38話目 駆る影
ユートピアが雄大な山脈に一本のトンネルを作り、それはアルカディアの結城たちによって制圧、占領された。
「結城は私たちが思っている以上にすごい人だったみたいですね」
「……そうだな」
そのトンネルの暗がりから抜け出す二人は、初めて踏みしめるユートピアの大地を見回す。
「すごい……これだけ広いのに、魔物一匹見当たらないなんて。本当にここからすべてのモンスターは駆逐されてしまったんですね」
感想を口にするのは、美しいセミロングの金髪と翡翠の瞳を持つ長身の乙女。そして特徴的な尖った耳は、彼女がエルフだということを照明している。
「ティターナ、気を引き締めろ。ここはもう敵地だ」
警告するのは、エルフ・ティターナの横に居る、小さな少女。褐色の肌に黒の刺青が刻まれている。
「ええ、分かってるわ、レイア」
「相変わらずお堅いのう、アマゾネス」
背後のトンネルからかけられた声に、褐色の少女、アマゾネスのレイアは苦虫を噛み潰したような顔をしながら振り返る。
「お前もアマゾネスだろうが」
「カカッ! 違いない。いかにも私がアマゾネスの女王にして安全無欠の勇者の正妻。武神のリューテよ」
暗闇から姿を現したリューテは、獣のように歯を剥きだしにして笑っていた。
同じアマゾネスでありながら、レイアより遥かに年長者。茶色の布を巻いただけの胸周りは、歩くだけでその震動をその身に受けている。チーターのようにしなやかな、引き締まった腰周りと、サラブレット顔負けのふともも。そして赤茶の髪は獣の鬣のよう。
「さて、クロードたちはアトランティスを追ったというが、私たちはどの方向に行けば良いのやら」
「少々お待ちくださいね」
「むしろ何時までも待たせておけば良い」
ティターナが持ち物から巻物を取り出して広げる。
「ガンダーラから西の方角だから……とりあえずガンダーラへ、ここから南東の方角ですね」
「さすがはエルフの王女、エル・リーフ・ティターナだ。メイヴとは違い聡明にして優秀よ」
「い、いえ、それほどでも」
「では早速出発しよう」
「まだだ。予定ではここで飛竜と待ち合わせることになっている」
本来ならばすぐにでもトンネルの守りを固め拠点にし、馬車などの設備、軍事施設など充実させるところなのだが、アトランティスの強奪によってそれどころではなくなってしまった。
ティターナ、レイア、リューテは安全無欠の勇者と合流し、アトランティスを陸から追うことになっている。海からは海斗らがまた大艦隊を引き連れて行ったため、依然として人員不足は解消されていないのだった。
「来たようだぞ」
リューテが見る山脈の方の空から、小さな影が飛来する。
こちらに来るにつれて徐々に大きくなっていき、頭上に来たときにはこの三人くらい余裕で乗れそうな大きさの飛竜がこちらに降下してきていた。
「では、まずはガンダーラへ出発ですね」
ガンダーラから遥か西。そこには何も無い、広大な草原が広がっている。
まばらに木が立ち、ふと気付けば水辺があり、岩場がある。
ユートピアの迫害が無ければ、少なくとも動物の一匹や二匹は居たかも知れない。
その草原よりやや南にある海岸でアトランティスは建造された。いわばアトランティスの生まれ故郷と言ってもいいだろう。
しかし今や、建造施設、軍事施設の類は、既に粉微塵に壊滅していた。一人の死神と傭兵の手によって。
「ここから北に行けばユートピアだ」
朱が言うまでもない。ここからでも、その巨大な国の姿がうっすらと、遠くにある山と紛れるように見えていた。
分厚い外壁と、高く聳える塔が何本も連なる摩天楼。
あの科学の叡智の結集された場所へ、今から鉛弾を撃ち込みに行く。
「あれがユートピア……」
「アイス、デバイスの調子を確認しろ。支援砲撃がなければ死ぬのはお前だ」
「あ、はい……こちらアイス。アトランティス、応答せよ」
アイスは耳当ての付いているカチューシャのような通信機を装着していた。頬まで伸びるマイクから声を送り、そしてアトランティスからの音声は耳当てから。
「やあやあ! よーく聞こえてるよ。支援は任せておきたまえ。私がオリジナルに勝つための大事なところなのだからね」
もはや聞きなれた、箍の外れた声が鼓膜に届く。
彼女の名は博士。そのオリジナルはユートピアにおり、あのアトランティスを造ったという。
そして今、アトランティスからアイスへと音声を送っているのは、アトランティスのマザーコンピューターの役割を果たすOSにしてAI。ドクの人格を電子化したもう一人のドクだ。
