Ep5
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ざらりと舌触りすらあるかと思うほどに、ぬらりとした重く濃厚な血の臭い。
左手でドアを開け、右手は右太腿の外にあるホルスターへと伸ばす。銃は取らず、フェリシアに対して静止の合図を出す。
開けば開くほど、臭いの厚みが増してくる中で、銃に手をかけたまま、俺は室内へとゆっくり忍び入る。
時刻は、いちばん赤い夕方。
ドアの先にある廊下は、奥の部屋から差し込む西陽で明るく染まっていた。だが、その光の中に、一つの人影が伸び落ちている。
慎重に、忍足で廊下から奥の部屋へと近づく。
血の臭いに混じって、ずるずると何かを引きずる音と、垂れる水音が耳に届いてきた。
部屋の入口に到達したとき、見えた光景に、思わず銃を抜いてしまった。
赤い西陽に染まる空間。逆光で黒い影となった女の後ろ姿。
足元には片腕のない青年が、もはや何も見えていない虚ろな目を天井に向けて倒れていた。
彼は、街では珍しくほぼ生身だったことが、背骨と肋骨が露出した身体から見て取れた。
切り開かれ、ぽっかりと空いた腹。そこに収まっていたはずの臓物たちは、女の手や足の上に引きずり出されていた。
女は微笑んでいた。
まるで血と臓物に囲まれた聖母のように、優しい微笑みを浮かべ、慈しむような手つきで臓物を撫でている。
その動きに合わせて脂がきらりと煌めき、繋がっている青年の身体が僅かに揺れた。
「やっと、取り返せたぁ」
幸福に浸り、喜びの震えすら混じる声で呟く女の背に、俺は思わず言葉を投げた。
「なに、やってんだ」
ぴくりと撫でていた手を止め、女は首だけでこちらを向く。
ぎぎぎっと、関節が悲鳴をあげるような音を立て、首が回らない限界まで回されていく。
「だぁれ?」
首だけでこちらを向いたその顔は、べったりと血に濡れていた。
黒く開いた目は、もはや正気とは呼べないものを宿している。
「……奪わせないわよ」
「奪うの? 私のものなのに?」
「わたしの、わたしのものなんだぁぁぁ!」
突然立ち上がり、臓物を強く抱きしめたかと思うと、それを床に叩きつけ、金切り声で叫ぶ。
そして走り寄りながら、身体だけをぐるりと回転させた。
可動域を超えた動きの連続に、思わず後退りしそうになるが、背後で様子を見ようとドアを開けかけているフェリシアが視界に入り、踏みとどまる。
「くるなっ!」
この光景を見せるわけにはいかない。その思いが怒鳴り声に乗って発せられる。
その一瞬で女との距離は詰まり、銃が使えない間合いに入っていた。
素早く銃をホルスターにしまい、一歩だけ後ろへ下がって腕を上げ、近距離戦闘の構えを取る。
唸り声と共に、女が飛びかかってくる。
その顔は、もはや人とはかけ離れていた。目は血走り、顎は関節の限界を超えて大きく開いていた。
――噛む気かっ!
狙いを察知し、膝を曲げて腰を落とす。右腕を下から上へと振り抜き、顎を叩き上げた。
骨が砕ける硬質な音と、舌が潰れる柔らかな音が混ざり合う不協和音。
その音を残して、女はゆっくりと仰向けに倒れた。
肩で息をしながら、残心の構えを取り、様子を見る。
女はぴくぴくと痙攣しているだけで、起き上がる気配はなかった。
その倒れた音を聞いて、終わったことを察したのか、フェリシアが部屋に入ってくる。
惨状を前に、小さく悲鳴を上げて、俺の服を後ろから強く握った。
「……殺したの?」
「わからん……が、殺した手応えは、ない」
そう答えると、握っていた彼女の手の力が少しだけ緩んだ。
俺は構えを解き、目に内蔵された録画機能を起動して、室内を見回す。
こうなった原因があれば――というわずかな望みを胸に。
だが、室内に異常なものは見当たらなかった。
せいぜい、床に転がったネモログが映しているのは、シンクロの画面。きっと二人で見ていたのだろう。
あまり荒らすと、捜査機関に誤解される恐れもあるため、映像の詳細までは確認できなかった。
フェリシアも同様に、青ざめた顔で室内を見回していたが、なるべく死体を見ないようにしているのがわかる。
ここは、長居するような場所ではない。
フェリシアに声をかけ、俺たちは血塗れの室内から脱出した。
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