7話目 方針変更
帰り道、結城の右肩にはチェリーが腰掛け、左には椿がいた。
空の日は傾き、三人の背と、西洋風の石の道や家々を赤く染めている。
「で、どう?」
「んまぁ、難しそうなこともなさそうだし、いいんじゃないかな。あ、そういえば月給聞いてない」
「月給は20万PT。手取りは16万PTといったところです。私の給料は40万PTですが」
「それは高いのか? 安いのか?」
「公務員としては低いほうでしょうが、最近の民間企業としては水準よりやや上といったところでしょうね。あとはああいう業種には多少の手当てが出る場合がありますから、きっと18万PTくらいにはなるでしょう」
「へぇ、じゃあ食うには困らないってことか」
「それどころか多少の贅沢は出来てお釣りがくるでしょうね」
「そうか……よし、決めた。俺はあそこで働くことにする」
言うと、椿はまったくもって意外、そんな表情をした。
「な、なんですかね」
「いえ、あまりにすんなり決まったので。きっと好き嫌いを言って長い戦いになるのかと」
「まあ、なんか楽しそうな職場だしな」
「サキュバスといやらしいことしようなんて企んでるんじゃないの?」
「失敬な。いやらしいこと抜きに、サキュバスを見てみたいし、接してみたい」
「ほんとー?」
やがて自宅にたどり着く。時は夕暮れ、飯が恋しくなるくらいの時間だ
「私は夕飯の支度をしますから」
「わかった。俺は自分の部屋で暇を潰しているよ」
椿と別れ、結城は階段を上がって自室に入った。
「あー、疲れた」
どてーん、と畳の上に寝転がる。
「ねぇ、結城」
「んー」
「本当にあそこで働くつもり?」
浮遊しているチェリーは不満そうに問う。
「なんで?」
「いや、なんでってことは無いんだけど」
「俺だって働かずにいられるなら働きたくないけど、そうも言ってられない。せめて最低限生活できるくらいは欲しいし、そう考えればあそこは面白そうだし稼げるみたいだし」
「で、でも、やっぱり変よ! 人間が人間を家畜として飼育するなんて!」
「ふむ」
寝そべっていた結城は上体を起こし、チェリーを見る。差し迫ったような、あるいは悲壮な表情で。
「自分と同じ種族なのよ? もっと複雑な心境じゃないわけ!?」
「それはまあ、思うところが無いわけじゃない」
「じゃあ、何かもっと、別の仕事を探しましょうよ!」
「でもそれはこの仕事をしない理由にはならない」
「っ!?」
「そりゃ確かに人間が食糧として人間を飼育するってのは、歪かもしれない。でもそれは一つの価値観から見たもので、見方を変えればとても有意義なことだ」
「じゃあ! あなたは罪も無い人間が、ただ魔物の食糧になるためだけに育てられて、殺されていくのは別に構わないっていうの!?」
「……」
結城は考えるような仕草をする。言葉を選んでいるようだ。
「構う」
「……」
「でもそれは牛でも豚でも鳥でも同じだ」
「なっ……」
「俺は人間だが、人間を贔屓するつもりはない。全ての生命がどんなに尊くても、そうでなくとも、それが生命である限りは平等だ。命は命。それ以上でも、以下でもない」
チェリーは慄く。この男は狂っている。心底そう思った。あるいは、正しすぎるが故に、壊れている。
「あんたは、ぜんぜん人間らしくない」
「人間である前に、俺は俺だよ」
住人が皆帰ってきた。椿の部屋で皆が食卓を囲っている。つい先日は和気藹々としていたのに、今日は妙に剣呑な雰囲気で満ち満ちていた。
たまらずグレイは結城に耳打ちする。
「なあ、チェリーとなんかあったのか?」
「んー、まあ、無いこともないけど」
チェリーの表情はまるで離婚を切り出す寸前の妻のように不機嫌だった。そのオーラが否応にも周囲を圧倒している。
そして、その空気をまるで無視してローレライが言葉を発する。
「なにかあったんですか? チェリーちゃん」
「別にッ!」
叩き付ける様に言うチェリー。
「何も無いようには見えませんけど……」
「何も無いったら何も無い!」
「大方あれだぜ。同じ人間なのに食糧として飼育するなんておかしいとか思ってるんだぜ?」
蓮華が言うと、チェリーがむせる。一同、なんて分かりやすいんだとある意味感心する。
「いくらなんでも分かりやすすぎるぜ」
「うっさい! 私は反対よ! あんなところで働くなんて絶対認めないから!」
「ええ……」
結城が不服の声を上げるが、チェリーは味噌汁を啜り始めた。それを見たグレイが笑って言う。
「まったく、困ったペアだなぁ?」
「余計なお世話よ」
「なあピクシー。お前はあの飼育された人間はかわいそうな奴らだ、とか思ってるんだろ?」
「…………」
