75話目 ミラージュエッジ
気が付くと、白い壁がそこにあった。
「……違う、天井か?」
自分の体が横たわっていることにやっと気付いた。
それを察知したか、聞き覚えのある声が優しく耳に響く。
「気がつかれましたか、マスター」
「れい、らん……?」
「おっ、結城! 大丈夫か!?」
「結城さん!」
ふと気付けば、そこにはレイランだけでなく、蓮華やローラまでいた。
「随分と勢ぞろいだな。なんかあった?」
「覚えてないのか?」
「なに?」
蓮華の問いに、結城は途惑いながら上体を起こす。
「痛っ……!」
「マスター、ご無理をなされては。どうぞお水です」
レイランから水を受け取り、一気に飲み干す。
「なんだ、一体なにが……ッ!!」
思い出した。空のコップを取り落とすが、レイランがそれを受ける。
「マスター……申し訳ありません。私の力及ばず」
「……あいつは、何処だ」
「不明です。ですが、恐らく安全無欠か、闇黒の徒の居場所へ向かったかと思われます」
「そう、か」
力なく項垂れる結城を、レイランも、誰もが見ていることしか出来なかった。
それは昼前まで遡る。
結城はいつもどおり世界を構築していた。
一息吐き、うんと伸びをしていると、レイランが言った。
「マスター、たまには体を動かした方がよろしいかと」
「そうだなぁ。それじゃあどこか行くか……」
レイランの助言を受けるも、結城は外での遊びにはまったくと言っていいほどに疎かった。
そこでレイランが提案したのは、適当に昼食をとって剣の鍛錬、というものだった。
早速、支度を済ませた二人は新月の屋敷を後にする。
相変わらず喧騒賑やかな街道は、人間や人外が入り乱れている。
と、道中で二人の人物に出くわす。蓮華とローラであった。
「おっ、結城とレイランだ」
「こんにちは、結城さん」
レイランの表情が少々曇ったのを感じながら、四人で食事をすることになる。
問題は、その後に起こった。
「あっれ、おかしいな」
「どうかしたのか、蓮華?」
「いや、人少なくないか?」
ふと周囲を見回す。
よくよく見れば、大通りを歩いていたはずの自分たちが、なぜかわき道にそれたような細い路地に入り込んでいた。
しかも人が少ないどころか、視界には自分たち四人以外存在していなかった。
「妙、なんてものじゃない」
「ああ、匂うぜ」
「蓮華ちゃん、感じる。何か居る……」
「マスター、油断なさらぬよう」
全員が異変を感じ取った。そして、それは丁寧に現れた。
眼前に現れた、一人の男。
美青年とはいかないまでも、嫌悪はされないであろう、整った平凡な顔だった。
その顔に、どこか見覚えがあるものの、思い出す前に男は問うた。
「あなたがガンダーラの英雄、妄想顕現の力を持つ、結城か?」
突如、自分のことを問われ、結城は咄嗟に応えてしまった。
「ああ、俺が結城だけど?」
「そうか……初めまして、もう一人の俺」
もう一人の俺。その意味を問う前に、男は一振りの剣を外套から晒した。
「その、剣は……ッ!」
その剣は、透明な水晶のような刃を持ち、虹色の光を内包していた。
宿る光が膨れ上がり、満ちたとき、光を虹色に反射させる白金の刃となる。
見紛うことがあるものか。それは確かに、自身の持つ妄想の剣と同じ特徴を有していた。
「俺の名は夕輝。夕焼けの夕に、輝くと書いて、夕輝」
「な、なんだ、どういう……」
字は違えども、読みは同じ。そして同じ特徴の剣を持つ男。
混乱する結城の前に、レイランが庇うように立つ。
「どういうつもりか知りませんが、マスターを誑かすのは辞めていただけますか」
「……レイランだな?」
「貴方は何者ですか。マスターと同じ読みの名で、なぜマスターの前に立ちはだかるのです」
「それは、俺がどうしてこの世界に来たのか、という問いでもある」
「?」
「なあ結城。なにをのんびりと過ごしている」
その眼光は、あまりに苛烈なものだった。殺意ではないが、それよりも色濃い憎悪のような。
次の瞬間、夕輝は瞬時に先頭のレイランへと接近した。
謎多く、しかし主の敵となれば、レイランは容赦なく一太刀を浴びせる。
「っ!」
ガチリと刃の重なる音がした。
「レイランの斬撃を、真っ向から受け止めた!?」
「ご心配なく、マスター」
続けて二つ、三つ、四つと目に留まらぬ剣速で斬撃を浴びせるレイラン。
だが夕輝はかわし、流し、弾き、逸らし捌いた。
