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それは、雨上がりの晴天の日だった。
ここの所、ずっとスコール(夕立)ばかりらしい。
ふと気がつけば土砂降りになり、ふと見れば晴れ間が大地を覗いていて。
木々は赤く染まり、草木は赤色に濡れ、大地は赤黒く鎮座している。
先程まで荒れ狂っていた人ならざる何者等かと、それを迎え撃った人間族らしき者達。
今ではその人間族のほとんどが大地に転がり、それはまるでゴミの溜まり場のような有様となって果てているのだ。
気まぐれに放浪していたワイは、偶然そんな真っ只中に登場してしまった。気がついた馬鹿共は、そんな不意に現れた存在へ向かって攻撃してきたが、なんのことはない。土に還る者が悪戯に増えただけに終わった。
その後すぐ高い岩に登って、傍観。雨風凌げるここで、ひたすら嵐が過ぎるのを待った。
見れば人間族は城を持っているようだった。ともなればこれは防衛戦。人間族らは、人ならざる者達から城を守る為にここで戦い果てたようだ。
援軍が来ないところを見ると、時間稼ぎだったのだろうか。
城は目前。凄惨たる様はこんな目前。見えぬというならばそれは、盲目以上に盲目だ。しかも敵勢、まだまだ多く居る。沢山居る。虫のように蠢いている。いずれは分厚い壁を乗り越え這いまわることとなるだろう。それが始まるまでもう少しといったところか。
人ならざる何者か達、人間を食う様子ではない。
彼らもまた国の一個軍団兵。武装して戦う兵士。見た目以上に知能ある存在だということは、異世界からやってきたばかりのワイから見ても分かる。
そして、更によくよく見て分かった。
その蠢く陣営はゆっくりゆっくり、誰かを追い詰めるように動いているのだ。先をじっと見つめ、その追い詰められているであろう対象を探してみる。
生存者は恐らく、この1名のみ。たった一人。恐らく一万の兵のウチの一人だったのだろう。他は皆死んでしまった。ほんの数分前の話だ。
では未だ多く残る軍勢の数は、どれくらいの数なのかと問われたら、さあ、それは分からない。。だがざっと見ても五万を下らないと見える。最初はもっと居ただろう。
そして、今ではたった一人の人間族。ソレ相手に大勢で取り囲んで、これではまるで見世物のようだ。
……人間族の生き残りは、なんたる事か。女らしい。
随分とべっぴんの、年齢15,6といった所。若すぎる。
銀色の長い髪。銅色の甲冑。瞳の色は紫。見れば人間族と言うよりは、エルフのような長い耳を持っている。身長160㎝丁度といったところか。
返り血なのか何の血なのか、甲冑は綺麗な血色の明細柄となっていて、手にある剣は根本付近で完全に折れ、とにもかくただただ突っ立っている。
まるで大げさな生贄だ。まるで魚釣りだ。
あの少女が何かへ誘っている。そう見える。
かと思えば簡単に囲まれ、しかも簡単に捕らえられている。
武具武装をそれは手軽に引き剥がされ、手をロープで縛り付けられ、吊るしあげられて、何が面白かったのかは分からないが、敵勢大勢に大笑いされている。
なのにあの少女と来たら、何とも思っていないかのような素振り。まるで無表情。年頃の娘ならば今の段階、絶望めいた表情をするなり、せめて頬をバラ色に染めて悔しがるなり、何かしらそれらしいリアクションをするべきである。
ならばどうして無表情で無関心そうな態度なのか。現状を舐めているのだろうか。
あれほどの上玉とあらば、この後の光景はまず間違いなく判断出来る。戦場とあらばつきもののアレだ。
とはいえ別に助ける気がないワイは、遠くでそれを眺めていた。どうなろうが知ったことではないし、辱めを受けようが、今すぐ首を刎ねられようが、関係ないし興味もない。部外者のワイには助太刀する意味がない。メリットもない。そう、何もない。
ただ、この世界の現実を知ろうと思ったまでだ。それ以上関与する気はない。
見たところ自分は、随分ファンタジーな世界にやってきてしまったらしい。
