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39話目 無何有郷

「彩の銀風、復活ッ!」


 彩の銀風は朝っぱらから活力に満ち溢れていた。


「さすが銀風だな」

「ふふっ、そう褒めるな。お前の相棒として当然の在り方だ」


 銀風は結城を見た途端、驚きに目を見開く。

 そして素早く結城の左手を握る。


「ゆっ、おまっ、なんて、ことに……くっ!」

「あはは……面目ない。お前の相棒なのに」

「右手だったら下の世話も出来たのにっ!」


 銀風はいつでも銀風のままだった。そこに安心感を抱きながら、結城たちはレイランの言う蓬莱を目指す。



 早朝より出発し、結城たちは一日かけてその場所の入り口に辿り着いた。

 切り立った岩山を昇り、もう昼ごろになる。未だ、理想郷にはたどりつけていない。


「ちょっと情報が足りなすぎたかな」


 そもそもレイランが古い書物で見かけるくらいしか情報が無い。それほど曖昧な存在だ。

 とはいえ、理想郷となればこの世界では一通りは揃っていそうな気がする。

 書物には載っていたのだ。きっとあるはずだと結城たちは歩みを進める。


「蓬莱の特徴とかは?」

「確か、海に三つの島が浮かんでいるらしく、一つは蓬莱ほうらい、一つは方丈ほうじょう、一つは瀛州えいしゅう。その三つを三神山さんしんざんと呼ぶそうです」

「海、か」


 今、自分たちが居るのは岩山だ。海がありそうな気配は微塵もない。


「マスター、やはりお戻りになられた方がよろしいかと。あとは私が一人で探しますので」

「ここまで来て何を今更。次にユートピアの平野を踏むのはこの左腕を治した後だ」


 申し訳なさそうなレイランに、結城は笑みで返す。レイランは結城との距離をさり気なく縮めた。


「案内妖精。案内できそうにない?」


 冗談めかしてチェリーに聞いてみるが、結城は額に手刀を受ける。


「あだっ!」

「私だってこんなところ初めてなのよ? さすがに無理。せめてもっと高く上らないと駄目ね」

「なんとかと煙はってやつ」

「なんか言った?」


 またしばらく歩き続け、山の頂に達した。その頃には雲よりは高いところに居た。


「風が強いぜ……ローラ?」


 ふと、蓮華がローラの異変に気付く。


「どうしたんだ?」

「何かありますね、あそこに」


 ローラが指をさす方向には、一際大きい雲が山と山の間に密集していた。


「魔力に似た、でも少し違う感じがします。これは……」

「理想の力か?」

「いえ……仙術せんじゅつかもしれません」

「仙術?」


 聞きなれない単語。しかし、人生で一度くらいは聞いたことがありそうな言葉。


仙術せんじゅつ魔術まじゅつとは異なる技術ぎじゅつです」

「特殊能力じゃないのか?」

「うん。仙術は精・気・神を用いるの。使い方によっては魔法や異能と同じことも出来るみたい」


 ローラの独自解釈だが、次のように認識している。

 精は欲であり、沸き起こるもの。

 気は血であり、巡り満ちるもの。

 神は魂であり、想い意するもの。

 それらを完全に掌握した者たちのことを仙人と呼び、仙人は仙術を扱う。

 仙術は生命力の行使であり、具現であり、発散である。


「大雑把な説明ですが、こんな感じだと思います」

「で、あの雲の溜まってるところに仙術らしい感触がすると」

「ちょっと曖昧ですが、おそらく……」


 結城はレイランの持つ情報とこの風景を比べる。

 蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛州えいしゅう。三つは島であり、島と言うことは海に違いない。

 だがここは誰がどう見ても山だ。山脈だ。アルカディアとユートピアを隔てる山脈ほど広大では無いらしいが、草木も少ないところを見ると、過酷な環境であることは間違いない。