予想外の正確な対応に、レイランもさすがに驚きを隠せなかった。
「マスター、お下がりを」
「懐かしい、レイラン」
「っ!?」
姿勢低く、深く抉るように踏み込んだ夕輝は、下から上に斬り上げる。
剣で受けたレイランだが、その膂力に上空に浮き上がらされる。
がら空きになり、対峙する結城と夕輝。その視線が交錯する。
と、そこに蓮華が割って入った。
「結城が狙いか!」
苛烈な威力の一撃、全てを打ち砕く拳が放たれる。
「蓮華の馬鹿力はそっちでも変わらないか」
なんと夕輝は真っ向から、同じように拳を放って迎え撃つ。
拳と拳がぶつかり合い、なんと蓮華が後方に吹き飛ばされた。
「ぐおっ!?」
猫のようにくるりと回転するが、結城よりも遥かに後方に退けられてしまった。
「ローラ!」
「はっ……う、うん!」
魔力を込めたローラ。
しかし、ローラが魔法を放つよりも早く、夕輝は剣を振るった。
それは絹を引き裂くよりも容易く、ローラを守る不可視の防御壁は切り裂かれた。
「そんな……これは一体……」
「夕焼けにかかる虹は、あらゆる魔を跨ぐ」
魔法が通じない以上、無防備なローラに抵抗するすべはなく、逃げるか、立ち尽くすことしかできない。
「ローラッ!」
だが夕輝はローラからすぐに結城へと視線を移した。驚きの表情に染まった結城を見て笑う。
「レイランたちが退けられるなんて予想外、だったか?」
「も、妄想顕現!」
結城が自らの虹の水晶剣を顕現させた頃には、既に夕輝の剣が喉元に突きつけられていた。
「全員動くな。特に……」
遠く離れた蓮華、なす術のないローラは言いなりになるほか無かった。
しかし、一つだけ、何よりも先に脅威を排除せんとする刃が……
「特にレイラン」
「っ!」
背後から切りかかろうとしていたレイランがピタリと静止した。
「さて結城、お前ともあろう者が、なにをこんなところでもたついている」
「な、なんだ? どういう意味だそれは」
「まさか、この世界で満足しているのか? 忘れてしまったのか、自分が本当に求めていた世界を」
「も、もたつくもなにも、俺は自分の世界を創ってる。それに神々に対抗するためには……」
この世界の主は言っていた。
この世界は神に許されていない。
いずれこの世界は滅ぼされるだろう。この理想で生まれた世界もまた、神に滅ぼされるだろう。
本当に理想を果たすためには、この世界で神に対抗する必要があるのだと。
「そうか、所詮お前の妄想などその程度……」
その言葉に、流石の結城も反応せざるを得ない。
「今、所詮って言ったか?」
「言ったとも、お前の妄想は、その創造は神に匹敵するほどであったろうに」
見下げるように言う夕輝に、結城は反論する。
「せっかくの、千載一遇のチャンスなんだよこれは。そう簡単に、軽々しく決めていいことじゃない。慎重に、確実にしていかないと……」
「…………」
夕輝は少しの間沈黙し、そして改めて言った。
「なら、証明して見せよう。お前の妄想が俺に劣っていることを」
「まさか、お前も妄想顕現が出来るのか?」
「妄想顕現……懐かしい」
「懐かしい?」
「そう時間はかからない。お前の妄想が、いまやあの頃の輝きを失っていることに気付くだろう。俺が今からする証明は、そういうものだ」
「一体、なにを……」
「それから……どうなったんだ?」
そこからの記憶が無く、レイランの口から説明される。
「マスターはそのまま気絶なされました。おそらく、夕輝の……失礼、あの者の仕業かと」
「いやぁ、あんな強い奴がいるんだな。久々に滾ってきた。探してくるぜ!」
「あ、蓮華ちゃん!」
蓮華とローラが部屋を飛び出し、残ったのは結城とレイラン。
間をおいて、レイランが深々と頭を垂れた。
「申しわけありません。マスター」
「な、どうしたレイラン」
「マスターの剣である私が、マスターを護りきることが出来ませんでした。武陵桃源にて技巧を身につけながらも、未だ至らず……」
「大丈夫だレイラン。俺は生きてる。お前は俺を守りきった。ありがとう」
「しかし……いえ、マスターがそう仰られるのであれば、謹んで」
さて、と結城は思考を夕輝へと戻した。
「にしても気になるな」
「あの者ですか?」
「レイランが俺を想ってくれてるのはよく分かる。その強さも。その剣技だって、それこそこの世界でも最強に類する一品」
「恐悦至極」
