17話目 理想の意味
「はっ、はっ、はっ……!?」
死体に躓き、転んだ。
銀色のしなやかな髪が紅に染まっていく。
見れば死体。おそらくグレイと朱が始末したものだ。とはいえ死体をそのまま放置というのはどうなのか。
「ち、ちが、今はそうじゃない……うぐっ!?」
立ち上がろうとした瞬間、膝に痛みが走る。どうやら強く打ってしまったようだ。
「痛い、痛いよ……どうして、なんでこんなことに……」
背後から爆発の音が聞こえる。グレネードランチャーでも持ち出したか。確実に近づいている。
アイスは痛みをこらえ、溜まった涙を拭って再び走り出す。片足を引きずって。
「パパ、お願いだから生きていて……」
「追いついたぞ?」
後方からの銃撃。足元に転がる死体たちがはじけ飛び、血飛沫はアイスの体を汚していく。
「オラオラァ! 逃げてるだけじゃ何にもならねぇぞ? ちったぁ噛み付いてこいよ!」
笑いながらラガーは死体を爆発させる。
血肉が弾け、辺りを血の海へと変えていく。
「久々に楽しませてもらわないとなぁ?」
今は退屈な追いかけっこだが、ここまで来た奴だ。窮鼠は必ず猫に噛み付く。
それまでは付き合ってやるか。
銃撃や爆音を聞いた朱とグレイは執務室にたどり着いた。
「まさかザックがやられるなんて、どんな相手だよ」
幸い、急所は外れ。応急処置もした。
「げほっ、げほっ…」
「ザック! 気がついたか!」
「グレイか……悪い、トチったわ」
「ったく、運がいいなお前」
「義手ついでに、鉄板入れといたからな」
とはいえ、トドメのために何発も銃を撃たれている。今すぐ動くのは無理だろう。
「いや、俺のことは良い。それより、アイスを……アイスを追ってくれ!」
「アイス……そうか、どうりで居ないわけだ」
縋りつくようなザックの乞い。己の命より優先するものは、この世界では理想と同列だ。
グレイは立ち上がり、ハンドガンのスライドを引く。
「任せとけ。あの娘は俺が保護してやる」
「たの、んだぞ。俺は、ちょっと、寝るから、よ……」
ザックの瞼が閉じ、呼吸が静かに安定する。それを見届けたグレイは踵を返した。
「行くぞ紅」
グレイは部屋を出て、廊下を進む。
「紅?」
「その娘、死ぬぞ」
「分かってる。だから助けに」
「そうじゃねぇ。お前が今ここでアイス・バイエルンを助ければ、アイス・バイエルンは死ぬ」
グレイが立ち止まり、振り返る。
「どういうことだよ」
「お前はここがどこだと思っている?」
嘲り笑う死神の姿。それは紅ではなく、鮮血の髪と瞳。魔獣の銃口。
「お前とて、本当は分かっているはずだ」
「朱……」
「ここは戦場。骸の平原。死と残酷に塗れた地獄だ。そこでたった一時、少女の危機を救ったところで、いずれ少女は刈り取られる。死神に」
朱の言いたいことはすぐに分かった。
「あの娘はまだ幼いんだぞ!」
「それでもここは戦場だ。この死に損ないが連れて来たこの場所は、死地なんだよ。なぁ傭兵」
「……ハッ!はは、はっはっは!!」
グレイは唐突に笑い出す。朱の死神の微笑は消えない。それでもグレイは笑い飛ばす。
「朱、忘れたかよ? 俺の理想は、戦場で英雄と呼ばれることだ」
「ほう、それで?」
「年端も行かない少女が、それも戦友の娘がピンチだってのに、そこに助けに行かない英雄がいるかってんだ!」
「それは……この私が立ちはだかったとしてもか」
言いながら、朱はグレイに銃口を向けた。およそ人間に扱えるとは思えない、大きさの拳銃を。
「当然だな」
セミオートのショットガンを右手だけで構え、左手に幅広のククリナイフを手にする。
そしてそのまま動かない。
「…………」