人ならざる存在は旅途中でも嫌なくらい見てきたし、中には本格的に化け物らしい化け物も居た。にしてもこの世界、エルフなり相手は狼男みたいな見てくれ大勢。それも中世の戦争らしい戦争真っ只中。
あれほど若い少女さえもが戦陣に立つことを余儀なくされ、挙句は辱められ命を終えるような時代。腐りきった時代。力が力をねじ伏せ蹂躙する、クソのような時代。
が、だからといってどうでもいいのが事実。
適当に見て回って、道具を奪うなり買い漁るなりして、次へ行こう。この世界でエルフ達が奴隷になろうが人狼が滅びようが、それこそこの世界が一片残らず消え失せようが、ワイにとってはどうでもいい。体力の無駄にしかならないとさえ思う。
単純に言えば、ワイには殺さなければならない奴がいる。ソイツを追いかけてこの世界に迷い込んでしまったワケだが、残念ながらソイツがこの世界にいるらしい気配が微塵も感じられない。一度ここに来たかのような痕跡はあったのだが、所詮ただの通り道だったのだろう。
それに、アイツがこの世界で大暴れしてしまえば、ほんの3日程で新王国を築き上げると思われる。世界を征服してしまえると思われる。
ワイからすれば話にならない程度の奴だが、数多の軍勢に加え、奴自身もまたかなりの実力者。奴は余興の為とあらば、いたずらに世界へ干渉してひたすら無茶苦茶にしてしまいかねない。この世界は何とも楽しそうであるからして、奴が遊ぶには持って来いの場所。
だが追跡者であるワイの気配がよほど近かったからか、無意味な余興さえ楽しむ暇は無かったと見える。この世界は幸か不幸か、無事なままだ。
さて、とワイは立ち上がる。
何度もいうが、あの少女がどうなろうが一切の興味はなく、そして罪悪感など皆無。
弱いから殺されるのだ。弱いから蹂躙されるのだ。勿論、弱い事を罪とは言うまい。強いていうならば、生きた事が罪だ。
生命とは生きる事で争う。人間は特に、知性を備えてそれを武器とした。故に、生きるとは、知性とは、苦痛となる。苦痛を背負って生きている。
なれば突然にやってくる理不尽とは、常に自然である。
それに抗おうだの嫌だ嫌だ声を張り上げる行為は、自然の逸脱。それらを測り、回避しようなど言語道断。ふざけた世界だ。ふざけた理想論だ。反吐が出る。
世界は理不尽であるべきであり、生命はその理不尽に呑まれて然るべきであり、そして滅びや嬲り、何ならあの女が今から受けようとしている一方的な辱めでさえ、なんら取るに足らない事象と思うが普通であり、ワイがここで何もかもを鼻で笑い全てを容認する事は、どこにも間違いはない。
違うと思うか。ではこういう話はどうだ。
ライオンに襲われるシマウマを仲間たちは見捨てる。なぜか。死ぬのが怖いからだ。見捨てず戦っても犠牲は増えるだけ。そうして罪を重ねて生きていく。
が、それが自然なのだ。誰に何を言う権利があるというのか。
これを否定出来る者が、ワイを否定するといい。ライオンがシマウマを襲う事に異議があり、そして本来の在り方を矛盾なく説ける者のみが、ワイを批判し成敗せよ。出来ぬなら口を閉じて去るがいい。棚に上げて語る理論は、ワイは特に嫌いなのだ。
………。
少女がコチラを見た。
距離なんて1.5マイル(約2.2㎞)も離れているし、周りは狼もどきの軍勢。視界を遮る物は多いし、別に視界を遮らなかったにしても、目の前の狼野郎共を無視して、遠い遠い極小にしか見えぬであろうワイを不意に見つけたにしては出来すぎている。というより、発見そのものが不可能。あり得ないに等しい。
そう、どう考えても見えるワケが無い。仮に見えていたとしても、何だという話になるが。
だがソイツは確かにこちらを見て、初めてそんな状況において、
笑ったのだ。
どうして笑う。いいや、何がそんなに可笑しいと思えるのか。
絶体絶命の中、誰も助けが来ない中、今まさに全てを穢されようとしている今の段階で、女の身であることを全身全霊に呪いたくなるであろうこんな状況で、どうして笑う。どうして笑った。何故こらちを見る。何が可笑しい。何がそんなに面白いのか。