 そして、周囲は山々と、大量の雲。


「雲?」


 大量の雲。それを何か別の言い方をしたような気がする。確か……


雲海うんかい……そうだ、ここが海だったんだ」

「雲海? まさかそんな……結城、さすがにそれはないわよ」

「仙人って霞食うって言うだろ? なら周囲が雲海だったり、きりが濃かったりかすみがかってても割とアリじゃないか?」

「都合良すぎな気もするけど……まあ、手がかりがまったく無いよりはマシかもね」


 ほとんど妄想で作り上げた思い込みによって、結城たちは仙術の感触がするらしい雲へと向かう。

 山の谷間、周囲が霧によって閉ざされ、視界の確保もままならなくなってくる。


「島を目指してるなら雲から突き出てる高い山をまわったほうがいいんじゃないの?」

「ローラが仙術っぽい感触がするって言うなら、ここに仙人がいるかもしれない。仙人に直接聞いたほうが、闇雲に探すよりはいいんじゃないかと思って」

「マスター」


 スッ、とレイランが結城の前に出る。あからさまな戦闘態勢というわけではないが、その右手は剣の柄を握っている。


「どなたですか」

「珍しい、こんなところに訪問者とはの」


 霧の奥深くから、薄っすらと影が浮かび上がる。こちらに向かってきているそれは、やがて霧のなかでも見える距離にまで近づいた。


「あなたは……」

「見ての通り、仙人じゃよ」


 腰をくの字にまで折り曲げ、右手には木製の杖。雲のような髭が口元を覆い隠し、眉毛もまた白く、目元を隠すほどに伸びていた。

 その割には頭部の毛は皆無だった。


「このようなところまで、よくぞ来なさった。して、何用かの?」

「マスターの……この方の腕を治していただきたいのですが」


 この方と呼ばれたので、結城はレイランの横に立つ。


「結城と言います。訳あって、左腕の感覚がなくなってしまって、どうにか治せないかと悩んでいたところ、仙人ならばあるいは、と聞いたものですから」

「ふむ、その左腕を治したいがためにここまで、なるほどなるほど……」


 仙人は結城に歩み寄り、左腕を手に取る。


「ふむ……気の巡りがまるでないのう。何をしたらこうなるんじゃ」

「ちょっと能力を無理して使ったもので」

「まあ、治せぬこともないぞよ」

「本当ですか」


 結城よりも先にレイランが食いつく。仙人は頷く。


「ふむ。すぐにとはいかんが、仙薬を服用し、きちんと養生すれば一ヶ月で完治するであろうな」

「一ヶ月、か」

「ふむ。本来なら訓練兼ねて、少なくとも3年はかかろうぞ? いや、もしかしたら治らんかも分からん」


 そう考えれば、良い方だ。

 だが一ヶ月ではユートピアが再び侵攻してくるかもしれない。


「俺たちはユートピアとの戦争で勝たないといけない」

「ほう、あの理想郷と。となるとお前さんたちは?」

「自分たちはアルカディア出身です」

「私はユートピア出身だがな」


 銀風が一部訂正する。すると仙人は驚いたのか、眉が上下に動いた。


「ほう、あの理想郷と対等に渡り合う理想郷があるとは……よろしい。わしもあそこの侵略行為には肝を冷やしていたところじゃ。協力してしんぜようぞ」

「ありがとうございます」

「一ヶ月と言ったが、あとは結城殿、おぬしの頑張り次第じゃて」

「なぁ、おっちゃん。蓬莱だとかってのはどこにあるんだ?」


 蓮華が問うと、仙人は快く応えた。


「蓬莱はこの霧の奥にある仙境の一部。ここは仙境の入り口。無何有の郷じゃよ」




 この霧かかる山脈を、仙人たちは無何有郷むかうきょうと呼んでいるらしい。

 そして無何有郷には、仙人たちが住む仙境があり、それは雲海の中に隠されている。

 仙境と一口に言っても、その中で様々な区分があるらしい。

 まず三神山さんしんざん。これは仙境を代表する理想郷。格の高い仙人たちが暮らすらしい。


 次に桃源郷。この桃源郷というのは、数多くある理想郷とは少々、質が異なる。

 まず、ユートピア、ガンダーラ、アルカディアといった理想郷は、どこかにある理想の場所、という風なイメージがある。

 ユートピアに至っては、それが実現可能な国であるとも。

 だが桃源郷は違う。

 それは人が心の中に作る理想の世界であり、つまりは妄想の世界である。

 人の数だけ理想の世界はあり、故にそれはほぼ無限に広がる理想郷である。

