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40話目 仙人から変態へ

 無何有郷むかうきょうとは仙人やその他が住む山脈一帯を指す。

 その中に仙境という理想郷がある。それがさらに細かく分類され、桃源郷とうげんきょう神仙郷しんせんきょう蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛州えいしゅうと分かれる。


 桃源郷とは、仙人として力を持った者が、己の理想とする世界や環境を作り上げた固有の世界である。

 仙人は理想郷を外に求めず、己の心の中に求めた。それは、どこかにあるかもしれないという性質のガンダーラやアルカディア、あるいは実現可能とされる性質のユートピアとも違う。

 外への希望を捨て、内に希望を創り上げることで、各々の理想郷を完成させるのだ。


 仙境に居る者は皆、自らの理想を詰め込んだ桃源郷を実現させることに努めている。


 三神山さんしんざんとは、仙境の一部であり、雲海に隠された広大な湖に浮かぶ三つの島である。

 同時に、仙境にとっての城、要塞、拠点としての役割を持っている。

 湖にあるため、船なりなんなりを使って行き来する必要がある。

 並ぶ島々は左から蓬莱、方丈、瀛州と呼ばれている。


 蓬莱は仙境の中では言わば都会。或いは巨大な城である。一人の女仙をトップに構築された巨大な一つの桃源郷。別名・竜宮島りゅうぐうとう


 方丈は仙人のなかでもより高位な神仙が暮らす桃源郷の集合体。神仙郷とも呼ばれる。仙人の最高峰がそこに居る。そして彼らは基本的に他者と干渉しあわない。欲が皆無、会話の話題すらないからだ。

 瀛州は方丈とほぼ同じだが、居るのは女性の仙人、女仙だ。そして女仙の最高峰と呼ばれる仙人がいるらしい。



 銀風たちは仙境の街、中華風の建物が立ち並ぶ桃源街とうげんがいを歩いていた。

 桃源街は怖ろしく高いビルや看板がある領域と、中華風の建物がある領域とで左右に分かれている。

 三人が歩いているのは、中華風の大通りで、まっすぐ突き進めば大きな湖があるという。


「ゆっくり観光するついでで邪仙を探そう」


 


 仙境に住むすべての者が仙人というわけではないようで、むしろ普通の人間が多く生活している。

 仙人が住むのは、三神山や、ここから離れたところに仙人が作る桃源郷のみらしかった。


「良い感じに精と性の匂いがする。いいところだ」

「パーヴァートの国を作るっていうのも、いいかもしれませんわね」

「誰が管理するんだ?」

「勿論、協会のトップであるあなたでしょう? 私は貴族風に、少し離れたところで結城との結婚生活を……」

「協会のトップなのにそんなことまで任されるのか……結城が管理すれば良い。そうすれば協会としても彼に協力しやすくなる。一方的に依頼を押し付けるのはもう心苦しかった」


