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1:記録

確か、八歳の頃だった。俺にDCLが与えられた時のこと。その日の記憶は今でも鮮明に覚えている気がする。見たこともないレンズを目に入れて恐怖していたが、周りとの時間の差も相まって簡単に着けられた。

目につけると視界が白く濁り始めて不安な気持ちでいっぱいだった。冷や汗もかいた。脳がぐっと押し付けられるような衝撃と開放感。新しい五感的な何かを得られる快感。そんな気持ちでぐちゃぐちゃになった。

目を覚ますと、DCLは正常に入ったようで母は安心していた。異能に興味を示し、エンレフに憧れを抱いていた年頃の俺は、今までにないような目のキラキラを帯びていたそうだ。だから俺は言ってやったのさ。僕、いつ世界一のヒーローになれるの!? 数名にわたる看護師と母は驚いていた。まさに今までにないような驚きでね。



五六(ふのぼり)先輩!」

「よ」

「さっきの話、興味深かったです!」

「だろ?」

こいつは俺の後輩、蒲谷(かばや) 心義(しんぎ)だ。DCL -放電- 体毛から放電できるが、放電中は体がとてつもなく痛む、らしい。


「僕のDCLでも出来ますかね! 先輩みたいにうまく」

「あぁ……訓練は必須だけどな」

「はい! それ承知の上です」


蒲谷はぽっちゃり体型で包容力高めの優しいやつだと思う。戦闘面ではもう少し厳しくいってもらいたいところだけど。

「ところで五六先輩! DPIを効率的に高めるためには、何が必要なんですか?」

「DPIは基本的に戦闘への繊細さ、ようするに目の解像度だ」

「見えてる世界が違うってことっすよね」

「ああ。だからそれを次元が違うって思うやつもいるが、実はDPIを高めるのは簡単だ。自分の異能を理解しエンプティーを倒せば、DPIは高くなっていく」

「でも、エンプティーを倒す前に他の人から手柄を横取りされちゃって……」

「手柄? ああ、そうか。まだ6ヶ月目?」

「はい」


蒲谷は俺が六ヶ月前に担当することになったエンレフの新人ヒーローだ。……確かに、六ヶ月前のデブ体型と比べて少しはスリムになっている。


「五六先輩は始めたてどんな風に成り上がっていったんですか」

「俺はな、もともとからすごかったんだ。DCLが二つ使えるっていう時点からな」

「す、すごいです!」

「だろ? だが苦労した部分もあってな、DPIが上がりすぎて困ったんだよ」

「あ、あがりすぎ!?」


基本的にDPIは上がっていくごとに成長スピードが落ちていくのだが、俺()()は例外だった。


「今のDPIはな、1000を軽く超すんだ」

「え!? そうだったんですか!? すごいっ」

「だろ?」


DPIが高くなればなるほど、エンプティーを倒しやすくなり世界の注目の的となる。1000超えのDPIは世界のエンレフの1%であり、その数はおよそ100人。俺はそいつらみたいなエリートだ。


「やっぱり先輩はすごいんだ! この話、みんなにも話していいですか?」

「ちょ、ちょっと待て! この話は広げるな。俺はな、強すぎてその強さを隠すように総長から命じられてるんだよ」

「総長から!? す、すごいっす。この話はぜったい秘密にします。でも五六先輩、その代わりなんですけど……」

「なに?」

「それがですね……」



***



 それから2日後。

《DPI 400相当のエンプティーが大量発生! 大量発生! 兵庫県明石市内に、エンプティーが》

「よし! みんな行くぞ!」

「五六先輩。今回も行かないんですか?」 

「あぁ……すまん。今回も行くなって言われて」

「五六あんた!」

廊下に響く大きな声。こいつは……。

「鈴木!? なんでここに」

「まさか後輩に変なこと吹き込んでるんじゃないでしょうね」

「そんなことするわけないだろ」

鈴木 優花(ゆか)。気が強い女だ。貧弱で華奢な体つきをしているが、DCL -時間遅延- のおかげでDPIは優に300を超えている。


俺は正直に言って苦手だ。こいつみたいな勘のいい女が。

「優花先輩じゃないですか。お久しぶりです」

「えーと、誰?」

「お前後輩の名前も忘れてんのかよ」

「は、違うし! ちゃんと思い出したし。蒲谷(かばたに)くんでしょ?」

蒲谷(かばや)です……」


DCLには異能を使えるメリットとデメリットが存在し、そのデメリットのうち彼女のは記憶の欠如。DCLを使用した後、自分が記憶していた必要ないものからだんだんと消えていくデメリットがある。要するにこいつは……。


「僕のこと、そんな風に思っていたんですか……」

「ち、ちがくて! さいしょから、知らなかったみたいな?」

「お前それ影薄いって言ってるようなもんだぞ」

「「……」」

「ごめん……後輩くん」


《全員準備。ジェット飛行機に乗り、ただちに本地域へ迎え!》

アナウンスが聞こえる。まわりがジタバタと移動し始める。


「行こう後輩くん」

「そうっすね……五六先輩。今回どうしても行けないですか」

「……行けない」

「嘘よ。行けるわ。ねえほらどうしたの? 行くわよ! 嘘なんてついてる暇あったら、とっととエンプティー倒してきなさいよ!」

「お前それは言うなって……」

「?」

はぁ。こいつ……。何だと思ってるんだよ俺のこと……。



***



 エンプティーの発生源は毎回違う。どこに発生するのかも検討がつかない。だから俺たちエンレフは市民に危害を与えるエンプティーを殺戮するためにいる。


「兵庫、到着だ! 各自、備えろ!」

ジェット飛行機内ではまだ誰一人戦闘服には着替えていない。それは、スーツの第一ボタンを押すことでスーツが変化し戦闘服に変わるからだ。戦闘員たちは次々に降りていく。今回の任務は全員に課されているため相当強力なエンプティーに違いない。俺はそう思っていた。