ワイに何か、何を思ったのか。
気になる。
そう、気になった。
何を思い、なぜ笑ったかが気になった。
たったそれだけの事で…。
「足を切り落とすか」
「やめろやめろ。すぐに死んでしまう。それではならん。エルフのお姫様には、せいぜい苦しんでもらわねばならんだろ。それこそ、永遠にな」
会話から察するに、少女をいたぶり慰み者にする事は確定事項だったらしい。趣味の悪い。
しかもあの少女はお姫様ときて、エルフとまで来た。挙句、言語は自分とまるで一緒。異世界とはいえ、大きく違うというわけではないらしい。
いやむしろ、ワイが知らない言語を使われていたらどうしよう、と思っていた所だった。
いい情報だ。言語が同じという事は、脅しが通じるということ。
幸いなことでしかない。実に良い。なんて運が良いのだろう。言葉が通じるというだけで、脅しが通じるという事実があるというだけで、実に幸運。
恐怖の声が聞けるだけで、十分に愉しめる題材となる。
誰が愉しむのかと問われれば、自分がだと答えを返そう。
相手は愉しむ暇などありはしないだろう。あって恐怖の時間を堪能する事くらい。ああ、なんと不運で、なんと可哀想な狼族。可哀想過ぎて、笑いがこみ上げてくる。
「がはは。だがこの怪力に暴れられては困るじゃないか。指だけでも落としておくべきじゃあないか?」
「それくらいなら良いか、よし落とせ。だが止血と処理をしておけよ」
1.5マイル。それは決して近い距離ではない。
普通の人間が全力疾走で、5分といったところだろうか。走り切るまで5分。しかもその時点で力尽きているだろう。よほど訓練された兵士でもかなりの距離だし、甲冑有りでは7分程度は平気で掛かると見る。
ダラダラ走っていれば15分も掛かるだろうし、歩けば20分は余裕で取られるに違いない。普通ならそうなる。
が、ワイは違う。
もはや人間の限界を超越しているし、それ以前に人間ではない要素を多数含んでいる。ハッキリ言えば、人間でさえないのがワイの現状だ。
ワイの世界ではこの卓越した異常の力のことを、デストロンスと呼ぶ。
この力は、通常知られているような空想上の魔法、魔術、法術といった異能の能力とは、あまりにもかけ離れている代物である。
簡単にいえば、感情を消費することで成り立つこの力は、絶対的なまでに他を妨害し、そして他に妨害されやすい特性を持つ。しかしコチラのやり方次第で、防ぐ事不可能、不干渉の産物とも成り果てる。合わせる事も原理上可能だ。
9種類の属性を持つデストロンスのうち、人間は1種類が自動的に生まれた瞬間かそれくらいには勝手に決定されており、変更不能。そのへんは才能のようなものだから仕方ない。諦める他にない。
だがそのデストロンス使い、通称を覚醒者は、もはや人間ならざる存在になってしまうのだ。望まずとも、自然に。それもまた変更不能。諦める他にない。
その中でもワイは極上。極上中の極上。圧倒的過ぎて、もはや誰にもワイは殺せない。
身体能力は自動的に向上させられているし、意識してそれを更に強化可能。
1マイル程度であればワイは10秒で駆け抜け終わる。それこそ最高速度のワイの一歩は10ヤード(約9m)にも及ぶ。駆けるというよりは、もはや跳躍。低空飛行する鷹のように、大地を踊り駆け抜けるかの如く。
そんな速度においてワイは、一族直伝である影縫いという技を使う。これは人混み、木々の間をすり抜けるように走る技術。これに類する技術を他では見たことはない。
強いて似ていると無理矢理こじつけるなら、ラグビー等の動きとなるだろうか。ただ、物理法則を完全無視するデストロンスを使用する事で、明らかにそれ以上の動きを実現させてしまう。そしてワイが持つインサイト、眼力があるからこそ出来る技でもある。
だから大群に突っ込んだ際も誰にぶつかるでも無くスルスルと、煙のように動けた。だからこうして目標まで一瞬にも等しい速度で接近することが出来た。障害物を無視したかのように移動出来た。