「朱さん、これは朱さんの分のデバイスです」
「……私は」
「連携が重要って言ったのは朱さんじゃないですか?」
「またドクの音声を聞くのは気が進まないが、仕方ない」
アイスからデバイスを受け取り、カチューシャのように装着する。
「やぁやぁ! 朱、また君と会話出来て嬉しい限りだ!」
「向こうからの音声だけカットできねぇのかこれ」
「そんなことを言ってる暇は無いようだよ。東の方から何かが近づいてきてる。一台の車のようだ」
「車? まさか、もうここまで来たのか」
ここまでは想定内。
こちらに向かっているのはおそらく責任感の強い安全無欠の勇者だろう。
ガンダーラで、おそらく安全無欠は負ける。結城と言う男はレイランが見初めるほどの何かを持っているだろう。そう簡単に負けはしない。
ただ万が一、安全無欠だけではなく、結城も共にこちらへ来てしまった場合、少々厳しいことになる。
そこまで考えて、そんなことは杞憂だということに気付いた。
「朱、もう追っ手が来たみたいですけど、どうしましょう」
「ああ、問題ない……おい」
努めて平静を装っているアイスだが、朱の目にははっきりと動揺が見えていた。
息は荒く、顔を大量の汗が滝のように流れている。
「悲惨な通知表を親に見せる前の餓鬼みたいになってるな」
「そんなことは、ありません」
この外見から声だけは本当に平静そのものなのである意味驚かされる。
「問題ない。邪魔になるなら殺せば良い。そうだろ?」
「え、ええ、そうですね。障害には風穴を開けるだけです」
「それに、ユートピアがこちらに反応すれば、奴らも私たちに構う余裕など無い。それほどの力の奔流が起こることを覚悟しておけ」
二人は施設を出、移動用トラックを盗み出し、ユートピアがある北方へと走り始めた。
安全無欠の勇者たちは、キャラバン型の車両でガンダーラから西に移動していた。
「すいません、急に無理なお願いをしてしまって……」
「いやいや、僕らも仲間が増えて助かる。これからよろしく」
「はい! 私も竜人さんも、きっとお役に立ちますから」
後部座席で、クロードと会話するのは精霊使いのセレナ。竜人は現在、遥か上空から周囲を警戒していると同時に、アトランティスや朱たちを探している。
「本当に良かったのか? 結城は君の命の恩人だったのだろう?」
「彼は、そういうのを気にしないでくれて良いって言ってくれてましたから。それに前から私、安全無欠の勇者さんと一緒に戦うの夢だったので……」
安全無欠の勇者は、戦争において、仲間が誰一人として欠けたことがないというところから呼ばれ始めた通り名だ。
彼に仲間として迎え入れられた者は、少なくとも戦場で死ぬことはまずないと言う。事実、現在まで誰一人として死傷者は0だ。
その安全性から彼の仲間になろうとする者、純粋に英雄としてその実力に憧れ、共に戦いたいと思う者。尊敬の念を抱き、少しでも近づきたいと思う者たちが、日ごろから安全無欠の勇者と共に戦うことを夢見ている。
「でも、今回の相手は朱。ガンダーラ奪還に貢献した傭兵の一人だ。気を引き締めなければ死ぬぞ」
「は、はい。気をつけます」
メイヴの忠告に体を強張らせるセレナ。
「ほら、サリマも挨拶してください」
「……我侭を言ってすまない。よろしく頼む」
「うん、よろしく」
サリマは最初、結城たちと共にユートピアに殴りこむつもりだったのだが、セレナが安全無欠に入るのと、その評判を耳にしてこちらに同行することにしたのだ。
「そもそも私は傭兵側だから」
「グレイさんと一緒の方が良かったんじゃないですか?」
「確かに私はグレイに色々と仕込まれたが、私の理想とは関係ない。私の理想をより確実に実現できそうな方についただけだから」
サリマの理想は、差別主義者を皆殺しにすることである。
ガンダーラがユートピアに占領されたさいに、肌の色での差別がかなりあった。
「いくら少数精鋭といっても、あの結城とかいう奴らがユートピアを落とせるとは思えないからな」
サリマがそう思うのも無理は無い。軍から孤立した少数の団体、軍に配属され、その中でも最も名高い精鋭部隊。惹かれるのは後者だ。
「でも、結城は僕に勝ったし、ガンダーラを奪還したのも彼らだ」
「それは偶然に過ぎない。傭兵がいなければおそらく達成できなかったろう。そういえば、セレナも一緒に居たんだったな。どうだった?」
「えっ? えーっと……」