 それでも結局は心の中の世界。霧という外界とを遮断する暗幕が無ければ、心の象が成す世界は散らされてしまう。


「さて、ここがわしにとっての桃源郷じゃ」


 要するに、仙境とは三神山と人々の持つ独自の桃源郷が寄り集まった物だ。

 そして結城たちは、その桃源郷のうちの一つに居た。

 それは洞窟であり、天然の家屋だった。

 洞窟の内部でありながら、中華風の豪華な飾りつけがあり、高級料亭のようだった。


「これくらいなら過ごしやすいじゃろう」

「すいません、お世話になります。えっと……」

東父とうふじゃ。東に父と書いて」

「東父さん、感謝します」


 桃源郷は心の中に在り、それを映し出すならば、心の中で変幻自在に書き換えることで家の内部すら容易く変貌させる。

 これも霧があるからこそだ。


「桃源郷。霧の理想郷といったところだな」


 銀風はぽつりと呟く。


「仙人についての知識なら私もありますわ。たしか房中術がどうのとか」

「房中術は性交によって気のめぐりを良くするとかじゃなかったか。あまり淫蕩に耽って、快楽を追い求めるようなことはしてはならないようだ」

「それは……快楽を追求するパーヴァートとは相容れませんわね」

「それがそうでもない。天使が堕ちて堕天使になるように、仙人も落ちて邪な仙人、邪仙じゃせんとなることがあるようだ」


 そもそも仙人というのがどうやってなる物なのか微妙なところだ。

 欲を捨て、必要最低限を究める流れでなることもあれば、性交などの自然の摂理と関わるものには寛容だ。

 とはいえ、今時では房中術はあまり良い術とはされていないようだが。


「女仙にして邪仙、そして房中術……ここまで揃えば、自ずと答えは見えてくる」

「淫乱女。しかも、かなりの技巧を持っていると考えられますわね」


 仙人としての能力を持ち、体は強くしなやかに。心のあり方を具象化できる。


「まんまパーヴァートですわね」

「何が正しい仙人なのか、間違った仙人なのか、などという疑問はこの際愚問としよう。もしかすれば、私たちパーヴァートの腕をより磨けるかもしれない」

「ですわね。結城も連れて行きましょう。左腕を治してくれるかもしれませんわ」

「いや、それはまずないだろう」


 頭から否定され、新月は不満の眼差しを向ける。


「なぜですの?」

淫乱淫靡いんらんいんびよこしまな仙人に、こちらが期待したところでまともに取り合いはしないだろう。いや、最悪……結城が寝取られる可能性がある」


 新月は背筋を凍らせる。


「それはさすがに……分かりましたわ。私たちだけでその邪仙を探しましょう」

「ああ、もう二度と結城の前で無様は曝さない」


 二人は誓い、遠い霧の向こうを睨んだ。






「マスター……」


 東父の屋敷の一室。

 東父が薬を調合している間、レイランは忠実な愛犬のように結城を見つめていた。


「そんな心配そうな顔をしなくても、すぐに良くなるさ」

「いえ、マスターならば必ず復活なあると信じております。今は、私の力不足を嘆いております」

「レイランが力不足……?」


 とんでもない、と結城は思った。

 ただでさえ生身、特にたいした異能があるわけでもなく、純粋な剣技のみによって光学兵器の一撃を一瞬凌いだ。


「あれだけのことを出来て力不足なら、ほかにどうすりゃいいのか俺には見当がつかない」

「しかしマスターは……」

「その話は本当かの?」


 東父から、暖かいお茶のような液体の入った湯飲みを受け取り、結城は頷いた。


「俺の自慢の従者だ。剣を扱う者の中では最強だと思う」

「それはないのう」


 あまりの即答に、結城は一瞬硬直する。


「それはどう……」

「どういう意味ですか」


 結城の言葉を上から塗りつぶすようにレイランが食いついた。


「この仙境には、最強の武人がおる。レイランといったか、お嬢さんからはあの武人のような気は感じられんからのう」

「最強の武人……そのお方は、どこにおられますか」

「レイラン?」


 その眼差しは、至極真剣なものだった。その思いを察した東父は、それに応えた。


「……数多ある桃源郷のうち、最も澄み砥がれ、最も高く昇り、最も強く鍛え上げられた場所、武陵桃源ぶりょうとうげん。地に居て尚、天なる人。天地人てんちじんジエン 王羽ウォング

