案外、悪いことばかりではない
少し開けた扉の隙間から見えたのは――
『私を貴女だけの騎士にしてほしい。たとえ、貴女と結ばれない運命にあったとしても、私が生涯愛し続けるのは貴女だけだ』
『う、嬉しいっ。わたくしも、わたくしも貴方様をお慕いしておりました。どうか、わたくしだけの騎士になってっ』
跪いて女に愛を乞う男を女は涙を流して受け入れ、男は差し出された女の手の甲にキスをした。
「……馬鹿みたい」
扉から離れたジュスティーナは足音を立てぬよう静かにその場を後にした。彼女を此処へ連れて来た男の従者が非常に申し訳なさそうな顔をしているのが痛々しい。彼は知らなかったのだ。知っていたら、誠実が服を着て歩く彼が連れて来る筈がない。
「気にしないでいいわ」
「ですが」
「ずっと前から知っていたもの。……殿下がミレッラを好きなのは」
涙の一粒でも出れば、可愛げのある女になれたであろう。が、生憎と婚約者アレンへの情が枯渇しているジュスティーナの涙腺は全く刺激されなかった。
「酷ぇ顔してんな」
「あ」
今日はアレンに呼ばれて登城したのだが、きっと呼ばれたのはミレッラであってジュスティーナではなかったのだ。いい加減婚約解消するなり、婚約者を変更すればいいものを。と考えた時止めた。婚約解消も変更も出来ないのだと思い出して頭が痛くなった時、前を塞ぐように壁に男が凭れていた。
気怠そうな色気が多分に含まれた低い声、長身痩躯であるが衣服の下に覆われた肌が鍛えられた男の身体だとジュスティーナは知っている。ジュスティーナの前に立つと従者に手を向け、しっしと払う仕草をした。
「お前はお役御免だ。後は俺がジュスティーナを引き取る」
「しかし、リヴィオ殿っ」
「年上の言うこと聞けよ。行くぞ」
従者が言葉を発する前にリヴィオと呼ばれた男はジュスティーナの腰を抱いてこの場を後にした。
――城を出て転移魔法を使ったリヴィオに連れて来られたのは、国の魔法使いが所属する魔導施設。大きな扉の前に到着し、躊躇なく扉を開けたリヴィオに腰を抱かれたままジュスティーナは中へ足を踏み入れた。広い室内の割に大きな寝台、四人掛けのテーブル席、壁側に立てられた三台の棚しかなく、殺風景に見える。
「来い」
「あっ」
強く腰を抱かれ歩かされると寝台に近付き、リヴィオが座るとジュスティーナも座らされた。
「さっきも言ったが酷ぇ顔」
「殿下への情は跡形もなく消え去ったのに?」
「消え去ってない。枯れただけだ」
「そうね。でも、枯れたなら情は残ってない」
現在ジュスティーナは十七歳。此処王国では女性は十六、男性は十八になると結婚が許される。アレンとは同い年である為、一年後結婚式を挙げる予定となっている。が、ジュスティーナは冗談じゃないと首を振った。
「殿下と結婚なんて真っ平御免」
他の女、それも婚約者の妹に愛を誓う男なんて。
「昔言ったな、お前の妹が愛され体質なのは聖女の力が原因だって」
魔法には幾つか種類が存在するが、その中で神が人間に与えた白魔法が存在する。白魔法は持って生まれた者にしか扱えず、後天的に得られるのは不可能と言われる。主な力は治癒能力や癒しの能力。神を祀る神殿に属する神官達皆白魔法を扱える。稀に強力な白魔法の使い手が現れる。それが聖女と呼ばれる存在。聖女の名の通り、女性にしか発現しない。何百年に一度誕生する聖女は、神に選ばれた乙女として国中で大切にされる。
「聖女とは、いわば神の代理。神は人間に崇拝されてこそ力を発揮する。故に、聖女として生まれた女は生まれつき『魅了』という性質を持つんだ、って昔言ったな」
「それのせいで家族は勿論、殿下はミレッラに夢中よ」
歳の差は二つ。ミレッラが生まれるまでジュスティーナは初めての子供として蝶よ花よと育てられていた。しかし、ミレッラが生まれ、聖女の力を持っていると判明した瞬間から変わった。
育児放棄をされていなければ、虐待されている訳でもない。現在でも両親は平等にジュスティーナとミレッラを愛している――つもりでいる。
ノックス侯爵家は王国でも指折りの数に入る名家。父は宰相を務め、母は大富豪と名高い公爵家の出身。冷たくされている訳じゃない。家族間の会話はある。部屋はノックス家の長女として日当たりがよく広い部屋を与えられている。
ただ。
「私とミレッラで優先度が違うと気付いたのは、リヴィオが言ってくれたからよ」
誕生日パーティーは開かれる。誕生日プレゼントだって贈られる。
ミレッラとの差は両親の熱意の差。
ジュスティーナの誕生日パーティーはジュスティーナの希望に沿った内容で、プレゼントも事前に欲しい物をリクエストした通りに贈られる。これだけを見ると愛情を持たれていないと言うとジュスティーナの受け取り方がおかしいと非難されるだろう。
ミレッラの場合になると一月以上前から三人で誕生日パーティーの内容を話し込み、特に母はミレッラの為に毎日デザイナーや商人を屋敷に招いて当日のドレスやプレゼントの品を考える。ジュスティーナの時はジュスティーナが選んだドレスを手配して終わるだけなのに。
ジュスティーナだと淡々と熟すことをミレッラになると熱心になる。両親の熱意の差に抗議をしたことはある。
「私が抗議したら、私の時もパーティーの内容やプレゼント選びを真剣に考えてるって怒られたわ。一度だってミレッラの時のように、一緒に考えたり悩んだりしたことなんてないのに」
抗議をしたのは一度で終わった。二度目をする前にリヴィオに出会った。
出会ったのは十歳の時。その一年後に第一王子アレンと婚約した。
王国には王太女がいた。アレンとの歳の差は八つ。既に王太女として近隣諸国にも顔や名が知れ渡り、未来の王配となる筆頭公爵家の次男共に国を背負って立つ者として認められている上、女王が即位した歴史を何度も持つ為、王位継承権の順位が変わることはなかった。早くに結婚、即位した国王夫妻にとって待ち望んだ王子の誕生は遅かったものの、幸せになってほしいという願いで宰相の長女ジュスティーナとの婚約が決まった。
「顔合わせをした時は、印象は悪くなかったのよ? お互い政略結婚だって子供ながら理解していたけど、先ずはお友達から始めようって提案をしてくれたのはアレン殿下だった」