ひとたび引き金を引けば、ものの1分もしないうちに、どちらかの命が失われるだろう。そして場合によっては少女の命も。
「止めだ」
朱はそう呟くと、銃を懐にしまった。
「お前の理想には興味がある。それを見届けるといったのは私自身だ」
「……サンキューな」
朱を背にグレイは駆け出す。
おそらく、あのまま戦っていたら、自分に勝機は無かった。一瞬で蜂の巣にされていたのは、自分の方だと。
無力さを噛み締めながら、グレイは死屍累々の廊下を駆け抜ける。
結城たちは順調に敵戦力の無力化を進めていた。
「魔矢・武踏円舞」
ティターナが魔力で作り出した光の矢を放つ。同時にレイアが駆け出す。
魔矢と並走し、敵部隊に近づく。魔矢は突如無数に分裂してレイアの左右上下に展開、衝突と同時に数人の敵を串刺しにする。
残りのいくつかが高速でレイアの周囲を周回し続ける。レイアはそのまま突撃し、敵を切り刻み、矢もまた敵を射抜いていく。
「こ、この化け物どもめ!」
アサルトライフルの弾幕がレイアを襲う。すると周回している矢が自ら飛び出し、弾丸一つ一つを弾いていく。
「わ、私も!」
負けじとセレナが水の精霊を呼び出す。
「サバク、ツライ」
「あ、ごめんなさい……で、でもそこをなんとか」
「ン、ガンバル」
…………
何もしてこない少女を攻撃するほど、兵士も悪魔ではない。
「お、おい、お前」
すると徐々に地響きが辺りを揺らす。
「な、なんだ!? ちょ、ガキ!何をした!?」
「おい! アレ見ろ!」
照明が、上空にある何かを照らす。
「なんだ、ありゃ……」
大きな球体。透明な球体だった。それは徐々にこちらに降下しているように見える。
「あれはお前の仕業か!?」
「ひぅっ!? き、急に大きな声を出されると……あっ」
球体は突如、その輪郭がぶれ始める。まるでコップいっぱいに入った水の表面が、振動で波立っているように。
次の瞬間には、滝のようにそれが兵士たちに降り注ぎ、飲み込み、押し流した。
水流は簡単に人を飲み込み、街の道は水路と化した。
その水流はこちらにまで迫っていた。
「うわ、こっち来る!」
「マスター!」
レイランが即座に動いた。結城の体をひょいと抱き上げ、そのまま駆け出す。
そして建物の壁に向かって跳んだ。軽々と三階の高さまで飛び上がり、壁に足を着けた。
横から重力を受けながら、それでも難なく昇り、跳び、夜闇の空を舞った。
一瞬の出来事。数歩だけだが、確かに壁を走っていた。
「す、すげぇ……」
月光に照らされるレイランの顔が見える。
それはあまりに美しくて、ふとこちらに微笑みかけるその姿は、きっとこういうのを女神と呼ぶのだと思った。
「お怪我はありませんか?」
レイランは建物の屋上に着地し、平然とした様子で結城に問う。
「あ、ああ。大丈夫、傷一つ無い……そろそろ降ろしてもらっていいかな」
結城はレイランに、姫君のように抱きかかえられていた。かなり恥ずかしい。
すると不意に新月の声がした。
「あら、私の記憶では結城は受け手のはずですけれど」
声のほうを見ると、満月を背に、まるで覆い隠すように宙を舞う新月の姿があった。
彼女もまたふわりと屋上に足をつける。
「とんでもない魔法ですわね。どうやら海から大量の水をかき集めてここまで持ってきたみたいですわ」
セレナ・アクエリアス。思った以上に強力な魔法使いだったようだ。正確に言えば彼女の使役する精霊の力だが。
結城はレイランの手から離れ、地に足をつける。
「さて、どうするか」
「居たぞ!」
兵士が階段を昇ってここまできた。出入り口からぞろぞろと出てくる。
「マスター、いかがなさいますか」
「もちろん、俺だって戦える」
「ふふっ……腕が鳴りますわぁ!」
三人はそれぞれ敵に突っ込んでいく。