一瞬で全てを把握し、この身体が抜けられる道筋を探して選び出す。急速な方向転換に加え、ノンストップ。速度を一切落とさず走り切る。上手く決まれば決まる程清々しい。
こうして相手は、知らず知らずの内に死んでいく。
いつでもそう。いつでもこんな具合に、ポキリと。鉛筆の芯のように。
「ああ、指やったか?すまんなあ、変更遅すぎて、腕の方をすでに落として終わった所や」
間をすり抜けていった際、きっと皆、ワイが見えていただろう。だが一瞬過ぎて、気のせいと思ったに違いない。
それがこのザマ。見れば少女を甚振ろうとしていた馬鹿2名、このザマ。もはや無様とでも言ったほうがしっくりと来る。
相手は強固そうな甲冑を身にまとっていた。一方のワイは、安そうなバンダナに黒緑にタンクトップ、普通のジーンズという、ひどいくらい場違いな格好をしている。チャームポイントはこの鼻下のチョビ髭だ。
「ご丁寧に、首ごとな」
ゴトリと転げる2つの首と、ボトリと転げる4本の腕。
苦しませて死なせてやればよかったかもしれないと思いながら唾を吐き捨て、剣を構えた。
武器はレイピア、のような、フルーレのような、エペのような何か。
これはワイの一族にのみ伝わる、一族にしか生成不能の武器。デル=アサシン=ドラグーンソード。殆どフルーレとそっくりだが、材質、細かな形状は違う。これは竜を狩るための道具。それ専用の道具。故に、フルーレと同一ではない。基板がそれというだけの、完全なる別物だ。
根本的に大きく違う点は、細剣にはあってはならぬ程に切れ味バツグンな所になるか。本来突きに特化している筈のそれは、巨大な竜の身体の中身をかき回す必要性があったためにそのようになっている。
犬男の身長は2m前後。竜は20mの大物。
比較してしまえばまるでチリのような小さい2名は、ゴミのように肢体をバラされ、花のように眠る。いいや、そんな綺麗な比喩は似合わない。
地面にぶちまけられた、鯖の缶詰くらいがお似合いだ。
何度も言うが、コイツ等に一切興味はなかった。そして、殺してしまった事による罪悪感もなかった。死んでしまうかもという恐怖なんて当たり前のように無いし、死ぬ気こそさらさら無い。これはもはや、必然と同じ。
因果はともかく、こうなる事はワイが動き出してしまった時点で決定されていたのだ。だから気にすべき事は何もなくて当然。全ては機械的に処理された。ただそれだけの事。
「何者だ貴様!!」
大勢が槍を振るい、一気に向かってきて、だが取り囲むだけに終わる。ワイなど170㎝とちょっというチビ具合だというのに、怖いのか。
底が見えないとあらばお前等は、その牙も腰も折れてしまうのか。
情けなさすぎて笑えもしないぞ、犬ッコロ。
ふと見れば少女は、あの犬男からその手を離され、いや、腕と一緒に転げて落ちたらしい。
怪我をしていようがしていまいがどうでもいいのだが、喋れなくなっていては大変だ。
なぜあの時笑ったのか。ワイが見えていたのかどうか。そんな色々を聞く必要性があるのだから、最低口だけでも動いてもらわなくては困る。
「ワイは手元がよく狂う、ただの散髪屋さんやで?」
「……死神」
少女が口を開く。どうやら喋れるらしい。改めて知れて一安心だ。
しかし、随分と酔狂なことを言い始めるものだと思った。
ワイを死神と呼んでいるらしい。ワイを死神だと思っているらしい。
どこをどう見て死神なのか甚だ疑問だ。確かに目の前の馬鹿2名を切り伏せたのはワイだから、化け物的な意味での比喩としてならば、別段間違いではない。
しかし、死神とは。見てくれただの人間族。身長なんざ170㎝と少し。目の前の軍勢、平均2m。これではどっちが化け物で、どっちが死神なのやら。
「そうそう、ワイは死神専門の散髪屋や。死神さんたら首切り落として腕切り落とさんと、髪切れんのやって。忙しい職業やろ?同情したってや。それに、今回はタダでええで?