ノックス家に婿入りし、将来的に女王となった王太女を王配と共に支えていくのが夢だと語るアレンの金色の瞳は、太陽の輝きに負けない眩しさがあった。絶世の美女と名高い王妃と同じ銀の髪、王族にのみ受け継がれる黄金の瞳を持つアレンは王妃の美しさをそのまま複製したのかと言いたくなる美少年であった。そんな彼の熱く語られ眩しく輝く姿を見せられるとジュスティーナも応援したくなった。実際、初めて出会って半年経つまでアレンを恋い慕っていた。
それがなくなったのは半年が経過し、初めてアレンがノックス家への訪問が決まった時。その前からリヴィオに出会っていたジュスティーナは散々注意されていた。
ミレッラの持つ聖女の力は強大な白魔法を扱うだけではなく、人間から神への崇拝を集める為に『魅了』の力が備わっていると。『魅了』はどんな者でも聖女に惹かれてしまう。特に、聖女が心を許した者への力は強大だと。
注意されていたにも関わらず、ジュスティーナはアレンなら大丈夫だと高を括った。アレンならミレッラの『魅了』にかかっても変わらずジュスティーナに熱い眼差しを向けてくれると。
――しかし。
「私……あの時ほど、自分を馬鹿だって思ったことないわ」
アレンを信頼していたジュスティーナにとってリヴィオの注意は小さなものだった。それほど信頼していた。神が与える力の影響力をあの時嫌という程知った。
ノックス家を訪問したアレンを家族総出で出迎えた。玄関ホールで出迎えたアレンは、一目ミレッラを見るなり目の色を変えた。いつもジュスティーナに会う度向けていた眩しい黄金の瞳の輝きが――ミレッラ一心に注がれた。二人きりになってもアレンの瞳の輝きがジュスティーナに戻らなかった。頻りにミレッラについて聞かれた。
「はあ……あれでも初恋だったのに。半年で終わるなんて」
「ええ? お前の初恋は俺じゃないのか」
「リヴィオの場合は……」
治癒能力や癒しの能力を主とする白魔法と異なり、隣にいるリヴィオが得意とするのは黒魔法。通常の魔法と異なり、多量の魔力を消費する代わりに広範囲・高威力を誇る高難度の魔法。極一部の関係者しか知らない事実だがリヴィオは魔族と呼ばれる種族。いわば、人間ではない。代々、国を治める者と契約を交わして力を貸す代わりに正体を隠して滞在させてもらっている。
アレンの婚約者になる一年前、父に付いて登城した時だ。此処で待っていなさいと指定されたのは国王夫妻が日課の散歩ルートとして使用する庭園。春の陽気は居心地がよく、眠くなってうとうとしているところにリヴィオが現れた。
「なにしてんだ」
不意にリヴィオの腹部を布越しから撫で、顔を上げたジュスティーナはくすりと笑んだ。
「滅多に外へ出ないと言っていたわりに固いなって」
「淑女から痴女になったのかよ」
「何よ、私の身体目当てのくせに」
「言い訳はしないな。ただ、お前だって俺が好きだろ」
「……うん」
肌蹴た白いシャツから見える鍛えられた男性の肌を初めて見た時は恥ずかしいあまり気絶しそうになった。幸い、気絶寸前のところでリヴィオに助けられ倒れなかった。
『は、破廉恥だわ! 人前でそ、そんなに肌を出して!』
『へえ? そう言う割に俺の身体ガン見してんのお前だろ』
『うっ……』
顔を真っ赤にし、紫色の瞳は涙目になっていながらジュスティーナは美しい上半身に目が釘付けだった。揶揄ってくるが悪意を感じないリヴィオへ警戒心を解くと名前を言い当てられた。ノックス家の姉妹は有名だと話され、きっとミレッラのことを言い出すに違いないと構えるとリヴィオは予想とは異なる話をした。
生まれ付き聖女の能力を持つ者は、神が人間への信仰を集める目的で聖女に『魅了』の力を与えること。聖女が心を許した者や好意を抱いた相手には特に強く発揮される説明を受けてジュスティーナは漸く自身の置かれている環境を理解した。
両親はジュスティーナを愛していない訳じゃない。平等に愛していると口にした言葉に嘘はきっとない。聖女の『魅了』によってミレッラを最優先にしているだけなのだ。
その日をきっかけにリヴィオと個人的に親交を持つようになった。一度屋敷を訊ねた時があった。母は国王直属の魔法使いであるリヴィオがジュスティーナに近付くのを良しとしなかったが、強大な黒魔法を使役するリヴィオと親交を持つことで生じる利益を優先した父があっさりと許可を出した。
三度目に会った時、いつかジュスティーナに婚約者が出来た時、苦労するのはジュスティーナだと忠告された。その頃はアレンとの婚約は聞かされておらず、見た目二十代前半でも年齢不明なリヴィオの大人の色香に当てられていたジュスティーナは乗り気でなかった為、右から左へと聞き流した。大事な忠告を聞き流して痛い目に遭った過去の自分を殴りたい気分に駆られるジュスティーナであるが、全てにおいて不運だったとは思わない。
「俺がお前を妻にしたいと国王に進言してる最中なんだが、アレンやミレッラの様子を見ると頷いてくれそうだ」
「本当? だって、ミレッラは生涯結婚出来ないって聞いたわ」
聖女は別名神の花嫁。聖女で在り続けるには、純潔を神に捧げなければならず、結婚を禁じられている。
……神殿長にこの事実を聞かされ、あまりにショックを受けたミレッラは十日間泣き続けた。好きな相手がいても結婚が叶わないミレッラに同情し、慰めたジュスティーナだったがそれもアレンがお見舞いに来ると同情心は消え失せた。ミレッラが結婚相手にと望むのはアレン。『魅了』によって心を塗り替えられたアレンが伴侶として望むのはミレッラ。
『アレン様はお姉様の婚約者っ、好きになってはいけない方だって頭では分かっているんですっ。でも、でも……心はどうにもならなくて』
『ミレッラ……泣かないで。どうか、顔を上げて。泣き顔なんて貴女に相応しくない』
同じ空間にジュスティーナがいると頭から抜け落ちた二人は、悲劇の男女たる自分達に相当酔いしれていた。
「“ミレッラと結婚出来なくても、私の心はミレッラだけのもの”ですって」
「お前がいるって最後まで思い出さなかったのか?」
「気分が悪くなって途中で退室した。……側にいた使用人達誰一人、私を気遣ってくれなかった。殿下が私のことを忘れたのもショックだったけれど、使用人にまでこんな扱いかって知ってこっちの方がショックだった」
人間を守る為に神への信仰は必要不可欠。神の代理たる聖女への尊敬や崇拝が直接信仰の対象となるなら、誰をも虜にする『魅了』の力は絶大といっていい。
「姉妹仲は……悪いかって聞かれると何とも言えない。姉妹で同じ屋敷に住んでいるのにミレッラと言葉を交わした回数って殿下より少ない」
「嫌いじゃないのか」