 それはいつかの記憶、いつしか辿り着く世界。妄想にして仮想。しかし実現の強い意志の宿る会話だ。


「必ず実現させるさ」

「銀風、あそこでギョーザ売ってるよギョーザ」


 落ち着いた銀風と新月に対し、淫夢は初めての桃源郷に浮かれまくっていた。


「外も捨てたものじゃあないだろ?」

「えっ、私は銀風と一緒ならどこでもいいよ?」

「ふふ、モテモテですわね、銀風? 相変わらず女性にモテるんですのね」


 銀風はその活躍と美貌と凛々しさのおかげで女性によく好かれる。

 本人はまんざらでもないが、どちらかといえば結城に好かれたい。


「お前はいいな、そのスタイルだと色々便利だろう」

「ええ、男も女もすべてひれ伏させる……貴方たち、私が女王キャラだって、忘れていませんこと?」


 魅惑の新月。その性格と鞭の扱いの上手さから、その昔は夜闇に輝く月の女王とまで言われたものだが、結城と出会ってからは余計な男女と交流する時間などなくなっていた。

 勿論これもここではない、いずれ何処かの場所での記憶である。


「結城って人、銀風がよく話してるけど、そんなにすごいの? 左腕おしゃかにしてるのに?」

「おしゃかってまた古い言葉を覚えたんだな……ああ、結城はすごい。パーヴァートとしてすごい」

「浜辺に着きましたわよ」


 新月に言われ、銀風と淫夢が周囲を見回す。

 何時の間にやら、中華街を抜けて船着場にいた。そして湖では、亀に乗った仙人が釣りを楽しんでいた。


「また随分と平和なところだ」

「それはまあ、桃源郷ですもの」


 特別強い欲もなく、ただ密やかに、安らかに、物静かに嗜み、楽しむ。


「隠居生活か。結城とこういうところで穏やかに過ごすのも悪くない……」

「スローセックスですわね。それも悪くはありませんわね」


 銀風たちはここの住民たちに話を聞き、情報を集める。

 どうやらここでは亀が船の役割をするらしく、しかし仙人でなければ亀は乗せてくれないらしい。

 どうするか考えるついでに昼食を済ませるために一度、桃源街に戻る。


「貴方たちは……仙人ではありませんね」

「ん?」


 横から三人の目の前に出てくる、中華風の綺麗な着物を着た黒髪少女。


「あなたは?」

「私はとある女仙。少々、夜遊びが過ぎてしまって」

「夜遊び、か」


 銀風は淫夢を見る。そして納得した。


「あなたは、きっとどこか特別な、言い方を変えれば格の高いところの仙人だ。違いますか?」


 指摘する銀風に、女仙は驚く。


「どうして……」

「格好が、場違いなんですよ」


 この街には釣り合わない、上品で整った着物。

 華美ではなく、しかし落ち着きから溢れる高貴さ。

 神秘的な静の美しさと、気品ある物腰。

 それはこの華やかな街とは合わない。むしろ山奥、広大な屋敷の奥にしまわれた箱入り娘といった風。


「おおかた、華やかで賑わいのある街を堪能したかった。というところですかね」

「なぜそこまで、あなたたちは一体……」

「私たちは、そうさな……」

「夜闇に輝く月。性に踊り、精に舞う。陰に紛れ、淫を貫く……」

「分かり辛いですよそれ。えっと、私たちはパーヴァートで」

「ぱぁ、ぶぁ?」


 聞きなれない単語に首を傾げる女仙。

 すると銀風は気付いたように手を打つ。


「私たちはパーヴァート。己の信ずる性癖と、心に宿す性欲を貫く者だ」




 銀風たち三人と謎の女仙、四人は中華料理屋に入る。

 銀風は慣れた所作で仙女を褒め称え、共に昼食に誘ったのだ。街は夜だが。

 大皿に盛られた大量の料理が様々な種類並び、各々が好き好きに自分の小皿に移し食べていく。


「ここのギョーザ美味しいよ銀風」

「そうか、私も好きだ」

「す、好きだなんてそんな……」

「さて……自己紹介も終えた。今度はそちらの話を聞かせてもらえるか。美しい仙女さん」


 落ち着いた雰囲気でお茶を飲み、意を決したように話し始める。


「私は蓬莱の主・神美シェンメイの娘、名を美鈴メイリンと言います」

「メイリン、綺麗な名前だ。それで、蓬莱の仙女がどうしてここに?」

「それが、あまり人に話せるような理由では……」

「確かに、誰でも人に話せないことの一つや二つはある。ですが、私たちパーヴァートは、それでも己が欲望を肯定し、意志を貫かんと、その性癖を掲げ、性欲を発露させている。それは決して恥ずべきことではなく、むしろ誇り高い」

「誇り高い、のですか」


 銀風は強く頷き、言葉を続ける。


「あなたにもあるのでしょう。自分の中で抑えられない欲望が。貫きたい意志が。なら、ここで出あったのも何かの縁。話を聞き、事と次第によってはお手伝いも出来るかも分かりません」