「だが、それはレイランの抱く理想でもある。この世界では理想と想いの強さがすべて。レイランの理想の強さに……蓮華の功夫に、ローラの魔法に匹敵する理想なんて……」
その上、自分の理想が、正確には妄想が劣っているとまで言う。
もしかしたら、実力はユートピアのそれよりも強大なのかもしれない。
もはや、結城には想像のつかない、計り知れない存在に見えた。
「だが……いかに強かろうと、俺の妄想を虚仮にしてくれて、ただで済ますつもりはない」
「はい、マスター。お供いたします」
と、意気込んだところで部屋の扉がノックされる。
入室したのは、なんとも懐かしい顔であった。
「此処に居ましたか」
「これは、お久しぶりです椿さん」
「呼び捨てで構いません。あなたはこの国の英雄の一人なのですから……さて、それは一先ず置いてください。アルカ王があなたを呼んでいらっしゃるので」
またとんでもない人物から呼び出しをくらったものだと、結城は素直に驚いていた。
大通り、城へと向かう道中で、結城はふとクリストに問う。
顕現はさせないので脳内での会話だが、クリストの声は結城の鼓膜に響く。
「クリスト。あれ、どう見る?」
「結城、少し言いにくいことなんだが」
「?」
「……いや、なんでもない。大丈夫だ。お前の強さはお前自身がよく知っているだろう?」
様々な理想が蔓延るこの世界で、思いのほかに結城の理想は強かった。
譲れぬ妄想を理想として掲げ、それを武器に此処まで来た。
やることは、前世となんら変わりない。
儚くも想い、死して尚屈せず、挫折を繰り返しても不死鳥のように蘇る。
最後の最期、最果ての果てまで諦めない。
たったそれだけのことだった。
今回もまたそうだろうし、それ以外に術を知らない。クリストの言うとおりに、結城はただ想いを貫き通すだけなのだろうと思っていた。
何時ぶりか、前に来たときと変わらないそこそこ豪華な玉座の間に、いつもどおり若輩の王がいた。
「よく来てくれた、英雄よ」
「お久しぶりですアルカ王」
「使い慣れない堅苦しい口調なんて使わなくていい。君は今や国の英雄だ」
「そうかい。それで用件は、執筆依頼?」
軽い冗談に、アルカ王はふっ、と華で笑った。
「その執筆依頼をしていた勇者が倒された」
さらりと言ったアルカの言葉を、結城は理解するのに少々の時間を要した。
そして、結城はもう一度問う。
「誰が、誰に倒されたって?」
「安全無欠の勇者クロードが、夕輝と名乗る男に倒された。命にも理想にも別条は無い。そこはさすが安全無欠……いや、主人公補正といったところか?」
証明して見せよう。夕輝の言葉が脳裏の中で繰り返される。
絶対的な力、そして意思を見せ付けられている。
自分と似ていながらも、自分よりも圧倒的な何かを持っている夕輝。
もしかして自分は、大切な何かを忘れたままにしているのではないだろうか。そう、思ってしまった。
「あいつに、あいつに会わなきゃ」
「ヤツの正体、知りたくはないか?」
「アレの正体?」
「あれほどの力、彼がどうやってそれを引き込んだかは分からないが……単刀直入に言おう。あれは君自身だ」
「そんなことはアイツの口ぶりからなんとなく察してた。問題はアレが、俺のなんなのか、だ」
夕輝という名前の読みが同じなところも、持っている能力も何もかもが似通っていた。
ただ自分より圧倒的に強いような気がするうえに、レイランも蓮華とも互角に渡り合い、あの安全無欠の勇者まで今日1日のうちに倒されたという。膂力がありすぎる。本当に自分に関する何かなのかと疑わしいほどに。
余計にその正体を確かめたくなった結城は問う。
「過去とか未来の俺、といった風ではないし、とすると考えられるのは……別の世界戦とか? この世界に居る理想人は皆が彼の居る所を通ってくるんだろう? アルカ王、お前なら何か知っているはずだ」
「残念ながら、私は何も知らないのだよ結城。なにせ、私たちと彼は別のものだからね。さて、そこまで気になるなら、直接「彼」に聞いてみればいい」
「いや、だが「彼」はこことは違う場所に……」
「理想を叶える権限を得た君ならば、いつでも面会できるはずだ。君の能力を使えばね」
結城はそれで大体を察した。
そして振り返り、レイランを見る。
「いってらっしゃいませ、マスター」
「ああ、行ってくる」
結城は目を閉じる。
視界は閉ざされ、見えるものが瞼の裏が作り出す闇だけになった。