「行きます」
電光の如く迫り、青いドレスの残像が残る。敵陣の真中、周囲の敵兵が瞬く間に斬り刻まれた。
高速の剣が生み出す風圧で、刃から逃れた兵は身動きを封じられた。
「さあ、行きますわ!」
新月が鞭を振るい、一人の兵士の胴体に巻きつく。
「ふっ、はぁっ!」
華奢で小さな体の彼女が思い切り振るえば、敵兵は鞭の先端となって他の敵兵に打ち付けられる。
「魔法使いが武術を?」
「魔力で身体を強化しているだけですわ」
レイランの問いにさらりと答える。なるほどこうやって欺いているのか。
「結城! 細かいのは任せましたわ!」
密集している兵士はレイランが一網打尽にし、周囲の敵兵を大雑把に新月が弾き飛ばす。
そして結城がうろたえている兵士に斬りかかる。
「うらぁ!」
レイランに教えられた技術を存分に活用し、斬撃を加える。
「がぁ!?」
勢いで倒れる兵士。すかさずトドメの一撃を加えるために剣を振り上げる。
「ヒィッ!」
その刃が敵を両断する寸前、剣は止まった。
「こ、こんなところで、死ねない! 俺は、俺の理想が……!!」
怯えながら、竦みながら、蹲りながら、その兵士は必死に生きようとしていた。活きようとしていた。
「くっ……!」
「結城! なにをしていますの!?」
この世界に居る全ての生き物が理想を抱いている。命までかけるほど成したい理想がある。
ここに居る全ての兵士が自分と同じようにそれぞれの理想を抱いている。
「お、俺は……」
自分がそれを断つ。命より重い理想を、命を断つ事で、かけがえの無いひとかけらの理想を奪う。
それはただ命を食らうため、生きるための殺生とはまるで違う。世間での人殺しともまた違う。
かつてこの世界を案内してくれた小さな妖精の言葉を思い出す。
「戦争なんて結城に出来るわけが……」
「戦争とバトルじゃ全然違うじゃない! 命のやりとりよ!?」
「戦争に参加するのも断固反対よ!」
彼女はこれを危惧していたのだ。
この瞬間、自分が刃を止めてしまうことを予感していたのだ。この迷いを。
「チェリー……」
「マスターッ!」
激しい鉄のぶつかる音が鼓膜に響き、意識が外側に向く。
レイランが銃弾を弾いていた。
「ご無事ですか」
「あ、ああ、ごめん」
「レイラン」
新月が遠くの建物からの狙撃を、パーヴァートの能力で強化された鞭で打ち払う。
「結城と一旦退きなさい」
「新月、あなたは……」
「心配要りませんわ。この程度の窮地、軽々と踊って見せましょう。だから早く!」
「……この借りは必ず」
レイランは結城の手を引く。
「マスター、ひとまずはこちらへ」
「…………」
敵兵を掻き分け、建物の内部へ通じる出入り口に駆け込んだ。
それを見届けると、新月は夜空に浮かぶ月を眺める。
「良い月ですわね。こんな夜は、静寂が好ましいですわね」
周囲を見渡せば、敵、敵、敵……騒々しくて月見どころではない。
「では参りましょう。パーヴァート・魅惑の新月が奏でる妄想劇場、とくとご覧あそばせ?」
振るう鞭に光が宿る。滲み出るような赤い光。空間が歪み、妄想が現実を染め上げ始めた。
ほとんどの敵兵は屋上に行ったのだろう。静かな建物の中、結城とレイランは通路の片隅に居た。
「マスター、如何されたのですか」
結城は壁に背を預けながら、ずるずると座り込んだ。
体に力が入らない。こんな状態では戦えない。どころか周囲の足を引っ張ることになる。
「いや、なんか……」
手が、体が震える。寒くも無いのに、嫌な汗が流れる。
「出来ると思ったんだ。理想のためになら、人を殺すことも必要になると、でも……」
結城は気付いてしまったのだ。その意味に。この世界での、命を奪うということの意味を。