 銀風の言葉を聞いて、美鈴は俯き、袖で目元を拭う仕草をして、か細い声で話し始めた。




 蓬莱。そこは竜宮島とも呼ばれ、そこに済む人々は仙人に保護されながら、己の理想、主に房中術の先にある性的な桃源郷の実現を目指す場所であった。

 その蓬莱の主の名は神美シェンメイ。美鈴はその娘であった。


 神美の理想は永遠の美貌。その理想を持ってこの世界に降り立った神美は最高の美を求めた。

 美の頂に立った彼女は、絶世の男子と交わり、美鈴を産んだ。


「最初は、良い母親だと思いました。父もよくしてくれていました。でも……」


 神美は美鈴を極端に束縛した。それこそ、外界との接触を極限にまで避けた。

 それは、神美にはない、唯一の美の方向性を保つためだった。


「純真無垢。母は、私にそれを維持させるために必死でした」


 美の究極を求めた神美は、その過程で純真さと無垢さを失っていた。

 一度失えば、それはもう二度と手に入ることはない。童貞と処女のように。

 神美は娘の存在で己の欠落した美を埋めようとしたのだ。


「私も美しさへの憧れはあります。母の愛情も、理解は出来ます。でも……」

「欲望はそうじゃない、だな?」

「はい。私は、もっと知りたいんです。自分を慰めることすら出来ないなんてあんまりです……」

「待って」


 淫夢が思わず声を発する。


「自分を慰めることすら出来ないって、もしかして……」


 美鈴は目を背け、紅潮する顔を伏せながら言う。


「お察しの通りです。侍女たちに常に監視されていて、一人の時間がなく、手淫も出来ず……」

「な、なんてひどい……」

「むごい」

「えげつないですわ」


 三者三様の表現をし、さて、と銀風は話を再開する。


「さて、現状は分かった。で、君はこれからどうするつもりなのかな」

「私は……出来れば、ここを出たい」

「ここを出る、とは、具体的には?」

「この体には、様々な欲望が詰まっています。なら、私はこの欲望に対して正直でありたい」


 それは仙人であることを放棄することを意味する。欲望に囚われれば、もはやそれはただの俗人だ。


「それでもいいんです。私には、欲に忠実な貴方たちが羨ましくて……羨ましくて仕方が無い」

「な、る、ほど……」


 ただただ欲望の解放を望み、現状の環境を憎み、肉親すら退かせてでも、その欲望を貫きたいと欲する。

 その性欲、その羨望。しかしその先は闇に包まれ、どのような展開となるかも分からない。

 ただ、縋れるものがあるならば、藁をも掴んで戦おうという、その心意気。

 銀風は、静かに応える。


「なら、ひとつだけ、方法がある」

「本当ですか!?」


 身を乗り出す美鈴。


「ただ、それは確実に君の人生をひっくり返すことになる。それはもう親兄弟、友人の一人さえ残らない。それでも、私の手を取るかい?」

「……」


 揺らいだ。銀風の目に、美鈴の目に宿る迷いが映った。


「性欲で人生を狂わせるのは愚かなことだ」

「っ! あなたに、自由な性を謳歌するあなたになにがっ!」

「ナメるなよ」


 静かに、しかし強く、低い口調で、睨みながら言った。


「自由だからといって猿みたいに好き放題やってると思ったか。パーヴァートは皆、己の誇りにしたがって変態やってんだよ」

「ほ、誇りって……」

「銀風、威圧してどうしますの……まぁ、貴方の言うとおりですけれどね」


 そう言うと、今度は新月が美鈴に語りかける。


「性欲を発散させるために自慰を行う。当然のことですわ。ですが、それ以外でも性欲を発散させる方法はありますのよ?」

「それは……子作りですか」

「ええ、そう。でも世の中は便利に出来てますのよ。殿方のモノにゴムを被せれば子供が出来ないように出来ますのよ」

「そ、そんなことが」


 どうやらそういった知識すら持ち合わせていないようだった。


「肉欲と性欲に溺れれば、それは快楽を欲するだけの下心、心は地に堕ち、真心たる愛を知ることは無いでしょう」

「愛……」

「そう、パーヴァートは恋と愛、快楽と真心を同時に持ち得てこそ、そう呼ばれるのですわ」


 性的快楽を貪るだけでは、それはただの動物だ。

 性的嗜好は手段ではなく目的。故に変態は愛を持って趣向を凝らし、嗜好性を満たす。


「私も銀風も、パーヴァートだの変態だのと言っても、未だに生娘ですもの。あなたには、他の方たちのように簡単にそれを捨てて欲しくないのですわ」

「あっ、私もですよ」

「ぱ、パーヴァートは、みんな生娘なのですか?」

「そうでない奴も勿論いるさ。きちんと愛し合い、恋しあう仲になってな」

「3分の1はそうですわね。あとは自らみだらに乱れることを欲した者と、あとは単純に溺れてしまった者」


 美鈴には後者の二つの違いが分からなかった。

 新月は補足する。


「男をとっかえひっかえする淫売女に向けられる目は、男女ともに冷たいものですわ。そういう女性が愛されることはほぼ無い……つまり、愛は得られない」

「仙人をやめるのだから、美貌を保つためには色々と工夫を凝らさねばならないだろうな。怠ればすぐに価値を失って誰からも相手にされなくなる」

「な、なんと……」

「だから、性欲を掌握し、性衝動を抑え込む強い意志を持たなければならない。一度たりとも、過つことは赦されない。肉親や友人を切り捨てる覚悟も出来ないでは、それも無理だろうが」