「ジェン・ウォング……なるほど。その方の居場所を教えていただけませんか」」

「それを知って、どうなさるおつもりじゃ?」

「一度手合わせを。そして叶うならば、その方の持つ技を伝授させて頂きたく」

「ちょ、レイラン?」


 急に別の話がころころと進んでいくので、結城は慌てる。

 それを察したか、レイランは結城に向き直り、深く頭を下げた。


「申し訳ありませんマスター。我侭ばかりの従者では御座いますが、マスターの御身を御守りするには……より強くなるためには、これしか」

「……分かった」


 結城は自らの左腕を見る。


「なんにせよ、この左腕がどうにかしないわけにはいかない。その間、レイランはレイランの理想に向かって全力で臨んでくれ」


 レイランは感動に目を見開き、再び深く頭を垂れる。


「ご厚意、ありがたく頂戴いたします……必ずや、あなたの最強の剣として舞い戻ると誓います。それでは……」

「あ、もう行くのか……」

「はい、善は急げと申します。それに、マスターの回復が本当に一ヶ月までかかるとも限りません」

「俺の回復が早まるって? それはさすがに買いかぶりすぎじゃないか」

「いえ、おそらく、マスターならば、もしかすればすぐにでも回復するかもしれません」


 レイランの表情は真剣そのものだった。

 その声には揺るがない自信を感じさせ、しかもただの去勢や冗談とは思えない何かを宿していた。


「マスター、今一度、自らの理想を自身に問いかけてみてください。そうすればきっと、一月とかからず完治するでしょう。ではご武運を」

「ああ、レイランも武運を」


 レイランは踵を返し、屋敷の外へと向かった。


「自らの理想を、自身に問いかける?」





 レイランは屋敷の外へ出る。

 外に出て振り返ってみれば、そこはやはりぽっかりと空いた洞窟。桃源郷というのは存外に強大なのかもしれない。


「どなたですか? 私に、何か御用で?」

「ほう、このわしの気配に気付くか」


 ふと、レイランの影が更なる影によって飲まれ……レイランは見上げる。


「ッ!」


 刹那、抜刀。

 頭上に迫っていた大岩を、レイランは一刀両断した。

 左右に断たれた岩はレイランの左右に落ちた。と思えば、幻のように薄れ消えた。


「これは……っ!?」


 気がつくと、いつの間にか正面に人が立っていた。


「何の用か、と問うたな。用があるのは、貴様のほうであろうが」


 それは体格の良い老人だった。

 白髪をすべて後方へ向けおさめ、顎に白い髭を蓄えている。

 体を覆う服は紫の生地に金色の龍などの刺繍がされ、足の位置、重心は履物ではなく、足元まで隠す纏う布によって分かりにくく、尚動きやすいように腰を黒の帯で締めている


「なるほど、その技巧。確かに剣を極めし者と噂されるのも分かる」

「もしや、あなたが天地人のジエン・ウォング」

「いかにも……無何有の郷に貴様らが入った瞬間から、貴様らの気配は感じ取っておった」


 レイランはジエンを前にし、いつでもその剣を引き抜けるように身構えていた。

 ジエンが背負う一本の大剣と、腰に差している刀剣。そしてそれを扱う手、指から伝わる強者の気配。

 間違いなく、自分より遥か高みに居る。


「ユートピアを落とす……いえ、マスターを御守りするために、誰よりも強くならなければなりません。どうか私という剣を鍛えていただけませんか」

「本当にそれだけか」


 ジエンの問いの意味が分からず、レイランは言葉に詰まる。


「お前はなんのために剣を取った。なぜお前は剣士なのだ?」

「…………」