「ねえ、降りないの? 早くしなよ」

「まだ、降りない」

「ほら、後輩くんも降りちゃったよ。もしかしてさっきの件まだ根に持ってる? でもさ、いくらあんたのDCLがあれだとしても……」

「やめてくれその話は。惨めだ……降りるぞ」


ジェット飛行機から降りた先は、明石海峡大橋だった。橋は封鎖されていて、橋の中には多くのエンプティーがいた。

「き、気持ちが悪い。やっぱりエンプティーは苦手です先輩」

「みんなそうよ。誰が好きなのこんなの」


見た目は黒色のドロっとした物質。吐き気を催す激臭。

「……はぁ、さっさとやるか」


俺はそう言って、格好つけて一歩前に出た。 だが、その一歩は震えていた。


「五六先輩、お先に失礼します! 放電、起動!」


蒲谷が叫ぶ。同時に彼の体毛が青白く発光し、パチパチと空気を焼く音が鳴り響いた。DPI 350相当の『放電』。一方の鈴木も気だるげに前髪をかき上げ、瞳は紫色に変わった。


対するエンプティーの群れ。黒い泥が意思を持ったようなそれは、橋の欄干を噛み砕きながら、こちらの解像度を試すように這い寄ってくる。


「……ッ!」


一瞬だった。 エンプティーの一体が超高速で蒲谷の懐へ潜り込む。


「蒲谷、よけろ!」

「え――!」


放電の代償である劇痛に一瞬、意識が削られた蒲谷の反応が遅れる。黒の鋭利な角が、彼の肩を深く抉った。


「後輩くん! 何してんのよ! 五六も、早く助けてやんなさいよ!」

鈴木はエンプティーの戦場の中。必死に駆け回って攻撃を回避している。


蒲谷の悲鳴と血が垂れる橋の地面。

「早く!」

鈴木の叫びが、俺の鼓膜を容赦なく刺す。


1000。そんな数字、この目のどこを叩いたって出てきやしない。 俺の手元にあるのは、組織から使えない傑作という皮肉を込めて押し付けられた、欠陥品だ。


「……分かってるよ。黙ってろよ!」


彼は両目を見開いた。視界が熱くなり、眼球は白くなっていく。不快な感覚だ。


『DCL発動! 模倣!』


俺のDCL、それは模倣。選んだ者の異能をコピーすることができる。だが、出力は半分。鈴木が時間遅延で敵の視界を5秒前に見せるのなら、俺の異能はわずか2.5秒前の残像。


 ……やばいっ。死ぬ! 全部バレて、死ぬやつだ。


俺は石渡や新倉のようなエリートじゃない。 ただの五六冬眞(ふのぼりとうま)だ。


エンプティーが俺の首筋を狙って跳躍する。 だが1/2の出力では火の火力すら足りない!

「がっ……、あああああ!」

吹っ飛ばされ、アスファルトに叩きつけられる。視界が点滅し、エリートのフリをしていたプライドが、見るも無惨に剥がれ散っていく。


「五六先輩……?  嘘だろ、だって先輩は、1000を軽く超えるって……」


血を流す蒲谷の瞳に、疑念と失望が混じる。 その視線が、刃物よりも痛かった。


その時だった。


空気が、死んだ。


いや、世界中の音が、一点の座標に吸い込まれたかのような錯覚。明石海峡大橋を揺らしていた潮騒も、エンプティーの不気味な鳴き声も、一瞬で消え去った。


「――なんだお前ら」


頭上から降ってきたのは、絶対的な強者だけが持つ、温度のない声。


現れたのは、白い戦闘服を纏った一人の男。 新倉快斗。 本物の、DPI 1500のエリート。

ありとあらゆる全員が、彼の登場に息を呑み見守った。

「っ!」

橋の地面に足が着いたかと思うと、俺たちの横をただの散歩のような足取りで高速で通り抜けた。

だが目の前には、数十体のDPI 400級エンプティー。DPI1500でさえ質は量に負けるはずだった。


新倉はポケットに入れていた手を出した。そして。

「白壊っ。――2000倍(デュオス・ミレ)


瞬きすら、許されなかった。 彼が腕を軽く一閃させた瞬間、そこにあったはずの空間ごとエンプティーの群れが消失した。 爆発すらない。ただ丸ごと吹き飛んだ。


橋の上に残ったのは、焦げたアスファルトと、あまりに場違いな静寂だけだった。


「……嘘! ……きれい」


さっきまで俺に毒づいていた鈴木が、頬を赤らめ、うっとりと新倉の背中を見つめている。

「ねえ、決めた。私……新倉さんの特攻隊に入る。あんな『本物』の隣なら、私の記憶も、もっと大切なもので埋まる気がする」


彼女の瞳には、もう俺の姿なんて映っていない。 俺が必死に守り抜こうとした嘘の残像も、新倉の圧倒的な光の前では、ただの惨めな泥になった。


「…………」


地面に這いつくばったまま、新倉快斗(にいくらかいと)の背中を睨みつけた。 胸の奥で、ドロドロとした黒い感情が渦巻く。


「待ってろ、新倉……俺はお前を」


憧れじゃない。 呪いと怨みだ!

五六冬眞の両目が、怒りでより白くそして禍々しく脈動した。

「俺はお前を超えてやる!」


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