「聖女について知らなかったら恨んでた。リヴィオのお陰で嫌わずに済んでる。諦めが強いって言えばいいのかしら」
ミレッラは望んで聖女に生まれた訳じゃない。『魅了』の力を持ちたいと望んだ訳じゃない。自身が愛されるのは当然と信じているのもまた聖女の力故。
「リヴィオが私と結婚したいって話をお父様は知ってる?」
「宰相にはまだ話してない筈だ。今アレンを説得しているから少し待ってくれってイゴールに言われた」
イゴールとは国王の名。
「お父様から私に話してみる。リヴィオと結婚しても私がノックス家の当主として立てば後継者問題は起きない筈よ」
「そうはならないんじゃないか」
「と、言うと?」
「アレンの婿入り先でノックス家が選ばれたのは、何も現侯爵が宰相を務めているだけじゃない。高位貴族でアレンが婿入り可能なのがノックス家しかなかったんだ」
「……」
本来アレンを婿入りさせたかったらしい筆頭公爵家には、既に優秀な跡継ぎがいる。別の公爵家に関してもそう。ジュスティーナのように長女が婿を取る家もあるが既に後継者を交代する時期は過ぎ、何の問題もない為第一王子だろうとアレンを無理矢理婿入りさせられない。白羽の矢が立ったのがノックス家だった。
「陛下がリヴィオの頼みを受け入れないのは、どうしても殿下をノックス家に婿入りさせたいせいか……」
「そういうことだ。心配するなジュスティーナ。アレンとミレッラが結婚出来るよう俺が手を回してやる」
「えっ」
純潔を保たないとならない聖女は生涯結婚を禁じられているとリヴィオが知らない筈がない。紫色の瞳に驚きを浮かべたジュスティーナの視線の先には、此方を気遣う色を示していた。
「生涯結婚出来ないっていうのは、少し誤解がある。死ぬまで純潔を神に守ることを約束すれば、形だけの夫婦になれる」
「それって……子供を作れないってこと?」
「ああ」
形だけの夫婦生活は送れても、夫婦の愛の結晶たる子供を作る行為は禁じられる。仮に純潔を夫に捧げた場合どうなるか訊ねれば、聖女の力は跡形もなく消滅するとリヴィオは話した。
「実際、形だけの夫婦になった聖女が純潔を失って能力を失った例もある」
「力を失った聖女はどうなるの?」
「どうも? 白魔法を扱えなくなる。それと同時に『魅了』の力も消える。今まで蝶よ花よと愛でてきた連中が一斉に外方を向く様は、中々に傑作だった」
「う、嘘」
「嘘言ってどうすんだ」
「だ、だって」
ずっと大切に愛されてきた聖女が能力を失ってしまうと愛されていた人達に見捨てられる。それが当たり前だった聖女にとって現実世界で生きていく希望を失う衝撃だったに違いない。力を失った聖女がどうなったか知りたいと示せば、聖女を娶った夫と最期まで添い遂げたと聞いてジュスティーナは心底安堵した。『魅了』の力によって引き寄せられたその他大勢と異なり、夫となった男性は本心で聖女を好いていたのだと知って。
「良かった……」
「神殿側はこの事実を知った聖女が発狂しないよう、生涯結婚を禁ずるとしか教えないんだ」
「その方が絶対にいい」
誰も幸せにならない不幸な結末でなくて良かったと再度安心すると魔導施設を警備する一人の騎士がやって来た。ジュスティーナを探していたと言い、探し人がアレンの使者であると教えられるとジュスティーナの顔色が変わった。
「で、殿下が? ミレッラは?」
「ミレッラ様、ですか? いえ、ミレッラ様については何も」
「そ、そうですか」
満足するまで悲劇の男女に浸り、ミレッラと別れるとジュスティーナを思い出したのだろう。こうやってリヴィオと話して既に一時間近く経っているというのに自分で探さず、使者を使って親しいリヴィオが在籍する魔導施設に寄越すとは。アレンは何を考えているのか。気付くのが遅すぎると吐き出したくなる衝動を抑え、呼び出しに応じる旨を騎士に伝え、使者の許へ返した。
応じると決めたのなら行かなければならない。憂鬱だと溜め息を吐いたジュスティーナは意味ありげに笑うリヴィオを見上げた。
「いくら『魅了』のせいだって言って一時間も理由なく人を待たせるなんてね。開口一番文句を言ってやるわ」
「ええ? 行くの?」
「行くよ。行くって言ったもん」
側を離れようと立ち掛けたジュスティーナの腰に回ったリヴィオの腕が胸元に。豊満な膨らみを腕で下から押し上げ、大きさを強調させるとジュスティーナの頬が赤く染まる。
「俺も行ってやる」
「要らないわよ。一人でいい」
「実際、アレンがお前をどう思ってるか知りたいのと確かめたいことがある」
「確かめたい事って?」
「内緒」
知りたいとしつこく要求しようとリヴィオは意地悪く笑うだけで教えてくれなかった。
「性格悪っ」
「俺が魔族だって忘れてないか? いつも人間に優しい方がおかしいだろ」
「そう言われると納得しかない」
人間に手を貸しているのはただの気紛れ。偶にジュスティーナのような掘り出し者を見つけるのが愉しいと昔聞かされた。黒魔法を使用するにあたって膨大な魔力を消費するのは勿論、魔力濃度も重要となる。魔力量と魔力濃度両方共に基準値を大幅に超えているジュスティーナは魔法研究をするにあたって非常に優秀な素材なのだ。人を素材扱いして、と怒るジュスティーナは頬にキスをしたリヴィオをジト眼で見上げた。
「私を何だと思ってるの」
「俺の未来の嫁さん」
「う……そ、それなら、許してあげる」
「単純だな」
笑うリヴィオにムカつき豊満な膨らみを強調するように回された腕を布越しから抓ると「痛い痛い悪かった」と全く悪びれていない声で謝られる。怒っても拗ねてもリヴィオを喜ばせるだけなら、反応がしないのが一番だ。
「なあ、お前がアレンに対してショックを受けるのは初恋だからか?」
「それもあるけど……なんでかしら」
「婚約者って関係にお前が縛られすぎなんだ」
聖女と結婚出来ない以上、アレンはジュスティーナと結婚するしかない。心はミレッラのものだと騎士の真似をして囁いていたが、実際問題ジュスティーナとの結婚は避けられないとアレン自身がよく分かっている。ジュスティーナを嫁に貰いたいリヴィオを制している間に国王が説得をすると言えど、すっかり『魅了』の虜になったアレンをミレッラから引き剥がす術はない。
「俺と肉体関係を持ってる時点でお前がアレンをとやかく言う資格はねぇの」
「だ、誰のせいだと思って……!」