非情に言い難かった。正直、傭兵なんて居なくてもごり押しでどうにかなったのではないかと、セレナは思っていた。
「ま、まあ、傭兵さんが居たからスムーズにことが運んだところもあった、かな」
嘘は言っていない。聞いたところによれば、その領主を殺したのは傭兵だと聞くし。
「わ、私はいざという時のために上空で待機してただけだから……」
「そういえば言ってたな。ごめんな」
「ううん、気にしないで。本当のことだから……竜人さん、何か見つけられたかな」
遥か上空、竜人は周囲に、特に西側と南側の海に目を凝らしていた。
「何か見つけられまして? 竜人」
甘い声をかけながら、箒に乗った魔女が竜人の乗る飛竜の横を飛ぶ。
「魔耶と申しますわ。どうぞお見知りおきを」
「竜人です。どうぞよろしくお願いします」
魔耶はじっくりと竜人の顔を見る。
「……なんですか?」
「いえ、妙に落ち着いていらっしゃるから。何度か安全無欠のメンバー入れ替えはありましたけれど、ここまで落ち着いている人は初めてかもしれませんわね」
「あ、なるほど」
竜人は再び景色の向こう側に目を凝らす。
「俺も安全無欠のファンでしたよ。かの人と同じ戦場で、空を飛んで活躍したい。そして認めて欲しい。そんなことを考えたものです」
「今は、違うと?」
「いえ、違うってほどでもない。安全無欠に同行できるなんて、今でも夢のように思っています。ただ……」
竜人は北を向いた。その先、遥か向こうを眺める。
「あの人が教えてくれたんだ。最初はどんなに無力でも、自分の抱く理想を強く想えば、きっと誰にも負けないって」
彼は最初は無名の青年だった。
強い者たちに囲まれ、庇護され、保護されながらも戦ってきたのかもしれない。
しかし彼の理想は、彼自身を成長させ、進化させた。
より強く、より遠く、より高く、より深く。より理想に近づくために。
強い者たちに囲まれて、見劣りするくらいの実力でも、やがて実り、やがて遥か高みにある英雄にさえその手をかけた。
「誰よりも己の理想を大切にすれば、必ず理想は応えてくれる。彼が体現したのはそれだった」
それが誰のことを差しているのか、魔耶にもすぐに理解できた。
「だから、俺はもう何かに怖気づくようなことは無いと思いますよ」
「そう、ですか……それなら心強いわね。でも油断はしては駄目よ。気を引き締めてね」
「ご忠告、痛み入ります」
魔耶は竜人と距離をとり、南側を重点的に探し始めた。
「結城……やはりクロードを脅かしている」
魔耶の心を、悔しさが満たす。
自分がもっと強ければ、賢ければ、狡猾であったならば、もっと上手くやれていたなら、きっと結城を殺し、クロードの地位はそのまま、最上の英雄として称えられていたはずだ。
誰もが憧れる、まさに完全無欠の英雄として。
「何が森羅魔象よ……」
消化しきれない想いが口からこぼれる。
己の理想が生み出す力が、己の理想に届かない。その無力さに打ちのめされる。
「魔耶さん……魔耶さん!」
「っ!」
竜人の声で、意識が外側に向けられる。
「何事? どうかしました?」
「あれ、あそこに車が走っています。もしかしてあれに乗ってるんじゃ……」
魔耶がすぐに瞳に魔力を通わせ、見定める。
南から北へ。こちらの進路を横切るように、ユートピアがある方向へ向かっていく。
「竜人はクロードたちに報告を」
「魔耶さんは?」
「私はアレを足止めします。では、お先に失礼」
竜人が何事か叫んでいたが、それを無視して魔耶は箒を加速させる。
今度こそ、この汚名を返上し、再びクロードを最上の英雄だと知らしめるために。
そして、その存在を朱は既に察知していた。
「早いな……アイス、運転代われ」
「は、はい」
朱は素早く扉を開けて、車の上に軽々と飛び移る。
アイスはあたふたと座席を移動して、助手席から運転席に移る。
「とりあえずアクセル踏んどけ。エンストしないようにな」
「わ、わかりました」
朱が空を見上げると、そこには時代遅れな魔女の姿があった。
「ごきげんよう、あなたが朱ね?」
「これはこれは、随分と古風な魔女が来たな。コレが安全無欠の勇者が一人、森羅魔象の魔女か」
「魔耶といいますわ。初めまして、以後ヨロシク」
「初めまして魔耶、こちらこそ以後ヨロシク。それと……」
朱は乾いた赤の外套の影から、流れるような動作で従を抜き、そして向ける。
「さようなら」
「待って魔耶さん! 一人じゃ危険だ!」
叫ぶ竜人であったが、魔耶は走る車へと一直線に飛んでいってしまう。
