1話目 旅人と水先案内人
無間の高さと深い青の空の下、柔らかなそよ風に頬を撫でられ、一人の旅人は目を醒ました。
心地よい眠りから覚めたような感覚で、旅人は身を起こして両手を上に、体を伸ばす。
そして周囲を見回すと、緑の丘が地平線の果てまで広がっていて、遠くの山々が牧歌的な景色にアクセントを加えている。
「ここが……次の世界か」
彼の名は結城。
前世、理想を叶える為に、というよりは、叶えて貰うために旅をしていたが、山中で熊に襲われて死んだ。
我ながら哀れな末路だと思いながらも、そこに一切の悔いは無かった。元々叶う見込みの無い理想だったからだ。
それでも諦めきれずに一生を捧げてきた狂信ぶりを、自画自賛する。
「えーっと、とりあえず……何をしたらいいんだ?」
さしあたって、現状を確認する。
足元に荷袋が置いてあったのでそれを開くと、中には手鏡とこの世界の通貨であろう金貨が数枚、そしてこの世界に関してのパンフレット。
パンフレットを流し読みしてみるが、ほとんどこの世界に来る直前に受けた説明と変わらなかった。
この世界が、前世にて叶えられなかった理想を叶えるための世界であるということが、仰々しい説明口調で書かれている。
結城は手鏡で自分の顔を見て、少し驚く。
「……わ、若返ってる」
この世界に降り立つ者は、全員が理想の姿を得る。
それは前世で人間だったものが人外になっている場合もあるし、人間のまま異能や超能力、魔法などを保有している場合もある。
自分の姿もまた、自らの理想に準じたものになっていた。
そして、本人の理想であるならば、その姿は年月の経過によっては変化せず、望めば望んだ変化を得られることもある。
ゆえに、年老いた醜い姿の男はもうどこにもなかった。
この世界に来たばかりの彼は高い蒼穹の下、広い平原をひたすら歩いていた。
景観は、前世の時とはまったく別物だった。
というのも、夢にまで見た二次元のような、しかし三次元の特性は失われていないような見た目で、不思議な質感を持った世界。
異世界という言葉がしっくりと来る情景に、結城は徐々に現実感を得て、高揚し始める。
「景色はいいけど、何も無いな」
結城の背は高くは無く、せいぜい160とそこそこ。
髪は黒く、後ろ髪は肩くらいまで届き、耳も先端が隙間からわずかに覗く。
特徴はないが、色々と整えてやればそれなりの面にはなるだろうが、ファッションに対してあまりに無頓着のようで、上は白いシャツ、下はジーンズとシンプルな服装。
まだ明るさに目が慣れずに、薄目で景色を眺めている。
小高い丘を登り、周囲を見渡そうと歩みを進める。いい加減に腹も空いてきた。喉も渇いた。遭難してるといっても過言ではない。
そう思いながら丘を登りきる。すると遠くに何かがあった。
「街と、城……国か?」
欧州にありそうな、先端が青く尖っている、白く立派な城。それに隣接して街が広がっている。
城と城下町。これはもう間違いなく国だろう。そう思った。
「あなた運がいいわ!」
唐突に声をかけられて、体が跳ねた。
今まで自分ひとりしか居ないと思っていた結城は周囲を見回すが、人どころか生き物すら見当たらない。
「こっち! 上よ! 上!」
言われて見上げる。
そこには、手のひらサイズの少女が後ろ手を組んだ格好でこちらを見下ろしていた。
「やっほー?」
桃色の長い髪は彼女の身長と同じくらいの長さで、手入れがとても大変そうに思えた。
青い瞳はとても澄んでいて、蒼穹を背景にしても際立って美しく、輝いて見える。
「初めまして、新入りさん。私の名前はチェリー。種族は…」
「本物の妖精だ!」
「!?」
結城の薄目が驚愕と共に大きく見開かれる。
長らく追い求めていた空想上の存在が、目の前に存在している事実。
結城の半端だった高揚感は急激に上昇した。
「な、なんという小柄! なんというキュート! 二次元にしか存在し得ないと諦めていたのに!」
「と、とりあえず落ち着いてください。ほんとお願いします。話が先に進まないから」
言われた結城は即座に何事も無かったかのように静かになった。
あまりの切り替えの早さに自分のペースを乱されながらも、桃色の妖精は結城に語りかける。
「妖精に詳しいみたいね」
「ええ。まあ、それなりに興味ありましたし、調べてましたし」
「じゃあ種族の名前を当てられるかしら?」
「おそらくは……ピクシーかと」
「おおっ!すごい大当たり!」
ひらひらと蝶のように飛び回って驚き喜びを表現している。
「とまあ、お遊びはここまで。改めまして、私はこの世界の案内を任された、ピクシーの妖精・チェリーです。情報とかアドバイスとかするわ! よろしくね?」
くるりと回ってチェリーは自己紹介する。結城もそれに応える。
「俺は結城。こちらこそよろしく」
手を出すと、チェリーは人差し指を両手で持って上下に振る。
憧れの存在に触れられたことに現実感を得られず、立ちくらみしそうになる。
「さあ、とりあえずはあそこの街まで行きましょう!」
結城は一匹の妖精と共に、豪奢な城が立つ街を目指し歩みを進める。