3話目 世界情勢
早朝、結城の鼓膜を大声でぶん殴ったのはチェリー。
「起きろぉ!!」
「うぅ…朝は弱いんだ。寝かせておくれ」
「そういうわけにもいかないわ! 早く新しい住居を手に入れないと!」
それはそうなのだが。結城にとってこの世で絶対に抗えないものTOP3は睡眠欲と性欲と労働したくない欲だ。
「ほら! はやく!」
チェリーの健闘もあって、なんとか起きられた結城は早速、市役所もどきへ向かった。
「はい、こちらが住民票、住居登録票、国民証明書、パスポート、この国の基本的な規則本、職業紹介優遇資格証明書です」
目が回りそうなほどの書類の多さに結城は若干引いた。応対するのは前日のポニテ女。
「くれぐれも問題を起こさないように」
「問題ってたとえば?」
「人間や他の種族への理不尽な暴力行為や窃盗行為などです。まあ、あなたは無害そうな顔してるので大丈夫でしょうけど」
褒められているのだろうか。
「別に褒めても貶してもいません。さて、これであなたもこの国の一員となったわけですが、いくつか質問事項があります」
「質問事項?」
「いちいち繰り返さなくて結構です。簡単なものです。順番にお聞きします」
ポニテ女は用紙を取り出して机に置き、右手にペンを持って記入の準備を終えた。
「では聞きます。この国で一日過ごして、今あなたが抱く感想をお聞かせください」
「にぎやかでいい街だと思うよ。みんな仲良しで平和なのはいいことだ」
「なるほど……では、この国では人間を養殖し、各種族と売買することで争いを無くし、平和を保っています。その方法についてはどうですか」
「別にどうも思わない」
「どうも思わない?」
何かまずいことを言ってしまったか、ポニテ女は反応した。
「詳しくお聞かせ願えますか」
「あまり詳しいところまで知らないけど、そういう方法で平和が保たれているなら、それはそれでいいんじゃないかな」
「なるほど……では三つめ。今この国は外国と戦争状態にありますが、場合によっては戦争への参加を依頼することがあり、戦果に応じ相応の対価が支払われます。あなたはそれを了承する意思はありますか」
「これ了承する人いるの?」
「血の気の多い人たちは積極的に参加して稼ぎます。大体は保留か拒否します。保留の場合は通知書が届いたときに3日以内に返答頂ければ」
「じゃあ保留で」
驚いたふうにこちらを見るポニテ女。結城は首を傾げて応える。
「拒否ではないのですか」
「まあ、とりあえず」
「顔と同じではっきりしない方ですね」
俺は嫌われているのか、それとも彼女の言い草は常にこうも茨のようなのだろうか。
「質問は以上です。それでは良きネクストライフを」
「そりゃ国民になるんだから、下手したら敵国と戦うことになるわね」
一人と一匹は、これから先、最低限必要になるであろう品物を買い揃えながら、新しい住処へ向かっていた。
「やっぱりそうなるのか」
「当然でしょう。まあ、心配すること無いと思うわ。今は安全無欠の勇者様がいるんだから」
聞きなれた四字熟語かと思いきや、微妙に違った。
「安全無欠?」
「ええ、5年くらい前にこの世界に来たらしくて。彼が戦争に出てから、彼が率いる部隊は誰一人として戦死者を出さず、欠けることが無いって噂よ」
よほど優秀な勇者らしい。自分では絶対にそんな大層なことはできない。
「まあその部隊に配属されればの話だけど。あっ、あれじゃない? あの建物」
似たような建物が乱立するこの地区で、チェリーが指差す方向には昨日宿泊した宿屋より大きい木造の建物。自分がこれから寝食する、いわゆるアパートである。
「へぇ、まあまあね」
「持ち家がほしかったなぁ」
「何言ってるの。この世界に来たばかりじゃそんな大層なものは無理よ。頑張って稼ぎなさい!」
前世では働くのが大嫌いで数年で正社員を捨ててスーパーのパート生活に勤しんだが、そんな俺でも働ける場所がこの世界にあるのだろうか。
「確かここの二階よね、203号室」
開け放たれた黒い門を通る。目の前に扉がある。他に出入り口らしいものは無い。
とりあえず鉄の両扉を開けて中へ入ると、そこは洋館のような広いエントランスホール。正面には通路があり、扉が一つ。その通路を挟むように階段が左右に二つ。左右の壁に扉が一つずつ。
結城はとりあえず階段を上る。二階は壁沿いにぐるっと一周するような通路があり、踊り場はない。左右に扉が二つずつ。自分の部屋である203号室は、この建物を上から見て入り口を南とするなら、西南にあった。
「やっぱり先住民に挨拶とかしたほうがいいのか…?」
「先住民って言い方どうなのよ」
結城とチェリーはやっと自分の住処にたどり着いた。鉄製扉を開ければそこは普通の1DK。廊下は無く、いきなりキッチンが出迎え、風呂とトイレは別々。奥の和室は襖で仕切られていた。
「あー疲れたー」
ビターン、と投げられるように畳に我が身を投げた。
「まだ何もしてないでしょうよ。これからよ?」
よっこいしょ、と起き上がる結城。冷蔵庫などの電化製品は完備されているようだし、初期装備手当てとかいう名目のお金も貰った。とくにすることは何も……
「えっ、ちょっと待って。なんでパソコンあるの」
「パソコン? あの箱のこと? あれは私はよく知らないわ」