「じゃあ、アレのおかげで食うに困らなくなった奴らは、可哀想じゃないって? どうでもいいっていうのか?」
「そ、そういう問題じゃないわよ!」
「違いますよグレイさん。これは結城さんに対する個人的な嫌悪ですよ」
「?」
「魔物が育てるならいいんでしょう。ただ、同じ人間である結城さんが、人間を飼育する、そのこと自体が歪だと感じているんですよ。同じ種族、すなわち仲間である者たちを、餌とみなしていることに嫌悪している。違いますか?」
「……そうね。たぶんそうよ」
なるほど、と内心思った。結城もまた、チェリーがどうして憤慨しているのか良く分かっていなかった。さすが魔物と意思疎通できる魔女は違うな。
「それで、結城はどうするんだ?」
「俺は……」
「別に私は良いと思うぜ? 私は人肉好きだしな。出来ればちょっと職場からくすねてきてくれるとありがたい」
悪戯っぽく言う蓮華。しかし、チェリーは一歩も譲らない姿勢のようだ。仏頂面で米粒を頬張っている。結城もやはり譲るつもりは無い、というか、それ以外に選択肢が無い。
「チェリー、俺はただ……」
言葉が出てこない。必要な収入があればそれでいい。ただ仕事はしたくない。よほど珍妙で面白い仕事でなければ、労働さえままならないのだ。
「一つ提案がある。俺の相棒に……」
「働きたくないんだろ?」
グレイの言葉を遮って、蓮華が結城に問う。
「うん。働きたくないね。働きたくないでござるね」
「じゃあ、労働以外で金を稼げばいいんじゃないか?」
「労働以外で金を? そんな方法あるのか?」
「あるぜ! 一年に一度、一攫千金を狙える最高の稼ぎ場がな!」
椿が察したようで、蓮華の提案に異を唱える。
「蓮華、それはもしかして……それじゃあ結城には無理です。貴方には勝てない」
「じゃあ、私の代わりに出ればいい。私はもう何度も優勝してるし、この国内の道場は全部踏破したし」
「あー、あれか。なるほどな。それなら働く必要も、戦場にいちいち出向く必要も無いわ。けどなぁ……」
周囲の人間は何かしらを共有しているようだが、結城にはなんのことだかさっぱりだ。
「なぁ、一体なんのことだ?」
「朝に話したろ? 私はコロシアムのグランプリで稼いでるって。それでお前が優勝すればいいんだ」
「グランプリで? 俺が?」
「ああ。優勝賞金は1億PTだ」
「ど、どっからそんな金が……」
「そりゃ貴族が娯楽で観戦するためにやってるからな。この国の有力な貴族の資産なら、国の資産を軽く越えるぜ?」
「なんだそれは」
思わず真顔で言ってしまった。しかし、バトルか。
「どうだチェリー? これなら文句ないだろ?」
「……まあ。でも結城なんかが優勝できるの?」
「そりゃ私が鍛えるし、大丈夫だろ!」
根拠の無い自信に半ば呆れるが、チェリーの表情が心なしか柔らかくなった気がする。
「いいわ。それなら妥協してあげる」
「よしっ! そうと決まれば明日から早速特訓だぜ! 朝の6:00に私の庭に集合な!」
あっという間に勝手に約束を取り付けられてしまった。結城はとりあえずそういう方向性で行くことにした。
早朝6:00 蓮華のベランダの庭。
「クッソ眠い」
やはり眠い。死ぬほど眠い。いっそ死んでしまいたい。
「よし来たな! まずは柔軟だ!」
早速と蓮華は結城を座らせ、足を伸ばさせて背中を押す。
「あう……痛い。いだっ! いだだだ!!?」
「えっ、冗談だろ? まだ爪先まで手が届いてないぜ?」
「い゛た゛い゛ぃ゛い゛い゛い゛!゛!゛!゛」
「これは先が長いぜ」
そして1週間は地獄の柔軟トレーニングが続いた。朝昼晩の3回に分け、時間をかけて筋肉を伸ばしていく。
結果、開脚から前後開脚。ヨガのようなポーズまで、体が軟体動物さながらの柔軟性を得た。
「死ぬかと思った」
「そう言いながらうつ伏せのまま足を前に出したそのカタツムリみたいなポーズと前進やめてくれ」
次は基礎トレーニング。
「持久力をつけて継続力を養うぜ!」
「で、どうして走るだけで俺と蓮華の腰が紐で繋がれてるんだ?」
「それはお前が諦めないようにするためだぜ」
「どういう意味だ?」
「まあ走ってみりゃわかるさ。行くぜ!」
蓮華が走り出し、紐が突っ張る。結城の体はまるで馬にでも引っ張られるかのように引きずられかけた
「おっとと!」
「コースはこの国の壁に沿った外周だぜ」
この国を囲った外壁に沿って、二人は走っていく。東部から南部、南部から西部で、やはり体力の限界が来た。
「割と持ったな」
「ちょ……ちょっと休憩……」
「駄目だぜ♪」
走るペースを緩めた瞬間、紐に引っ張られて体が引きずられた。
「いだだっ!?」
