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4話目 理想国アルカディア観光

 結城の住処となったアパートは国の東部にある。城は中央からやや北方に寄ったところにあり、市役所もその近く。今回は時計回りにぐるっと一周して観光することにした。

 国は大きな塀で囲われている。国内から外の様子は見るには城に登るか、北方にある丘に登るしかない。どこからでも見える城はまさに国の象徴だ。出入り口は南方にしかない。


 まず結城は東部で昼食をとることにした。入ったのは落ち着いた雰囲気のカフェ。


「もっとガッツリ食べれるところじゃなくていいの?」

「俺は小食なんだ。節約生活の賜物だな」

「おまたせしましたー」


 結城が頼んだのはボロネーゼと付け合せのサラダ。そしてミルクコーヒー。チェリーは果物たっぷりのケーキ。


「妖精って食事するんだなぁ」

「そりゃそうよ」

「そちらの方はあまり見かけませんねー」

「えっ!? アッ、そっ、そぅッでし!?」


 急に店員さんに声をかけられて体が跳ねた。不意に話しかけるのやめてほしい。


「あー、すいません。びっくりさせちゃいましたねー」


 おっとりとした口調の彼女を見ると、どこかで見たような顔だ。そう、確か市役所モドキの。挙動不審の状態異常にかかった結城の代わりにチェリーが問う。


「あなた市役所の人に似てるって言われない?」

「あー、それは私の姉ですねー」

「姉妹いたんだあの人」

「はいー。うちの姉がいつもご迷惑をー」

「ぜんぜん雰囲気違うからびっくり」


 さすが妖精はコミュ力あるなぁ、と思いながらボロネーゼを食べ始める。ポニテ女と違うのは目つきが穏やかなところだが、それだけでだいぶ印象が違う。

 

「いただきます」

「召し上がれー」


 30分くらいかけて平らげた。


「男にしては遅いくらいね」

「ゆっくり味わいたいんです。ご馳走様でした」

「お粗末さまでしたー。またご利用くださいねー」


 次は南部。南部には唯一の入り口があり、街の中で最も人の多く、活気ある大通りがある。あらゆる店が立ち並ぶ。だがあいにくとお金に余裕はないし、なにより節約家の結城にはむしろ避けたいと思うところだった。


「ねぇねぇ、あの剣とかいいんじゃない?」

「素人が剣持ってたって、歩くのに邪魔になるだけだし」

「えー。じゃああの拳銃は? 亡命した人が作った外国の製品!」

「銃なんて弾の費用が馬鹿にならないし、素人が撃ったってなぁ。金を肥料か何かと勘違いして畑にばら撒いてるくらい無駄だと思うね」

「……じゃあナイフ。あれならあなたでも使えるでしょう?」

「手入れが大変だし、ナイフなんて刃が短いので敵と戦うなんて相当な技術力が」

「いい加減になさいよぉ!?」

「うおっ」


 急に大声を出さないでほしい、と心の中で愚痴る。


「なんだよ急に大声だして」

「あなたねぇ、こっちがあなたのためにと思って勧めてるのに見もしないで理屈捏ね回して!」

「そうは言ってもなぁ」

「じゃあモンスターとかに襲われたらどうするの? 自分の身は自分で守らないと」

「出来れば金のかからない方法がいいなぁ」

「この守銭奴め」


 その時、思わぬ怒声で本日二回目の硬直。


「おいてめぇよぉ……人にぶつかっといてすいませんも無しかよぉ!?」

「人間だからって容赦してもらえると思ったら大間違いだぜ? おい、聞いてんのか?」

「…………」


 人の多い大通り。それでも騒動がどこで起ころうとしているのかは一目瞭然だった。いくらモンスターを受け入れた国とて、あらゆる種族より一回り大きいオーガは目立つ。


「面白そうね。結城、行って見ましょ!」

「えっ? いや、危ないから。って、ちょ、ちょっと待っ!?」


 妖精の癖に思わぬ力で結城は引っ張られる。結局、野次馬の最前列まで来てしまった。人だかりが作った大きな円の空間、その中心に四つの姿があった。

 一人は人間。どうやら大分酒を飲んでいるらしく、顔は真っ赤で千鳥足だ。

 二人目はリザードマン。硬そうな鱗ですぐに分かる。むき出しのまま背負っている幅広の片刃の剣が凶悪さを物語っている。

 そして三人目。2メートルをゆうに超える身長と恐ろしいほどの筋肉。その巨躯と頭部に生えた二本の角。そしてそこらのナイフより切れ味のよさそうな牙が、オーガとしての存在感を演出している。