一年前、結婚可能な年齢になったジュスティーナは大人の仲間入りのお祝いだとリヴィオに誘われ、この部屋へ入った。成人になった記念にお酒を勧められた。お酒初心者でも飲みやすい度数の低い酒と言われれば、前々からお酒を美味しそうに飲むリヴィオの影響で興味があったジュスティーナは疑いもなく手渡されたグラスを受け取り、お酒を飲んだ。
——これが間違いだった。
お酒を飲んでからの記憶があまりなかった。気が付くと裸のジュスティーナの隣で眠るリヴィオは最初出会った時と同じ格好でいた。どうしてリヴィオだけ服を着ていて自分は着ていないのか、とか、下腹部に感じる鈍痛はなんだ、とか、全身を襲う気怠さや喉の渇きや痛みはなにか、とか。様々なことが頭の中をぐるぐると回転し、軈て隣で寝ていたリヴィオに事情を聞くと——
『酒に媚薬と催淫剤を混ぜてお前を抱いた』と悪びれもなくあっさりと話され、最低、と呟いたのは本心の言葉であった。
「俺が魔族だって会って最初の辺りに話したよな。俺を信じるきるお前もお前だ」
「本当にね。口が悪くて人を揶揄ってばかりで性格が悪い。でも、面倒見が良くて私が突然押し掛けても嫌な顔をしないでいつも遊んでくれた。ミレッラに嵌まって私のことなんて眼中にない殿下やミレッラばかりを世話する両親や使用人のいる屋敷より、リヴィオといる方がよっぽど楽しいだもん」
初恋がアレンなのは間違いない。たった半年だけだったと言えど、あれは間違いなく初恋だった。
「リヴィオを好きじゃなかったら、とっくの昔にお父様に言い付けて近付いてない」
「そうか」
「そうよ」
リヴィオの顔を両手で包み、自分に引き寄せ触れ合うだけのキスをした。
「婚約者がいるのに不貞をした私を貰ってくれるわよね?」
「勿論。お前を貰うつもりで抱いたんだ。手放してやらねぇ」
「良かった。もし、私に飽きたなんて言われたらどうしようかと思った」
「言うかよ」
ジュスティーナがキスをしたのを皮切りにリヴィオも啄ばむようなキスを送る。後ろの寝台に転がり、じゃれ合う二人。ふと、ジュスティーナがアレンの呼び出しを思い出した。
「行くと言ったからね……行かないと。リヴィオは気になることがあるって言ってたっけ」
「ああ」
「それってなんなの?」
さっき聞いた時は教えてもらえなかったものは、時間が経っても教えてもらえるわけなかった。
——アレンの呼び出しを受け取って約一時間後にジュスティーナとリヴィオは城へ赴き、アレンが待つ部屋へ案内された。室内にはアレンの他に国王夫妻と王太女がいた。
「遅いぞ! 一体何をしていた!」
開口一番の台詞がそれ、と喉まで出かかった言葉を呑み込んだジュスティーナは形式上の挨拶をした後、不機嫌なアレンを真っ直ぐに見据えた。
「遅れてしまい申し訳ありません。ですが私からも言いたいことがあります。殿下だって私を待たせたではありませんか。私は今日、殿下の呼び出しにより登城しました」
抑々ジュスティーナが呼び出しを受けていたと知らなかった国王夫妻は驚きの面持ちでアレンを見やった。反論されたアレンが口を開く前に畳みかけた。
「殿下が待っている場所へ行ったら、貴方がミレッラに跪いて愛を誓っていた場面を目撃しました。私を呼び出したのは、ミレッラに愛を誓うところを見てほしかったからですか?」
「アレン! 聖女に心を傾けるなとあれほど言っても尚……!」
見られていたと露程も思わなかったのか、指摘を受けたアレンは狼狽するもすぐに気持ちを取り戻しジュスティーナを厳しい視線で睨んだ。
「聖女に生まれた者は生涯結婚を許されない。私の心はミレッラの物であり、ミレッラの心も私の物。互いの気持ちを伝え合うことすらしてはいけないのか」
『魅了』の虜になると思考能力が低下するという話は聞いていない。痛む頭を押さえたジュスティーナが視線をリヴィオにやると肩を竦められた。
「婚約者のジュスティーナ嬢に不義理とは思いませんの?」と王妃の言葉を受けたアレンは真剣な眼差しと声色で如何にミレッラと想いを通じ合わせているか、や、聖女故に結婚を許されないミレッラを不安にさせないよう愛を伝えていただけだと熱弁。そこにジュスティーナへの配慮は一切ない。
「ジュスティーナとは結婚します。私がノックス家に婿入りし、宰相の地位を引き継ぎ、女王となる姉上や聖女ミレッラを支え続けます」
嵌められたと言えどリヴィオと肉体関係を持つジュスティーナは相手の不貞を抗議する資格がないと考え、次の言葉が上手く浮かんでこない。
「イゴール。俺が喋っても?」
「ああ……問題ない」
国王に許可を取ったリヴィオは悲劇の男に酔いしれるアレンにある質問を投げた。
「アレン殿下が聖女ミレッラに恋をしたのは何時のことだ?」
「ジュスティーナに会いにノックス家を初めて訪れた時に」
「ジュスティーナに悪いと思わなかったのか? アレン殿下のことを慕っていると国王夫妻や王太女殿下も存じ上げていた」
「政略結婚で愛を求めるのが間違いだと私は思っているのだが、リヴィオ殿はそうではないと?」
「……だって」
初めからアレンがこういう思考の持ち主だったのか、それとも『魅了』によって変えられたのか。だが、政略結婚でも前向きな関係構築をしていこうと提案したのは幼いアレン。あの頃のアレンはもういない。『魅了』の影響なのか定かでなくともアレンが発した言葉に三人の王族は失望した。
「政略結婚に愛を求めるな、ですか。私と陛下は政略結婚なのに、お互いの愛を求めていますのよ?」
「私の妃はそなたがいいと公爵に申し出た時、娘を王宮の魔窟に抛り込めるかと怒りを露にされたものだ」
「父上や母上の惚気話を子供の頃から聞かされてきたというのに……お前は馬鹿に育ったのね、アレン」
哀れみ、失望、落胆。様々な視線をその身に注がれ、同意者がいなくて本気で狼狽するアレンに肩を落としていた国王が告げた。
「五日後。ノックス侯爵家、神殿長を集める場を設ける。そこでアレンとジュスティーナ嬢の今後について決定する」
「そ、それは勿論私とジュスティーナの結婚式について決定するということですよね?」
「アレン……ジュスティーナ嬢と婚約した頃、毎日のようにジュスティーナ嬢のことを話していたな。聖女と出会って以降、アレンが私達にジュスティーナ嬢の話をすることはなくなった。それはどうしてなんだ?」
「決まっています。ミレッラと出会い、私の心はミレッラの物になったからです」
出会って半年間は上手くいっていた。これを否定する気はジュスティーナにはない。