そして、「彼」が居るあの場所を妄想し、カッ、と見開く。
「やぁ、三度目だね。結城」
そこには記憶どおり、何一つ変わらない男の姿があった。
急な結城の来訪にも驚いた様子は無く、しかも彼のほうから話を切り出した。
「さて、どこから話そうか」
「まずあいつは俺の、なんなんだ?」
結城もまたそれに動揺すらせずに話を進行させる。
「そうだなぁ、何と言えばいいか。いわば、違う世界線……というよりは君が抱いた妄想の、最も近い理想に近づき、しかし叶わなかった世界戦の君自身、とも言える」
「とも言える?」
「あるいは、君の妄想によって偶然に創り出された分身とも言える」
どうにも要領を得ない。それほど曖昧な存在ということなのか。
「彼は、突然ここに落ちて来た。ここに<落ちて来た>者など初めてだった。今までは漂う魂が、ここまで誘われて来るものだが、あれはまさに、この世界に落ちて来た。それほどの重みある理想だった」
「重み……」
「彼は言っていた。自分はこの理想を叶えなければならない。さもなくば、神を殺してでも、法理に反逆してでも、と怖ろしい執着を見せながら」
重みのある理想、そして狂信じみた執着。それは、どこか懐かしく、遠い過去の自分を思わせた。
結城もかつてはそんな熱を帯びながら妄想したものであった。
この世界にたどり着く頃には、既にその想いは擦り切れたボロ布のようになっていたが、それでも手放さず、捜し求める旅を続けていた。
「重みはともかく、その理想の形はまさしく君の物と同一だった」
「じゃあ、どうして受け入れたんだ?」
「どうして? 異な事を聞くんだな。大いなる理想を抱きし者は、何人たりともこの場所からはじかれることは無い。それがたとえ、妄想によって生み出された存在だとしても」
彼は、思いのほかに平等で、公平で、公正であった。
「確かに君は理想を叶える権限を得た。だが、その条件は抱く理想が最も強ければ、だ」
新たに強き存在が現れれば、その都度に裁定が行われるということだった。
そしてその時は再び闘い、勝利し、己が理想の強さを証明せねばならない。
「今度の相手は俺自身ってわけか」
しかもそれはただの自分ではない。自分の抱く妄想を集約した。理想的な自分。
レイランや蓮華に匹敵し、クロードに圧勝する存在。
「先が思いやられる……ところで、俺が負けたらどうなる?」
「さて……この場合、君の相手はもう一人の自分であり、架空の自身である。負けたほうは勝ったほうに吸収、というよりは収束するだろう」
「つまり、消えるのか」
「個体としてはそう。君が勝てば夕輝はただの妄想へと変わり君の力となる。夕輝が勝てば君は逆に<自身の主導権>を明け渡すことになる。どちらにせよ、意識は同一のものになる」
「…………」
結城はそこで、どうしようもなく下を向くしかなかった。
なにせ、それを聞いたときに、きっと夕輝なら思わないであろうことを思ってしまったから。
それなら、負けても問題ない、と。
「これが、アイツの言っていた、俺とアイツの差か」
「知りたいことはこのくらいかな。そろそろ次の理想人候補が来るころだ。今日のところはお引取り願うよ」
ふと気付くと、結城の周囲は玉座の間に戻っていた。
「おかえりなさいませ、マスター。……マスター?」
「どうやら会えたようだな」
「……色々ありがとうアルカ、一旦戻ることにする」
そう言って、結城はアルカの顔を見もせずに背を向けて歩き出した。
「勝算はあるか?」
「……変わらない」
「ほう?」
「俺はやれることを、ただやれる限りにやるだけだ。今までずっとそうだった」
甘かった。自分の認識は遥かに。
ユートピアを倒し、彼と出会い、権限を得た。
全てが終わったも同然だと思っていた。しかし違った。
叶ったと思われた理想が、妄想が崩されようとしている。その恐怖を、傍らに居るレイランに縋りたい思いで、しかしそれすら出来ずに、帰り道をただ歩いていた。
「マスター、どうなされたのですか?」
「大丈夫だレイラン。大丈夫……」
大丈夫。そう、大丈夫だ。大丈夫。
今までと同じだ。前世の頃から何も変わらない。前世の頃だって、心配性の自分はこれくらいの不安、日常茶飯事だった。
それでもなんとか生き抜き、旅までして、この世界にたどり着けた。
きっと、大丈夫……
なのに、鼓動が止まりそうなほどの圧迫感が、胸を襲っていた。




