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Ep2

見つけて頂きありがとうございます。

是非、最後までお読みください。

害虫を追い出して、良条件で事務所を手に入れてから、あっという間に数日が経った。


その間に、不動産屋が手配してくれた黒革で、どこか草臥れたソファの応接セットが運び込まれ、やたらと重厚なウッドデスクや、場違いなほど洒落たバーカウンターまで次々と搬入されてきた。


部屋には徐々に“探偵事務所”らしさが宿り、外には自作のヴァーチャル看板も掲げた。


精力的に動いた疲れが心地よく、夜の事務所でどかりとソファに腰を下ろし、煙草を味わっていたそのとき――


視界の右下に、突然通知が浮かんだ。


表示されたアイコンを見て、俺はすっと目を細める。


――旧式の軍用暗号通信。


テキストで表示された内容は、旧友からの誘いだった。


俺は立ち上がり、シャツに袖を通す。

ショルダーホルスターに銃を吊り、いつものカーゴパンツにブーツを履いて、静かに事務所を後にした。



日中は動けば少し汗ばむ陽気だが、夜はまだ若干肌寒い空気の中、事務所から20分ほど裏通りを歩くと、“Bar Know Man”と店名が彫られた木の看板が下がる、年季の入った品の良いドアがぽつんと現れる。


真鍮のドアノブを掴み、引くと地下へと降りる細い階段が現れる。

俺はドアを閉めながら、階段を降りて行った。


店内には、色褪せない往年の名曲が邪魔にならない程度に流れていた。

暗すぎない照明に照らされた空間は、10人も入ればいっぱいの広さで、壁に飾られる骨董価値の高い大戦前のレコード盤や紙のジャケットが、空気と雰囲気を演出している。


階段を降りてすぐ目につく4人掛けのバーカウンターの中では、今どき珍しい義体化していないバーテンダーがグラスを磨いていた。

その前には、一つの丸まった背中がある。


チェックのジャケットに、グレーのスラックス。

毛量はしっかり残っているが、疎らに白髪が目立つ頭がこちらを向くと、黒縁眼鏡を掛けた初老の男が、片手を挙げて笑う。


「よぉ。ここだ」


「久々だな。“ドクター”」


滑り込むように隣のスツールに腰を下ろす。

自然に、目だけで注文を確認してくるバーテンダーに、注文を伝える。


「グレイモの13年。ダブルをロックで」


上品に頷いたバーテンダーは、滑らかな手つきで琥珀色の液体に浮かぶ丸い氷を納めたグラスをそっと俺の前に置く。

またすぐにグラスを拭き始める所作を眺めてから、隣の初老とグラスを合わせる。

大事に少しだけ呑む。


一口で爆発的に広がるスモーキーな香り。

それを後追いしてくるフルーティーな舌触りを堪能し、ほぅと幸福の息を漏らす。


「相変わらず美味そうに呑むなぁ」


「俺の好物だからな」


くつくつと愉快そうに笑うドクター。

その目尻や顔に刻まれた皺を見て、思わず言葉が出た。


「老けたな、ドクター」


「そら10年も経てば老けるさ」


慈しむような、遠い過去を見るような寂しげで悲しげな目で俺を見ながら、ドクターは続けた。


「私がそのお前の顔を“それ”に変えてから10年か……歳がわからない顔になったことに感謝しろよ」


「軍医として、頭が吹っ飛ばされて死にかけた俺を救ってくれたドクターは、本当の意味で命の恩人さ」


そう返し、グラスを再び打ち合わせる。

雰囲気の良いバーにいるはずが、10年前の密林に漂う濃厚な土の匂いがする気がした。



「それにしても、よく俺が街にいるってわかったな」


俺を暗号通信で呼び出したのは、このドクターだった。

すると、にやりと笑ってから応えた。


「街の出入りは軍に筒抜けなのは知ってるだろうが」


「スピンドルの無いお前のデータを作ったのは私だぞ」


「わからないわけないだろう」


そう言って、自慢げにビールを飲み干し追加を頼むドクターを見ながら、俺もグラスを傾ける。


「まったく……せっかくスピンドルがないからトライペアから解放されてるってのによ」


「柵からは、そう簡単に抜け出せないものだ」


俺がこぼした愚痴を妙に真面目なトーンで拾うドクターの顔は、年相応に疲れ切っているようにも見えた。



不意に途切れる会話。

不快ではない無言の間を、曲名のわからない名曲が漂うなか、俺は琥珀色の水を喉に流す。


「お前は」


何の前触れもなく、ドクターは独り言にも思える声量で言った。


「お前は、どうして街に帰ってきた?」


そう聞いてくる老人の目には、懐かしさと後悔が浮かんでいるように見えた。


俺は、グラスを手の中で回しながら、自分の心の内を解くように言葉を流す。


「誰かの“記憶”を守りたい。そう思ったんだ」


「俺には、普通の頭に入ってるスピンドルがねぇからよ。社会的には“記録されない”」


「だから、せめて誰かの“記憶”は守りたい……いや、残りたくて戻ってきたのかも知れない」


俺の独白を無言で聞いていたドクターが口を開く。


「だから、探偵を?」


応えず、俺は最後に残っていたウィスキーを飲み干す。

氷によって甘みが増した香りが残るうちに、煙草をくゆらせながら、名刺をカウンターに滑らせた。


「……オオカミ探偵事務所所長・オオカミね」


「今日からはそう呼んでくれ」


湿っぽい空気を誤魔化したくて、明るく笑ってみせる。

ただ、その笑いがうまくできているかは、俺にはわからなかった。



雑談を交わしながら飲んでいれば、良い時間になっていた。

スツールから腰を下ろしたとき、ドクターが思い出したように言った。


「そういや彼女、フェリシアちゃんには会ったのか?」


ほろ酔いだった気分が、一気に引き戻される。

さっきまで芳醇な香りをしていたウィスキーが、冷たい鉛に変わったような錯覚を覚えた。


愛想笑いをしながらもごもごと口を動かす俺を見て、ドクターが深いため息を吐き、首を横に振った。


「……近々、会いに行くさ」


俺が言えた精一杯を理解したのか、鼻で笑ってビールを煽るドクターの肩に手を置いて挨拶しようとしたとき、ドクターは空のグラスを振るのを止め、俺を見た。


「オオカミ。お前、“想像妊娠”って知ってるか?」


「なんだ。急に。言葉としては知ってるよ」


「じゃあ……“想像出産”は?」


「……出産のシミュレートをするってことか?」


突拍子もない言葉に無理に意味をつけてみたが、どうも違うらしいことは、ドクターが頭を横に振ったことで察した。


「いやぁ、最近そんなのが増えてるって聞いてからよぉ……まぁ、なんかわかったら教えてくれや」


そう言ってビールの追加を頼むドクターに、次の機会の挨拶をして、俺は店を出た。



名曲がゆったりと流れる店内で、階段を上がっていく狼頭をニコニコと見送っていたドクターは、姿が見えなくなり、地上のドアが閉まる音が聞こえると、真顔になった。


「馬鹿野郎が。戻ってきやがって」


その呟きは、ビールの泡のように店内に溶けていき、流れていた名曲が終わった。

お読み頂き、ありがとうございます。

次回も、よろしくお願いします。

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