「休んだら意味が無いぜ。これは心の持久力もつけるんだからな」
「そんな!? 死ぬ!死んでしまっ、げほっ! げほっ!」
唾が気管支に入ったようだが、そんなことはお構いなしに蓮華は走る。
「よし! ペース上げるぞ!」
西から北、北から東……
最終的にはズタボロになりながらも両足で体を支えて、アパートに戻ってきた。
「急に止まると体に悪いから、少し歩いたんだが、これは」
「ぜひっ……ぜひっ……」
そして昼飯。あまりの疲労で飯も喉を通らない。が、やはりそうもいかないようで。
「飯を食わないと筋肉っていうか、体と力に栄養がいかないぞ。力を育てるには鍛錬と飯が一番なんだぜ?」
昼飯を食って一時間休憩。次は柔軟をしてからの筋力トレーニング。
「とりあえず力さえあれば大抵のことはなんとかなるからな。特に足腰は大事だ。土台がなってない主砲が砲撃しても大した効果は無いって奴だぜ」
なるほど、なんとなく理屈は分かった。
「ぐぅぉおおおお!!」
結城が逆立ちしているところに蓮華が足首を持ち、下へ付加を駆け続けている。
「ふんぬぅうおおおおおおお!!!!」
「ははは! よしよしいいぞ! その調子だ!」
そんなトレーニングが二週間続いた。体調が崩れたときは蓮華のお手製漢方料理とローレライの魔道食とかいう代物でドーピングじみたことをした。
鍛錬を始めてから3週間。蓮華の庭に立つ結城の体は、前とは見違えるほどに逞しくなっていた。
「お、おお!」
「よし、無駄のない筋肉だな」
「見た目は変わらないはずじゃ」
「結城がそういう姿を無意識にイメージしてたんだじゃないか? 理想の体型をイメージしながらトレーニングするのは効果的らしいしな」
と、半ば無理矢理に納得させられながら、そういえばと結城はある質問をした。
「そういえば、次のグランプリっていつ?」
「んあ? そういえば確認してないな。ローラ、知ってるか?」
「あ、はい、来週末ですね。あと今回は二人一組で勝ち抜く形式みたいですよ。賞金も3億PTになってます」
「……あっ、マジか」
「えっ?」
蓮華とローレライが不穏な空気を垂れ流してくれる。
「蓮華ちゃんが一緒に出るから結城さんを誘ったんじゃないの?」
「いや……まあそうだな。そっか、もうそんな時期かぁ」
一人感慨深げに空を見上げている蓮華だが、こっちは急すぎて思考停止しかけている。
「えっ、ちょ、こんな付け焼刃で俺勝てるのかな」
「私もいるし心配ないぜ! 下手に技術を教えるより殴り合いを教えたほうが良いか」
「蓮華ちゃんっぽい挌闘スタイルになりそうだね」
不安が募る結城だが、今はこれ以外できることがない。その日までひたすら鍛錬するとしよう。
「あ、そうだ。相手は武器を使ってくるタイプもいるから、グレイ辺りに対策教えてもらおうぜ!」
ということで、グレイが臨時の先生となった。蓮華の庭の塀を背に立つグレイと、正面に並んで膝を抱えて座る蓮華と結城。横でローレライが観察している。
「まあ蓮華はともかく、結城は武器相手じゃ命を落としかけないな」
「え、そんな危ないの?」
「基本的にはなんでもありだしな。相手が降参するか、動けなくなる以外に決着の方法はない。結果どっちが死んだとしても問題にはならない」
急に眠くなってきた。帰って寝ようか。
「まあ心配するな。蓮華がいればよっぽどのことがない限りは死なんさ。さて、それじゃぼちぼち始めるか」
グレイが腰に下げていた何かを結城の前に放る。見れば大きめのサバイバルナイフに拳銃、手榴弾。
「貸してやる。馬鹿正直に素手で挑むことはない。ここぞと言うときまで隠しておけ」
「あ、ありがとう……拳銃とか使えるかな」
「0距離なら誰でも当たるさ。よし、それじゃまずは……」
こうして様々な対策を教えてもらい、その練習をしていると、あっという間にグランプリ当日になってしまった。
「す、すごい客の数だな」
結城と蓮華、ローレライ、そしてグレイは、北方のコロシアムに来ていた。ローマ風の建築物が並ぶこの地域で、最も大きい建造物であるコロシアム。その客席を埋め尽くす人、人、人……
「アレ全部貴族?」
「まあ5割は。貴族は北方だけじゃないし、貴族以外にも商人や物好きな民衆もいる。子供だっているし、あそこの一際高いところには国王がいるぞ」
そういえばここは国だった。国があれば国王がいる。当然のことだ。
「さて、どうすれば……」
「どうもこうもない。目の前の敵を吹っ飛ばす! それだけだ!」
蓮華は楽しそうに言ってのける。本当に心からバトルを楽しみにしている。
「じゃあ、行くぜ!」
年に一度のグランプリ。最強を決める舞台が始まる。