 対する方は小柄な二人の人間だった。一人は燃え盛るような、怒髪天を衝くを地で行ったような逆立つ赤髪を持つ男性。中国拳法でもやりそうな赤い中華服を着ていた。

 そして傍らには新緑のようなざっくりと切った緑の髪に青い鉢巻を巻いた乙女が一人。見たところ16歳ほどだろうか。美しい青の瞳は闘志の光を宿しながら敵を見据えていた。


「師匠!」

「うむ、やむを得まい。存分にやれぃッ!」

「うっしゃあ!」


 危機を前に喜々としている乙女に、やはり酔っ払いが絡む。


「うぉいてめぇ! 俺たちのことをナメてやがるなぁ!? てめぇらエセ拳法屋なんざ」


 その言葉は最後まで紡がれること無く、拳が顔面にめり込んで中断された。


「!?」


 この場に居合わせる全ての者が驚いていた。瞬きすらしていないはずなのに、気付いたときには彼女の拳はすでに酔っ払いにめり込み、わずかに後方に吹っ飛んでノックダウンさせていた。彼女は大股で踏み込み、拳で打った姿勢のまま名乗りを上げた。


「私は蓮華れんげ! 世界最強の挌闘士になる人間だ!」


 元気ハツラツに名乗る彼女に、全員が呆ける。そして、乾いた笑いで応えたのはリザードマン。


「は、ははは……呆れて物も言えねえや。オーガを前にして挌闘で最強になるとか言う馬鹿が居るとは」

「うっさいぜトカゲ野郎。お前も男なら素手で勝負してみろ」


 リザードマンの目つきが変わった、気がする。生憎と結城にトカゲの表情を読むスキルはない。


「て、てめぇ……いいぜ!やってやらぁ!リザードマンったって人間とじゃ力の差がちげぇんだよ!」


 リザードマンの手が蓮火の左肩を掴む。


「バーカ!」


 言うと同時に蓮華は左肩を思いっきり引いた。つられてリザードマンの体は無防備のまま前のめりになる。


「なっ!?」


 次の瞬間には蓮華は地が砕けるほどの踏み込みで、その拳をリザードマンの腹に打ち込んでいた。この国全土が震度1くらいは揺れたような振動と爆発のような音。そして力なく倒れるリザードマン。


「さぁ、次はあんただぜ?鬼さんよ!」

「貴様ッ……」

「来いよ。一発ずつ打ち合う勝負だ」


 ヒョイヒョイと右手で向かってくるように煽る蓮華。ならばとオーガは大きく振りかぶる。


「あの世で後悔しろ、小娘ェッッ!!!」


 砲弾のような大きな拳が、蓮華の顔面をぶん殴った。当然、オーガとの体重差は違いすぎる。蓮華の体は吹っ飛ぶ……と思われたが、蓮華の体は飛ばなかった。変わりに蓮華の足が地面を砕き、めり込んだ。


「なっ……なんだこれは」


 オーガの拳が感じ取った感覚。それは幼少のころに、自分よりも小さな岩を砕けなかったあの頃の無力感。

 オーガは最強。その肉体に破壊できないものはない。そう教えられ、鍛えられた。今でこそ怪力無双。しかし、幼少の頃に感じた、岩っころの力強さ。計り知れぬ高度拳で割れず、手頃の石で打ちつけ、やっと皹を入れることができた。その屈辱と敗北感。