 美鈴は再び顔を伏せる。そんな彼女を見て、淫夢はなんと声をかけようか迷っていた。

 あれはあの時の自分と同じ。自分は銀風についていきたかったが、どうしても踏み切れなかった。

 それでも大好きな銀風を諦めきれずに、なんとかここまで来た。

 両親に放っておかれる環境が、逆になんとかなる助けとなった。


 では彼女は、美鈴はどうか。

 親の掟に縛り付けられ、人の目を気にしながら、いつもどうしようもない性欲に苦しんでいる。

 彼女自身、この状況をどうにかしたいという意志もある。


 そんな彼女を助けたいという気持ちはある。きっと銀風も新月もそう思っている。

 それでも尚、こうして問答をしているのは、本人が後悔しないためにだ。

 約束された将来のために、俗人の欲を捨て去るか。

 未知なる未来のために、性欲に手を伸ばすか。

 銀風の言うとおり、選択は必ず人生をひっくり返すだろう。


 彼女は迷っている。後一押し、彼女が選択する何かが必要なのだ。


「美鈴さん、あなたの理想を、聞かせてもらえませんか?」

 

 淫夢は美鈴に問う。この世界において、誰もが持つ理想。その在り様を。


「私の、理想は……自由が欲しい。自由を得て、誰にも阻まれず、縛られない生き方をしたい。そして……」

「そして?」


 美鈴は恥ずかしさに頬を染めながら、しかし強い意思をもって言い放つ。


「たくさん、気持ちよくなりたい!」

「よし、協力しよう」


 今までの長ったらしい、回りくどい問答が嘘のように、銀風は簡単に受け容れた。


「なら最初からそう言いなさいな」

「自分の意志でなければ意味が無い。それに、こんなに可愛い子が恥ずかしながらも自分の欲望に正直になろうとしているこの愛らしい姿を見せてもらって、はいそうですかと放っておけるわけが無いだろう?」