ただし、皆ここで消えろ。運が悪かったと思って死に絶えろ。ドでかいサイクロンがやってきてしまったんやとそう思って諦めてや?」
ワイのデストロンスの属性は、光。
実に自分には不釣り合いの、無駄に綺麗で清楚なイメージの属性だと思っている。
ワイの本質は闇だというのに。
弾けた光は上に伸び、しかしそれを見た瞬間に、雷槌かのような動きをするソレを、皆が皆受けた。音はなかったが。
光の早さに変化は加えていない。加えたのは、真上に伸びて降りてくるという、光に有るまじき軌道を強制させた事。それらは脳天めがけて全てが落ちていった。威力、貫通する程のエネルギーを加えてやって。
数えずともデストロンス、超万能。数把握は全てこのデストロンスが演算してくれる。ワイに情報が勝手にやってくる。それに合わせてボタンを押すだけのような感覚で、全てが現実となる。全自動だ。
勿論の話だが、このデストロンスという魔法により生み出されたエネルギーに対し、ワイの中の感情の消費量は凄まじい。敵兵は思うより少なく、38,309。これだけの人数をこの一瞬で殺すという神業を成し遂げるのに必要な感情量は、ともかく普通ではない。
それでもワイには可能。余裕で足る量を備えている。
感情を消費して繰り出す攻撃を3世紀も扱い続けているのだ。感情を高める方法を知らないワケが無い。
結果的に、通常の人間では信じられないほどの感情を胸の内に宿している。
許容量も簡単に天井を突き破っている。
普通の人間がこれほどの感情を構築してしまったならば、即座にショート。脳みそが先に死ぬだろう。
だが慣れというものが、ワイら異能者の脳を殺させない。その程度で死ななくなる。
慣れが、人間を卓越させてしまう。驚異的なまでの放出量を実現してしまう。
もはやワイは人間であって、人間ではない。化け物であって、化け物ではない。
ワイという男は、ワイの世界において人類最強の称号を会得した、正真正銘の強者。ステータス過去最高かつ、実質現在も尚人類最強とされている男でもある。
「死神様……」
「アホ抜かせ。人間族やワイは」
鮮血が宙を舞う中で、ワイは少女に細剣を首に添えて、詰問する準備を整える。
だがこの期に及んでさえこの少女は、まるで神に祈るようなポーズを取りながら、笑っているのだ。腕を縛っていたロープは勝手に無くなっているからして、このポーズは少女の意思。
これでは救世主でもやってきたかのような待遇ではないか。
実に勘弁ならない。不愉快極まる。全てを終えたら早々に首を刎ね、ここから消えよう。その方がいいだろう。気分が悪すぎる。勝手な勘違いで感謝されても、何も嬉しくはない。
「質問や。あの岩に居たワイを見つけたって言うつもりか?」
「はい」
「目がエエんやな?んで、なぜ微笑んだ。ワイが助けに来ると思ったか?」
「いいえ。助けにきていただけるなどとは」
「ではどうして微笑んだ?」
非常に気に入らない。
絶望の最中とあらば、その絶望に見合った表情をしながら死んでいけばいいものを。
確かに死に際、笑っていた奴をワイはよく見ている。嫌ほど沢山見てきた。それはそれは素晴らしいことだ。そして同時に悲しいことだ。
何よりそんなクソみたいな思考に、反吐が出る。遊興に浸るその思考が信じられない。
誰かを守って死んでいけるならば。
きっとこれが自分にピッタリの最期だから。
これでやっと家族に会えるから。
ようやくこの苦しみから解放されるんだ。
アホ抜かせ。戯言寝言は床の間で寝ながら言え。
置いてかれた者達の気持ちを知れ。知れば今のその台詞、その行動、まるで酷い仕打ちなのだと理解出来るようになるだろう。
ワイは人間族が大嫌いだ。だが大嫌いだからこそ、最高に好きでもある。
矛盾だと自らも思うのだが、何故だろう、好きと嫌いは根本が同じなのだろうか。
ワイが認めた人間は今のところ、3名。本当に人間らしいと、最高峰だと、そう思ったのはたったの3名。それ以外は良い奴止まりか、死んでしかるべき屑か、評価にも値せぬ空気のような輩か。
そんな屑や空気と思える存在にさえワイは未来を感じ、非常に尊いものだと勘違いしたりする。そんな奴らを綺麗をさえ感じる事がある。
