茶杓と茶器
少しだけこだわっています
茶杓と茶器
障子越しに差し込む秋の陽射しは、どこか遠慮がちに部屋の隅を照らしていた。
大学合格という一つの節目を迎え、張り詰めていた心の糸をようやく解いた冬真は、長年開けられることのなかった古いお家の木箱を、一枚一枚手際よく片付けていた。不器用ながらも実直に日々を整えることだけが、かつて三年もの間、独りで抱え込んできた失恋の悔恨や、暗い霧のような将来への不安を消し去る唯一のセーフティーネットであることを、彼は本能的に心得ていたのである。
「おや、これは……」
煤けた引き出しの最奥から現れたのは、ちいさな桐の箱だった。そっと蓋を開けると、そこには時を経た竹が放つ、えも言われぬ静かな気品を纏った「茶杓置き」が横たわっていた。職人の確かな手技が刻まれたその佇まいは、素人目に見ても、歴史の荒波を越えてきた国宝級の美術品であると思わせるに十分な風格を備えていた。
冬真が思わず目を大きく見開いて息を呑んだその時、背後の襖が静かに滑り、母の由香里が温かいお茶の香りを揺らしながら入ってきた。
「まあ、冬真。それを見つけてくれたのね」
由香里は息子の手元にある茶杓置きを見つめ、懐かしそうに細い目をさらに細めた。内面も外見も、凛とした気品を崩さない母の姿は、いつ見ても我が家の誇りであった。彼女は冬真の隣に静かに腰掛け、その節くれ立った大きな手を自身の両手でそっと包み込んだ。
「それはね、私たちの先祖が代々、命を懸けて守り抜いてきた大切な道具なのよ。……でもね、冬真」
母は慈愛に満ちた声で、静かに、けれど一言ずつ心にくぎを刺すように語りかけた。
「世界には数多くの素晴らしい美術品や国宝級の宝物があるけれどね。お母様にとっては、理不尽な現実(社会の闇)や涙の苦労に直面しても、決して間違った方向へは進まず、こうして毎日を真面目に、誠実に生き直してくれたあなたという存在こそが、何よりも尊い、世界一の『国宝級の宝物』なのよ」
その不器用で底抜けに温かい、母としての至上の甘えの言葉を胸に聴いた瞬間、冬真の胸の奥にあったすべてのモヤモヤとした葛藤や疲れは、ぽかぽかと温かい光に包まれて、一気にすうっと消え去っていった。かつて猛勉強の末に流した涙の苦労は、この瞬間のためにあったのだと、冬真は深く、深く深呼吸を繰り返した。
「……お母様、ありがとうございます。僕はもう、過去を振り返りません。これからはお母様の気持ちを一番に労りながら、間違いのない光の道を一歩ずつ歩んでいきます」
冬真が涙をそっと拭い、温かいジャスミン茶を一口啜ると、庭の生垣の向こうから、合格を祝うために駆けつけた旧友の健二や清子たちの「全問パーフェクトな親孝行だな! わっはっはっ!」という豪快で大きな笑い声が響き渡り、静かだったお家の中は一気に笑いの絶えない幸福な空気で満たされた。
黄昏時を過ぎ、夜空には驚くほど大きくて綺麗な満月がぽっかりと浮かび上がり、お庭のホタルブクロのみずみずしい新緑と、ピカピカに磨かれたお家を優しく包み込んだ。冬真はお母様に守られているような深い安心感に包まれながら、明るい世界を心に描き、明日への確かな一歩を胸に抱いて、笑顔のまま穏やかで深い眠りへと落ちていくのでした。
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