 つまり、可愛いは正義だと言いたいのであった。


「さて美鈴。自由を得たいならばまず力を得なければならない」

「力、と言いますと」

「私たちパーヴァートが持つ力は、性欲を抱く者なら誰もが持ちうるものだ。もちろん、美鈴にも」

「その、パーヴァートの力とはどのような……」

「簡単に言えば妄想を現実にする力……いや、妄想で現実に干渉する力だな。妄想力とも、干渉力とも呼ばれる」


 聞いたことのない単語がチラホラと飛び出し、美鈴は難しい顔をする。


「まあ、肝心なのは理解力より妄想力だ。習うより慣れろ、百聞は一見に如かず……場所を変えよう」




 銀風たちは飲食店を出て、ふらふらと大通りから細い道に入っていく。

 そして辿り着いたのは、竜宮城という看板が堂々と掲げられ、華美な色でライトアップされている。

 キラキラと輝く建物に感動する美鈴。銀風たち三人はユートピアやアトランティスの夜空さえ明るく照らす夜景に見慣れているため、さして驚くこともなく入店する。

 四人一室というのが珍しいのか、受付が驚きを隠しきれて居なかったが、それすら気にせずに与えられた部屋に向かう。


「ところで、ここはどういうところなのですか?」

「ここはラブホテルだ。男女が性的快楽を求めるために使用する」

「女性同士でも可能ですよね」

「淫夢までバイですのね。怖ろしいむすめらですわ」

「それで、私はここで何をすれば……」


 すると銀風は靴を脱ぎ、ベッドの上で足を崩して座る。


「私が君の中にある力を呼び起こす。あとは、君がそれを御し、使いこなせばいい」


 促され、美鈴も銀風と同じように座る。


「基礎的な性への知識と力の使い方は直接送る。あとは君の妄想力次第だ」


 美鈴は首を傾げるが、習うより慣れろだから大丈夫と銀風が言い、目を瞑り、精神を集中させる。


「上手くいきますかね」

「そういえば、あなたは銀風に誘われてパーヴァートになったのでしたわね?」

「あっ、はい。今の美鈴みたいにこういうところに連れ込まれて」


 淫夢の顔に笑みが浮かぶ。


「あの時は本当に驚きました。あんな異能があったなんて……あ、異能って括りじゃないんでしたね」

「異能といえば異能で間違いではないでしょうけれど」

「力に目覚めた時は、本当に色々出来て驚いてばかりいました。はしゃぎすぎて銀風に苦笑されたのを思い出します」

「それなら大丈夫でしょう。貴方と同じで、あの美鈴という仙人も性欲を持て余し、妄想に妄想を重ねた乙女。とはいえ……やはり適正というものがありますものね」

「えっ? 銀風はパーヴァートは誰でもなれるって」

「素質は誰にでもありますわ。ただ、やはり生理的に無理というのもありますわ。ごく稀ですけれど」


 例えば性欲はあるが潔癖症な人間には少々難しいかもしれない。潔癖症の人間が逆にスカトロに目覚めるという極々稀な事例もあるが、ほんの一握りだ。


「あの仙人、美鈴が、そういった知識を得て、どう感じるか。その感性が鍵ですわ」

「それじゃあ、行くぞ。私と目を合わせながら、額同士をくっつけて」

「よ、よろしくお願いします」


 美鈴は恐る恐る、銀風はゆっくりと焦らずに優しく、互いに額を差し出した。

 目の前の瞳が徐々に近づき、やがて額同士が触れる。

 瞬間、美鈴の体に鳥肌が立つ。

 嫌悪や不快ではなく、安らかさと、心地よさからくる、じんわりとした温もりと、肌を走るゾクリとした感触。

 まるで全身を優しく愛撫されているような感覚。次いで、別の記憶や意識が美鈴の中になだれ込んでくる。


「んっ……」


 思わず吐息と嬌声にも似た声がこぼれ、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「大丈夫。体を預けて、心を委ねて、隠すことなく曝け出して」

「は、はい」


 銀風が送り出す記憶を美鈴が受け容れる。

 今は銀風が己を慰めている記憶を共有し、その感触が美鈴にも伝わっている。


「んっ、はぁ……」


 時に声を漏らし、時に身を震わせる。押し殺そうとするも、それでも溢れ出る声が部屋に響き渡る。


「なんか私も変な気分になってきました」

「当然ですわ。情事を見せ付けられているようなものですもの。でも、ここからが問題ですわ」


「……えっ、嘘、ダメ! そんなの絶対……いや! いやぁあ!!」


 突如、美鈴が暴れだす。額が離れないように、銀風は美鈴を抱きしめる。


「性欲、性癖、快楽。それらが生み出すのは必ずしも幸福とは限りませんわ。その二面性をきちんと心に刻み、その醜ささえも受け入れ、その上で己が性癖を貫かねばなりませんわ」