先程のようなアホや戯言寝言が、ワイは本当に好きでならなかった。その滑稽が好きだった。
何も救われていない、何も助けられていないその勘違いが特に好きだった。
そうして後に、誰かが、絶望に打ちひしがれ苦しむしか出来ない様を見るのが特に特に大好きだった。
それこそが罪に見合った、最高の人間賛歌。ワイは人間を否定するし、肯定もする。人間ほど不細工で、人間ほど綺麗な生物はいない。
しかし見てみろ。
この女にそんな素晴らしい物はまるで見いだせない。
誰も助けに来ない。なのにそのまま何も思う所もなく、ただ死のうとしていた。挙句は辱めさえ受けて当然、やられて当然かのような素振りを続けた。ワイを見た時もそう。笑っていた。しかもこの口から助けてもらう事を期待していなかったのだと言ってきた。
なんだそれは。なんなんだそれは。
実に不愉快。まるでクソの役にも立たぬクソのような女だ。このままクソみたいな犬男共の腸に混ぜ込んで、見るも無残なスクラップにしてやろうか。美人なこの様を超絶美人の骨格標本にでもしてやろうか。
だが、そんな拷問が通用しない相手なのだとワイは薄々分かっていた。
この少女はどこか普通じゃないと、そう思っていた。
そう思う理由こそは不明だったし、上手く説明も出来ないし、分析なんて到底不可能。ただ空気が、この肌触りが、嫌な汗を誘うのだ。
狂人を前にして感じる空気に似ていると思う。非常に似ていると思える。だが今まで感じたどれよりも、これは高密度で濃厚で、粘り気が強すぎる。
この少女は一体何を考えているのだろう、と気になったからやってきてみたワケだが、果たしてそんな好奇心のみで軽々と蓋を開けて良いのだろうか。ヤバイのではないのか。そんな風に思ってしまうワイが居る。
心が確かに揺れている。いいやこれは、恐怖による震えだ。怯えているのだ。このワイが、目の前の少女一匹に対して……。
「貴方に一目惚れして、しまいました」
「…………え?……何て…?」
「その、一目惚れを」
……あいや、確かに予想通り普通ではなかったが、予想と大きくかけ離れていた。
というか価値観がまるで可怪しい。一目惚れしてしまった相手にこの女は、嬲られる様を見られようとしていたというのだろうか。だとしたらなんという歪んだ愛情表現だろう。どんなプレイだ。とんだ変質者だ。ド変態だ。とことん気色悪い。気色が悪すぎて、マゾヒスティック過ぎる女だと、もはや感心してしまいそうになる。
しかも恥ずかしそうな素振りは未だに無い。そもそも、今変な事を言っているという自覚さえしていなさそうだ。
この少女にとってのワイがどういう定義なのか全然分からないし知りたくもないが、どうにせよ色々可怪しいのは事実。頭の中が腐っているらしい。それともどこかで頭でも打ったか。そういえば打ったのかもしれない。救出した際に強打したのかもしれない。だがアレはワイの所為じゃない。事故だ。だからワイに罪はないし一切悪くない筈だ。
とにかく、この少女が今とんでもなく気持ち悪い。そもそも用事は済んだのだ。なのでもう殺そうと思った。早い方がいい気がしていた。首を刎ね飛ばし、この世界から立ち去る事は造作も無い。
だが何故だか、それをやってはならない気がしていた。直感でそう思った。
もしもだ。ワイの机上の空論が正しいのだとするならば、この女はワイに殺される事さえ望んでいても可怪しくないということになる。最悪、拷問さえ愛と受け入れてしまいかねない悪寒がする。
後味は間違いなくよろしくない。後々嘔吐しかねないなら尚の事、食するのはご勘弁願いたい。ああとんでもない。勘弁して欲しい。絶対に嫌だ。何か嫌だ。この女超ヤバイ。
「どういうアレか確認するが……、んーと、その、ワイを、好きって事か?結婚したいとか、あわよくば子供が沢山欲しいとか、キスしたり、あー、そういうアレか?」
「はい」
「じ、は? じょ、ま、ちょっと待て……、ちょっとだけ」
どうしよう、もう全てを投げ出して帰ろうか。
でも放置プレイしてもこの女は勝手に満足し、勝手にワイを崇拝しながら死んでいく気がする。魂だけになってもやってきそうな気がする。一生背中に引っ付き、ストーカー紛いの真似さえしでかす気がする。夢に出てくる気がする。そうしてワイが狂っていく気がする。