もっとリヴィオの注意を真面目に受け取っていたらアレンの心がミレッラに傾くことを阻止できたかもしれない。全ては後の祭り。アレンの心変わりを否定する気も怒る気もジュスティーナにはない。
——五日後。イゴールの宣言通り、重要な会議で使用される会議室に国王夫妻、アレン、神殿長、ノックス侯爵家の面々、そしてリヴィオが席に座った。
「この場で宣言する。第一王子アレンとジュスティーナ嬢の婚約を解消とし、ジュスティーナ嬢には此処にいるリヴィオ殿と結婚してもらう」
動揺が広がる。初めて聞かされたノックス侯爵夫妻は強く困惑する横、ミレッラは嬉しさを隠そうとしなかった。神殿長はその姿を見て後悔の念を強く顔に表した。最も動揺しているのがアレン。アレンは慌てて立ち上がるなり意義を申し立てた。
「お、お待ちください! 今日は私とジュスティーナの結婚式について話すのではなかったのですか!」
「そんなこと一言も言っておらん。お前が勝手に勘違いしただけだ」
次に移るぞ、とイゴールが凄むと勢いをなくしたアレンは座り込んだ。
「神殿長と相談したが、アレンを聖女ミレッラの生涯の護衛に就けることとした」
「それは本当ですか!?」
発言の許可を得ていないのに歓喜の声を上げたのはミレッラ。すぐに自身の失態を悟り、顔を赤くして俯いた。
「陛下。少し話していいか?」
「分かった。許可しよう」
リヴィオは許可を取ると神殿長や侯爵夫妻を視界に入れた。
「ミレッラが生まれた時、どうして神殿に預けなかった。聖女が生まれた場合、速やかに神殿に預けるのが大昔からの仕来りだったろう」
「リヴィオ殿の言う通り、神殿はミレッラを引き渡すようノックス侯爵に申しました。しかし……」
「断られたのか?」
「はい……」
肩を落とす神殿長から侯爵夫妻へ目を向けた。
「どういうつもりで仕来りに背いた。余程の理由があるんだな?」
「どうもこうも生まれた我が子と引き離す等非人道的な仕来りに問題がある!」
本来、聖女の力を持って生まれた赤子は必ず神殿に引き渡される。身に宿る『魅了』の力を神殿が制御する理由もある。『魅了』の力を持つと知るのは神殿長とその補佐、一部の王族のみ。その一部にアレンは入っていない。説明をする前に『魅了』によってミレッラの虜になってしまった為、不要と判断された。
「妻はミレッラを出産した時命の危険に晒されました。命懸けで産んだミレッラと引き離す等、私には出来なかった!」
「奥方やミレッラの容態が落ち着き次第で構わないと説明はしました。少し仕来りに反しますが一年間手元に置いて頂いた後、引き渡してほしいとも」
そっと近付いたリヴィオに囁かれた。
「『魅了』は白魔法の一種。白魔法を扱う神殿長や高位神官には効き目が弱い。生まれた聖女を神殿が育てるのは、能力の操作方法や知識を教えるのは勿論、『魅了』を制御する為でもあるんだ」
「不用意に他者を魅了させないように?」
「そうだ。それにだ、神殿での生活はずっとじゃない。聖女自身が己の力をコントロール出来るようになったら生家へ戻る。その頃になれば『魅了』は神殿の制御下に収まるからな」
歴代の聖女は力の制御が可能になると生家へ戻っていた。その間、家族の面会がなかったこともない。定期的に家族には会えていた。魅了が制御されていれば高位神官の同席も必要なくなる。
ミレッラの場合はノックス侯爵の強い反発によってミレッラは神殿で育てられず、ノックス家で育てられた。定期的に神殿長や高位神官が屋敷に通うことで収まったのだが、ミレッラの持って生まれた力は強大で長く同じ場所にいるジュスティーナ以外の者達に『魅了』が強くかかってしまった。
「過ぎたことをごちゃごちゃ言っても仕方ねぇ。こうなった以上、ノックス侯爵や神殿は覚悟を決めろ。大体、神殿なら王家相手にも強硬手段が取れるのにどうして無理矢理でもミレッラを引き取らなかった」
「リヴィオ殿のような人を人とも思っていない手を我々は使えません……」
「おい」
まるで人を悪魔のように扱うな、と垂れるリヴィオの正体を知るジュスティーナはジト目で彼を見つつ、また視線を感じてそっちへ向いた。今度はアレンだった。
「ジュスティーナ、君はいいのか? 私がミレッラの専属騎士になってっ」
「どうしてそのようなことを聞くのです? 私を呼び出したのを忘れてミレッラに誓いを立てていたのは、他でもない殿下ですよ」
「それは」
「婿入りする殿下を妻として補佐する為にと努力してきたことを婚約解消になったからといって無駄にしたくありません。結婚相手が代わるだけで私の立場が変わらないならと受け入れました」
「リヴィオ殿は年齢不詳の男なんだ、見た目が若いだけで私達よりずっと年上の男の妻に君はなるのか」
「なります。年齢については気にしていません。寧ろ、長生きな分他の人が知らないことをリヴィオは知っていて私はそんな彼の話を聞くのが好きなんです」
「……」
幾ら言葉をかけたところでジュスティーナの気持ちが揺らがないと悟ったアレンは漸く諦めたらしく、落ち込んだ面持ちで俯いた。
「待ちなさいジュスティーナ! 私と旦那様は許可した覚えはありません!」
「お母様」
げんなりとした様子で反対する母に振り向き、国王が許可している上、当事者たる自分達が納得しているなら受け入れてほしいと語った。ここで反対し続ければ生涯結婚を許されていないミレッラが手にしかけている幸福を捨てさせるのだとも。家族の中で一番ミレッラを可愛がる母はぐっと言葉を詰まらせ、縋る眼を夫へやる。
「……ジュスティーナ。ミレッラだけじゃない、お前も私達の大切な娘だと分かってほしい」
「分かっています」
『魅了』にかかっても冷遇されていた訳じゃない。ただ、埋められない温度差があっただけだ。
「無理をしていないか?」
「していません。個人的にリヴィオと親交があったのをお父様は知っているではありませんか。最初、お母様が反対した時、リヴィオと親交深くすることで生じる利益を優先したのはお父様ですよ。結婚相手になるなら、より利益が生じるとは考えないのですか?」
「それは……そうだが」
ここでジュスティーナを妻にしたら、現在王国が抱えている問題の幾つかをリヴィオ主導で魔導施設の力を使って解決するつもりでいると語る。宰相の地位にいる父も頭を悩ませていた問題でこれを出されると断る道は断たれた。重く吐き出した言葉は同意の言葉。仰天する母を制し、結婚を受け入れた。
「良かったわ、お父様が納得してくれて」
