Chapter 1『眠りにつく街で眠れない私』1
生まれ育った街に愛着を持つ者は多いと思う。
中には「死ぬまでここを動かない、一生この街で暮らすんだ!」と宣言できる程の愛情を持っている者もいるだろう。
しかし私は死ぬまでここにいたいなんて思わないし、今すぐ新しい街に行けと言われれば「はい分かりました」と即答できる。
娘に地元愛の感情が一切ないことを父も熟知しており、ある時「もう決めたことだし、そもそもお前も、ーーヴェールも嫌がらないよな?」と前置きして「新しい環境で、これまでとは全く違う物語を書きたいんだ」と、私に資料を渡してきた。
"これまでとは全く違う物語”というのは、父は児童文学を専門とした小説家で、どうやら『新しい環境で心機一転したい、新しい環境でこれまで書くことが出来なかった物語を生み出したい、だから移住しよう』ということらしい。
渡された資料は10枚程あるだろうか。
目を通すとそこには物件の情報やその物件の近隣施設の情報、そしてその物件があるらしい土地の情報が書かれていた。
「スケアリータウン…って、"あの"都市伝説があるところ?」
「都市伝説じゃなくて実際に起こっていることだよ、“特異体質"としてね。まぁ実際は特異体質ではなく、街にかけられた魔法が原因らしいんだけど」
ローテーブルに置かれたティーカップを手に取り、淹れたばかりの紅茶の熱をふぅふぅと冷ましながら父は言う。
「その魔法以外は至って普通の街だから、当然スケアリータウンは閉鎖されることもなく街として普通に機能しているし、テレビ番組や雑誌で特集が組まれることもある。スケアリータウンに住む彼らが自分たちの街について語っている様子、お前もテレビで見たことがあるだろう?」
「見たことあるし、旅行者の体験記を読んだこともあるわ。スケアリータウンの住民も、体験記を書いた旅行者も、皆同じことを言ってた。『0時以降も起きている為にどれだけ頑張っても、0時から6時までの記憶は一切ない…つまり眠ってしまってる』ってね」
『0時から6時までの6時間、一度も起きることなく眠り続ける』
そんな住民がいる街・スケアリータウン。
"そんな住民が"と言ったが、眠り続けるのは住民の体質的な問題ではなく、数百年前街にかけられた魔法とやらのせいらしい。
だから住民だけではなく旅行や出張で街を訪れた余所者も、街にいる間は0時から6時までの6時間は絶対に起きていることができないそうだ。
現代人にとって『魔法が原因です』なんて言われてもピンとこないだろう、ということで『特異体質』というそれらしい言葉で長年説明され続けてきた。
しかし、目の前にある娯楽だけでは満足できなくなった噂好きな人々によって本来の原因である『街に魔法がかけられている』という話がここ数年で改めて浮上したのだ。
それによりスケアリータウンの知名度も上がり、確か昨年の人気観光地ランキングでは1位になっていた。
魔法が存在するなら一度でもいいから体感してみたいという理由で観光に行く者が多いのだそう。
中には移住まで考える者もいるらしいが「そんなのただの都市伝説だろう」と吐き捨てる者も少なくない。ーー私のように。
「見たことあるし読んだこともあるけど、私が実際に見たわけじゃないんだから、ただの都市伝説に違いないわ」
「ファンタジー作家の娘だとは思えないくらい現実主義だよなぁ、お前は」
私の隣に座る父は、二人がけソファの狭さもお構いなしにオーバーなリアクションを取った。
「スケアリータウンを題材にした物語を書きたい、というわけではないんだが、せっかく新しい土地に行くのであれば"曰く付きの街"の方が面白いと思ったんだ。勿論、お前が嫌だというなら別の街を考えるけど」
「別に嫌と言うわけではないわ。父さんの好きなようにすれば良いじゃない」
言い終わってから少々投げやりな言い方をしてしまったかと反省したが、そんな私の心を父は見抜いていたようで「何も言わなくて良い」と言わんばかりの優しい笑みを浮かべていた。
「ありがとう。じゃあ、好きにさせてもらおうかな。スケアリータウンに移住しよう!」
………
そんな話をしてから1ヶ月も経たずに、私たちはスケアリータウンへとやってきた。
スケアリータウンの伝説によると、この街は『人間から迫害されたスケアリーが集った街』なのだそう。
私の勝手な想像だが、迫害された者が集う場所というと、無人か、無人とまでは行かなくても住民がほとんど残っていない寂れた街…所謂ゴーストタウンのようなところだと思っていたのだが、街に足を踏み入れてすぐに印象が変わった。
伝説が本当なのであれば、ーーまぁ、ただの都市伝説に過ぎないと私は思っているが、魔法使いが例の魔法をかけたのは数百年も前の話なのだから、当時から街並みがガラリと変わっていても不思議ではない。
それこそ、当時は想像通りのゴーストタウンだったのかもしれない。
だが、現在のスケアリータウンはゴーストタウンとは真逆の賑やかな街だった。
平日でこれ程人が多いなら、休日は大層混雑するだろう。