やめて欲しい。勘弁して欲しい。助けて欲しい。絶対にやめてほしい。出来れば記憶を失って死んで欲しい。出来る限りそんな未来が欲しい。後味悪いどころではない。後腐れあり過ぎて気色悪いことにしかならない。こんな切れない縁いらない。こんな腐れ縁いらない。この体が先に腐り始める気がする。呪いみたいに腐る気がする。ゾンビマンになってしまう気がする。最悪あの世へ引きずられてしまいそうな気しかしない。そういうオカルトな部分を無駄に信じているワイからすれば、ありがたくない話でしかない。怖くてトイレに一人で行けなくなってしまうくらい怖い。いい年こいてトイレ一人で行けないとかダサ過ぎる。
「あー、まあ、そか。返事は後で考えとくわ……。
んで、お前お姫様やって? なんでこんな所で甲冑着て、しかも援軍も無しで、こんな所おるんや?」
全てを今は忘れて、状況把握でも図ろうと思う。
ワイの能力は、光。だがこれは時に関与する力でもある。それを悪用して、世界観移動という本来あってはならない事象さえ引き起こす事がワイには可能。当然、タイムパラドックスなどの色々な制約ある世界に移動はできない。
加えて言うならば、適当な布を異次元から引っ張り出す事も出来る。ほぼ4万の軍勢を成敗するよりは簡単なことだ。
それなのにこんな少女が恐ろしいと思っているワイが滑稽でならない。悲しい。
「ありがとうございます」
それは一体何に対してのお礼?
「ええから質問に答えんかい。何に対して呑気かましとんのやボケ」
剣は適当にしまっておく。今ここで殺すのは気分的に嫌になったからだ。本来ならなんの躊躇い無く行動を起こしただろうが、変にこういう謎めいた存在が苦手な自分には無理だった。
ワイが手渡してやった白い白い布を肩にかける少女は、紫色の瞳をコチラに向ける。
アメジストの色だ。その色にかなり酷似している。
「私が最高戦力だからです」
甲冑を着てここで戦っていた理由はそれ。援軍がない理由は不明。
それにしても、変な表現を口にする娘だ。察するに、お姫様であり最高戦力である彼女はその肩書の所為で、語る機会が少ないのだろう。そして恐らく、友達や親友と呼べる存在は居ない。よほど優遇されているが為に不遇とは、難儀なものだ。
「……お前が最後に残ってたのもそれの所為か」
「はい。皆死にましたが、私は単騎、馬一つにまたがって2万は殺しました」
「2万ねえ……」
見渡せば確かに、数多くの犬男達が死んでいる。
エルフ族らしい死体の数は、先程もある程度で数えていたが、一万以下くらい。どれだけの劣勢により戦っていたかは理解出来る。
この少女は、死ぬのを覚悟でここにやってきて、負けるのを知っていて戦い、犯される事さえ理解した上で呆然と立ち尽くしていたということ。それは絶望の表れだ。どう足掻いても変わらぬ戦況への諦め、ジリ貧になるばかりの国に対する葛藤。
自ら死を選び始めるほどに冷静を欠いた結果。少女はそれほどまでに追い込まれている。
城の兵士ももう数少ないのだろう。こうしてホープたる少女さえもを見殺しにするレベルだ。よほど切羽詰まっていなければ本来、あり得ない事態だ。
だがそうであるからこそ、という観点で物を見た時、この現状はかなり好都合でもある。
なるほどと、ワイは勝手に納得して話を進める。
「よし、城に案内せい。話はそれからや」
「はい…! 分かりました…!」
現存兵力がどれくらいかは知らないが、恐らく今では最弱に等しい国と成り果てているのだろう。そうであるからこそ、余興としてはまずまずだという結論に至れる。
考えてみてほしい。
優位に立っていると確信している馬鹿共を最弱の軍勢が蹂躙する。それはきっと最高の眺めだ。きっと最高潮なまでに、エルフ族達は幸せを感じるだろう。
そうして高いところに登った時、全てを崩す。
精一杯積み上げた筈のワイが、頭の先から足元までの全てを、この手で。
きっと悲鳴が聞こえるだろう。きっと断末魔が聞けるだろう。土砂崩れのような音を聞きながら、旨い酒が飲めるだろう。
そのように仕向けて得をするのかと問われれば、別に。大きなメリットこそ無い。
だが現在、ワイに選べる選択肢はこれだけであった。
…