「そう、ですね。私もあんな感じでした。今思い出しても……」


 それは例えば、思い人が悪漢に襲われ、身も心も蹂躙される。

 それは例えば、恋人が別の誰かに恋をして、自分から逃れてしまう。

 それは例えば、自らも快楽に堕ち、醜い肉壷と化してしまう。


 性の持つ甘い蜜は、心身をおかす毒牙、にもなりうる。

 その恐ろしさを直視し、乗り越え、己が性の正しさを貫かんとする姿勢こそ、ただの変態ではなく、パーヴァートであることの誇りであり、倫理観だ。


「自らの愛を注ぎ、相手の恋を満たす。互いに恋を満たし合い、共に愛を育む。それが出来てこそ、性騎士パーヴァート


 銀風はゆっくりと額を離し、上の空の美鈴を見つめる。


「君は……お前はもうパーヴァート。己の信ずる道を行けばいい」


 そう言うと、銀風はベッドから下りる。


「少し一人の時間が必要だろう。私たちは先に行っている」





 銀風たちは再び街の観光を始めた。


「脳内での性交なら童貞の卒業にも処女の廃棄にもならない」


 それは限りなく現実味を帯びた妄想に過ぎない。快感は錯覚だ。

 しかしそれでも快楽を味わうことも出来るし、絶頂にも達せる。


「私がしたのは、そういう妄想の仕方だけだ。あとは彼女自身がその妄想に浸り、思う存分に自らを慰めるだろう」


 そして、その体力が最後の一滴まで絞りつくされ、脱力し余韻に浸るその時こそ、美鈴はパーヴァートの力を得る。


「あとは彼女次第だ。私たちは私たちのやるべきことをやろう」


 とはいえ、主な目的が観光なため、銀風たちは中華テイストな街を練り歩き、料理を食べ歩く。

 餃子に炒飯、春巻にキムチ、クッパに焼肉。

 こうして考えると、精のつくものばかりであった。


「パーヴァートの妄想力は性欲が源。こういう料理があるところは住み心地が良さそうだ」

「霧に隠されている街なんて、と思っていましたけれど、普通に晴れていますし、悪くはありませんわ」

「私は銀風と一緒ならどこでもいい天国ですから!」


 歩いている三人。銀風がふと立ち止まる。


「銀風、どうかした?」

「淫夢、アレを見ろ」


 銀風が道の左横を見て動かないので、淫夢と新月も左を向く。

 そこには服屋があった。


「やはり、中華テイストなら中華風の衣服も着てみるべきだと思うんだ」


 銀風の気まぐれで服屋に入る。チョイスはもちろんチャイナ服。


「おお、これが噂のチャイナドレスか」


 銀風が選んだのは赤いチャイナドレス。

 胸のラインが充分に浮き出て、腰はしぼみ、尻ラインもくっきりと出ている。

 優秀でバランスの取れた銀風の体が、魅惑の湾曲によりコクのある味わいを齎している。


「ふむ、なるほど。これは中々……」

「お待たせしましたわ」


 新月が選んだのは黄色のチャイナドレス。横の切れ込みが深く、腰にまで達している。

 見る者の目を釘付けにする艶かしい太ももが、幼い体ながら大人の色気を放ち、ギャップが禁断の魅力を引き立てている。


「えへへ、邪道だけどこういうのも悪くないよね」


 丈が太ももあたりまでしかない。足を上げればすぐ見えてしまいそうなギリギリ感。スリットは腰まで入っている。


「正統派のメイド服とかは確かに正義だと思うけど、たまにはこういうのもいいと思わない?」

「うん、良いな。とても、良い」


 銀風の目は淫夢の太もも……性格には尻に釘付けになっていた。

 重要なのは尻から太ももまでのライン。太ももと尻と境界線。

 人間の胸が尻の代替として発達したものだというならば、彼女の尻は確実に美乳ならぬ美尻。


「はぁ、はぁ……」

「どうしたの銀風? あっ……もう、しょうがないなぁ」


 欲情し息を荒げる銀風と、それに対してまんざらでもない表情で誘う淫夢。


「そういうのは二人っきりの時にお願いしますわ」


 寄り合う銀風と淫夢の間に新月が割って入り、始まりそうな雰囲気を引き裂いた。





 さて、存外に広い街で、半分くらい踏破したところで深夜になった。


「しまった。宿を取ってない」

「宿をお探しですか?」


 ふと声をかけられた銀風は振り返る。そこには見覚えのある黒髪乙女の姿があった。

 派手な中華風の着物を着こなす乙女。そして彼女は新しく生まれたばかりのパーヴァート。


「よろしければ、私の屋敷にご招待しますが、いかがでしょう?」

「美鈴!」


 その立ち振る舞いからは、もはやあの頃の弱弱しい雰囲気など微塵もなかった。

 自らの足で立ち、自らの意思で進む。未熟ながらも、しかとそこに在るパーヴァートの姿だった。


「見違えた。見惚れてしまうほどに綺麗だ」

「うふふ、銀風ったらお上手ね。私の家は蓬莱にあります。そこでよろしければお客人として……いえ、新たな友人としてお迎えします」

「そうさな。私もその力を教えた、いわば師だ。お前の生き様を見定める責任があるのかもしれない」


