80話目 妄想の頂
最優秀。それが自分に与えられた評価だった。
だが、そんなものにはなんの興味も無かった。
確かに与えられたものは誰もが貰えることではないし、ありがたいという感情も、嬉しいという感想もあった。
だが、自分が本当に欲しているのはこんなことではないと、空想の世界に恋焦がれている時間こそが、何よりも幸福であった。
空想への恋がやがて妄想の世界へと自分を誘い、ひたすらに妄想し、それが叶うことを夢想する毎日だった。
だが、いつまで経っても煌びやかで怪しげな幻想が自分に訪れる気配が無い。
なぜ? どうして? 世間から最優秀と評される、幼い夕輝が見出した結論は、自分が物語に相応しくないということだった。
だから夕輝はより相応しくなろうとした。
強さを手に入れるために武術を習い、環境に適応するために水泳を習い、美しい音色を聞かせられるように楽器を習った。生き残る術を身につけるためにサバイバル術を……
あらゆる物語、あらゆる世界に適応できるように、様々なことを会得した。
苦労に苦労を重ねながらも、あらゆる事柄に関して最優秀と評されるに至った。
それでも。
どうしてか分からないが、それでも妄想どおりにはいかなかった。
なんでも出来ると思われた天才少年は途方に暮れた。
特に興味も無い物がぼろぼろと手に入り、しかし本当に手に入れたいものにはなにをしても届かない。
もしかして、この世界は神に封印された隔絶された世界なのか?
それとも、自分は魔物の類によってそういったものから引離されているのか?
何かを恨み、憎み、しかしなんとかその世界にたどり着こうとした。
青空に思いを描き、描かれた幻を追い求め、その先にある夢の国を目指して、夢に見るほどに思い、いつか辿り着けると妄想していた。
しかし、子供の身でそんな探求を続けてなど居られない。
もっと何かが必要なのだ。何かを手に入れなければならないのだ。
そして彼は世界、人間社会において万能の力を持つ物をかき集めた。即ち、金である。
儲けた。儲けた。ただひたすらに儲け続けた。
使った。使った。ただたんたんと使い続けた。
地を巡り、山を登り、谷を下り、川を渡り、海に沈み、湖に佇み、やがて世界の至る所を探し、月にまでたどり着いて……
得られた者は、絶望だけだった。
叫んだ。叫んだ。ただ滅茶苦茶に泣き叫んだ。
力はあるのに、金はあるのに、想いはあるのに。こんなにも捧げたのに。
途方に暮れた。どうしようもなかった。それでも諦めることなどできず、ただ彷徨った。
こんなにも頑張っているのに、こんなにも足掻いているのに、誰も自分を迎えに来てはくれない。
妄想は、所詮妄想だ。実現されなければ、何の意味もないただの空虚だ。
そして最後の最期に認めさせられつつあった。
この世には空想など無いのだと。自分が望んできたものは、決して手の届かない存在しない影なのだと。
存在しないものを相手にしては、天才と呼ばれた彼でさえどうしようもない。
やがて手を伸ばすことをやめた彼は、現実を謳歌した。
現実の素晴らしさを味わうことで、想い続けた全てを忘れようとしたのだ。
溺れるように愉しんで、暴れるように楽しんだ。
それでも……
「終わらないんだ……終わらせることが出来ないんだ」
「……」
「俺はこんなにも頑張ったんだ。俺は、尽くしてきたんだ。捧げてきたんだ。妄想に釣りあうように、恥じないように、誇れるように……なのに、どうして……ッ!!」
憎悪なんて言葉すら生温く思えるほどに、夕輝の眼光は鋭かった。その手にある橙の剣にさえ勝るのではないかと思う。
それでも結城は揺るがなかった。
「どうしてお前が俺と同じなんだっ! お前は、俺より遥かに怠惰だっただろうがッッ!!」
「やかましい」
結城は今までの優しさが嘘のように、夕輝の言葉を立った一言で斬って捨てた。
「当たり前だろそんなの。お前が生きていたのは、あの忌まわしい現実の世界だぞ?」
「どういう、意味だッ!」
「天才で、頑張れば何でも出来るようになったから気付かなかったのか? 現実ってのは、頑張れば必ず報われるとは限らない世界なんだよ」
それは本当に極々普通の、当たり前のこと。生きていく中で、誰もが実感する世界の理不尽。
「なのにお前は優秀であるが故に、現実に生きてしまった。一度手放してしまった。想いも、童貞も」
「そこが、俺の失態だと……」
「違う。失態じゃない。お前は俺よりよくやれたんだと思う。俺の理想とはいえ尊敬する。そんなの失態のうちに入らない」
