3:死は唐突に BAD END
意識が浮上する感覚は、海の奥底の暗闇から急浮上するのにとても似ていた。小さい頃に溺れたからだろうか。肺に空気が流れ込むたび、脳が焼けるような熱を持つ。
「……っ、が……」
「動かないで。痛くても我慢して」
鼓膜に届いたのは、驚くほど穏やかで、それでいて有無を言わせぬ響きを持った声だった。ぼやけた視界がゆっくりと焦点を取り戻していく。俺の顔を覗き込む一人の女性。長い髪、すべてを許容してしまいそうな深い瞳。
「私は下川。あなたが運ばれてきてから、ちょうど30秒以内に処置を終えたわ。運が良かったわね、五六くん」
「あんたが、俺を直したのか?」
彼女は、エンレフの中でも異質な存在として噂に聞いていた。最弱。DPI150。戦場では足手まといにすらならないその数値で、精鋭部隊の生命線を担う医学の秀才。
「いええ。完全じゃない。……いいえ、『できなかった』という方が正しい」
下川は目を細め、俺の左目を指差した。手近な鏡を渡される。そこに映っていたのは、右目は黒いままだというのに、左目だけが異常なほど白く、血管が脈動し光を放っている自分の姿だった。
「……なんだよ、これ」
「私はあなたの命を救うために、私のDCL-因果逆行-触れた相手を30秒前の状態に戻す異能。それで時間を戻したのだけど……」
「だけど?」
「30秒前にはもう焼き切れていて限界を超えていた状態だった。今のあなたの左目は、常に脳を焼きながらフル稼働している。だから……死ぬ」
「え?」
下川は窓の外を指差した。そこには、遠く水平線の向こうにそびえ立つ、冥王の拠点が見える。
「五六くん。あれが何かわかるでしょ?」
「……は、はい。冥王ゼルの拠点。世界の恐怖です」
下川は静かに頷いた。そして真剣な顔つきで言った。
「ゼルを倒せると思う?」
「え? いやそれは!」
五六は怒鳴る。まさかの質問に驚きつつ、少し冷静になった。
「わかってる。言っちゃいけないことよね。倒せないなんて」
「……なんであなたは倒せないと思うんですか? 新倉とか躑躅森さんとかが」
「ゼルはね、DPIもそうだけど異能が桁違いの強さなの……」
「演算ですよね……」
五六は俯いた。
「そう、演算。世界最強のDCL。そんな自分や他者の人生を、容易にデータと数値で変えられる異能に勝てると思う?」
「……まだ、わかりません」
「まだわからない? でもこの先、倒し方が見つかる保証はない。あいつの倒し方。あいつのDCLの裏を探るのには時間が足りなさすぎる。ほとんど不老不死。自分のデータの数値を変えるだけで、あいつは死なない」
DCL-演算- 決定的未来演算。ありとあらゆる事象のデータの数値を書き換えることが可能。ただし、莫大な演算を行うための施設から一定距離離れてしまうと、脳が破裂してしまう。
「……」
「五六くん。あなたには、世界がどう見えている?」
「……どうって?」
「DPIとは単なる強さの指標じゃない。それはこの世界での解像度。数値が高い者ほど、視界がゆっくり進んで見えて戦闘面で有利になるし、世界をより正しくより詳細に認識できる」
下川は右目を緑色に変色してみせた。
「……でもね、それは同時に自分以外の解像度を認めないという差別でもあると思うの。新倉さんは、あまりに正しく世界が見えすぎている。だから、彼には他人の弱さが理解できない。躑躅森さんも一緒。でも、あなたの模倣は違うでしょ? あなたは他人のDCLを自分の中に招き入れる。……1/2の劣化? いいえ。それはこの歪な世界のバグを、複数の視点で繋ぎ合わせる唯一の鍵かもしれない」
下川の言葉は、これまでの俺の劣等感を根底から揺さぶるものだった。 世界を正しく見るのではなく、多層的に見る。それが道だと言うように。
「それより、なんで俺のDCLのことを」
「新倉さんから聞いたの。あなたのDCLをね。多分決定的に知ってたんじゃなくて、戦闘で知ったんだと」
DPI1500。見ただけで相手のDCLの把握が出来るなんて……。
「あ、あと下川さん……さっき言ってた死ぬっていうのは」
「そうね。実を言うと二択なの。脳が焼ききれて死ぬ か 左目をくり抜くか」
「左目をくり抜く!? それは……」
「あなたなら三日の寿命を選ぶと思ってた。だからはじめから一択と」
「……」
「その左目が焼ききれたら、右目だけの1/4で模倣することになる。焼き切れるまで、あと三日。それが今のあなたの寿命。何をするかはあなた次第よ。じゃそろそろ時間だから」
下川が立ち上がり、病室を出ようとしたその時、扉が勢いよく開いた。 立っていたのは、花瓶を抱え今にも泣き出しそうな顔をした蒲谷だった。
「五六、先輩……!」
「蒲谷か」
「あ……あの。僕、先輩が嘘をついてたこと、怒ってません! 最後に見たあの光……あれは偽りなんかじゃない! 本物でした! だから……」
蒲谷の言葉が、脳を焼く痛みよりも深く突き刺さる。 俺は、白く光り続ける左目を隠しもせず、ベッドから足を下ろした。
「悪いな、蒲谷。安静にする時間なんて、俺には一秒も残ってないんだ」
点滴を引き抜く。逆流した血が床に落ちるが、構わない。 新倉快斗。お前の隣に立つためには、三日という余生は、あまりに短すぎる。
「下川さん。教えてくれ。俺のこの1/2を、一に変える方法を。いや……一を超える方法を」
下川は扉の前で足を止め、慈愛とそして少しの狂気を含んだ笑みを浮かべた。