移住計画が語られたあの日、父が見せてくれた資料にはスケアリータウンの人口も書かれていて、確か20万人程の住民が暮らしている筈だ。
街のメインストリートには沢山の専門店が並んでおり、全ての店を回り切るには1日では足りそうにない。
あるダイニングバーのオープンテラスでは平日休みの大人達が昼間からビールを片手に盛り上がっているし、ある雑貨屋の入口ではお揃いのキーホルダーを買ったのだと思われる少女達がそのキーホルダーと一緒に自撮りをしている。
街にいる皆がとても楽しそうだ。
単純な人数だけではなく、人々の愉快な話し声や笑い声で活気に満ちている。
メインストリートから離れた場所にも様々な店があるし、病院、郵便局、銀行、交番といった生活に欠かせない施設だって当然ある。
娯楽性と利便性がバランス良く共存している。
街の景観はというと、レンガ造りの道に街が管理しているのだろうか、レンガの色に合わせた赤や橙色といった暖色系の花達が歩道横に植えられている。
暖色には心を高ぶらせる効果があるというし、街にいるすべての者が人生を謳歌できるよう演出してくれているようにも見える。
だからだろうか、ただ歩いているだけで気分が高揚する。
メインストリートの中心には噴水広場があって、そこで行われる大規模なストリートパフォーマンスも人気があるのだそう。
今日は行われていないようだが、ストリートパフォーマンスが行われる日は移動販売式の飲食店も出店するらしく、小さなお祭りのような賑わいになるのだと、これも父に渡された資料に書かれていた。
例えスケアリータウンの伝説がなかったとしても、観光の地として人気が出てもおかしくない魅力的な街だ。
「スケアリータウンって素敵な街ね、毎日楽しそう!あの都市伝説がなくても観光にピッタリの街だわ。現代的で住みやすそうだし、だけど街並みに風情があるから非日常感もあって、魔法使いが〜とかスケアリーが〜とか、そういう伝説が生まれるのも理解できるわね」
新居への家具と荷物の搬入はホテルに泊まりながら事前にコツコツと済ませていたので、私と父は移住初日とは思えないくらいのんびりと街の中を探索している。
雑貨屋でついつい買い過ぎてしまった大量の食器を大事そうに抱えながら父は、
「お前は伝説というけど、伝説ではなく歴史だよ。歴史は史実に基づいた事実であり、伝説は噂話や誰かが考えた物語が含まれる。お前が"都市伝説"と言っていることは、この街で実際に起こっている事実なんだ。だから伝説ではなく歴史という言い方が正しいよ」
と、例の魔法を否定し続ける私に向かって言う。
自分の方が正しいと確信しているからなのか、声色には私への呆れも混ざっている。
「何度も言うけど、私は自分が実際に体験しない限りは"都市伝説"だと言い続けるわよ。私にとって都市伝説である以上、私にとっては歴史じゃなくて伝説。誰かが考えた…それこそ、父さんのような作家が考えた伝説だと思ってる」
この娘には何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
父はわざとらしいため息を吐く。
「まぁ良い。歴史か伝説か、事実かただの都市伝説か、それは今日の夜に分かる。今日の0時…いや、0時なら明日と言った方が正しいか?とにかく、0時になったらハッキリするだろう。お前の考えが変わる瞬間だ、楽しみだよ」
意地の悪い顔をして父は笑った。
まだ15歳の子供である私より大人気ないのではないだろうか。
ーー確かこの街では、0時になると鐘が鳴るんだったか。
スケアリータウンの各所にある教会の鐘が一斉に鳴り、その鐘の音と共にスケアリータウンは眠りにつくという。
あちらこちらの鐘が鳴ったら逆に目が冴えてしまいそうなものだが…本当に住民は眠りにつき、6時まで目を覚ますことはないのだろうか?
父の言うとおり、その答えは0時になったら分かるだろう。
自分が住む街について語るスケアリータウンの住民も、体験記を書いた旅行者も、パフォーマーを気取って『伝説は現実なんだ!』と、人を楽しませるための嘘を吐いているのだと私は思っている。
それか、私のような子供には分からない謎のメカニズムによる"そういう特異体質"が本当あるのかもしれない。
個人的には前者の方が良いなと思う。
私は現実主義者だが、いや、現実主義者だからこそフィクションとしてであればこういった話は好きなのだ。
子供を楽しませる空想の物語を生み出すファンタジー作家である父はよく「人を楽しませるための、人を幸せにするための嘘は嘘じゃない」と言っている。
私もそれはその通りだと思う。
だから、この都市伝説の内容自体は面白いと思っているし、今日からスケアリータウンの住民になるのだから、機会があればパフォーマーになりきって「本当に眠ってしまうのよ!不思議でしょ?」なんて語ってやっても良いと思っている。
ノンフィクションはあり得ないと言っているだけであって、フィクションであれば馬鹿にするつもりはない。
そして何より、自分で見たり体験したことではないものを事実だと断言する父のような者のことは少しだけ馬鹿馬鹿しいと思ってしまう、ただそれだけなのだ。