部屋の壁際に、ちゃぶ台くらいの高さのテーブルの上にそれはあった。デスクトップのパソコンだ。
なんだか知らないが、兎にも角にも早速電源をつける。普通に起動した。メーカーとかは前世のものとはまったく違う。当然だが。
「あいにくと機械関係は疎くて……悪いけど自分で覚えてね」
「いや、大丈夫。これなら」
どうやらここでの生活はかなり快適そうだ。先行き安心。
「それじゃあまあ、とりあえずこの世界のことについて色々教えるわ。よく聞いてね」
チェリーが部屋の中央に広げるのはさっき買ったばかりの世界地図。パソコンの立ち上げが思ったより遅いので、結城はそちらに目を向ける。
地図の右下に大き目の島が一つ、そして対角線上に地図の約4分の1の面積を埋める大きい陸が一つ
「私たちがいるのはこの大きい大陸の右端のこの部分で、領土は陸地の3分の1ってところ。で、この国が今戦っている相手の領土がそれ以外全部ね」
滅茶苦茶負けてるじゃん、と心の中で呟く。
「この右下の島も?」
「うん、そう。ちなみに、少し前までこの島は三つめの国だったわ」
「これもうそろそろ降伏したほうがいいんじゃない?」
「安全無欠が現れてからはまったく侵攻されてないからね」
「ドンだけ強いんだよ」
とりあえず、割と劣勢だったらしい。
「次に国の特徴ね。この国の名はアルカディア。見ての通り、ありとあらゆる種族がお互いに尊重しあいながら生きているの」
「ゴブリンとかスライムとか敵っぽいのも居たな」
「彼らはかつては確かに人類の敵だったけれど、あっちの国が起こした戦争でこっちに追いやられたの」
追いやるってどういうことだ。まさかモンスターに住む場所を変えさせるほどに乱獲でもしたのか。
「向こうの国の名はユートピア。聞いた話だと、なんか高い建物があって、戦争では空飛ぶ鉄の鳥とか爆発する鉄塔を飛ばしてくるらしいわ」
おそらく戦闘機とかミサイルとかそういうのだろう。っていうか、そんなの相手によく対抗できてるなこの国は。
「この国はどうやって戦ってるんだ?」
「ユートピアが起こした戦争……ていうか一方的な虐殺だけど、かなり徹底されてて、そこらへんの魔物から大型の巨人や竜族まで追いやられたわ。それをずいぶん前から友好関係を築こうと活動していたこの国が彼らを受け入れた。彼らは理解しあえることを理解した。未だ攻めて来るユートピアに対抗するために一致団結したの」
なるほど、巨人の破壊力や竜の機動性まで手に入れたのか。
「それにエルフの魔法だってある。肉弾戦なら獣人や魔獣だって強いし、オーガも単機で大隊一つを壊滅させたわ」
「なんだ、それなら心配要らないな」
「それがそうでもないの。向こうも使ってる武器がどんどん進化してるし、体の一部を機械化してたり、ホムンクルスに似た機械の人形とか使ってくるし。鉄の鳥がビーム出したときは本当にこの国もう駄目かと思ったわ」
手のひらサイズの妖精は、まるで冗談のように笑って語っていた。
「本当に、平和にはならないものね。あ、その箱もう使えるんじゃない?」
「パソコンと言います。うん、使ってみるか」
パソコンを使ってみると、いやはや前の世界に勝るとも劣らない出来のネット空間があった。
「こんな中世の街並みに現代的なパソコンとは……」
「ユートピアから亡命した人たちが作ったのよ。電話とかいう道具も出来て、魔術を使わなくても遠くの相手と会話できるようになったわ」
「亡命?」
「うん。ユートピアの方針が気に食わなかった人たちがこっちに逃げてきたの」
そういえば、どうしてユートピアはモンスターとかを殲滅しているのだろう。やはり危険だからか?
「ユートピアってなんのために戦争始めたんだろう」
「それは簡単な話よ。世界征服」
まーたとんでもない。
「世界征服?」
「詳しく言うと、ユートピア国民はユートピア人至上主義なのよ。それ以外のあらゆる人種、モンスターを汚らわしい虫けらくらいに思っているわ」
なかなか過激なところのようだ。ユートピアという言葉に抱いていた柔らかい印象は何処かへ吹き飛んでしまった。
「西側のユートピア一帯のモンスターが駆逐されて、東方のアルカディア方面に逃げた。次に地図の右下にある島が、ここは昔エデンという国だったけど、ここも滅ぼされた。生き残りはやっぱりアルカディアに逃げた」
「ユートピア怖すぎだろ。誰だよそんな国統治してる奴は」
「噂じゃ女神のように美しい銀髪幼女、あるいは痺れるほどに冷徹でウェーブした輝かしいブロンドヘアが眩しい冷血美女って聞いたことがあるわ」
「なんで女性なんだよ」
「さぁ? あくまで噂よ。ユートピアは世界征服して最も上に君臨し、他のものをディストピアに放り込んで働かせ、管理する。理想郷を維持するためにね」
「上手いな。座布団をやろう」
「そんな上等なものがこの部屋のどこにあるのかしらね?」
その通りだ。あとで買いに行こう。お金ないけど。
「まあ、説明はざっとこんなものね。そろそろお昼だから何か食べましょうよ」
「それもそうだなぁ」
しかしその前に、やはり住民に挨拶しておくべきか。
「大丈夫よ。この時間帯じゃあ普通の人は職場でお仕事してるから」
「なるほど」
それでは街の観察と探検がてら昼食にありつける場所を探すとしよう