 銀風は美鈴へと歩み寄る。


「新月さん、銀風は何を?」

「さあ? 協会のトップが考えることなんて、私には分かりませんわ」

「その<協会>ってなんなんですか?」

「ああ、パーヴァートの掟を作ったり、闇のパーヴァートへの対策を立てて実行したりする、いわば管理する集団ですわ」


 協会には七人の到達者トップがおり、それぞれがそれぞれの性癖において頂点に至った者たちだ。


「そしてその更に上の トップオンザなるトップ。協会の長が彼女、彩の銀風ですわ」

「へえ……新月さんは?」

「組織に属するのは性に合いませんわ。フリーが一番ですわ」

「へぇ」

「そもそも夜の女王たるこの私、魅惑の新月を縛り付けられるのは、結城くらいのもの……いえ、結城以外が私を縛るなど許されませんわ!」

「はい」


 途中から淫夢の返答が適当になっているのだが、新月は気付かない。


「見つけましたよ姫」


 その声に、美鈴が硬直した。そして嫌悪の表情を浮かべる。

 銀風たちが振り返ると、そこには二人の乙女が居た。

 片方は、濃いブラウンの髪、燃え盛るようなチャイナ服、黒いズボンのせいで生足は見えないが、胸の谷間が見える覗き穴が開いている。それを充分に活かせる豊満な胸も持っていた。

 もう片方は、やや小柄ながら拳法家らしい服を着た少女。

 上は白、下は黒の衣服で、モスグリーン色の髪をしている。

 そして黒のカンフーシューズ。

 二人を見て浮かぶイメージは、中国武術。


「どのように抜け出たかは存じませんが、お戻りください」

「……」


 赤い方に言われ、沈黙する美鈴。


「さあ、美鈴様」


 赤い方が、銀風たちなど存在しないかのように横を通り過ぎ、美鈴の手を掴む。


「ぎ、ぎん……っ!」


 咄嗟に、友の名を呼ぶ。しかし美鈴のことを見もせず、空を眺め、そして呟いた。


「空は、ただそこにあるだけだ」


 怪訝な表情で銀風を見る赤い方だが、何もしてこないのを確認し、再び美鈴の手を引く。


「……行きましょう、美鈴様」

「ねぇ、麗華ライカ


 赤い方あらため、麗華ライカは驚く。美鈴に勢いよく弾かれた手を、そして美鈴の瞳を見開いた目で見ていた。


「め、美鈴様?」

「私はもう、あの人に縛り付けられるのはやめたの。彼らが教えてくれたから……私は自由を手に入れる」

「……ご立派になられましたね。ですが、それでは私が、いえ、私たちが困ります。あなたが勝手な行動をし、咎められるのはあなただけではないのですよ」


 子供を嗜めるような口調に、美鈴は歯噛みする。

 彼女らはナメている。自分を、美鈴という存在を取るに足らない存在だとナメ腐っていると、美鈴自身が感じとった。


「私は本気です! あなたが思っている以上に……」

「あなた一人でどうやって生きていくのです? もし俗人に落ち、仙人でなくなってしまったら、あなたはもはやただの人です」

「っ……」


 そこに不安がないわけではない。しかしその不安を的確に突いて来る麗華を、意地の悪い卑怯者と思ってしまう自分の弱さにも腹が立つ。

 滲む視界、火照る体。思考はぐちゃぐちゃにかき回され、混濁にも近しい混乱に陥る。

 ただその心にある憤りと意思だけが暴走しかかっていた。


「でも、それでも……」

「人を不安にさせる説得の仕方は大人のやることじゃないな」


 ふわりと、美鈴の体は抱き寄せられた。

 強く、熱く腕で包んでくれるのは、銀風だった。


「銀風、私は……」

「いいよ。君はよく頑張った。身内ゆえの弱みはこちらでフォローする。なぁ、新月?」

「ええ、パーヴァートは仲間意識が大切ですわ」

「なんですか、貴方たちは」

「通りすがりの変態さ」


 次の瞬間、麗華の背後に居た少女の姿が、眼前にあった。

 その拳は紛れもなくこちら二狙いを定めていた。


「失せろ」


 一撃。空気を震わす殴打。


「!?」


 拳に感じる柔らかで、包み込んでくる感触。思わず振り払い、後ずさる。


「あら、ウブな女子は可愛げがありますわね」


 手の平で銀風の顔面を守ったのは、新月だった。


「貴様、何者……」

「パーヴァートが一人、魅惑の新月と申しますわ。あなたは?」

「……心意六合拳士、五龍ウーロン

「ウーロン、良い名前ですわ。力強く、そして美しい」


 新月が受け止めた手の平を、握るような形にすると、妄想によって長い鞭が顕現する。


「この魅惑の新月が相手にするに相応しい美しさですわ」

「銀風! 大丈夫?」

「ああ、平気だ淫夢」


 淫夢が銀風の横に並び、共に構える。


「悪いが、彼女はもう『こちら側』だ。本人も戻ることを嫌がっている。我侭は押し通させてもらう」

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