「恐ろしいですか。人の理想を断つことが」
彼女は造作なく、一言で確信を突いた。
レイランは跪き、結城の正面に来る。
「この「理想を叶えられる世界に転生した」ということの意味。その命の意味を、マスターは今、実感されているのですね」
この世界で命を奪うことは、相手の理想を奪い去ることに他ならない。
願いを踏み躙り、祈りを握り潰し、望みを断ち切る。あまりに残酷な所業。
命のみならず心まで殺す。魂の拠り所を奪う業だ。
それを、そうとは知らず、あやふやなままに戦場に降り立ち、あやふやなままにそれを奪い去っていくなど、許されることじゃない。自分が何よりそう思う。
「命よりも理想を重んじるが故に……マスターは本当にお優しい方ですね」
優しい、のだろうか。自分はただ臆病なだけではないのか。
なぜなら自分もそうだからだ。自分の命もまた、理想の上に成り立っている。
殺されれば、もう二度と理想を叶える機会は失われる。
だがそれよりも、自分が誰かの理想に屈するのが怖ろしい。
それでも自分が誰かの理想を奪うことも恐ろしい。
恐ろしい、怖ろしい、恐ろしい……
「マスター」
震える結城の手に、暖かい温もりが伝わった。レイランの手が優しく添えられる。
「私はマスターの従者にして剣……ですが、一つだけ、我侭をお許しください」
「レイ、ラン?」
「貴方には、貴方の果たすべき理想があるはずです。過去の自分が成したいと、命まで賭すほどに叶えたい理想が」
勿論だ、と結城は頷いた。記憶にまだ抜け落ちた部分があるが、それだけは確かだ。この理想は、自分の命よりも大事な理想だ。
「ならば、それを誰よりも大切にしてください。誰の理想よりもです」
「誰の、理想よりも?」
「そうです。貴方の理想は、貴方が最も大切にするべきです。誰かの理想を優先させてはなりません」
レイランは怒っていた。結城にではない。結城の理想を邪魔する、結城の中にある何かだ。
価値観、思想、常識、モラル。様々にある己を縛る鎖の中で、結城の抱く理想に泥をつけようとする何かが、結城の内面に存在すると。
「マスター。私は誰よりも貴方を敬愛しております。貴方のその優しさも、素晴らしいと思います。ですが」
レイランの手に力が篭る。
「貴方の中にある何かが、貴方自身を苦しめるというのなら、そんなものは斬り捨てます。貴方の邪魔をする者は、敵は、全て私が斬り捨てます。だから……どうか、恐れないで」
戦うことを、自分の理想を押し通すことを恐れないでほしい。
それを邪魔するなら、私は彼の中の何かすら斬り捨てよう。
「俺は……」
結城の口が言葉を発する。答えを出すために。
「俺は、いいのかな。我侭になっても」
「はい」
「誰かを傷つけても」
「ええ」
「理想を貫いても」
「無論です」
「命を……奪っても?」
「お望みと在らば」
レイランは即答する。
それがさも当然かのように。慈悲深い女神のように。その蒼い瞳は優しさに満ちていた。
その微笑は、心を溶かしてしまうほどの慈愛そのものだった。
「貴方の意志は、貴方の意思で貫くべきです。そのようなことは、赦しを乞う必要もないのです」
彼のその優しさは、きっと心に多くの傷を負わせ、恐怖を植えつけたろう。
その優しさにつけこんだ者がどれほど居るのかは知らないが、それは既に過去のこと。
ならばこの世界では、私が彼を護ろう。
孤独の中で理想を追い続けた彼の、傍らに寄り添おう。
突如、建物が揺れ、上の方から音が聞こえた。戦いが終わったのか、それとも……
「マスター、先ほどのご無礼をお許しください。私は上の様子を見て参ります」
レイランは立ち上がり、屋上へと向かう。ふと立ち止まる。
「マスター、どうかご武運を」