「……ヌグゥッ!」


 その小さな岩の再現が、目の前にあった。矮小なはずの人間が、弱小なはずの人間が、なぜ、どうしてこうも力強く、硬いのだ。


「それ、じゃあ……次は、こっちの番だぜ」


 拳に手が添えられ、押し返される。オーガは既に混乱していた。受け入れがたい現実を前にして、もはや恐怖すら感じる余裕は無かった。


「フシュゥ……」


 蓮華はただゆっくりと、そっと拳をオーガの腹に乗せた。オーガは何時の間にといった表情で驚愕していたが。


「噴ッッ!!!」


 そのズンッッと響く音と衝撃は、見るもの全てを後退りさせるものだった。ある者は反射的に目を瞑り、ある者は耳を塞ぎ、ある者は気絶した。気絶したのはオーガだ。


「…………」


 その巨躯が、ゆっくりと後方に倒れた。見れば、たった一人の少女の活躍によって、三人の悪漢は地に墜ちていた。


「あんまり人間を舐めてると痛い目を見るぜ?」

「見事ッッ!」


 振り返った蓮華は満面の笑みで応えた。


「やったぜ師匠! 見ててくれたか!?」

「ハッハッハ! うむ。良かろう。それでは約束どおりに……その前に、この場を離れるのが先決であろう」


 師匠は倒れ伏している三人を見て言う。蓮華もそうだな、と同意し、そそくさとどこかへと去っていく。


「す、すごいもの見ちゃった。人間が肉弾戦でリザードマンやオーガを倒すなんて。ねえ、結城?」

「…………」

「結城?」

「チェリー、決めた。俺は挌闘で強くなる」


しばらくして国の警察的な立ち居地らしい騎士団が来て、三人を連衡、というか輸送した。


次に西部。ここは主に移住してきたモンスターが住む地区である。他にもならず者や傭兵、賞金稼ぎなど、悪党や不良がたまり場にしている。


「あまりここには長居しないほうがいいわ」

「そうだな……」


 すれ違う人間のほぼ全員が腰に銃をぶら下げている区画なんてすぐに抜け出したいところだ。


「ちょっとそこのお嬢さん」


 路地裏に迷い込んでいると、曲がり角で妙な人だかりがあった。3、4人ほどの男が何かを取り囲んでいる。


「や、やめてください! 人を呼びますよ?」

「ケケケ! 馬鹿め。ここで人を呼んでも俺たちみたいなのが増えるだけだってーの!」

「じゃ、じゃあ、魔物を呼びますよ!」


 なんとまあ、見るからにチンピラな。おそらく年端もいかぬ乙女が迫られているのだろう。だがチンピラですら結城にとっては十分に恐怖の対象である。


「行きましょう」

「えっ? いや、でも」

「足震わせながら何言ってんの? それにただの女の子がこの区画に居るはずないわ。自分で何とか出来る力を持っているのでしょう」

「いや、もしかしたら偶然迷い込んだだけかも」

「そうは言ってもね、あなたが助ける義理はないし、そもそもあなたはこの状況を何とかできる力なんて持ってないでしょう? 自分を守れない者に他人を守ることなんて出来ないわよ」


 それは確かにそうだ。怖いし、ヤバイし、早く逃げ出したい。それでも後ろ髪が引っ張られ続けているのだ。


「ほう……なるほど、その杖と服装、あんたは魔女ってわけか!」

「魔女か! なら俺らと同じワルじゃねえか! へっへっへ! それじゃあ仲間としてスキンシップでもしようぜ?」

「おお! それがいいな! こいつの乳は中々よさそうだと思ってたんだよナァ!」


 ローブの胸の膨らみに男が手を伸ばす。


「あ、あの!」

「アァ?」

「あ、ああ、ああの、いや、そ、その、み、みみ、道をお、お尋ねしたく……」

「オ、おう?」


 びびらせるつもりで睨みながら振り返ったら既にビビっていた。


「道なら警官に聞けや。もっともここの警官なんざアテにならないがな!」

「じゃ、じゃあその女性の人に聞きます」

「おい待てや」


 三人が結城に注意を逸らしている間に、チェリーが女性のほうに上から接近した。


「あ、妖精さん」

「ほら、なにやってるの? 早く逃げて!」


 小声で言うと、柔らかく、さらりとした長い茶髪の少女は微笑んだ。見れば、15歳くらいの、縁なし丸眼鏡をかけた大人しそうな少女だった。ただ胸部の膨らみだけは子供とは思えない。嫉妬するくらいの代物だが。身の丈ほどの木の杖を持っている。


