走っていたので髪も制服もびしょ濡れである。
「ビショビショになっちゃったな。まあ、明日までに制服乾かせばいいか」
あの人に対して僕は嘘をついた。本当は傘なんて鞄の中に入ってなんかいない。入っているならば傘を買う理由が見当たらないからだ。
でも、あの人が濡れずに済むのならば後悔なんてしていない。
雨はより一層強さを増している。
僕は意を決して鞄を傘代わりにしながら、自宅まで再び走りだす。
◇◇◇
昨日の雨のおかげで、みごとに風邪を引いてしまった。
「へっくしゅ。風邪の症状が悪化しているな……」
最初はだるいだけかと思い、普通に学校に登校をしてきたが思った以上に風邪が酷くなった。ちょうどいまは昼休みなので、だるいことだし寝てるかな。
「大野木、お前大丈夫か?」
前の席に座る人物、喜春青樹が心配そうな表情で話しかけてくる。喜春とは少し話す程度の仲である。
「たぶん大丈夫だ。この程度で休んでいられないからな」
「だけど無理はするなよ。――と、さっきからクラスの奴らどうしたんだ?」
たしかに先程からクラスの人たちが教室の入り口付近で群がっている。まるで有名人にサインを求める集団のように見えてしまう。
「けど、僕には関係はないか」
「そうだな」
そう思ってやり過ごそうとしたが、集団をかき分けて一人の人が教室の中に入ってきた。
そして周囲をキョロキョロと見回している中、ちょうど目があった。僕はすぐに目を逸らし、何事もなかったかのように過ごす。
しかし、目があった人物は何かを発見したかのように小走りでこちらへ向かってきた。
(な、なんでこっち来てるの!?)
焦り始めた僕は目を閉じて寝ているふりを始める。
足音が聞こえなくなったと思ったら、
「やっぱり、ここにいたんだね!」
可愛らしい声が僕の耳に届く。
彼女が入ってきた瞬間にわかっていた。だから僕は知っていたからこそ、焦っていたんだ。
ゆっくり目を開けると、目の前には昨日傘をあげた綺麗な女生徒がそこに立っていた。