「なら、なら俺は……」
結城は少し躊躇いがちに目を伏せ、しかしもう一度夕輝を見て言った。
「元々、現実で叶う夢じゃなかったんだよ。夕輝」
「じゃあ、俺は、俺たちの意味は?」
「最初から最後まで独走する力があるために、一度でかく転んだ上に、傷は深い。立ち上がり方さえろくに知らず、困難を極める、か……」
溜息一つこぼし、肩をすくめる。
「そうやって切羽詰った状態でなんでもかんでもやろうとして、そしてその全てが出来てしまったのが、お前の不運さ。背水の陣の気分で、もう死んだも同然とばかりに絶望して……一度現実に屈した」
何を言い返すことも出来ない。紛れもない事実だった。
「でも、俺は妄想をどこまでも重んじた。現実の無意味さに気付き、ウエイトを現実から五想へとシフトさせた。だから現実でどれだけ挫折しようが、妄想のおかげで立ち上がることが出来た。無能の智恵ってところか?」
学も浅い、技能も無い。それで生きる現実はなんと過酷だったことか。人間と社会が神魔の類より恨めしく思ったことも何度あったことか。
結城は途方に暮れる夕輝を見た。
「どうすれば……どうすれば……」
「何を途方に暮れてるんだ夕輝。夕の輝きだけに?」
寒い洒落を交えながら、結城は言葉を続ける。
「やるべきことは目の前にあるだろ。苦しむのはこれで最後だ」
「やるべきこと……そうだ、俺は、お前を倒して……」
「せっかくだ、最後の最期、楽しくやろう。全力で」
結城は先ほど夕輝に去れたのと同じ、妄想によって近づき、妄想によって剣を振るい斬る。
だが、夕輝は自らの太刀で防いだ。
「俺は、お前を倒す。結城!」
「さすが理想の俺だ。独りで勝手に立ち直るんだな。面白くなってきた!」
接近する夕輝に対し、横薙ぎに振るうも、即座にバックステップで回避される。
そこから捨て身の刺突を繰り出されるところを弾いて逸らし、すれ違い様に流し斬る。
だが感触は硬く、金属のぶつかる音がした。
「お前の妄想い通りにはさせん」
「二刀流……」
次の瞬間、結城は驚く。
橙の剣がもう一本、夕輝の左手に握られていた。
「まったく、楽しませてくれる!」
結城は踏み込み、積極的に斬撃を繰り出す。
だが片方の剣で防がれいなされ、もう片方の剣が同時に反撃を行うために、どうしても深く入り込めない。
「武術も習っていたんだっけ」
「そうとも」
斬撃の雨、猛撃を剣で受け、溜まらず後ろに下がる。
「穿て我が剣、黄昏の閃光!」
切っ先を向けて構える剣。
次の瞬間、夕焼け色の光が切っ先から放たれ、結城の右肩を刺し貫いた。
「ぐっ、おおっ!」
そのまま横を向いた刃に、結城は両手で持った剣で受ける。
「ぐぅああッ!!」
ジリジリと肉を焼き焦がす音が右の耳に響く。
「調子に……乗りやがってぇっ!」
食い縛り、そのまま前進する。
その無茶苦茶な力押しは、さすがに夕輝の想像を越えていた。
「なるほど、不屈というだけで現実を乗り越えただけのことはある」
大丈夫、俺ならやれる、俺なら出来る。皆が信じてくれている。俺なら、俺だけが、俺にしか……
結城は苦痛の中でひたすらに心の中で言い聞かせる。
右肩を刺し貫く痛みは苛烈。だが力を緩めれば必ず左に振り切られ、肩と首がセットで落ちる。
歩み、歩み、肩の肉がズタボロになっても向かう。
対し、夕輝はこのままではまずい。
片方は右肩を刺し貫いたままだが、片手の力では結城の押えを振り切れない。
だが例え接近されたとしても、結城の剣はあのままならば決して自分の元へは届かない。
と、思うところだが、結城の見せたあの神速の斬撃が脳裏を過ぎる。
あの動きならば、間合いに入った瞬間に右肩を捨てて来るかも知れない。
そしてあの斬撃を片手で受けとめられることが出来るかどうかは怪しい。
夕輝は迎撃よりも結城を刺し貫く剣に力を込めた。
より強くなる火力により、閃光の径が増すと、結城の前進する速度が著しく低下した。
「その、程度で……」
しかし、歩みは止まらない。
結城は決して、足を止めない。特に、こういう土壇場において、結城は足をとめる男ではなかった。
「この程度の痛み、現実での連日の労働に比べたら……むしろ心地いいくらいだ!」
好きなことに命をかけられる。否、命をかけられるほどに恋した者の力がそこにあった。
やがて、結城と夕輝、互いに間合いに入る直前……そこで異変は起きた。
「はっ?」
間抜けな声を漏らす夕輝。
バキンと音を立てて、結城の肩を突き刺していた刃が折れたのだ。
前触れも無く起こった出来事に夕輝は驚きに身を硬直させてしまった。