「優しい方々なんですね」

「ええ、馬鹿だけどね。大して力も無いくせに」

「いいえ、勇気ある方です。正しき者は報われなければなりません。でもこの世の神は非常に無情……ならば」


 少女が何かを口ずさむ。そして感じた。あまりに膨大な魔力と、気の流れを。


「私が報わせるほかありません。私は魔女。ローレライ・アンジュ」

「てめぇ、いい加減に……なんだぁ?」


 三人のチンピラの足を、いつの間にか手が掴んでいた。


「な、なんだこりゃぁ!?」


よく見れば、自分たちの足元に黒い魔法陣が敷かれていた。そこから腐敗した血塗れた、あるいは骨の見える手が無数に足に絡み付いていた。既に足首まで地面に沈んでいた。



「はっ……はぁっ!?」

「ちょ、なんだよこれ! なんだよこれぇ!!」

「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! こえぇよぉ!」


 まさに阿鼻叫喚。結城の目の前で、見る見るうちに三人のチンピラは沈んでいく、膝が、腰が、最後は声さえ聞こえなくなって、助けを求める腕だけが残り、それも消えた。


「」


 何も言えない。


「ありがとうございます。詠唱の時間稼ぎをしていただいて」


 もうちょっとマイルドな魔法はなかったのか。こんなの見せられたら地面を歩くのすらおっかなく感じる。夜一人でトイレに行けないどころじゃない。というか、人間が魔法を使った。


「人間がこんな強力な魔法を使うなんて聞いたこと無いわ。しかもさっきのは」


 チェリーが身を震わせながら結城の背後に隠れた。


「あの、助けていただいて、本当にありがとうございます」


 少女の笑みで深々と礼をしたローレライ。


「い、いえ、俺は当然ことをしたまでで」

「お近づきの印にこれをどうぞ」

「あ、どうも」


 見れば、退治屋さん。魔女 ローレライ・アンジュと書かれた名刺だった。


「その名刺は魔除けの効果があります。二つ折りにすれば私といつでも思念で会話出来ますから」

「魔女……ところでさっきのは魔法?」

「はい。私の『籠』へ直接空間をつなぐ魔法で……あ、もしかして魔法に興味おありですか!?」


 大人しそうな彼女が目を輝かせて迫る。


「あ、ああ。まあ、そうだな」


 確かに魔法や魔術の類には興味ある。さっきの挌闘もかっこよかったけど。


「じゃあ、お暇なときに私のところに来てくださいな。魔法の講習してますから」




 空気の悪い西部を抜けて、高級住宅立ち並ぶ北部にやってきた。今までの雰囲気とは違って明るく華やかで、南部の大通りほどではないが、人も多い。


「ここはお金持ちや騎士とかが生活している場所よ」

「へぇ、騎士か」


 甲冑を着込んで剣を振るい、主の敵を打ち倒す。そんなイメージがあった。


「あっ、あっちのほうが賑やかね。たぶん大会やってるのね。行って見ない?」

「大会?」

「剣の技を競い合う大会よ。北部には闘技場があって、それでお金を賭けたり、実際に戦ったりするのが流行りなんだって」


 チェリーに連れられて結城は闘技場へ向かう。王冠をそのまま大きくした建物で、中にはいると観客席が階段のように連なり、中央の最下段に小さな舞台があった。そこで戦う二人の騎士。


「あれ? あの騎士、甲冑つけてない」


 見ると、確かに片方の騎士は動きにくそうなゴテゴテした甲冑を着込んでいるが、片方は青いドレスとも、メイド服ともつかない衣装で身を包んだ、戦うにはやや細めに見える男性。せいぜい頭部に前面の開いた兜と鉄の胸当てを着けている。大胸筋だけはあるようだが


「あの青い方、剣もって無くない?」

「ううん、腰に提げてる。でも剣は鞘に収めたまま。右手はずっと柄に添えてる」

「あれは、どっかで見たな。まさか……」


 それにしても優々と相手の斬撃を紙一重でよけている。横薙ぎは彼女の鼻先を通り、上からくる斬撃は半身を後ろに下げて胸当てにあと僅かで当たるほどの隙間を作ってよけている。足を切り払っても猫のように軽々と後方に跳躍し、宙でくるりと回って着地する。疲労で緩慢になった動きを見計らった。

 瞬間、目にも留まらぬ速さで踏み込み、抜刀、兜が空高く舞った。


「西洋剣で居合い!?」


 驚愕に見開く騎士と、澄ました表情を崩さない青騎士。


「このチビがぁ!」

「そろそろですね」


 猫のような軽やかな動きは中国拳法を思わせる。それが唐突に別物になった。敵に対して横向きのまま、剣を突き出すように構える。あれは、フェンシング?