すぐさま竜人は降下し、クロードたちにその状況を伝えた。
「魔耶が……分かった。僕たちもすぐに向かおう。竜人、案内してくれる?」
「了解。こっちです!」
竜人が駆る飛流は大きく飛翔し、クロードたちに行く先を示す。
「魔耶め、先走ったな」
「僕の責任だ……失態は成果で取り返す!」
クロードは深くアクセルを踏み込んだ。駆動音を鳴り響かせながら、車は飛竜を追う。
「……なるほど、それが魔術か」
「いえ、魔法よ」
銃弾は魔耶の引きつった笑みの寸前で停止していた。
「噂どおりの蛮性ですこと」
「褒め言葉として受け取っておこう。で、どうする魔女。そのまま引き下がった方が身の為だが」
「あなたの噂はよく耳にしていますよ死神。あなたの齎す死が、私の魔性をも凌駕できるのかしら?」
魔耶は自分の杖を谷間から抜き、構える。
「エト・イン・アルケイディア・エゴ……魔女よ、お前の死はすぐそこまで迫っているぞ?」
そして死神は更なる死を携え、その牙を突き立て、大口を開けた。
影は蠢き、鉄は冷たく、どこからか呻きのようなざわめきが小さくこだまする。
影は変幻し、姿は自在に組み代わる。やがて死神の大きく歪んだ顔すら、影に呑まれる。
その異形さを見て、魔耶はそこで初めて思い知る。
「ちょっと、先走ったかしらね」
「なるほどなるほど、魔法相手では私の死神も少し分が悪いなぁ……仕方ない。向こうもそろそろ動くだろう。こちらも一手、と」
その瞬間、ユートピアから一筋の光が放たれ、朱と魔耶を別つように空気と地面を裂いた。
少し遅れ、アトランティスからの砲撃が魔耶を襲う。
「なっ、何!?」
北と南、同時に来る攻撃に混乱する魔耶。
それをよそに、朱たちは魔耶から離れていく。
「クソが、余計なことを……」
悪態を吐く朱に対し、通信で送られてくる不快な声が語りかけてくる
「むやみやたらに全力を出すのは感心しないね。私のオリジナルが創った最高傑作なら、そう簡単に本領を見せてもらっては困る」
「そんなものは俺の勝手だろう。いちいち口出しされる筋合いは」
「いや! あるね。分身の言うとおりだ!」
不快な声を、さらに凌駕するその声。朱は思わずユートピアのほうを見る。
「お前……」
「やぁ朱! 会えて嬉しいよ。紅も元気にしているかな?」
「お前も余計なことをしてくれたな」
「そりゃそうさ。せっかく手塩にかけた僕の最高傑作が、そこらの野良魔女一匹相手に全力を曝け出そうとしているなんて怖ろしすぎる。君は影なんだから、もっと隠しておかないと」
「ふん、お前に指図される筋合いはない」
「より深き深淵の闇は、その最深を覗く者を食い尽くす。君は闇だ。誰にも暴かれることなく、死神のごとく死を撒き散らす。そういうテーマなんだから」
「その耳障りな声をもうすぐ息の根と一緒に止めてやる」
「クヒヒ! 楽しみ楽しみ……じゃあ、このユートピアと言う最高傑作を、どう突破するか見せてもらうとしようか!」
ユートピアの一際高い塔の頂点が青白い光を発し、次の瞬間、巨大な光の奔流がこちらに迫り来る。
「朱!」
「まったく……アイス、そのままアクセル踏んで置けよ。私が振り落とされたそのときは、お前は消し炭になる」
闇のように深く、濃い影が即座に車を覆った。
極大の光の線が大地を抉り、空気を焼き焦がし、存在を消し飛ばしていく。
その圧倒的な光景に、クロードたちは絶句していた。
だが、すぐに魔耶を探すのを再開する。
「居たっ!」
ふらふらと飛行しながらも、こちらに戻ってきている。
「竜人、魔耶を護衛しながら南に退避。アトランティスと合流する!」
誰も異を唱えなかった。あんな力を見せ付けられては、一先ずは撤退するしかない。
「当たり前だぜ、あんなの。こっちの命がいくつあっても足りない」
竜人は呟く。そして同時に、結城のことを思い出す。
「あんなの相手に、どうやって戦うつもりなんだ、結城……」
破壊を齎す極光が止む。しかし、影は走り続けていた。
息を整えるように長く吐く朱と、何が起こっているかさっぱり分からず混乱するアイス。
「フシュゥ……」
「な、何が、一体何が……」
「これが私の能力というだけの話だ。忌々しいが、あの光では私には傷一つ与えられん」
朱どころか、車にも目立った損傷は見られない。
アイスも自分が無事であることをなんとか自覚できた。
「問題ない。このまま行け」
「は、はい、分かった」
屋根に朱を乗せたまま、車はユートピアへとまっすぐに走り続けた。




