Ep3
見つけて頂きありがとうございます。
是非、最後までお読みください。
旧友であるドクターと飲んだ翌日。
久々に良い酒を堪能したからか、昼に近い時間に目を覚ました。
軽くシャワーを浴び、スウェットパンツ一枚で窓を開ける。
籠もった空気を押し出すように、心地よい春の風が吹き込んでくる。
毛先を撫でる風を感じながら、俺は煙草に火を点けた。
遠く聞こえる街の喧騒をBGMに煙を燻らせつつ、本格的に探偵業として始動する気持ちを新たにする。
とりあえず街の情勢を知るためにネモログを開き、空中にディスプレイを表示させて報道番組を流す。
『…こちらの動画をご覧ください。ショッキングな内容ですので、自己責任でお願いします』
たまたま点けたタイミングで、何やら動画が始まる。
煙草を指に挟みながら、画面を見る。
『っ…て! 返してよっ!』
『それ私のぉぉぉっ!』
『がえしでぇぇっ!』
常人では出せない金切声と怒声が混じった女の怒鳴り声。
動画は女の主観アングルで、画面の中央には明らかに困惑した男の顔が大きく映っている。
女は叫びながら男の左肩を押さえ、腕を引っ張っている。
尋常ではない力に、男の表情は困惑から苦痛、恐怖へと変化していく。
そして、肉が断裂する音、皮膚が引き裂かれる音、男の悲鳴。
画面の中では、千切れて血が滴る腕に、頬擦りでもしているかのように映像が揺れていた。
『はい。今の映像は、感覚共有プラットフォーム“シンクロ”にて投稿された問題の映像になります』
『捜査機関はフェイクと回答していますが、感覚共有による被害者が増えてきていることから、作成者の特定を急いでいます』
煙を肺に入れながら、俺は思う。
……フェイクにしては、手が込みすぎてる。
あれは、この街のどこかで本当に起こったことなんじゃないか。
そう思った瞬間、遠くに聞こえる街の喧騒に、悲鳴が混じっているような錯覚がして、重く煙を吐いた。
⸻
ーーコンコン。
そんなことを考えていると、遠慮がちに小さく扉が叩かれた。
すわ依頼者かと思い、慌てて煙草を押し消し、Tシャツを着て、なるべく優しげな顔と声色を意識しつつ扉を開ける。
「はい。ようこそ、オオカミ探──」
現れた人物により、俺の挨拶と笑顔は尻すぼみに消えた。
「……久しぶりね」
「フェリシア……」
扉の前に立っていたのは、金髪の女。
記憶の中よりも大人びていて、肩口で揃えられた髪。
蒼に翡翠を垂らしたような瞳が、射抜くように俺を睨んでいた。
整った顔立ちに宿る静かな怒気。
思わず、喉がひとりでに唾を飲み込む。
彼女は無言のまま俺の横をすり抜け、ソファに腰を下ろす。
黒のスキニーパンツに包まれた足を組み、ゆったりしたプルオーバーパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、顎で対面を指す。
俺はドアに“外出中”の札を掛けてから、指示されたソファに座る。
だが、喉がまるで機能を忘れてしまったように、何も言葉が出てこない。
室内には、空調の低い音だけが満ちていた。
「……3年ぶり、くらいか?」
意を決して、カラカラの喉をこじ開けて言葉を出す。
自分の声なのに、どこか他人事のように感じる。
心の中では、戦力差の激しい戦場に少数の決死隊で突撃しているイメージが浮かんでいた。
「……3年? 5年ぶりよ。あなたとこうして会うのは」
はい。
不用意な先制攻撃は、相手の無慈悲な反撃に遭い、兵士たちは全員、二階級特進した。
予備兵力ともいえる言葉が出てこず、無能な指揮官である俺は、曖昧な愛想笑いを浮かべた。
実質の白旗である。
そんな俺を冷たい目で見ながら、彼女は重く長い溜息を吐き、ソファに体重を預ける。
「まぁ、いいわ」
「それで? 私の“婚約者サマ”は、5年もどこで何してたの?」
直感が囁く。
ここでミスをすれば、我が軍は全滅だ。
下手な嘘は通じない。真実を語るしかない。
「まぁ、いろいろ……傭兵とかやりながら、旅をして、いました」
「……それで、帰ってきたの?」
なんとか生き延びた安堵も束の間、さらなる攻撃が飛んできた。
「ねぇ。わたしが何に怒ってるか、わかってる?」
冷たい怒気を一点に集中させたような言葉。
それは、避けることもできない男にとっての必殺のセリフ。
俺は必死に考える。
放っておいたことも、急に帰ってきたことも、可能性の濁流がフラッシュバックしてくる。
……俺は呆気なく溺死した。
「……すまん」
出てきた言葉は、ただこれだけだった。
もう、覚悟は決めた。
煮るなり、焼くなり。すべてを受け入れるつもりで。
「はぁ……まぁいいわ。言っても無駄だし」
「それで? 探偵の依頼は来たの?」
覚悟を決めた俺など、もはや彼女にとっては傷つける価値すらないらしい。
あっさりと話題が変わった。
俺は自分を慰めるために煙草に火をつけながら、答える。
「まだだ。これからやろうかと思ってて」
「そう。じゃあ、ちょうどいいわ」
そう言ってポケットから手を出したフェリシアの左手には、指輪型のネモログが煌めいていた。
そこから一枚のディスプレイを浮かべ、彼女はニヤリと笑う。
「私が依頼するわ、オオカミ探偵さん」
いろいろな意味で難事件の予感に、俺は重く煙を吐いた。
こうして、俺の波乱に満ちた探偵稼業は──“彼女の依頼”から始まった。
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