話し合いは終了の空気が流れ始めた直後、場違いな明るい声が響いた。
ミレッラだ。
「これでアレン様は心置きなくわたくしの側にいてくれるようになるのね。お姉様の結婚相手がリヴィオ様なのは吃驚したけれど、わたくしは祝福するわ」
「ありがとうミレッラ」
悪意はない。
他意もない。
純粋にジュスティーナの結婚相手がアレンでなくなること、アレンが生涯自身の騎士となって側にいてくれるのが可能となって喜んでいるだけだ。
「メアリーアンを見ているようだと思わないか? イゴール、フェイス」
「その名を口に出さないで下さいよ……」
知らない女性名を出したリヴィオに指名された二人は、何とも言えない表情をする。気になったジュスティーナが訊ねても「内緒」とはぐらかされて終わった。
——話し合いは終了し、今後は堂々と二人並んで外を歩けると喜ぶミレッラに抱き付かれたまま部屋を出て行ったアレンは終始ジュスティーナに視線を送るが最後まで振り向いてもらえずに終わり。酷く落ち込んだ様子の母を支えながら父も出て行き。
「リヴィオ、行きましょう」
「俺はちょっとイゴールやフェイスに用がある。お前は王妃や王太女と行きな」
「そう? なら、後で会いに来てね」
「ああ」
リヴィオ、イゴール、神殿長フェイスの三人になるとリヴィオは適当な席に座って不敵な笑みを浮かべた。彼が魔族と知る人間だけになるとそれに変えたのだ。
「メアリーアンを見ているようだと思わなかったか?」
「あちらの場合は、故意的に異性を『魅了』した挙句、国を乗っ取ろうとしたではありませんか」
「そうだったか」
凡そ二百年も前のこと。メアリーアンという聖女がいた。子爵家出身ながら、類稀な美貌と強大な聖女の能力により国内外から絶大な人気を誇った。『魅了』の力で数多の信者を獲得し、神への信仰を強めた一方で男遊びの激しい一面を持っていた。純潔を保てば何をしてもいいと曲解したメアリーアンは、当時の若き国王を誘惑し、国に危機を齎した。面白半分で様子見していたリヴィオに王妃や神殿が相談をし、メアリーアンは突然死を迎えたことにして死ぬまで幽閉に処した。信者達の悲しみは相当なものだったが神の許へ還ったという神官の言葉を信じ、亡き聖女へ祈りを捧げた。
人間に友好的ではあるが自身の悦楽を優先する魔族の部分を譲らないリヴィオは、余程の事態ではない限り極力政に口を出さない。当時も王妃や神殿の要請を受けて動いた。
「本音を言うとまだ見ていたかったな。メアリーアンがどこまで男共を誑かすか」
「そんなことを言う。リヴィオ殿、どうしてジュスティーナを結婚相手にしたい程気に入ったか理由を聞いても?」
「俺の好みど真ん中。会ったのが子供の頃でもな」
「そういうのを幼女趣味と言うのですよ」
「ほっとけ」
紫がかった艶やかな黒髪、黒魔法に適した魔力を持つ証の紫水晶の瞳、幼いながら美人に育つ要素を兼ね備えていたジュスティーナに目を付けたのは事実。
「こう見えてお前達人間に友好的な俺は、ちゃんとジュスティーナに注意はしていたんだ。アレンならミレッラの『魅了』に惑わされないと真面目に受け取らなかったがな」
「ジュスティーナには悪いことをした……」
ジュスティーナが信じた通り、アレンが『魅了』にかからなかったらリヴィオはお気に入り程度に済ませ、二人を見守る気でいた。
「ミレッラがアレンに恋慕した時点でジュスティーナに勝ち目はなかった。俺としてもミレッラがアレンを好きになるとは予想しなかった」
「あくまで予想ですが異性との交流を極力避けていたのが原因かと」
聖女という肩書に不埒な考えを抱く者は当然いる。ミレッラの周囲を囲う人をノックス侯爵夫人主導で決め、神殿もこれについて口を挟まなかった。異性であってもジュスティーナの婚約者なら会わせても大丈夫だと判断したのが間違い。王妃譲りの美しい少年を見れば、異性と碌に交流をしてこなかったミレッラにとって大きな衝撃。侯爵夫妻がジュスティーナではなく、ミレッラにばかり構うアレンに気付いていれば、違う未来があったかもしれない。
「聖女が心を許した者、好意を抱いた者には特に強く影響が出る。侯爵夫妻やアレンが良い例だ」
「『魅了』は完璧じゃない。好意を抱く相手が他にいると『魅了』の効果は薄まる。しかし、聖女が欲しいと思った相手には強く作用され、好意を抱く相手への情は聖女に上塗りされる」
「アレンが婚約解消に乗り気でなかったのは、ジュスティーナへの好意が残っていたため、ということか」
可哀想なことをしたとイゴールは嘆く。もっと強く注意をしていれば防げていたのに、と。
「どうだかな。ミレッラがアレンにご執心な以上、あの手この手で接触を図ろうと企んだ筈だ」
「それを言われると何とも……な……」
「人間の恋心にケチをつける気はないが一応姉の婚約者なんだ、ちょっとは遠慮しようとは思わなかったのか」
尤もな発言であるが『魅了』の力が強く発動してしまっている以上、防ぎようがなかった。
「『魅了』を防ぐ魔法具をリヴィオ殿でも開発は無理だと二百年前に断られていると昔言っていたが現在でもそれは同じなのか?」とイゴール。
「作れないことはないがそうすると聖女への信望が薄くなる。聖女自身がその名の通りの女ならいいが、時折俺も吃驚する性悪な時もあるだろう。そういう時は、周りの信望を無条件で集める『魅了』は便利なのさ」
王族にのみ、効果が出ない策を講じてほしいとも頼まれたらしいが面倒くさいからと断ったのだ。あくまでリヴィオの気分次第。人間が持つ知恵を使って工夫しろと突き放した。
「神殿長。聖女の巡礼はもう間もなく始まる筈だったな」
「はい。一月後に出発をする予定です」
約一年以上かけて各所にある神殿へ行き、神に祈りを捧げ神聖力を強める巡礼は長時間の移動を強いられる。体力は勿論、気力も必要となり、甘やかされたミレッラが耐えられるか神殿長は不安でいる。愛するアレンがいるなら乗り越えられるだろうと喉を鳴らして嗤うリヴィオは「俺はそろそろ行くぜ」と告げ会議室を出て行った。
——王妃が親しい相手を招待する時に使用する四阿にジュスティーナはいた。迎えが来るまで女性だけでお喋りしましょうと王妃の提案を受け、王太女を交えた三人で丸テーブルを囲んでいた。
「ジュスティーナ嬢はリヴィオ殿が怖くないのですか?」と王太女に訊ねられ、初めて考える事柄に首を傾げた。
「怖い、ですか? いいえ、ちっとも。王太女殿下はリヴィオの怖いところを見たことが?」
