自分が読みたいものを書くことは案外難しい
「作品を評価されたいなら、読者が読みたいものを書くべきだ」
「趣味でやってるんだから、自分が書きたいものを書くべきだ」
あなたはどちらの考え方を、妥当と思うだろうか。
懸命な読者(作者?)諸氏はお気づきだろうが、おそらくどちらも一定程度、正論であろう。
それはさておき、この中間の概念について考えている人は、意外と少ないんじゃないかと思って、このエッセイを書いている。
すなわち、
「自分が読みたいものを書くべきだ」
という考え方である。
あなたの作品を、「あなたでない、あなたが知らない誰か」が書いたものだと仮定して、あなたの作品を読んでみてほしい。
あなたはその作品を、面白いと思うだろうか。
連載作品ならば、先を読みたいと思うだろうか。
「読者が読みたいものを書く」というと、読者に媚びて自分が書きたいものが書けなくなるのが嫌だと考える作者でも、「自分が読みたいもの(読んで面白いもの)を書く」という方法論なら、多分、それなりに受け入れられるんじゃないかと思う。
もちろん、「自分が書きたいものを書く」のが悪いというわけではない。
構わない。運営が禁止していないのだから、僕らは書きたいものを書いていいはずだ。
ただそれは、キャッチャーミットを見ずに360度あらゆる方向に気の向くままにボールを投げるようなものだと思う。
その作品が評価されないことは、必然だと思っておいた方がいい気がする。
僕自身もよく忘れる(特に作品を書いているときには!)概念なので、ほかの人にも役に立つ考え方かもしれないと思って書いてみました。
ではでは。