「エト・ヴ・プレ、ウィ……」

「野郎、ぶっ殺してやるぁ!」

「アレッ!」


 大きく前に出てきた騎士にカウンターを浴びせるように、深く低く踏み込んで、銃弾のような速さで突き出された刃が首の肉を切り裂いた。


「そこまでッ!」


 審判が試合を止めた。決着は誰の目にも明らか。


「ぐっ、ぬっ……」


 呻く騎士、青騎士はそれを一瞥して剣に付着した血液を布で拭った。刃が切り裂いたのは、首のほんの僅かな皮と肉だけだった。要するに軽い切り傷だ。


「手元が狂わなくて幸運でしたね」


 そう言うと、青騎士は審判から何かの包みを受け取って早々に退場した。観客席からはすさまじい拍手喝采が送られていたが、それには目もくれなかったようだ。




 世の中すごい奴がいるものだ。そう思いながら結城は闘技場を後にした。そろそろ夕暮れ時なので、この国で最も高い丘から景色を眺めて帰るとしよう。


「いやぁ、刺激的だったなぁ」

「そうね、私も改めてそう思ったわ。新しい発見もあったし」


 夕日に照らされる城や街並みは燃えるように赤い。ぽつぽつと明かりが灯っていくと、まるでイルミネーションのように綺麗だ。結城の肩に腰掛けるチェリーがふと問う。


「どう? ここであなたの理想は叶いそう?」

「ああ、もう十分に叶ってるよ」

「でもまだ足りないんでしょ?」

「そう、まだ足りない。満足には程遠いね」

「初めて聞いたときはびっくりしたわ。そして納得もした。あなたの理想は、確かに強い」

「そう、かな」

「ただ、その理想がどうやったら叶うのか、どうなれば叶ったことになるのかが分からない。まあ、ここには寿命は存在しないから、好きなだけのんびりするといいわ」

「寿命が無い? 死なないのか?」

「殺せば死ぬわよ。でもこの世界では、その者が抱く理想の姿を、その者は保ち続けることが出来るの。だからいくら歳を取っても、外見は変わらないし命も枯れない。摘み取られれば勿論死ぬけどね」


 そういえば、この世界で死んだ場合はどうなるのだろう。やはり天国や地獄に行くのだろうか。


「そこまでは分からない。あなたは前世で死んだ後どうなるのか知ってた?」




うだうだと話をしていたら、自分のアパートに到着していた。もうそろそろ夜になる。


「今日は疲れたから夕飯は適当にするか」

「野菜と果物お願いね」

「いや待って。そうだ、その前に挨拶まわりしないと」

「あー、忘れてたわ」


 とりあえず、一階から周ることにしよう。まず真正面の扉からノックしてみる。


「ふむ、誰も出てこない」

「残業じゃない? 次に行きましょう」


 残業かぁ。こっちの世界でも労働は大変そうだなぁ、なんて考えながら振り返ると。


「あっ」


 とても見覚えのある顔だった。茶色の髪にポニテ、キツイ目つきに眼鏡。そして市役所のお堅い制服。


「ど、どうも」

「こんばんわ。新しい住処はどうですか」


 ベージュ色の手提げ袋には白葱っぽいものが刺さっている。買い物帰りといったところか。


「えっ、ええ、快適です。今挨拶回りをしていたところで」

「なるほど、それくらいの常識はあるんですね。まあ粗品一つ持ってこないのは妥協しますか」

「えっと、すいません……」


 すると、あのキツイ目つきが急に困ったようにハの字になる。


「あ、いえ、ちょっとした冗談のつもりだったんですけど。あと、良ければ私の部屋で歓迎会でも開きますが」

「良いんですか!?」

「ええ、この世界に来たばかりの人は皆生活に苦労しますから。荷物を置いたら住民呼びに行きますが、ついでなので紹介しますね」


 あれ? この人もしかして良い人? キツイSっ気の女性というイメージが見る見るうちに崩れていく


「ていうか、ここに住んでたんですか」

「私は役所の受付と同時にこのアパートの管理人をしていますからね」




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