「そういう訳ではありません。ただ、得体の知れないお方でしょう? こうして私達人間の味方をして下さっているとはいえ、何時気分を変えて人間の敵になるか分からないとなると無防備に信用していいものか」
「考えたことがありませんでした」
初めての出会いはちょっとしたハプニングであるが、魔族故に聖女の『魅了』に囚われず、何なら長生きな分物知りで知らないことがないのだと思わせる歩く図書館のような存在。一度そう言うと呆れられたのは言うまでもない。
「本来、リヴィオ殿が魔族と知るのは王国でも一部の者だけ。ジュスティーナ嬢、今後も他言無用でお願いします」
「は、はい。あの、王太女殿下、リヴィオが魔族だとアレン殿下は……」
「報せておりません。アレンに知らせる予定だったのは、あの子がノックス家に婿入りした時でした」
しかし、ジュスティーナと婚約解消になった以上、リヴィオの正体を知る権利は失った。
「聖女に『魅了』の力があることも?」
「聖女の『魅了』については、私も数日前に陛下に聞かされました」
誰からも愛される聖女の体質がまさか強制的な力によって齎されると知れば、人間の神への信望が薄まる危険がある。王位を継ぐと知る物の一つに聖女の秘密が含まれている。
「王族が聖女との接触を最小限に抑えよと教育されるのはそういう意味だったのね。アレンがノックス家へ初めて訪問する前に、高位神官とお父様達で説明をされたみたいですが意味はなかったのですね」
「リヴィオ曰く、ミレッラが好意を抱く人や親しくなりたいという気持ちが強いと力もまた強まるとか。アレン殿下に一目惚れをしたなら、一際強く力が出たのでしょうね」
後からリヴィオに聞くとアレンが訪問をする際、最初ミレッラは神殿に預けられる予定だった。理由は知っての通りである。これに反対した人がいた。ノックス侯爵夫妻だ。第一王子に初めてお会いするのを楽しみにしていたミレッラの期待を裏切れないと。周囲に関わる人を選んでいた侯爵夫妻にしたら、第一王子と挨拶するのは無問題。今後、本格的に聖女として活動するなら王族と言葉を交わす場面も増える。子供の内から慣れさせるべきだと神殿の要求を拒否した。
「神殿はお父様に弱味でも握られているのですか? 権力は神殿側が上の筈ですのに……」
「神殿側が抱えていた大きな問題を宰相が解決したことがあるのよ」と優雅に紅茶を楽しむ王妃が初めて会話に交ざった。四阿に来てジュスティーナと王太女の会話に耳を傾けていただけの王妃は、音を立てずティーカップをソーサーに置くとふわりと笑んだ。
「それ以降も何度か発生してその度に宰相が奔走して解決していたわ。自分の娘が在籍する神殿に問題有りとなるとそこに属する者にも問題があると思われるのが嫌だったのよ。そのせいか、ミレッラについて神殿はノックス侯爵夫妻に強く出られなかった」
「そうだったのですか」
理由を知れて胸のモヤモヤが晴れたジュスティーナの耳に自身を呼ぶ低い声が届いた。振り向くと会議室に残ったリヴィオがすぐ側へ来ていた。
「お迎えが来たようね」
「王妃殿下、王太女殿下、私の話し相手になって下さりありがとうございました」
美しい所作で礼を執った後、リヴィオの許へ行ったジュスティーナは差し出された手を取ると歩き出した。
「何を話してたの?」
「色々だ」
「もう。別れる前に言ってたメアリーアンは? ひょっとしてリヴィオの好きな人だった?」
「馬鹿。違うって。二百年前にいた聖女だ」
「初めて聞いた」
「お前聖女に興味ねぇって言って学ばなかったろう」
「そ、それはまあ……」
絶対にアレンなら魅了されないと高を括った結果が——見事にミレッラの虜になられ、多量の熱量の籠った黄金がミレッラにだけ注がれるのを見て聖女の造詣を深める、なんて思考はジュスティーナの中に芽生えなかった。幸いジュスティーナの気持ちを汲んだリヴィオが無理矢理を装って魔法実験の素材としてジュスティーナを連れ出したお陰で免れた。因みに娘を素材扱いされた両親は激怒するも、当のジュスティーナは気付いていなかった。
「メアリーアンの場合は、故意的に地位のある男共を誑かして国を乗っ取る騒ぎを起こし掛けたんだ」
「聖女でもそんな人いるんだ」
「あれは別格だ。男の誑かし方が異常に上手くてな、聖女の皮を被った魔族かと俺ですら信じかけた。実際は正真正銘人間で聖女の力を持っていた」
同じ時代にいなくて良かったと安堵すると共に破天荒振りを見て見たかった気もする。
——十日後。婚約解消の件とアレンが聖女に生涯仕える騎士になった件は瞬く間に国中に知れ渡った。ノックス家の当主になれると一瞬だけ独身の男性陣は沸いたらしいが、即ジュスティーナの新しい結婚相手がリヴィオと知れ渡ると一気に鎮火した。並の男なら勝てる自信があったのだろうが相手が悪すぎた。僅かばかりリヴィオを蹴落とそうとする動きはあったものの、折角王国が抱える問題を解決してくれる気になったリヴィオの気持ちが変わらないようにイゴールが手を回して潰されている。
現在魔導施設にあるリヴィオの私室で錬金術で完成させたモチモチパンをジュスティーナは食べていた。
「自分で作ってあれだけど美味しい」
錬金術は術式を描いて即錬成するパターンと錬金釜を使用した正式な手順と緻密な作業を用いるパターンの二種類が存在する。主に錬金釜を使用するタイプのジュスティーナは魔導施設を訪れる度、錬金術の練習をするべく使用している。始めた当初は失敗続きで調合を間違え、爆発を起こしては部屋全体を真っ黒こげにし、呆れたリヴィオが掃除をした。四度目から自動掃除機能を搭載した箒の作り方と魔法式を教えられた。十七歳になった現在では大きな失敗も減り、錬金釜でパンやお菓子を作ることが増えた。
材料は基本のパンの材料に加え、錬金術でお馴染みの素材が主。入手方法も簡単で王都の外にある森で採取可能な為ジュスティーナは時折訪れている。
テーブル席に座っているジュスティーナに対し、リヴィオは今し方届けられた書類を立ったまま目を通していた。
「深刻な案件?」
「そんなんじゃない。何年かに一度、聖女が各地の神殿を回る巡礼を行うのは婚約解消の後言ったな?」
「あの時は一月後に出発って言ってて、今だと半月先ね」
「神殿のある街に入るまでは野宿が必須。旅人向けの宿が道中あるとは言え、そんじょそこらにぽんぽん建ってるわけじゃない。事細かな説明をされてミレッラが巡礼を嫌がっているんだと」