「絶技」
宣言と共に、結城は既に剣を振り終えていた。
反応してみせた夕輝も流石であったが、結城の虹色の刃は既に夕輝の首筋にあった。
「<涅槃寂静・即身仏>」
夕輝は幻覚でも見せられているのではないかという気分であった。
だが首筋に当たる刃の冷たい感触は、どうしようもなく現実であることを物語っている。
「俺の負け、か」
「……いや、どうかな」
それは最後の最期に見せた意地か。夕輝をこの世界にたどり着かせた、内に秘める何かか。
左手の剣は折られても、結城の剣速に叶わなくとも、反射的に突き出した夕輝の右手の剣は、確かに結城の首筋に僅かに食い込んでいた。
「その剣を折るために、一瞬だけ全力で力を込めた。それが俺の剣速を遅らせた。貴様の……あんたの反応が先んじた」
「もう、いい」
夕輝は力ない声で言った。
「お前にとって理想の自分である俺と、お前の力が拮抗するというなら、もはや俺の存在に意味はない」
「そんなことは、お前は……」
「理想に匹敵するお前なら、この世界を認めない神とやらも倒しきれるだろう」
結城はそれでも剣を引けなかった。
自分の勝利は、それで確定すると言うのに。
「何を今更、躊躇っている。俺に勝ちを譲ってくれるのか?」
「ちょっと黙って」
考えていた。どこまでも考えていた。夕輝が自分の理想であったならば、彼は絶対に報われなければならない。
彼の想像、いや妄想を凌駕する、彼が報われる方法を。
「相打ちで納得いかないのか? この結界を構築した分の妄想も含めれば、お前が俺より優れていると認めざるを得ない。周囲に影響を出さないためにここまで隔絶した結界を……それに妄想を集約した剣を折られた時点で、既に決着はついた」
もはや夕輝の声は届いていない。
集中して妄想する。無我夢中、忘我の境地。ピースを創り、組み立てていく。
「この期に及んで往生際の悪い様は見せん」
「そこで諦めるから、俺なんかにひっくり返されるんだろ」
「いいから、早く俺を取り込め。そうすれば、俺の人生は泡沫の夢。意識はお前に統合され、俺もまた悪い夢を見ていたように。むしろ敗北した今、それしか俺が報われる方法はない」
「そんな……」
「既に、完成された妄想なのだ、これは。最期まで報われなかった俺の……最期の……」
突然、夕輝の身体ががくんと落ちた。
地面に両膝をついて、天を仰ぐように。
見れば、橙色の水晶剣は端から光の粒子と散り始めていた。
「これは……!?」
「俺はもう、理想をお前に託した。理想を失った者は、この世界には居られないのだろう?」
そう、ここは理想の世界。理想を持つ者は何者であろうと存在することが出来る。
逆に言えば、理想を持たない者はいかなる力を持っていようと、存在することが許されない。
「理想、そうか。だからあんなに必死で……」
「結城?」
「俺が抱いてるこれは理想かもしれないけど、理想なんて大それたものじゃなかったんだよ」
それは、理想などという恰好の良いものではなく、求めずには居られない願い。
望まずには居られない希望。だからこそ、往生際の悪い事この上ない。
「俺のは、ただの夢さ」
「夢……ふふ、理想も妄想も、すべてその一括りに出来るな」
五想はすべてが似て非なる。しかし互いに繋がっている。
空にかかる虹が幻であるように、夢が実体の妄き物であるように。
「お前はそのどれをも内に揃えて秘めているのだな。理想だけの俺が敵わないわけだ」
さて、と夕輝は瞼を閉じる。
「そろそろ頼む」
ここまで考えて、やはり答えは出なかった。
「夕輝……」
もしかしたら、この結末こそが。
「またな」
彼の理想だったのかもしれない。
夕輝は消えた。とても美しい夕焼けの光となって、夕凪が結城の頬を撫でる。
虹色の剣が、橙の輝きを取り込んでいく。
しばらく、結城は彼が居た場所を見つめ続けている。
「どうだ結城。己を殺した感想は」
振り向かずとも、背後にダクストが居るのが分かった。
「お前の理想、その可能性は、お前によって殺された。いや、単純に力及ばなかったと言うだけの話だが」
「……」
「ダクスト」
闇黒の影ともう一人、クリストがダクストを止める。
「お前はいつもそうやって煽る」
「この私が知りたいのはな、クリストよ。これから先の結城の行動方針だ。それを聞かないことには、この騒動の意味が無い」
「それなら、決まってる」
結城がぽつりと呟いた。
振り返り、強い眼差しで見据える。
「行こう。まどろみの時間に幕を下ろす」