 レイランは自分の剣を見る。結城から授かったうちの一振り。片刃の刀剣・フリッサ。

 自分が剣を持つ理由。数多くある武器の中で、剣を選んだ理由……

 それは遠い過去の記憶。理想を抱く理由。


「よかろう、今よりお前は我が弟子だ。我が修行を成し遂げたその時こそ、お前はただの剣客から究極の武人となるだろう」





 結城はレイランを見送った後、与えられた自室のベッドで休んでいた。

 

「具合はどう?」

「ああ、ありがとう。まだ感覚はないけど」


 結城はチェリーから湯飲みを貰う。中に入っている烏龍茶を飲み、一息つく。

 一方チェリーもまた深く息を吐く。小さな体のチェリーが液体の入った湯飲みを運ぶのは割と体力を使う。


「ふぅ……世話が焼けるんだから」

「結城、居るか?」


 その声は銀風のものであった。結城が返事をすると、銀風は部屋に入ってくる。

 そこには新月と淫夢もいた。


「結城、私たちも用事が出来た。少しお前の元を離れるが……」

「そうか。俺はチェリーがついててくれるから大丈夫だ。俺のことは気にせず楽しんできてくれ」


 結城は銀風たちが冒険か散策にでも行くものだと思い込んでいる。

 一方、銀風たちはあっさりな反応をされて少々戸惑う。


「そ、そうか。何かあったら干渉力を使って連絡をくれ。ただ無理はしない程度に」

「ああ、ありがとう。いってらっしゃい」

「いってらっしゃい」


 結城と共にチェリーは手を振っている。銀風も手を振って、部屋を出る。


「敵に塩を送りすぎたか……」

「えっ?」

「いや、なんでもない。お大事に」


 扉を閉める銀風と、呆れた風に溜息を吐く新月。そして首を傾げる淫夢。


「……さて、気を取り直して、行くとしようか」


 こうして銀風たちは邪仙な女仙を求める冒険に出た。




「はい、結城。私が体を拭いてあげるわよ。仕方ないから」

「いや、右手は使えるから」


 チェリーは顔を赤くして湯飲みの陰に隠れる。


「さて……どうするかな」


 左腕は依然として感覚を失ったままだ。別の生き物のようで気持ちが悪い。


「暇だな」

「レイランがなんか言い残してたじゃない。それをしてみれば?」

「レイランが? ああ、確か、自らの理想を自身に問いかけてみて、って言ってたな」


 自らの理想。それは決まっている。自分の描く新たな世界を創ることだ。

 前世、一生涯をかけて創り上げた妄想の世界を、実現させること。


「現実をひっくり返すと実現になる。つまり、現実と対になる妄想を実現させることこそ、現実への抗い、足掻きとなるわけだ」


 前世の世界は娯楽はあれど、所詮は娯楽止まりといった感じだった。実際にモンスターが出ることはないし、魔法も存在しない。正義の味方も、非道の悪党がいるわけでもない。

 そこには、ただ有象無象の人間がおり、醜悪な人々がいるだけだ。


「ねぇ、せっかくだから聞かせてよ」

「何を?」

「あなたの、昔話というか、前世というか……そういうの、貴方の世界を私に案内しなさいよ」


 湯飲みから顔を覗かせるチェリーの瞳は、遊び半分というわけでもない、真剣な眼差しだった。

 結城は少し考える。


「別段面白い話じゃないぞ。むしろ……」

「いいから。そんなの、この世界じゃ別に珍しくもないわよ。さっさと始めなさい!」

「じゃあ……遠慮なく」


 そうして、結城はぽつり、ぽつりと語り始めた。

 醜悪な平和を。死に至る平穏を……

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