「ええ……」
婚約解消後、巡礼の話を聞いたジュスティーナは甘やかされ続けたミレッラが過酷と評される巡礼に耐えられるか不安視するも、生涯の騎士となったアレンが同行するなら耐えられるだろうと呑み込んだものの、最初に予想した通りになってドン引きする羽目に。神官や両親が説得をしている最中と聞き、疑問が浮かんだ。そこにアレンの名がないのだ。
「殿下は巡礼に反対なの?」
「宥めてはいるがミレッラに泣きつかれてどっちつかずな状態なんだと」
「『魅了』の力って、改めて思うと怖いわ」
「今更だな。そうだ、お前がミレッラの『魅了』にかからなかった理由を教えてやろうか?」
「黒魔法に超適正があったからじゃないの?」
「なんだ、知ってたのか」
「伊達にリヴィオに勉強を教わってないもん。教えられたことを無駄にしたくない」
「アレンにミレッラと会わせるなっていう注意は聞き流したのにな」
これを言われると反論の言葉を奪われる。
モチモチパンを食べながら、もしものことを考えたジュスティーナは一旦パンをお皿に置いた。
「もしも、ね。私がリヴィオの注意を聞いて殿下をミレッラに会わせないようにしたとするでしょう? 王子殿下に会ってみたいってはしゃいでたミレッラのお願いをお父様達が叶えない筈がない。私が拒否したところで宰相の地位にいるお父様がミレッラを殿下に会わせていたわ。そして、ミレッラのお願いを聞かなかった私をあの二人は叱った」
「ふむ。結局、お前が俺の注意を聞いていようといまいと状況は変わらなかったってことか」
「多分ね」
運命が現実に存在するなら、婚約解消は必然だった。美貌の王子に恋をするのは多くの年頃の令嬢が経験する道。皆平等を掲げても聖女の持つ『魅了』を有するミレッラには敵わないのだ。
「ジュスティーナ」
書類をテーブルへ抛り、隣に座ったリヴィオは細い腰に手を回してジュスティーナを引き寄せ、頭にキスを落とした。
「あの書類には、お前宛のアレンの伝言が記されていた」
「殿下の?」
「ミレッラの説得に力を貸してくれ、だって」
「頑張ってください殿下、と返事しておいて」
「もうした」
「早。私が了承したらどうしてたの」
「お前ならお断り案件とか言って拒否するのは分かってた」
自分のことを知ってくれていて良かったと思っていいのか、知り過ぎていて怖いと思えば良いのか微妙なラインだが細かいことを気にしないジュスティーナは、腰に回っていた手が太腿を撫で始めたのを手の甲を抓って阻止した。
「いった」
「昼間だよ!? この色欲魔!」
「魔族に言われてもな」
「結婚が決まったこの十日間毎夜抱いてくるのに昼もなんて嫌!!」
太腿に置かれた手を払い、若干距離を取ると苦笑された。
毎日とは言わずとも、騙されてお酒を飲まされて抱かれて以降も定期的に呼び出されては抱かれていた。これから毎日抱かれる羽目になると思うと若干憂鬱なのは言うまでもない。体力の差が大きい。
「陛下が殿下との婚約解消を認めてくれて本当良かった……」
「イゴールが認めなくても婚約解消はなってた」
「リヴィオが動いてくれたってこと?」
「ああ」
合意していなくてもジュスティーナの純潔は既にリヴィオが散らしており、王子と婚姻する身として相応しくない。無理矢理抱いたことは伏せつつ、現状アレンとミレッラの関係を盾にイゴールを脅して無理矢理婚約解消へ持っていったとリヴィオは笑う。
「陛下相手に」
「俺に出て行かれると困るのは国の連中。いざとなれば、お前を攫って他国に移る気でもいた」
「ねえ、リヴィオ以外にも人間に協力的な魔族っている?」
「いる」
人間を餌にしか思わない魔族と違い、人間に友好的で人間界で静かに暮らしたい魔族は少数派だがいる。そういう魔族はリヴィオのように国の重鎮にのみ正体を明かして力を貸す代わりに棲み付いたり、周りに正体を隠して人間の振りをして生きる魔族もいる。
「俺とお前の結婚式はアレンとミレッラが巡礼に行っている最中にするか?」
「お父様とお母様が反対しそうだけどそれがいいね」
結婚式に着るウエディングドレスのデザイン、招待客の選別や案内、日取りの段取り等を決めている最中。アレンとの結婚式だと大々的に開くつもりだったものの、リヴィオは親族と親しい相手を招待すればいいと再び距離を詰めた。
「魔導施設からは責任者とその下を何人か呼んで、ノックス家は……侯爵だけは強制参加させるか。さすがに両親不在は体裁が悪いか」
「ノックス家の後継者夫妻の結婚式だもの、現当主が不在なのはその通りね」
王族、貴族の結婚式は神殿で行われる仕来りで二人も結婚式は神殿で挙げる。魔族が神の前で永遠の愛を誓うのか、とツボに入ったリヴィオが笑い続けていたのは記憶に新しい。
「神様も吃驚するでしょうね」
「大人しくしていれば、人間に交ざる魔族を見逃してくれる寛大な神様に結婚式は感謝の意を伝えよう。はは、椅子から転がり落ちるあいつの姿が目に浮かぶ」
「……神様と知り合い?」
「面識があるだけ」
種族が魔族と知っているだけで魔族としてのリヴィオの立ち位置をジュスティーナは知らない。神様と面識があると聞いて強い興味に惹かれるも、内緒、とはぐらかされて終わった。
拗ねて見せても人間が知らなくてもいいことは沢山あるのだと言われ、相当渋々納得した。
「諦めな」
「もう、しょうがないわね。さてと、この後はまた私の錬金術の調合を手伝ってよ!」
「パンを作って満足したんじゃないのか」
「今日は一つで広範囲を吹き飛ばせる爆弾を作りたい! 私一人だと難しい調合だもん」
「失敗したら調合部屋を吹き飛ばされかねないな。はあ、仕方ねぇ、付き合ってやる」
「やった」
難しい調合の成功率は上がってきているのだが、失敗する確率がまだ高く、爆弾作りとなると物によっては黒焦げの部屋を片付けるだけでは済まなくなる。爆発するタイミングで阻止すれば部屋の吹き飛ばしは阻止される。念の為、大量の研磨剤を備品室から持って来ようと呟いたリヴィオの身体を叩いた。
「失敗する前提で話さないでよ!」
「もしもの為だ。ほら、行くぞ」
ベッドから降りたリヴィオの手を取ってジュスティーナは部屋を出た。
前を歩く大きな背中を見ていると抱き付きたくなり、リヴィオの腕に抱き付いた。
「ねえ、結婚してもこうやって調合に付き合ってよ」
「はいはい」
今日もリヴィオに振り回されつつ、時に振り回すジュスティーナであった。
読んでいただきありがとうございます。




